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【12】世界を超えた学園生活〈4〉

(うーん、どうやって誘おうかな)


 課題のレポートと向き合いながら、エナはガラスペンをちゃぷんとインク瓶に浸した。


 先日、聖女三人娘で揃えて買った、ラメ入りのガラスペンは、きらきらと光を反射して綺麗だ。輝くペン先を見つめていると、これを選んだ時の二人の楽しげな顔が思い浮かび、エナの口元も自然と緩んだ。


 視線を上げれば、デスクを挟んだ対面にルシアンが座っている。


 ルシアンは手元の魔導書に視線を落としていた。傾けられた頭から、金色の髪がひと房、はらりと零れて、その隙間から覗くアメジストの瞳を淡く隠している。


(……相変わらず、絵になるなぁ)


 伏せられた長い睫毛が、白い頬に影を落としている。眺めているだけで、あっという間に時間が溶けてしまいそうだった。


(ていうか、ほんとうに誘うの? 私が、ルシアンを??)


 ルシアンが、ゆっくりとページを捲る。その指先が紙を滑る音さえ、今のエナには耳元で鳴らされたかのように、やけに大きく聞こえた。


 この四ヶ月、研究室という密室で過ごした時間は決して短くない。誰よりも近くにいたという自負はある。

 けれど、二人で出かけたことなんて、一度もない。


 以前、ルシアンが隠すように仕舞った紙片──おそらく手紙だろう──を思い出す。そもそも、彼は次期侯爵なのだ。週末には実家への帰省や、あるいはもっと高貴な方々との先約が、びっしりと詰まっているのかもしれない。


 いけない。考えれば考えるほど、足がすくんでしまう。

 ぐるぐると回る思考を振り切るように、エナは手元のペンを握り直した。


(今はただ、目の前の課題を進めることだけに集中しよう)


 さらさらと、インクが紙に吸い込まれていく音だけを数えて、震えそうな心を無理やり落ち着かせていく。そうして集中し、課題が半分くらい終わった時のことだった。


 ふいに、見られているような気配を感じた。何気なく、顔を上げて前を見ると、ルシアンがじっとこちらを見ていた。


(ん?)


 目が合うと、ルシアンはばつが悪そうな顔をする。にこりと微笑むと、すぐに手元の魔導書へと視線を逸らされた。


(……んん?)


 今日のルシアンは、どこかそわそわと落ち着きがない。自意識過剰ではなく、彼はさっきから何度も、エナの方を盗み見ては視線を泳がせている。何か言いたげな、けれど踏み出せないような、もどかしい視線だ。


(……何だろう)


 気づかないふりをしてペンを動かすが、同じことが二度、三度と続く。そのたびに、研究室の静寂の中に、彼の衣擦れの音だけがやけに鮮明に響いた。


(もしかして、顔にインクでも付いてる?)


 ついに四度目、魔導書の端から紫色の瞳がこちらを覗いた瞬間、エナは意を決して顔を上げた。


「……あの、ルシアン様?」


 耐えかねて声をかけると、彼はびくりと肩を揺らした。


「私に何か、聞きたいことでも?」


 問いかけると、ルシアンは心底驚いた顔をして、エナを見た。無意識に視線を送っていたことを指摘され、咄嗟に言葉が出てこないらしい。


 気まずそうに視線を泳がせ、「あー……」と、意味をなさない声を漏らす。


 ルシアンは喉を鳴らし、迷うように視線を彷徨わせた後、意を決したように口を開いた。


「……その、何か、欲しいものはあるか?」


「えっ?」


 あまりに唐突な問いに、エナはぽかんと口を開けた。……欲しいもの? ルシアンで言うなら、論文の資料とか、新しいインクのことだろうか。


 首を傾げるエナを直視できなくなったのか、ルシアンはふいと顔を背ける。


「……君には、なんだ。……貰ってばかりだと思って、だな」


 視線の先には、先日エナが補充したばかりのカモミールティーが並ぶ備品棚がある。

 ルシアンはその棚の一点を見つめたまま、白く形の良い指先で自分の襟元を落ち着かなげに弄んだ。


(なるほど、そういうことか)


 言い淀みながら視線を彷徨わせるルシアンを見て、エナの脳内に『好機』の二文字が踊った。


「欲しいものというか、一緒に行きたいところがある!」


 身を乗り出して告げると、ルシアンは目を丸くして、わずかに仰け反った。


 ルシアンは唇を一度結び、何かを言いかけては飲み込む。エナの真っ直ぐな瞳に気圧されたように、喉の仏が小さく上下した。


「……ど、どこだ?」


 それは拒絶ではなく、戸惑いに掠れた声だった。エナは満面の笑みで答える。


「今度の星降祭、ルシアン様と一緒に行きたいなぁ……なんて」


 ルシアンが、あからさまに面食らった顔をする。あまりに突拍子もない提案に、思考が追いついていないらしい。


「星降祭……」


 ぽつりと呟いて、ルシアンが目を伏せた。わずかに翳ったその表情は、どこか遠くを眺めているようで、エナにはその理由に察しがついた。だからこそ、今の彼がひどく寂しそうに見えて仕方がなかった。


(放っておけない)


 しんと静まり返った空気を塗り替えるように、エナは努めて明るい声を出す。


「ねえねえ、行かない? 研究には息抜きが必要だと思うの」


 畳みかけるエナの言葉に、伏せられたアメジストの瞳が微かに揺れた。


「……気の合う友人と見に行けばいいだろう」


 ルシアンはほんの少し困ったように、寂しさを滲ませた吐息を零した。


「……だから、誘ってるんだけど?」


 あまりに直球な返しに、ルシアンは絶句した。ぐっと眉根を寄せ、言葉に詰まった様子でエナを見つめる。


(これは、いける……!)


 確信したエナは、一転してしおらしい顔を作り、瞳を潤ませて見せた。


「私たち……友だちじゃないの?」


 必殺の泣き真似モードである。あわあわと目に見えて慌てだすルシアンに、エナは内心ほくそ笑んだ。この四ヶ月、共に過ごす中で確信したことがあった。

 ルシアン・ベルクレアは、根がどこまでも紳士なのだ。目の前で女性に涙を見せられて、放っておけるはずがない。


「……ああ、もう、わかった」


 顔を覆ったままのエナが、追い打ちをかけるようにびくりと肩を揺らしてみせる。それを見たルシアンは、困り果てた声を絞り出した。


「君と……一緒に行く。それでいいだろう?」


「ほんとうに? 約束だからね!?」


 バッと顔を上げたエナの早変わりに、ルシアンは深い溜息を吐いた。


「……明後日だな。遅れるなよ」


 降参するようにルシアンが呟く。


「うん!」


 緩む頬を抑えきれず、エナはぶんぶんと首がとれてしまう勢いで頷いた。

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