表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/55

【19】星降る夜に、願うものは〈2〉

「──それが君の願いなら」


 ルシアンはふっと表情を和らげると、エナに見えやすいようゆっくりと腰を上げた。


 掌を夜空に向ける。

 静かに精神を集中させた次の瞬間、その中心から透き通るような白銀の光が溢れ出した。光はまるで呼吸するように明滅しながら、緩やかにその輝きを強めていく。


 魔力の奔流に呼応して生まれた静かな風が、ふわりと前髪を揺らしたその隙間から、ルシアンはそっとエナの様子を伺う。


「わぁ……」


 エナは頬を上気させ、子どものように瞳を輝かせていた。その純粋な反応を見て、ルシアンの胸にすとんと安堵が落ちる。無意識に口角を上がっていた。


(もっと、喜ばせてあげたい)


 指先を緩やかに動かせば、中心の光から零れ落ちた細かな粒が、尾を引くような軌跡を描いてエナの方へと流れていった。


 光の粒子たちがエナの視線の高さでくるくると舞い踊る。初めは驚いた様子のエナだったが、次第に感極まったように両手で口元を覆った。


 そんな彼女の姿に、ルシアンの唇から自然とくすりと笑みが漏れる。


 寄り添うように周囲を踊る光は、エナの輪郭を鮮明に浮かび上がらせた。歓喜に揺れるルビーの瞳。熱を帯びた頬。闇の中で、そこだけが発光しているかのような彼女の美しさに、ルシアンはぼんやりと見惚れた。


「きれい……」


 不意に零れたその呟きに、ルシアンは心臓が跳ねるのを感じた。自分の心の声が漏れてしまったのかと焦り、思わず左手で口元を覆う。だが、それはエナの口から漏れた感嘆だった。


 勘違いに心底安堵する。同時に、彼女をよりいっそう喜ばせたいという欲がむくむくと湧き上がった。


 ルシアンが再び指を動かすと、白銀の光は数羽の蝶へと形を変えた。蝶たちは優雅に羽を震わせ、エナの周囲を祝福するように一周してから、ルシアンの指先へと静かに舞い降り、羽を休める。


「あ、待って、そのままストップ! 動かないで! ……めっちゃ絵になる!!」


 エナが弾かれたように勢いよく立ち上がった。彼女は両手の指で四角いフレームを作ると、覗き込むような仕草でルシアンを凝視する。


「この角度、よすぎる……」


 夢中ではしゃいでいたエナだったが、ふと、この瞬間を記録できない事に気づくと、一転して絶望の表情を浮かべた。


「ああ……写真撮りたい。なんでカメラないのおぉぉ」


 エナはがっくりと膝をつかんばかりに、深々と項垂れた。

 わけのわからない言葉を口にするエナ。ルシアンは困惑しながらも、思わず小さく吹き出した。


「……喜んでいるのか、悲しんでいるのか、どっちなんだ」

「どっちもだよ!」

「なぜ?」

「だって、こんなに綺麗な魔法、初めて見たんだもん!」


 エナは興奮した面持ちでルシアンを真っ直ぐに仰ぎ見る。


「ルシアン様って、本当にすごい魔法使いなんだね!」


 知ってたけど、改めて。そう言わんばかりに、エナはふわりと頬を緩めて微笑んだ。前のめりな賞賛を受け、ルシアンはむず痒いような居心地の悪さに顔を背ける。


「……大袈裟だな」


 けれど、勝手に緩んでしまう口端を隠すことはできなかった。


(こんなことで、浮かれすぎだ)


 ルシアンは自分を律するように奥歯を噛み締めた。


 ……ルシアン・ベルクレアは光魔法の天才である。それが自他ともに認める評価であった。だからこんな魔法は、生まれた時からできて当然、呼吸と同じように当たり前のことだった。


 それなのに、下心も打算もなく、ただ純粋に自分の魔法を好いてくれるエナの賞賛は、社交辞令に慣れたルシアンの胸をどうしようもなく熱くさせた。


 魔力暴走のあと、親から離れた場所で育ったルシアンは、こうして真正面から褒められることに、これっぽっちも慣れていなかった。


 ふと視線を動かすと、一匹の光の蝶がエナの指先にとまっていた。


(いつの間に……)


 無意識に魔法のコントロールが乱れていた。まるで自分の内面が漏れ出しているようで、ルシアンはまともに目を合わせられなかった。


「ねえ、見て。懐いちゃったみたい」


 指先を小さく動かし、エナは微笑みながら光の蝶と戯れる。


「私ね……ルシアン様の魔法、好き。……だって、砂糖菓子みたいで、綺麗なんだもん」


 食い意地が張ってるかな、とエナが明るく笑う。ルシアンは胸の奥がじんわりと震えた。


(ああ、眩しいな……)


 強すぎる魔力はルシアンを孤独に追いやった。けれど今はその魔力が、目の前の女性を喜ばせるための道具として、その羽を震わせている。


「……君といると、調子が狂うよ」


 ルシアンは穏やかに笑うと、深く、深く息を吐いた。

 赤らんだ顔を隠すようにそっと魔法を消そうと、腕を振る。


 そして、光が消える瞬間に見えた──ルビーのように煌めく瞳が、ルシアンの記憶の残像と重なった。


『ルシー!』


 頭の中で響く声に、ふっと笑みを零す。


「そういえば……彼女も、そう言ってくれたな」


 無意識に言葉が溢れた。熱を失った指先が、わずかに震える。エナが不思議そうに首を傾げた。


 去年、クローディアもこの光の蝶を見て、無邪気に手を伸ばしていた。

 魔法の術理も難易度も、過去の血の滲むような努力も、彼女は何一つ知らなかったけれど。


『わたしね……ルシーの魔法、綺麗で大好き』


 指先にとまった光を、宝物でも扱うように覗き込んで、クローディアは微笑んだ。


『この蝶、きらきらしてて、お砂糖みたい。……ねえ? これ、食べたら甘いかしら』


 そんな子どもじみた、ひどく無意味で愛おしい感想が。期待に応えようと勝手に一人で追いつめられていたあの頃の自分には、救われた。


 ルシアンは前髪をかき上げ、視線を落とした。


「去年ここへ一緒に来た人は……僕の、大切な人なんだ」


 エナがわずかに息を呑む気配がした。

 自分でも驚くほど、声が甘く解けていくのがわかる。思い出に浸るように、ルシアンは目を細めた。


「もう、二度とここへは来られないと思っていた。その人のことを、嫌でも思い出してしまうから。…………でも」


 震える声を抑え、ルシアンはエナと向き合った。彼女が慰めるように肩へ置いた手の温度を、確かな境界線の向こう側のものとして感じながら。


「また来られてよかった。君のおかげだ。……ありがとう──エナ」


 せり上がってくる熱い塊を飲み込み、ルシアンは意を決してその名を呼んだ。


 エナの目が見開かれる。

 名前を呼んだ瞬間、喉が小さく動いた。クローディアへの後ろめたさから自分を縛り付けていた拒絶が、彼女の体温に溶けていくのを感じる。


 他人として線を引くために、ずっと『君』と呼び続けてきた。けれど、今ようやく、その境界を越えた気がした。


 肩に置かれた手の温もりが、ゆっくりと離れていく。


「私……なんにもしてないよ。ここに来たのはルシアンの選択だし……」


 エナは両手を胸の前で握りしめ、一度俯いたあと、今にも壊れてしまいそうな危うい笑顔で言った。


「それでも……大切な人との思い出を、ルシアンが忘れないでいられたなら、よかった」


 その笑顔に、ルシアンは気づかないまま言葉を繋ぐ。


「ルシアンでいい。僕たちは、友人……だろう?」


 目を見開いた後、柔らかく微笑んで頷くエナを見て、ルシアンの胸にずきんと確かな痛みが走った。


 なぜ痛むのか、意味がわからない。剥き出しの心臓を素手で握られたような、不快な熱が這い上がる。


 視線を落とせば、エナの小さな手が目に入った。その頼りなさに胸が締め付けられそうになるが、その手に触れる理由は、今のルシアンにはどこにもなかった。



 ──友人だ。



 間違いなく。それ以上でも、それ以下でもない。


 だからこの痛みはきっと、寒さのせいだ。きっと、そうなのだろう。


 白く染まった二人の吐息が、ぼんやりと薄くのぼっていく。

 混ざり合うことのないそれは、夜の闇へと静かに吸い込まれ、二度と形を戻すことなく、あっけなく消えていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ