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【54】黄玉の瞳の男〈3〉

「ありがとうございます」


 差し出される手を取って、長い螺旋階段の最後の一段を降りる。

 ひんやりと冷え切った塔の空気から解放され、まだマシな寒さの地上へと出ると、遠くから生徒たちのざわめきや生活音が鼓膜に届いた。


「敬語やめてよ。さっきみたいに、気楽に話して。ね?」


 先輩が小首を傾げ、覗き込むようにして笑いかけてくる。


「うん、わかった」


 エナが頷くと、先輩は嬉しそうににこにこと笑った。


(親しみやすいし、交友関係が広そうだな)


 彼がルシアンの傍にいるのなら、ルシアンがまた一人きりの孤独に陥ることはなさそうだ。エナは密かに安堵の息を吐いた。

 ふと隣を見ると、彼は手を頭の後ろで組んで足を止め、上を見上げていた。エナも彼に並んで、同じように視線を上げる。


「どうしたの?」

「ほら、あそこはまだ明るいなーって」


 さっきまで二人がいた展望台のある塔の上部だけが夕陽を浴びていた。


「……ああ。あの高さだと、地上より少しだけ長く太陽が見えるの。ほんの数分だけどね」

「ふーん。なんでだろ」

「この星が丸いからだと思うよ」


 彼はぱちりと瞬きをした。


「それは知ってるけど……それと何か関係あんの?」


 理由を説明してほしそうな熱心な視線に、エナは少し考え込む。


(ううん、どうやって説明しよう)


「例えばね」


 エナは指先で空中に丸を描いた。


「すごく大きな球の上に立ってるところを想像してみて」

「うん」

「地上にいる人は、球の表面にぴったりくっついてるでしょ? でも高い塔に登ると、そのぶん少しだけ高い位置から遠くを見られるようになるの」


 彼は黙って耳を傾けている。


「だから地上からだと見えなくなった太陽も、塔の上からならまだ見えるんだよ」

「……ああ」


 金色の瞳がわずかに見開かれた。


「見える範囲が広がるってこと?」

「そうそう!」

「へえー!」


 目を輝かせる彼を見て、エナは口元を綻ばせた。自分の知識に興味を持ってもらえたことが、素直に嬉しい。


(私も昔、こういうのが不思議で、それで興味を持ってハマったんだよなぁ)


「全然知らなかったなぁ」

「まあ、そんなもんじゃない? 魔法っていう立派な学問があったら、こういう理論の進みが遅くなるのは必然だと思う」

「それでも、君は詳しいんだ?」

「まあね」


 少し照れたようにはにかんで、エナは答える。


「昔、そういうのが好きで学んでたんだ」

「へえ……、変わってんね」

「そうかもね」


(私はこの世界の異物なのだから、当然だ)


 この世界における一般的な女性の幸せは、良い嫁ぎ先を見つけて結婚することだとされている。魔法使いの存在が一般化し、女性が就ける魔法関係の仕事も増えてきたため、以前ほどその風潮は強くないものの、それでも女性が学ぶべきなのはマナーや芸術だとされているのが現状だ。


(でも、ここの研究生には女の子もいるから、時代は少しずつ変わっていきそうな気がするけど)


「異世界では、地形学を専攻してたの?」

「いや、物理学を……」


 ハッとして、エナの思考が完全に停止した。

 今、この男はなんと言った。


「ブツリガク……。それが何かよくわからないけど、そっちの世界はここより進んでそうだな」


 彼はんんん、と考える仕草のあと、ひどく平然とした様子で言った。


「え、ちょっと待って。異世界って、なんで知って」

「うーん……」


 問い詰めるエナに、彼は困ったように眉を下げて曖昧に笑うだけだ。


(どこから情報が漏れたの? どこまで知ってる? ……もしかして、ルシアンも知ってる?)


 次々と疑問が浮かぶのに、驚きで喉が張り付いて声が出ない。


「ああ、ごめんごめん。そんなに警戒しなくていいよ。……あ、そういや自己紹介がまだだったよね」


 先輩は肩をすくめて苦笑すると、あっけらかんと言った。


「俺は、カリム・アル=サハル。君は?」


「……エナ・フィアレス、です」


 名乗り返した瞬間、エナは目を見開いた。


「アル=サハルが、姓って……」


 マナーの授業で学んだ世界地図が脳裏をよぎる。ここアウレリウス王国の隣にある、砂漠と海に囲まれた強大な交易国家。そこと同じファミリーネームだ。


「うん、第三王子」


 さらりと明かされた正体に、エナは硬直した。


(……リアル王子様ってこと!?)


 ロイヤルファミリーに会うのは人生初めてだ。パニックになったエナの動作は急激にぎこちなくなり、慌てて一歩後ずさる。


「お、王子様におかれましては……ご、ご機嫌麗しゅう……っ!」


 ぎぎぎ、と関節が鳴りそうなほど不自然なカーテシーを披露するガチガチのエナを見て、カリムはこらえきれずに吹き出した。


「いーひっひっひ! やめて、笑い死んじゃう」


 はー面白い、とお腹を抱えて笑うその姿は、高貴な身分とは裏腹に、年相応の少年の素の姿のように見えた。


「カリムって呼んでよ、エーナちゃん」


 快活に笑いながら、カリムはハーフアップにした黒髪をさらりと揺らし、トパーズのピアスを鳴らした。


「んーそんじゃ、あそこで少し話さない?」


 彼──カリムが指さしたのは、少し離れた場所にあるベンチだった。生徒の賑やかな声が聞こえる食堂側とは真逆の、人気のない静かな方向を向いている。


「まだ聞きたいこと、あるでしょ?」


 カリムがわずかに身を屈め、下から覗き込むようにエナと視線を絡ませた。そしてゆるく首を傾げると、ふっと艶やかに目を細めた。

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