【49】好きになりたくない〈1〉
距離を取るのは簡単だった。
エナが特別棟に近づかないだけで、簡単に関係は断ち切れてしまった。
研究室に行かない日の朝は、ひどく遅い。
起き上がる理由がないと、朝の時間は重くのしかかってくるのだ。
(……あーあ。私、ほんとルシアンに依存してたんだな)
気づけば布団の中で、ぎゅっと膝を抱えていた。
この世界にいきなり放り出されたときの、あのどうしようもない不安が蘇る。右も左もわからなくて、どうすればいいのか分からなかったあの時。
(この世界で初めて会った彼が、ひどくボロボロで可哀想だと思った)
自分と重ねてしまった。
もし、ルシアンと出会っていなかったら。
もし、あの漫画を読んでいなかったら。
(私は、どうなっていたんだろう)
虚ろな目で野垂れ死んでいる自分を想像して、少しだけ背筋が寒くなった。
布団から頭を出して見れば、カーテンの隙間から差し込む光が、机の上のガラス細工に反射してキラキラと眩しい。
(でも、いつまでもうじうじしているわけにはいかない)
床を這う熱に追い詰められるように、エナは勢いよく窓へ向かい、一気にカーテンを開けた。
「……うっ、まぶしい」
強い陽射しが目の奥に爆ぜ、眩むように一瞬視界が白くなる。すごくいい天気だ。それなのに、頭の中はじとじととルシアンとの喧嘩のことばかり浮かんできて、嫌になる。
(やることがないし、することがない)
いかに自分が彼に執着していたかが、嫌な形ではっきりしてしまった。
自分にはこれっぽっちも中身がないことを突きつけられたみたいで、なんだか無性に恥ずかしくなる。
リリアもセラフィナも自分の用事に追われている。彼女たちは自分の人生を生きている。
(私だけ。……私だけが、止まってる)
何も考えたくなかった。
今まで自分を埋めていたものが無くなって、心の中にぽっかり穴が空いた気分だった。早く何かで埋めたい。何でもいいから、自分以外の何かで頭を埋め尽くしてしまいたかった。
そういえば、この学園には大きな図書室があったはずだ。本にのめり込めば、少しはルシアンのことを忘れられるかもしれない。
「よし、行くぞ!」
小さく声に出して気合を入れる。思い立ったらすぐだった。
軽く化粧をして制服に着替えると、エナは勢いよく自室を飛び出した。
◾︎◾︎◾︎
(えっと……西棟の、二階の奥の部屋──)
エナはいつもと違ってフードを被らず、剥き出しの銀髪を揺らしながら西棟の廊下を歩いていた。
この地で生まれ育ち、社交界デビューをして聖女として広く知られるセラフィナたちとは違い、エナの顔を知る者はこの学園内にはいない。一人で行動する時はフードを被らない方が目立たなかった。
やがて目的の場所に辿り着いたものの、エナは思わず足を止めた。
初めて訪れる図書室は想像以上に広く、入り口からちらりと見えただけでも学生が多くいるのがわかる。
(なんだか敷居高いな……)
ごくりと固唾を呑み、気後れしそうになるのを堪えて一歩を踏み出す。その瞬間、すぐ目の前を小さな発光体が不意に横切った。エナは思わず、ぽかんと口を開ける。
(……え?)
驚いて光の軌跡を追うと、そこには掌に乗るほど小さな妖精がいた。自分の体の十倍はあろうかという分厚い本の背表紙を軽々と抱え、本棚の隙間を器用に縫って、元の位置へと戻していく。鱗粉のような光の粒が、埃の舞う陽だまりの中でキラキラと弾けていた。
いつか授業で習った『図書妖精』だ。静寂を愛し、書物の秩序を守る、この世界ならではの魔法生物。
(ちっちゃくて、可愛い! ……あ、こっち見た)
思わず凝視してしまうと、妖精も動きを止めてじいっとエナを見つめ返した。けれど、すぐに警戒するように薄い羽を震わせると、棚の陰へと音もなく消えてしまった。




