【55】黄玉の瞳の男〈4〉
「なんで、私が聖女だってこと……知ってるの? 異世界から来たことも」
ベンチに座るなり、エナは身を乗り出して問い詰めた。
「悪いね。こういうのは立場上、どうしても耳に入ってくる」
カリムは少しばつが悪そうに頭を掻いた。
「まあ……国家機密級だから普通は知らないと思うけど、俺はこの学園に通ってるから」
(王子だし……そりゃそうか)
学園長には、この事実を知っているのは国のひと握りの上層部と自分たちだけだと言われていた。だが、カリムが知っているのはおそらく王家直属の諜報か、親から直接知らされたからだろう。アル=サハル国は交易国家だ。貿易相手であるこの国の情勢や、強大な力を持つ聖女の所在を把握しておく必要があるはずだ。
「ねえ、聞いてもいい?」
「ん。どうぞ」
カリムは余裕のある笑みを浮かべて頷いた。
「どうして私に話してくれたの?」
黙っていれば、彼には何のリスクもなかったはずだ。なのに、エナが異世界の聖女だと知っていることを、わざわざ明かしてくれた。
カリムはんー、と少し考えるような素振りを見せた後、まっすぐにエナを見た。
「君に近づいたのが、申し訳なくなって、かな」
「私が聖女だから?」
「いや、ルシアンの友だちだから」
疑問符を浮かべるエナに、カリムが自嘲気味に笑った。
「ここ何ヶ月かの、君と出会ってからのルシアンは不眠症も治っててさ。でも、ここ最近は前の危うかった時のルシアンに戻っちゃって。……もしかして、君のせいなんじゃないかと思ったんだ」
「え?」
「あいつ、前に似たような状況があったんだけど。もしかしたら、今回は美人局にでも引っかかって振り回されてるんじゃないかって勘繰ってたら、父上からの手紙で、異世界から来た聖女がこの学園にいるって知ってさあ。同封された絵にはびっくりしたよ」
そう言って、カリムはローブのポケットから一枚の絵を取り出した。「はい」と渡されたそれを見て、エナは息を呑む。
そこには、街でリリアやセラフィナと笑い合って遊んでいるエナの姿が鮮明に書き写されていた。
「こんなものが……」
この世界には写真がない。だから隠し撮りはできないのだ。精密に描かれているこの絵は、おそらく放課後に街で遊んでいた時、遠くから観察して描かれたものなのだろう。
「星降祭の時、ルシアンと一緒にいる君の顔を偶然見てたからね。だから君に近づいて、異世界から来た聖女様の本性を暴いてやろうと思ったんだ。……ごめんね」
カリムは眉を下げ、どこか申し訳なさそうに視線を落とした。
(……そっか。カリムは、ルシアンのことが心配で動いてくれたんだ)
「カリム」
静かに名前を呼ぶと、彼はびくっと肩を揺らした。罵詈雑言を受ける覚悟を固めたような、強張った顔でこちらを向く。
エナはそんな彼の手を、両手でそっと包み込んだ。
「話してくれてありがとう」
「え?」
カリムは目をぱちぱちと瞬かせると、驚いたように聞き返した。
「ルシアンのこと、大事な友だちだから私を疑ってたんでしょう? なのに、私が泣いてたから話を聞いてくれて、申し訳なくなって今、全部話してくれたんだよね」
ルシアンの周りには、こんなに彼のことを真剣に思いやってくれる友人がいる。その事実が、エナには何よりも嬉しかった。
「カリムは、優しいね」
その言葉に、カリムがはっと目を見開く。
「ほんと、優しい……」
包み込んだ手元を見つめてしみじみと呟くエナは気づかなかったが、カリムの頬にはさっと朱が差していた。
「あー……」
カリムは気まずそうに視線を泳がせた後、わざとらしくため息をついた。
「女の子に手を握られてるのは嬉しいんだけど、お兄さん照れちゃうからそろそろ離してくれると嬉しい」
「あっ、ごめん!」
エナが慌てて手を離すと、カリムは片手で口元を覆い、顔の熱を隠すように俯いた。
「痛かった?」
「いや……」
首を振った後、カリムはそうだ、と何かを思いついたようににんまりと笑った。
カリムがベンチの背もたれに腕を回し、エナの方へぐっと身を乗り出してくる。
(んん!?)
そして、エナの耳元に顔を近づけると、内緒話をするように低く甘い声で囁いた。
「安心して。君の正体、ルシアンには言ってないから」
耳元をくすぐる吐息とゼロ距離に、エナは「ひっ!?」と耳を押さえて勢いよく立ち上がった。
「い、いいいい、いま……近……っ!?」
(なに今の! たらしか! 天然たらしか!?)
エナが顔を真っ赤にして口をぱくぱくとさせて抗議すると、カリムはあはは、
と無邪気に笑いながら立ち上がり、エナの銀髪をくしゃりと掻き回した。
「ちょっと!」
「可愛いから、つい」
悪びれもせず、ぱちんと軽快にウインクをする。
その時、二人の鼻腔を、近くの食堂から漂ってきた焼き立てのパンの抗いがたいほど幸せな香りがくすぐった。
「あ、そうだ。一緒に食事でもどうですか? ……聖女様?」
カリムがふざけた調子で優雅な所作を見せ、エナに向けてエスコートの腕を差し出した。
エナは、その王子様然としたおどけた誘いに思わず肩の力を抜き、あははと笑い声を上げた。
(接しやすいし、楽しいな)
エナは彼の遊び心に応えるように、見えないドレスの裾を軽く持ち上げる淑女の真似事をして見せ、差し出されたその腕にそっと手を添えた。
「こちらこそ、喜んで。王子様?」
二人は顔を見合わせ、まるで古くからの友人のように、目を伏せて親しげに笑い合った。




