【34】爆ぜる熾火〈1〉
男子寮のフロア談話室は、重厚な絨毯と落ち着いた内装で統一され、壁際の暖炉を囲むように座り心地の良い椅子が配置されている。
その暖炉の真ん前に陣取った椅子で、ルシアンは肘をつき、揺らめく赤い炎をぼうっと見つめていた。
夕食時で多くの学生が食堂に集まっている時間帯だからだろうか。広い談話室を炎がぼんやりと照らしているが、ここにはまだ自分たち三人のほかに人影はない。
少し離れたところでは、アルベールが眼鏡を外して疲れ目でも労わるように目頭を揉んでおり、カウチではカリムが行儀悪く寝っ転がりながら母国からの手紙を読んでいる。
「はぁ……」
ルシアンは、胸にわだかまる悶々とした気持ちを持て余し、深い溜息を吐き出した。
(一体何だったんだ。あれは……)
脳裏をよぎるのは、自分を子供扱いするかのように艶っぽく微笑んでいたエナの顔だ。普段の無邪気さとは違う、ふとした瞬間に見せた年上の女性のような余裕。思い出しただけで、顔に一気に血が昇るのがわかる。
(第一、僕は先輩だぞ……)
ルシアンは、出会った当初の「ルシアン! ルシアン!」と犬のように尻尾を振って抱きついてくる彼女の姿を思い浮かべた。初対面の時から距離感のおかしな相手だとは思っていたが、今日のあの余裕たっぷりの態度は、一体どこから湧いてきたというのか。
ふいに、カチャカチャと小気味よい陶器の音がした。視線をやれば、アルベールがティーカップを三つ用意しているところだった。
この談話室には小さなキッチンが併設されており、学生たちはここでよく茶を淹れる。最近のように冷え込む夜には、湯たんぽのための湯を沸かす光景もよく見る。
手伝おうとルシアンが腰を浮かせると、眼鏡を掛け直したアルベールが、光を反射させたレンズ越しに「座っていろ」と鋭い視線で制してきた。
アルベール・グレイン。真面目で面倒見が良く、伯爵家の嫡男なのにどこか小姑のような細やかさを持つ男だ。
アルベールは以前、ルシアンが不眠に悩んでいると知ってからというもの、ルシアンが何か作業をしようとするたびに「休んでいろ」と断固たる態度で拒むようになった。研究の成果でようやく眠れるようになったと伝えても、彼のその過保護な世話焼き癖はすっかり定着してしまったらしい。
友人の不器用な優しさに、ルシアンは思わず口角を上げた。
(いい友人を持った)
「……ありがとう」
ルシアンは眉を下げて彼の背中に短く礼を言い、手持ち無沙汰を紛らわせるように暖炉へ新しい薪を放り込んだ。
「それでさぁ──」
パチパチと爆ぜる薪の音を、明るい声が掻き消す。眼鏡を湯気で曇らせながら湯を沸かすアルベールの隣では、カリムが手伝う素振りも見せずにひたすら喋り倒していた。
カリム・アル=サハル。一年生の時、隣の部屋が隣になった縁で馴れ馴れしく話しかけてきたのが、カリムとの出会いだった。当時のルシアンは根も葉もない噂のせいで孤独を深め、人を寄せ付けないよう常に気を張っていた。だがカリムは、そんな冷たい態度に臆することもなく、毎日飄々とした様子で話しかけてきた。
カリムはその人懐っこい性格で誰とでもすぐ打ち解け、友人が多かった。そんなカリムの紹介でクローディアとも出会い、ルシアンの人生は大きく変わった。
「やっぱり、ワーグナー先生って俺に厳しすぎない?」
「それはお前が授業中、寝てばかりいるからだ」
「ちょっとうたた寝してたからって、あの課題の量は横暴だろ!」
カリムが肘をつきながら、不機嫌そうに唇を尖らせるので、ルシアンとアルベールは思わず吹き出した。
ルシアンがこんなにも彼に心を許すようになったのは、ある意味で必然だったのだろう。素直で裏表のない、本当にいいやつなのだ。
だからこそ、のちにこのマイペースな男がアル=サハル国の王子だと聞かされた時は、目が飛び出しそうなほど驚愕したのだが。
「おい、絶対おまえらにも手伝わせるからな」
カリムがにこにこと含みのある笑顔で宣告してくる。
「僕はどんな課題かすら知らないぞ」とルシアンが肩を竦めると、アルベールも「自分でやれ」と冷たく切り捨てた。
「だって魔法生物学、苦手なんだよ! 妖精とか種類が多すぎて覚えらんないって」
「なら、いっそ語呂合わせで覚えるんだな」
アルベールは呆れながらも、ポットから湯を注ぎながら的確な覚え方を教え始めた。
そのやり取りを見つめながら、ルシアンはふと、カリムのころころと笑う様子がどこかエナに似ていると感じた。カリムとエナが纏う、周囲を明るく巻き込むような似通った空気。それを心地よく感じながら、ルシアンはもう一本薪をくべる。炎がさらに勢いを増し、じりじりとした熱が顔を打った。
季節はもう冬だ。朝晩の冷え込みは日増しに厳しくなり、雪が降るのも時間の問題だろう。
ルシアンはわずかに眉間に皺を寄せた。冬が来るということは、休暇が近づくということだ。
長期休暇になれば、否応なしに実家へ戻らねばならない。夜会や新年の挨拶といった貴族社会特有の儀礼が待っている。まだ爵位を継いでいないルシアンに出席の義務はないが、それでも王都へ向かう父に同行することになるだろう。
父の傍にいると息が詰まる。いや、父だけではない。実家という空間そのものが、ルシアンには酷く息苦しかった。それならせめて、父がいる間だけ耐えて、あとはタウンハウスに引き籠もっている方がマシだ。
(考えるだけで、気疲れしそうだ……)
着々と迫る憂鬱な休暇を思い、ルシアンは苛立ち紛れに小さく舌打ちを漏らした。




