「小梅ちゃあん、来はったよー♪」
登場人物についての詳細は↓のとおりです。
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雲は高くたなびく中秋。
だが、「秋」とは思えぬような、少し汗ばむ陽気だ。
そんな空の下、いよいよ冬の選手権の予選が幕を開ける。
緑の芝生が眩しく映える公式戦のピッチは、記念すべき八々花女子の初舞台にふさわしい、独特の緊張感に包まれていた。
コイントスを終えたイレブンが、それぞれのポジションへと散っていく。背番号2番を背負う鴬塚小梅も自身の守備位置へと就き、前線へゆっくりと視線を向ける。
対峙する一文字学園の最前線に、一人の少女が静かに佇んでいた。
東風飛梅。
一文字一軍の圧倒的な爆速を誇る1トップ。その外見は、令和の最先端を行く一文字のなかにあって、驚くほど古風な佇まいを崩さない。凛と結い上げられた髪と、どこか冷徹な双眸は、まるで一振りの日本刀のような鋭い気品を放っていた。
飛梅は、じっと自分を凝視する小梅の視線に気づくと、ふっと感情の読めない薄い笑みを浮かべる。そのまま、すらすらと吸い付くような足取りで歩み寄ってきた。
そして、試合開始のホイッスルを目前に控えた極限の静寂の中、驚くほど澄んだ、美しい声で和歌を詠み始める。
「――東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
「……っ」
菅原道真が遺した、あまりにも有名な飛梅の和歌。
飛梅は小梅の目の前でピタッと足を止めると、その古風な瞳の奥に、データの網に裏打ちされた絶対王者の冷徹な光を宿し、はんなりと微笑んだ。
「練習試合の居残り組(二軍)相手に、ちょっと調子づいてはったみたいやね、『静の梅(小梅)』ちゃん。……でも、堪忍え? うちの東風に寄せられたら、どんな可愛いお花もひとたまりもあらへん。……あるじを失うたみたいに、ここで綺麗に散ってもらいますよってに」
「なんや? 小梅、アイツに何言われとったん?」
「な、なんかよく分かんないけど、和歌つぶやいてた」
「ワカ? なんやそれ?」
藤乃は、不気味な和歌で小梅を揺さぶろうとした一文字の手口に、綺麗に揃えた前髪の下、その瞳をギッと鋭く尖らせる。そんな相棒の直球な心配ぶりに、小梅の強張っていた肩の力がふっと抜けた、まさにその瞬間だった。
――ピッ、ピィィーーーーーーッ!!!
静寂を、自然な会話の空気を容赦なく切り裂くように、試合開始の激しいホイッスルが鳴り響いた。
一瞬にして、一文字学園のイレブンから「お遊び」の空気が消え失せる。
それは、八々花イレブンがこれまで泥泥臭く重ね合わせてきた、十一人の美しき『調律』の隙を、初手から力づくで引き裂きにくるほどの圧倒的なスピードだった。
東風の如き神速の連打が、公式戦のピッチに足を踏み入れたばかりの少女たちの前に、容赦なく牙を剥いて襲いかかってきた――!
キックオフの瞬間、一文字学園の『東(東風飛梅)』が放った爆速は、八々花の少女たちの想像を遥かに超えていた。
中盤の底で網を張っていたボランチのあやめのブロックを、飛梅はただの一歩の加速だけで難なく躱し、文字通り東風の如き神速で突っ込んでくる。
「っ、小梅にはいかせんわ……!」
サイドバックの藤乃が、鋭い出足でその進路へ強引に身体をねじ込んだ。だが、飛梅はその死に物狂いのプレッシャーすら、はんなりとした笑顔のまま、一切のフェイントなしの圧倒的なトップスピードだけであっさりと置き去りにしてしまう。
一瞬にして、八々花の守備ブロックが力づくで引き裂かれた。
あまりの速度。あまりの合理性。
藤乃を背後へ置き去りにした飛梅は、瞬く間に逆サイドからカバーに入ったもう一人のサイドバック、鴬塚小梅の目の前へと肉薄し、歌うようにその唇を歪めた。
「小梅ちゃあん、来はったよー♪」
「……っ」
はんなりとした甘い声が、小梅の耳元で物騒に響く。
だが、小梅もただ怯えて突っ立っているだけの少女ではなかった。稲ブリ戦を経て覚醒した彼女の『脱力エコモード』が、極限の緊迫感の中で強制的に起動する。
無駄な力をすべて抜き、飛梅の超高速の荷重がわずかに右へと傾いた瞬間を、小梅の鋭い視線が完璧に捉えた。
ドカッ、と激しい肉体衝突の音がピッチに響き渡る。
小梅は自身の身体を泥臭く投げ出し、飛梅の足元から寸分の狂いもなくボールを掻き出した。
「……あら、よく見てはるねぇ」
ファーストコンタクトは、小梅の決死のブロックによって、辛うじて八々花が守護神・千鶴の手前でゴールを死守する形で幕を閉じた。
しかし、クリアされたボールの先――下がったままの一文字のサイドバック、萬屋姉妹が、その小梅の対応の軌道やステップの癖を、感情のない無機質な瞳でじっと見つめていることに、まだ八々花の誰も気づいてはいなかった。
小梅が死に物狂いで掻き出したクリアボール。
その高く上がったこぼれ球を、中盤の底で待ち構えていたあやめが鋭い出足で相手より一歩早く拾い上げ、迷うことなく前線へと供給する。
パスの先には、八々花の心臓――背番号9番、神酒盃菊鞠が佇んでいた。
「菊鞠ちゃんっ!」
あやめの鋭い低空パスに対し、ひまりは驚くほど優雅な所作で右足を伸ばす。
一文字のディフェンス陣がプレスに回るよりも早く、彼女の右足の甲へと吸い付くようにボールがピタッと静止した。重力を忘れさせるかのような完璧なトラップ。そこから、ひまりの右足一本が、極上の旋律をピッチに描き出す。
「おうっ!」
ぽん。
小気味よい音が響いた。
ひまりが蹴り上げたボールは、まるで高くたなびく中秋の雲のように、美しい放物線を描いて一文字の守備網を遙か頭上から飛び越えていく。
その、空中に浮かぶボールの軌道の先へ、一陣の風の如き速度でトップスピードのまま突っ込んできたのは、エースの柳だった。
パスは、ワンバウンドすらしない。
猛烈なトップスピードで疾走する柳の足元へと、まるで磁石に吸い寄せられるかのように、ノーバウンドのままピタッと吸い付くように収まったのだ。
「――っ! ……ナイス」
走る速度を1ミリも落とすことなく、空中から足元へと完璧に吸着したボールと共に、柳の戦闘本能が爆発する。
走る速度を1ミリも落とすことなく、空中から足元へと完璧に吸着したボールと共に、柳の戦闘本能が爆発する。対峙する一文字のサイドバック、萬屋一子に対し、ノーバウンドの勢いのまま得意の《燕返し》を仕掛けて鋭く切り込んだ。
一瞬にして、一子の重心が完全に逆を突かれ、柳の爆速ドリブルがサイドを鮮やかにぶち抜いていく。
だが、抜き去られたはずの萬屋一子の顔には、悔しさの色など微塵もなかった。一子は無理に身体をぶつけて止めに行くこともせず、ただ一定の距離を保ったまま、感情のない無機質な瞳で柳の動きを見つめている。
そんな敵の不気味な仕込みなど知る由もなく、サイドを破った柳はそのまま一気にペナルティエリア内へと侵入を果たす。
サイドを破った柳は、そのまま一気にペナルティエリア内へと侵入を果たした。
シュートコースを遮ろうと、中央から一文字のセンターバックが激しい対人フィジカルで滑り込んでくる。だが、柳はそれすらも「――んっ!」と短い息遣い一つで鮮やかに切り返し、完全にディフェンスを剥がしきった。
「――っ!」
柳の鋭い軸足の踏み込みから、電過石火の低空シュートが放たれた。
ゴール左隅の、最もキーパーの手が届かない絶妙なコース。球威、速度、コースのすべてが完璧。誰もが先制点を確信し、八々花ベンチのまつりが身を乗り出した、まさにその刹那だった。
どすん、と地響きのような重い足音がピッチに鳴り響く。
そこに立ちはだかったのは、一文字学園の巨大な門番――《北》北山巳亀だった。
北を守護する聖獣『玄武』の如き圧倒的な体躯。巳亀は柳の放った弾丸シュートに対し、驚くべき巨体からは想像もつかない機敏さで、文字通り正面衝突を仕掛けにいったのだ。
バシィィィッ!!!
肉厚なグローブが、強烈な威力のボールを正面から完全に、力づくで包み込む。
弾くことすらしない。北山巳亀は、柳の渾身のシュートをその場に直立したまま、ただの一歩も後ろに下がる(ノックバックする)ことなく完璧に両手で捕獲してみせたのだ。
巳亀は、言葉一つ発しない。表情すら、ピキリとも動かない。
ただ、胸元でがっちりと掴んだボールを、肉厚なグローブの片手で、非情に、ぽん、ぽん、と静かに叩いてみせるだけだった。
あまりにも圧倒的な、個人の力によって難攻不落たらしめられる牙城。
掴み取ったボールを抱え、冷徹に見下ろしてくる絶対守護神のプレッシャーに、さしもの柳も「……っ」と冷たい汗を頬に伝わせ、わずかに後退りを余儀なくされる。
柳は小さく唇を噛み締め、再び自陣へと静かに走り出す。
しかし、その背後――
一文字学園のイレブンが放つ、感情の宿らない無機質な瞳が、八々花イレブンの動きをただ静かに見つめ続けていた。
データのハッキングは、すでにこのファーストコンタクトの瞬間から、深く、深く潜行し始めている。
公式戦の初舞台。
王者の絶対的な砦を前に、八々花イレブンの本当の死闘が、いま幕を開けた――。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
次回予告――
前半戦、一文字学園の先攻で始まったゲーム。
飛梅の攻撃を止め、カウンターアタックを仕掛けた八々花イレブン。
しかし、柳のシュートはあっさりと止められる。
そんな八々花イレブンを、じっと見つめる目があった。
次回、
【「――データの網へ、深く潜行する。」】
どうぞお楽しみに!
――
「あれ?意外と通用してる?」
「でもなんだ、この不気味さ」
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