表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/21

【14】一夜の道標〈2〉

 石橋を抜け、通りをいくつも通り過ぎるうちに、街の熱気が肌に伝わるほど濃くなってきた。


 掴んでいた手首をそっと離し、歩きながら乱れた息を整える。


「あはは、もうあっつい」


 我慢できずにフードを脱ぎ捨てると、冷たい夜風が火照った頬に心地よく触れた。隣を歩くルシアンは、あれだけ走ったというのに全く息を切らしていない。


「……君は、本当に予測がつかないな」


 ふいに隣から聞こえた声に顔を上げると、ルシアンが目尻を下げて、小さく笑っていた。


 並んで歩いていた足が、知らないうちに止まっていた。


(……笑ってる。ルシアンが、あんなに楽しそうに)


 ぽかんとしたまま、エナは前を向けなかった。


(…………超可愛い!)


 必死に網膜に焼き付けていると、意地悪な夜風がふわりと髪をひと房さらって、唇に張り付かせた。うるちゅるに仕上げたリップに、髪ががっつりと付着してしまう。


(これ取ろうとして顔を触ったら、ファンデーションが擦れちゃうやつじゃん……!)


 せっかく丁寧に施した化粧を、是が非でも崩したくなかった。

 必死に顔に触れないよう指を迷わせていると、不意に視界が塞がれた。


「じっとしていろ」


 低い声が耳元で響く。

 耳の後ろに回された大きな手に、ぐいと上を向かされた。


 至近距離に、ルシアンの端正な顔がある。睫毛の一本一本まで見えるほどの距離。肌に触れる彼の熱い吐息に、心臓がうるさく警鐘を鳴らした。


(うわぁぁぁ……邪な心を無に! 無にしろ私ぃぃ!)


 真剣な眼差しで見つめてくるルシアンは、あまりにも目の毒だ。

 近すぎる顔に、自分の吐息がかかってしまうのが恥ずかしくて、慌てて口をぎゅっと引き結ぶ。


 現実逃避に睫毛の本数を数えていると、ルシアンはそっと、リップを汚さないよう繊細な手つきで髪を取り除いてくれた。


「あ、ありがとう……ございます」


「……ん」


 お礼を言うと、ルシアンの手はぎこちなく離れていった。かと思えば、その手はエナの頭に伸びて、隠すように乱暴にフードを被せてきた。


 エナは、被せられたフードの縁を、そっと指先で触れた。


「…………」


「…………」


 どちらからともなく、再び並んで歩き出す。メインストリートに近づくにつれ、夜の静寂は遠ざかり、賑やかな笑い声と楽器の音が波のように押し寄せてきた。




 ◾︎◾︎◾︎




(──眩しい)


 通りに足を踏み入れた瞬間、エナは思わず立ち止まった。


 道を挟むように多くの屋台が並び、至るところに置かれたランプが、石畳を暖かなオレンジ色に染め上げている。人々の影が長く伸びて、夜とは思えないほど街が活気で満ちていた。


(なるほど。だから、こんなに眩しく見えるんだ)


 きょろきょろと見渡してから、エナはゆっくりと空を見上げた。

 溢れんばかりの灯火に、瞳の裏がチカチカと焼ける。地上を照らす光に押し出されるように、夜空の星たちが少しだけ遠くに感じられた。


(あまり星は綺麗に見えなさそうだ)


 そう思ったのが顔に出ていたのか、隣に立つルシアンが、小さく口角を上げて笑った。


「あと二時間もしないうちに、祭りの明かりは消える。早く切り上げるから、祭りが始まるのも早いんだ」


 ルシアンの視線の先には、既に完売して手際よく店を畳み始めている店主の姿があった。


「という訳で、星降祭はあっという間に終わる」


 ルシアンは芝居がかった動作で紳士の礼を取り、艶やかに微笑んでみせた。


「──楽しもうか、レディ?」


 突然のレディ呼び。そして至近距離で、意図的に放たれた無敵の美貌。ルシアンの纏う空気が、がらりと変わったのがわかる。


「ど、どうしたの。急に……」


 祭りの空気にあてられたのだろうか。普段のルシアンからは想像もつかない姿に、エナは目を見開いたまま、思わず一歩後ずさった。


「君に散々振り回されたままでいるのは、癪だからな。……少しは“お返し”になったか?」


 ルシアンは端正な顔をわずかに傾け、愉快そうに目を細めた。紫色の瞳が、街の灯りを反射して怪しく光る。


 さっきの我が君への意趣返しだろうか。それとも、急に手を取って走り出したことだろうか。


 ルシアンは悪戯が成功した子供のような顔をして、楽しそうに目を細めている。


(ていうか、レディって……。それなら、私はミスターでよかったのか。さっきのネーミングの苦労はなんだったの……)


 エナは納得いかないという風に、不満げに小さく唇を突き出した。それなら今度はこっちがミスターと呼び返してやろうと、勢いよく口を開いたその瞬間。ルシアンの低く艶を帯びた声が、すぐそばで鼓膜を震わせた。


「ルシー……だろう? 君がそう言い出したんだ。最後まで貫くべきだとは思わないか?」


 有無を言わせぬ正論だった。完璧に先手を打たれて、封じられてしまった。


(まあ、ルシーって呼べるなら、それでいいか)


 結局のところ、エナはルシアンという男に甘いのだ。最推しの魅力がすべてに優先してしまうのは、オタクの性である。

 誰にも見られないようにフードのファーをぎゅっと握りしめ、顔の火照りを隠すように賑やかな喧騒へと踏み出した。


 少し先からくるりと振り返り、最推しへ満面の笑みを向ける。


「早く来ないと置いてっちゃうよ、ルシー!」


 一瞬、ルシアンは虚を突かれたように目を見開いた。

 夜風がファーを揺らして、火照った頬を撫でていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ