邂逅と勧誘(その1)
入学式から数日が経ち、本格的に授業も始まり、また各種部活に入部する新入生達も増えてきた。
そんな中、菊鞠とあやめは、帰宅の為に校門へと向かうところである。
「あやめちゃん、箏曲部には入らないんだね」
「うん。家に帰れば箏曲のお稽古があるし、わざわざ学校の部活でやることもないかな、って。菊鞠ちゃんのほうこそ、部活は入らないんだね」
「私も。神社のお手伝いもあるし、それに私にとっては、蹴鞠の練習のほうが楽しいからね。……それとも、蹴鞠同好会、とかを創るのもアリかも?」
「菊鞠ちゃん、相変わらずだね」
蹴鞠バカの菊鞠に苦笑するあやめ。あやめは実家がお箏の教室をしているからこそ練習はするが、実はそれほど好きなわけではない。むしろあやめが好きなのは……。
「あっ、すみませーん!」
そんな謝罪の声と共に、ポーンと2人のほうにボールが飛んでくる。
「ようっ!」
考え事をしていた菊鞠は、脊椎反射でそのボールを蹴って、声の主へと返す。ボールは相手の足元にぴたりと収まった。
「えっ?」
まさかの、足元へのダイレクトパスが返ってきたことに驚く少女。
「あっ!」
菊鞠は自分の失敗に気付く。今、何も考えずに蹴ったのは、あの忌々しいサッカーのボールだったのだ!この学校には、サッカー部なんて無かったはずでは。
「あのっ、すみません、いいですか?」
サッカーボールを抱えた少女が近づいてくる。
「あ、あやめちゃん、行こっ!」
「えっ、あ、うんっ!」
菊鞠は逃げるように駆けだした。あやめも菊鞠を追って走りだす。
「今のって確か……あやめ?……あの、あやめ?」
残された少女は、その見覚えのある後ろ姿を目で追う。彼女が、本当にあやめという名前だとすると……。
「お〜い、モミィ!早く戻ってこいよ〜!」
仲間からの催促する声を背中に受けた、モミィと呼ばれた少女は、仲間達のほうへと戻っていく。
「明日、確かめてみるか」
「ああああぁぁぁぁ!私、なんであんな事しちゃったんだろ……!?」
翌朝。
あやめと一緒に登校する菊鞠は、昨日からもう何度目になろうかという、憂鬱そうな溜め息を漏らす。
「あ、う~んと……。パブロフの犬って言うのか、な?」
あやめはフォローしようとするが、微妙にフォローになってない。
「八々花女子って、サッカー部はないんじゃなかったのぉ?」
「うん、それは私も確かめたから、無いはず……だよ」
「でも、昨日のって、サッカーボールだったよね?」
「たまたま、サッカーボールで遊んでいただけなんじゃない?」
「……わざわざ、学校に持ってくるかな?」
「それは……どうだろうね?」
言葉に窮するあやめ。そして、菊鞠はまた一つ深く溜め息を吐いた。
「入学早々、こんな気分になるなんて……」
菊鞠はトボトボとした足取りで校門を潜るのだった。
「このクラスに、八橋あやめ君という生徒はいるかい?」
菊鞠達にとっての不幸は、まだ始まったばかりだったようだ。
昼休み、昼食を摂ろうかというタイミングで他のクラスの生徒達がやってきた。声の主は間違いない、昨日のサッカー少女だ。
昨日は姿を見る余裕もなく逃げ出したが、見れば背は男子高校生と見まごうぐらいには高い生徒だった。目鼻立ちの整った顔にショートカットの少女は宛ら宝塚歌劇団のトップスターのようでもある。
彼女の誰何する声に、クラスメイトからは「きゃーっ!」と浮ついた声が上がり、一斉にあやめへの視線が注がれた。
彼女はクラスメイト達の視線を追った先に、あやめの姿を見つける。そして席へと近付いてきた。
「本当に、八橋あやめ君だ。おっと失礼。僕は1年Eクラスの鹿戸椛。この学校には外部進学してきてね」
「昨日、サッカーボールを返してくれた鮮やかなパスを見てまさかとは思ったけれど……君の姿を見られるとは思わなかった。もし良かったら、お話させてもらえないかな?……もちろん、放課後で構わないんだけど」
あやめは、完全に固まってしまっていて、まともな返事など出来ない様子だ。
「昼食どきに失礼したね。また、放課後に来るよ」
鹿戸と名乗った少女はそれだけ言うと、廊下へと出ていく。男装の麗人が似合いそうな鹿戸にすっかり蕩かされてしまったクラスメイト達と、完全に固まってしまったあやめ、そして自己嫌悪に陥って沈む菊鞠という、カオスな空気がクラス内に漂い、そこからは好奇心旺盛なクラスメイト達からの質問攻めで、お昼ご飯を食べる余裕もなくなってしまったのである。
放課後。
果たして、鹿戸は再びBクラスの教室に現れた。鹿戸の他に2人の生徒を伴っている。一方は、長くカールした髪をツインテールにしている。いわゆる縦ロールとか、ツインドリルと呼ばれる髪型だ。鹿戸が宝塚のトップスターだとすれば、こちらは娘役が似合いそうだ。
もう1人は肩にかかるぐらいの長さの髪で、ウルフカットにしている。鹿戸も身長は高かったが、こちらも同じか、もう少し高い身長だ。やや細身の鹿戸よりもがっちりしている。何か格闘技でもやっているのだろうか。
「昼休みは、突然押しかけてすまなかった。そうだ。それで、少し話を聞かせてもらえないだろうか?」
菊鞠とクラスメイト達が遠巻きに見守る中、鹿戸が話しかける。
「椛さん、まずは私達に名乗らせていただけませんか?そのようにせっかちなのは、萩子さんだけで足りてます」
縦ロールの少女が鹿戸を窘めると、あやめに向き合って膝を曲げて挨拶。貴族女性のような、見事なカテーシーだ。
「こんにちは、突然に大勢で押しかけてしまい、失礼いたしました。お初にお目にかかります、私、蝶名林牡丹と申します。以後、お見知り置きを」
「やあ!アタシは猪目萩子。よろしくな!」
蝶名林の丁寧な挨拶とは対照的に、猪目の挨拶は簡潔だった。
「それで……」
「ま、待ってください!」
再び、鹿戸が話しかけようとするのをあやめが制止する。
「こ、ここでは……ちょっと。場所を移しましょう」
あやめが真剣な面持ちで提案する。
「……そうだね。ここで話すことでもなさそうだ。……皆さん、お騒がせしてしまいました」
「お騒がせして、申し訳ありませんでした」
「さーせんっしたっ!」
3人は律儀に頭を下げると、あやめを伴い教室を出ていく。
「ねぇ、神酒盃さん、何かご存知ではないのですか?」
クラスメイトから尋ねられたが、菊鞠にしてもこの状況は呑み込めていない。恐らく、昨日のサッカーボールの件なのは間違いないのだが、あの時はあやめだけではなく、菊鞠も居たのだ。ピンポイントであやめだけに声をかけた。まるで、ボールを蹴ったのはあやめだ、と確信しているかのように。
それだけではない。3人は以前からあやめを知っていたかのようでもある。3人が八々花中学からの内部進学なら既知の間柄でもおかしくはない。しかし、聞いた限りでは少なくとも鹿戸は外部からの進学のようだし、何よりもあやめが八々花高校にいる事さえも想定していなかったようだった。
ただ一つ菊鞠に解ったのは、彼女達は人違いをしているという事だけだった。昨日、サッカーボールを蹴って返したのは、あやめではなく菊鞠なのだから。
「私も、行ってくるねっ!」
友人に濡れ衣を着せてはおけない。菊鞠はそう決意し、彼女達の後を追うのであった。