【17】一夜の道標〈5〉
食べ終えて足を進めると、そこは色とりどりの露店が軒を連ねるエリアだった。漂っていた食べ物の匂いはいつしか消え、代わって視界を埋め尽くしたのは、無数のランプを反射してきらめくガラス細工の群れだ。
星降祭には、大切な人が道に迷わないよう、星を模したガラスを贈り合う習慣がある。それゆえ、どの店の店先にも、夜空の欠片を削り出したような美しいガラス工芸が所狭しと並んでいた。
「やあ、そこのお二人さん。大切な人への“道標”はいかがかな?」
不意に投げかけられた言葉に、一瞬、足が止まった。
(大切な人の、道標……)
店主の声はどこまでも陽気で、他意なんて何もないのに。エナはそっと、隣を歩くルシアンの横顔を盗み見た。けれど、その表情は凪いだ水面のように静まり返り、何の感情も読み取ることはできなかった。
見せてもらおう、というルシアンに促され、エナも店先を覗き込む。
並べられているガラス細工は、置物や文具などからアクセサリーに加工されたものまで、多くの種類があった。
(漫画のイラストも見たけれど、本物だとこんなに綺麗なんだ……)
「綺麗だね」
同意を求めて隣を見上げる。ルシアンは、きらきらと光を反射するガラスの群れに、眩しそうに目を細めていた。その横顔は、どこか遠い日の記憶を慈しんでいるようにも見えた。
エナはゆっくりと視線を前に戻す。
(……ああ、そうだった)
無機質なガラスの列に、ぼんやりと視線を落とす。今、ルシアンの瞳に映っているのは目の前のガラス細工などではなく、きっと、記憶の中に深く刻まれた彼女のこと。
(クローディアのこと、思い出してるんだろうな)
一読者として、二人の恋を誰よりも応援していたはずだった。二人が積み重ねてきた時間の重さを知っていたはずなのに。どうして今、その事実にこれほどまで胸の奥を掻き乱されてしまうのだろう。
「──嬢ちゃんはアクセサリーがいいかな?」
店主の声に、意識が沈みかけていた意識が浮上する。
「……え?」
「こういうピアスとかネックレスとか。若い娘さんには一番人気だよ」
その言葉に、隣にいたルシアンの腕がぴくりと強張るのがわかった。
「ガラスのカットが精巧だからね。贈り物にはもってこいさ」
エナは無意識に、コート越しに聖女のネックレスへと指を這わせた。乳白色の雫を象ったそれは、ここにあるどの装飾品よりも美しかった。
「いえ、アクセサリーはあまり興味がないので」
隣のルシアンが、ハッとしたようにこちらを見た。エナはそれに気づかない振りをしながら、棚に並んだ商品をなんとなしに視線を滑らせていく。
ふと、ひとつの置物に目が留まった。
星を象った品が主流の中で、それは異彩を放っていた。星の飾りなど一切ない、ただ透明なガラスの静寂の中に、一輪のダリアだけを閉じ込めた繊細な置物だ。
「これ……可愛い」
値札を見れば、他の商品より頭一つ分高かった。聖女の支給金で買えない額ではないが、染み付いた庶民感覚が贅沢品だと告げる。
ぐぬぬ、と唸りながら迷っていると、横から覗き込んできたルシアンが静かに声をかけてきた。
「それがいいのか?」
「……綺麗で気に入ったんだけど、ちょっと迷っちゃって」
「綺麗で気に入ったんだけど、迷ってる……」
ルシアンは無言でそのダリアを見つめた。
「ルシーは、どれか欲しいものある?」
「そうだな……」
ルシアンはわずかな逡巡の後、棚の端に吊るされていた、装飾の少ないシンプルなガラスのサンキャッチャーを指差した。それも、この祭りの主流である星型ではない、控えめな雫の形をしていた。
「……あれがいい」
「なんだか意外。てっきり、文房具とかの実用的なものを選ぶと思ってた」
棚には、意匠を凝らした可愛らしいペン立てやインク瓶もたくさん並んでいるというのに。それらを一瞥もせず、ただ光を透かすだけの品を選んだ彼の横顔を、エナは不思議な気持ちで見つめた。
「……研究室が、明るくなればといいと思っただけだ。あまり、深い意味はない」
ルシアンは頬をほんのりと赤く染めながら、お目当てのサンキャッチャーを手に取った。
視線を伏せた彼の手元を見て、エナはあっと息を呑んだ。
そのサンキャッチャーは、桃色の大きなガラスを主軸に、赤と透明な小粒のガラスでまとめられていた。
(クローディアの、髪の色だ)
「……うん。きっと、すごく明るくなると思う」
エナは強張る頬を無理やり動かして笑みを作ると、店主に「これください!」と告げた。その声は、自分でも驚くほど小さく掠れていた。
「おっ、兄ちゃんもありがとさん。毎度あり!」
隣を見ると、ルシアンもエナが眺めていたダリアの置物を店主に差し出していた。
「えっ……いいの?」
目をまん丸にするエナに、ルシアンも長い睫毛を伏せたまま、静かに口を開いた。
「君も、僕の気に入ったものを買ってくれただろう。だから……お互い様だ」
ルシアンは少しだけ身を屈め、エナの瞳を覗き込むようにして、その置物を差し出した。
「これ……受け取ってほしい」
その瞬間、夜風が二人の間を吹き抜けた。不意の突風に、深く被っていた互いのフードがふわりと後ろへ脱げ落ちる。
露わになったルシアンの金色の前髪が、光をはらんで鮮やかに揺れた。
がやがやとした周囲の喧騒が、急速に遠ざかっていく。
アメジストのように深く、鮮やかな瞳が、まっすぐにエナだけを捉えて離さない。
エナはただ、吸い寄せられるようにその手からガラスを受け取った。
(ああ……綺麗だな)
あまりに場違いで、けれどあまりに真っ当な感想がエナの胸を満たす。
「……こっちは、私から。はい、ルシー」
エナもまた、自分が買い取ったサンキャッチャーをルシアンの手へと預けた。
受け取ったルシアンの口元が、微かに、けれど確かに綻ぶ。いつもよりずっと柔らかなその微笑みに、エナの心臓が不規則な早鐘を打ち始めた。
油断すれば顔がにやけてしまいそうで、足元が浮き立つようなふわふわとした感覚が、どうしようもなく心地いい。あまりの幸福感に、ふいに胸の奥がぎゅっと詰まって、泣きそうになるのを懸命にこらえる。
風に乱れるふわふわとした髪を片手で押さえながら、エナは弾けるような満面の笑みを彼に向けた。
「今日、一緒に来れてよかった!」
心の底から、そう思った。




