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「三日三晩を 落とさぬ鞠の 奇しきに 千代に動かぬ 宿ぞ定めむ」

登場人物についての詳細は↓のとおりです。

https://ncode.syosetu.com/n7086km/58

 九月九日、重陽の節句。


 菊鞠の実家である菊堂神社は、見事な白菊の香りと、数多の屋台から立ち上る熱気に包まれていた。

 地元で『菊まつり』と親しまれる、年に一度の『喜久祭』は、平日の夕方にもかかわらず大勢の参拝客でごった返している。


「待って、マジで尊み秀吉すぎて一周回って神々しいんだけど!」


 境内の喧騒の中、スマホを全力で回しているのは私服姿のまつりだ。

 レンズの先、社務所の裏手には、神事用の装束を纏った菊鞠が静かに佇んでいた。

 烏帽子に鮮やかな水干という凛とした姿。

 その隣には、幼馴染のあやめが、菊の花を控えめに描かれた着物姿で並んでいる。


  そんな二人を撮影するまつりの背後、集まったイレブンの表情には、どこか薄暗い影が落ちていた。

 公式戦初戦の相手である、一文字学園(完全体)の圧倒的な残像が、どうしても彼女たちの心を強張らせていた。


「――皆さん」


 菊鞠が、戸惑うように自身の足元を見つめる藤乃や、拳を握りしめる萩子へ、いつも通りの穏やかな眼差しを向けた。


「一文字の皆様は、本当に、本当にお強いのでしょうね」


「菊鞠……?」


「けれど、だからこそ楽しみです。あの方々と、そして何より、この大好きな11人の皆様と、あの美しいピッチでいつまでも蹴り合っていたい。……そのために、私は本日の舞に、私の右足のすべてを捧げます」


 菊鞠は凛とした笑顔を残し、あやめと共に、すっと神楽殿の舞台へと歩み去っていった。


 入れ替わるように、残されたメンバーを振り返ったのは椛だった。


「さっきあやめくんから聞いたんだけどね。現在の舞は『成功しなければいけない』という重圧から若者を守るために、実際に蹴らず、ただ蹴る真似だけらしい。――でも、菊鞠くんは僕たちの怯えを払うために、あえて本物の神事に挑もうとしてくれているそうだよ」


 その言葉に、イレブンが息を呑む。


 不意に、境内のざわめきがピタッと止んだ。

 神楽殿の周囲の篝火(かがりび)が夕闇の中で赤々と燃え上がる。



 ――タアァ。タアァァリィィィヤアァ……。


 静寂を切り裂くように、天高く響き渡ったのは、厳かな龍笛りゅうてきの音色だった。冷徹なまでに澄んだその響きが、境内の空気を一瞬にして「神域」のものへと塗り替えていく。


 ゆっくりと、舞台の袖から一人の少女が姿を現した。


 烏帽子に鮮やかな水干を(まと)った菊鞠は、さかきの枝に紙縒り紐で恭しく結わえられた、伝統的な白い鞠を両手で大切に抱えている。

 指先の一本、視線の角度にいたるまで洗練されたその凛とした佇まいに、客席で見守るメンバーは思わず息を呑んだ。

 普段のおっとりとした姿はどこにもない。そこにいるのは、伝統を背負う本物の舞人だった。


 菊鞠は、ただ厳かに正面を見据えたまま、その場に静かに佇む。


 神楽殿の傍ら、見事な俗箏ぞくそうの前に座した少女――八橋あやめは、視線を交わすことなく菊鞠の張り詰めた気配を完璧に読み取り、深く一礼をして、そっと象牙の爪を構えた。


 トン、と太鼓の音が打たれ、神事が始まった。

 奏でられるのは、三拍子へと編曲された『越天楽えてんらく』の美しい調べ。

 あやめの細い指先が滑らかにげんを震わせるたび、重厚で、どこか切ない旋律が、白菊の香る境内へと静かに染み渡っていく。


 菊鞠は、瑞々しい緑を湛えた榊の枝を天へと恭しく捧げ、三拍子の規則正しいリズムに合わせ、吸い付くようなすり足で優雅に舞台を舞い踊る。


 夕闇のなかに赤々と燃える篝火の光が、菊鞠が纏う白い水干を鮮やかに朱く染め上げては、深い陰影の中に溶かしていく。

 袖が風をはらんで大きく翻るたび、絹が擦れ合う微かな音が、雅楽の調べに混じって心地よく響いた。


 その指先一つ、身のこなし一つの隙のない美しさに、客席で見守るイレブンは声を失い、ただただ圧倒されて視線を奪われていく。


 菊鞠の優美な舞の軌跡に呼応するように、控えていた楽人たちの、厳かで澄み切った歌声が、神前へと響き渡った。


三日三晩(みかみよ)を―― 落とさぬ鞠の―― (くす)しきに――』


千代(ちよ)に動かぬ―― 宿ぞ定めむ――』


 それは、豊臣秀吉の理不尽な命に対し、一度も鞠を落とさずに蹴り続けたという、ご先祖・朏喜久みかづき よしひさの奇跡の和歌。


 菊鞠は、楽人の歌声に合わせ、ただ天上の雲をなぞるかのように優雅に、そして厳かに舞を紡いでいく。


(どんな強敵が、どんな絶望が、私たちの前に立ちはだかろうとも――)


 菊鞠の張り詰めた、けれどどこか慈愛に満ちた眼差しが、正面を見据えたまま特等席のイレブンを捉える。


(私たちが集ったこの場所は、この11人の『一つの輪』は、千代に、絶対に揺らぎはしません)


 楽人の歌声にのせて届けられるその無言の誓約は、一文字学園の圧倒的な壁に怯えていた椛、牡丹、萩子、そして藤乃たちの凍りついた心を、すーっと透き通るように解きほぐしていく。

 自分たちの進むべき光は、確かにここにあるのだと、イレブン全員の魂に強く、深く刻み込まれていく。


 やがて、楽人の歌声が静かに消え入り、一番の舞が終わりを迎える。

 ――だが、神事はここからが本当の本番だった。


 歌声が止まり、神楽殿には厳かな雅楽の響きだけが流れる。


 その中心で、菊鞠は神前へと向き直り、榊の枝に結わえられていた紙縒り紐を、指先で静かに、けれど迷いなく解いていく。

 伝統に則った『解き鞠(ときまり)』の儀式だ。


 解き放たれたのは、革を鹿の毛で膨らませ、澱粉で固めた、伝統的な本物の「白い鞠」。

 菊鞠が榊の枝を置き、その鞠をそっと自身の【右足】の上へと乗せた瞬間、空気の緊張感が跳ね上がった。


 とーんっ、と俗箏の絃が強く爪弾かれる。


 あやめの弾く旋律が、徐々に、徐々にそのテンポを早めていく。まるで、ピッチの上でキックオフのホイッスルを待つ瞬間のような、爆発的な緊迫感が舞台を満たしていく。

 菊鞠とあやめ、二人の幼馴染の呼吸が、音を媒介にして完全にシンクロしていくのが分かった。


 そして――。


 ドン、ドン、ドン、と三拍子の力強い太鼓の音が境内に鳴り響くと同時に、楽人たちの声が、二首目の和歌を華やかに、高く歌い上げた。


秋風(あきかぜ)に―― (にほ)御堂(みどう)の―― 白菊(しらぎく)と――』


「――あり!」


 歌声と太鼓の音に合わせ、菊鞠の鋭い請い声が舞台に響き渡る。

 次の瞬間、菊鞠の【右足一本】が、しなやかに、そして爆発的なスピードで跳ね上がった!


 夕闇のなかに浮かぶ神楽殿が、一瞬にして鮮烈な色彩で満たされる。

 サッカーボールよりも遥かに軽く、秋の風を孕んで不規則にブレまくる伝統の白い鞠。

 しかし菊鞠は、左足を一歩も動かすことなく、ただ【右足だけ】のインステップ、インサイド、アウトサイドを極限の精度で使い分け、鞠を異次元の軌道へとコントロールしていく。


 纏った白い水干の、極上の光沢を放つ大きな袖が、風を捉えて艶やかに翻るたび、篝火の赤がその絹の上に美しく踊る。

 まるで、咲き誇る白菊の花弁がはらはらと夜の闇に舞い散るような、目も眩むほどの残像が舞台を満たしていった。


「……よう!」

 ――、ぽん。


「……おう!」

 ――、とん。


 あやめの指先が俗箏の絃を激しく弾き、伝統的な『輪説りんぜつ』の技法を用いて、舞に目まぐるしい音の色彩を添えていく。

 重なり合う絃の音は激しい滝のせせらぎの如く、あるいは風に揺れる木々のざわめきの如くテンポを上げ、その最高難度のリードに、菊鞠の右足は寸分の狂いもなく追随する。


 天高く蹴り上げられた鞠が、菊鞠の右足の甲へと吸い付くように戻り、再び滑らかな曲線を描いて虚空を泳ぐ。

 その一挙手一投足に宿る圧倒的な様式美は、観る者すべての胸をただただ熱く、言葉もなく震わせた。


『ともに(はず)まむ―― 稲穂(いなほ)(なみ)よ――』


 楽人たちが謡うその言葉と、菊鞠の圧倒的な神技を目撃した瞬間、見守るイレブンの脳裏に、あの夏の死闘――稲ブリ戦の光景が、そしてこれから挑む一文字学園(完全体)の姿が鮮烈にフラッシュバックした。


(伝統の、あの扱いにくい鞠であれだけの超絶技巧ができる菊鞠が、私たちのチームにいてくれる。ピッチの上では、私たちが一番次のプレイに移りやすい利き足へ、寸分違わぬピンポイントのパスを配給してくれるんだ――!)


 その確信が、全員の胸に稲妻のように走った。

 一文字への怯えや恐怖など、菊鞠の請い声とあやめの俗箏の調べによって、完全に粉砕されて消え去っていた。

 胸にあるのは、「早くあのピッチで、ひまりの最高のパスを受けたい、共に戦いたい」という爆発的な衝動だけだ。


 戦い終えた稲ブリの記憶も、一文字への闘志もすべてを巻き込んで、イレブンの心は今、本当の『一つの輪』となった。


 あやめの俗箏が、最後の大きな和音を響かせる。

 楽人の歌声が天へと抜けていくその刹那、菊鞠は高く上がった鞠を、右足の甲で吸い付くようにピタッと静止させた。


   。


 床には、わずかにも落とさない。

 菊鞠が深く一礼を捧げると、境内からは地鳴りのような大歓声が沸き起こった。その歓声に包まれながら、八々花の少女たちは、不敵な笑みを交わし合う。


 最強の一文字学園。臨むところだ。

 ここから、彼女たちの冬の選手権が始まる――。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

24日の12時はお休みします。

次回の更新は8月25日の0時からになります。

そこからまた、0時と12時の2回行動に戻します。


次回予告――

 冬の選手権の予選、第一試合は一文字学園。

 八々花イレブンは、その対策のためのミーティングを行うが――!?

 

次回、

【「これ絶対AIのバグか何かでしょ、ウケる!」】

どうぞお楽しみに!


――

「菊鞠、神々しい!」

「菊鞠神!」

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