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【13】一夜の道標〈1〉

 学園から街へと続く石橋の上で、目深にフードを被った男女が人目を避けるように立っている。


「あっ……あわわわわわわ……」


 エナは唇を震わせ、限界まで見開いた目で、目の前の相手を見上げたまま固まっていた。




 ◾︎◾︎◾︎





「……そろそろ収まりそうか?」


 ルシアンが呆れたように、瞼を重くしてエナを見る。


「……あともうちょっとだけ、お時間をください」


 か細い声で言いながら、エナはルシアンを上から下まで、それこそ舐めるように見つめた。


(まって、まって、目の前の情報量を処理できてないんだけど!)


 今夜のルシアンは、高級感のある濃紺のコートに身を包み、深くフードを被っていた。けれど、至近距離にいるエナの視線からは、フードの奥に潜む彼の素顔がはっきりと覗いている。

 いつもは清潔感たっぷりに整えられている前髪が、今日はフードに押されて額に降りていた。そのせいで、普段の孤高な雰囲気よりも数段幼く見える。

 正直言って、その破壊力は尋常ではない。


(可愛いすぎて語彙消える!)


 尊さのあまり、視界が涙で滲む。生きててよかった。天を仰ぐエナを、ルシアンは可哀想なものを見るような目で、冷ややかに見下ろしていた。


(ふふふ……でも、今日のエナちゃんは、いつもよりお顔が強いのだよ!)


 ベースメイクは念入りに仕上げ、睫毛もくるんと上向き。チークはふんわりと血色を添え、ピンクのうるちゅるリップを乗せている。鏡の前で悲鳴を上げながら完成させたメイクは、完璧に近いはずだ。

 もちろん、磨き上げたのは顔だけじゃない。


 純白の生地に、水色の糸で氷の結晶を思わせる刺繍が施されたポンチョコート。膝まで隠れるたっぷりとした丈感に、フードの縁と袖にあしらわれた真っ白なファー。これならリーヴェルの冷え込む夜も怖くない。


 それどころかルシアンの新ビジュアルへの興奮で、エナの体感温度はむしろ暑いくらいだった。


「……落ち着きました、ルシアン様! 今日も超かっこよくて、大好きな気持ちでいっぱいであります!!」


 裾を翻し、敬礼のポーズで笑うエナに、ルシアンは即座に眉間に皺を寄せた。


「名前を出すな。……バレるだろう」


 低い声で窘め、ふい、と視線を逸らす。橋の周囲には同じように顔を隠して、夜の街へ繰り出そうとする生徒たちが点在していた。


 ばちん、と近くを通った生徒と目が合う。相手が怪訝そうにこちらを伺おうとした瞬間、すぐさまルシアンが壁のようにエナの前に立ち、視線を遮った。


(そうだ、次期侯爵のルシアンに素行が悪いという噂がたったら、死んでも死にきれない……!)


 ルシアンの広い背中にすっぽりと隠れながら、エナは興奮していた。ルシアンへの配慮が七割。正体がバレてはいけないという非日常的なスリルが三割である。


「……それじゃあ、なんて呼べばいいですか?」


 周囲に聞こえないよう、ひっそりと見上げて尋ねる。


「君の好きなように呼べばいい」


 ルシアンはどうでもよさそうに言葉を投げた。


(好きなように、って言われても……)


 なんてこった、なんにも思いつかない。仮名にするとしても、これだという名前がちっとも頭を掠めないのだ。


 うーむ、と唸りながら考えていると、脳裏にふと漫画でクローディアが彼を呼んでいた愛称が頭に浮かんだ。


(──いや、ダメだ)


 それはあまりにリスクが高すぎるし、何より今の自分たちが呼ぶには距離感が測りかねる。代案を探すうち、ふと別の魔法学校の物語を思い出した。


「……あ! 我が君、とかどうかな!?」


 名案とばかりに勢いよく提案したが、返ってきたのは凍りついたような沈黙だった。


 フードのファーが邪魔で、表情が上手く読めない。おずおずと下から顔を覗き込むと、ルシアンはあからさまに不服そうな、むすっとした表情を浮かべていた。


(どうやら、お気に召さなかったらしい)


 ルシアン様もベルクレア様も、誰かに聞かれたら一発で正体が割れる。秘匿性という点では『我が君』は最良のはずだが、何がそんなに不満なのか。


「……そう呼びたいなら、それでいい」


 行くぞ、とルシアンが背を向けて歩き出した。


(絶対にそれでいいと思ってないやつじゃん)


 拗ねたような背中だった。石畳を踏む足音が、一歩、二歩と遠ざかっていく。


(あーもう、知らん!)


 エナは投げやりな気持ちで、けれど聞こえるか聞こえないかの絶妙な音量で、その名を呼んだ。


「──ルシー」


 その瞬間、ルシアンが弾かれたように振り返った。


(うわああぁ……怒ってる? うん、だよね。……知ってたさ)


 ルシー。ヒロインのクローディアだけが呼んでいた、ルシアンの愛称だ。当然、エナがそれを知っているはずがない。


「これなら、誰にも分からないでしょ?」


 心臓が口から出そうになったが、あえてたった今思いついた適当な仮名です、という無知な振りをして、無邪気に笑ってみせた。


「……ああ」


 ルシアンは不意を突かれたような、どこか放心状態のままエナを見つめていた。


(ちょっと踏み込みすぎちゃった……かな)


 ずっと呼んでみたかったのだ。けれどその満足感は一瞬で、最推しに引かれたかもしれないという恐怖が、遅れて心臓を冷たく撫でた。


 嫌われたくない。けれど、滑り出した言葉はもう回収できない。痛いほどの沈黙が二人を包み込む。


(うわぁぁぁ、今顔見れないかも……)


 先ほどまでの勢いはどこへやら、猛烈な後悔に襲われたエナは、表情を読ませないよう咄嗟に俯いた。そして、すぐ傍にあったルシアンの手首をぎゅっと掴む。


「は?」


 驚きを含んだルシアンの声を置き去りにして、ぎゅっと掴んだ手首を引く。


「……は、早く行かないと、お祭り終わっちゃうよ〜!」


 もはや、そう叫んで無理やり空気を変えるしかない。脱兎のごとく走り出したエナに引かれ、ルシアンも追従する。


 深く被ったフードを片手で必死に押えながら、夜風を切って進む。


 同じように待ち合わせをしていた生徒たちの横を、二つの影が風のように通り過ぎていった。

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