【11】世界を超えた学園生活〈3〉
「……星降祭?」
エナはぱちぱちと瞬きして、繰り返す。
ここは聖女棟の一角にあるティーサロン。柔らかな陽光が差し込む室内で、聖女科の生徒三人がテーブルを囲んでいた。
「ええ。毎年この時期にやっている、リーヴェルの冬の名物詩のことね」
そう言ってティーカップを傾け、薄く微笑んだのはセラフィナ・フィア・ローゼン。亜麻色のふわふわとした髪に、とろりと輝く琥珀色の瞳。その佇まいは、まるで物語から抜け出してきた儚げな深窓の令嬢──実際、男爵家の令嬢なのだが──を思わせる。
「この時期はね、空が壊れたんじゃないかって思うくらい、大量の流れ星が降るの。それを祝うためのお祭りだから、星降祭っていうらしいわ!」
ほんっとに綺麗なのよ、と熱っぽく語るのはリリア・フィアノワール。すらりとした肢体に、燃えるような赤髪とブルーグレーの瞳。はっきりとした目鼻立ちを持つ、華やかな美女である。
「一番の見どころは、露店に並ぶ星を模したガラス細工ね。この街ではそれを“大切な人の道標”として、大事な人に贈るのが習慣があるのよ」
“大切な人の道標”という言葉を聞いた瞬間、エナの脳裏にあの漫画の見開きページが鮮やかに蘇った。
主要キャラクター三人の露店巡りを描いたお出かけ回の話だ。
レオンハルトはクローディアに繊細なガラス細工のピアスを贈り、対するルシアンが選んだのは実用的な文鎮だった。そんな二人に対し、クローディアはお揃いのガラスペンを贈るのだ。機能的な品を贈り合うルシアンとクローディアの感性が、あまりに共鳴しすぎていてお似合いだと、読者として一人で大騒ぎした名シーンがある。
流れ星よりも彼らのやり取りにばかり気を取られていたため、露店の話題が出るまで今の今まで忘れていた。
「……ねぇ、エナ・フィアレス。星降祭にあなたがお熱な、例の彼を誘ってみたら?」
リリアがにんまりと悪戯っ子のような笑みを浮かべて、身を乗り出してきた。
「え……?」
(ああ、私か……)
呼ばれたフルネームに対し、一瞬だけ反応が遅れる。
この世界において、聖女の称号を得た者は、その証として名の中に『フィア』という響きを刻まれる。エナも称号とともに、国王から『フィアレス』という家名を賜っていた。
だが、当の本人はといえば、その名にこれっぽっちの思い入れもない。王様からお仕着せのブランド名でも与えられたかのような、どこか他人事のような感覚がずっと抜けないでいるのだ。
「あら、それは名案ね」
今度はセラフィナまでもが、獲物を見つけた猫のように琥珀色の瞳を細めた。
放課後になるや否や飛び出していくエナの行き先も、その目当てが誰なのかも、二人が知らないはずがなかった。
二人の美人に詰め寄られ、エナは慌てて明後日の方向を向く。
「そ、そういえば……お祭りの雰囲気ってどんな感じなの? 二人とも行ったことある?」
追求から逃れるべく、苦し紛れに話題を振る。リリアは記憶を辿るように視線を泳がせる。セラフィナはあら残念、と言わんばかりに少しだけ唇を尖らせたが、渋々と引き下がってくれた。
「えっとねぇ……とにかく屋台や露店がいっぱいあって、人が多かった印象かしらね」
懐かしそうに語るリリアに対し、セラフィナは少しだけ眉を下げて困ったように微笑んだ。
「わたくしは……星降祭のことは、あまり詳しくないの」
「えっ、行ったことないの?」
「ええ。お父様が……人混みは危ないからと、どうしても許してくださらなくて」
セラフィナが片手で頬を包み込み、長い睫毛を伏せる。その仕草には、箱入り娘ゆえの寂しさが滲んでいた。リリアが補足するように肩をすくめる。
「セラフィナみたいな貴族令嬢が、夜のお祭りに繰り出すなんて、親が首を縦に振るわけないわ」
いくら治安が良いことで知られるリーヴェルでも、夜の喧騒となれば話は別なのだろう。
(放課後の街歩きくらいなら友だち同士で行けるけれど……)
日のあるうちの自由とは、わけが違うのだろう。夜のお祭りは、昼間とは違う熱狂と、それに紛れる不届き者が付きまとう。ましてや、セラフィナのような輝くばかりの美少女が標的にされないはずがない。
(……漫画と現実は、やっぱり違うんだ)
物語の見開きページでは、ヒロインたちが華やかに夜祭を楽しんでいた。でもその裏側には、描かれない貴族社会のリアルな制約がある。エナはそのギャップに、ひっそりと衝撃を受けていた。
「あっ、そうだエナ。もし行くなら、フードを深く被って行くのよ?」
「ん? なんで?」
唐突なリリアの助言に、エナは首を傾げた。
「星降祭に行く生徒は顔を隠してこっそり潜り込むのが、ヴェルンの暗黙のルールなのよ」
貴族の子女が多いこの学園の生徒にとって、星降祭はあくまで平民の祭りだ。それでもやはり十代の若者、体裁は悪いもののこっそりと足を運ぶ者は後を絶たないらしい。
「まったく、面倒な決まりよね」
リリアが笑いながら解説してくれる横で、セラフィナは何かを思い出したように、どこか恍惚とした表情で窓の外の空を仰いだ。
「お祭りも賑やかで素敵でしょうけど、学園から眺める星空も、それは見事なものなのよ」
学園の周囲は、深く鬱蒼とした森に包まれていた。街の喧騒から切り離されたこの場所は、夜になれば一切の灯りが消える。だからこそ、空に散らばる光がより鮮烈に映えるのだろう。
「へえ……それじゃあ、あたしも今年はここから見ようかな」
リリアがそう言うと、セラフィナはふわっと頬を緩めて微笑んだ。
「ほんとうに? 絶対よ? 言質はとったからね?」
身を乗り出して、セラフィナが期待に瞳を輝かせる。
(うわー……か、可愛すぎる……っ!)
あまりの可愛さに、エナは頬を赤らめ、ぷるぷると唇を震わせて悶絶した。その姿を見て、今度はリリアが背を仰け反らせて笑い転げる。
「あらあら、わたくしったら、なんて罪な女なのかしら」
のほほんとしたセラフィナの声に、三人、三様の笑い声がティーサロンに明るく響き渡った。




