(ああ、私の平和は約束されたも同然……!)
厳かな入学式が無事に終わる。
菊鞠を含む新入生たちは、担任の松居先生の先導のもと、真新しい教室へと戻ってきた。
全員がそれぞれの席に着く。
――カツッ!
ヒールの硬い音を響かせ、教壇に立つ松居先生は。
ぐるり。とBクラスの新入生達を見回し、微笑む。
「皆さん、改めてご入学おめでとうございます」
「式典中、代表の明莉さんが受け取った入学認定書ですが」
「今から皆さん一人ひとりにもお渡ししますね」
「出席番号順に名前を呼びます」
「呼ばれた方は教壇の前まで来てください」
「井上彩華さん」
「はい」
窓側の席から始まった授受。
それは、大きな滞りもなくテンポよく進んでいく。
「ご入学おめでとうございます」
「ありがとうございます」
自分の名前に間違いがないか、しげしげと紙面を確認する新入生たち。
次々と名前が呼ばれては、入学認定書を恭しく受け取り、席へと戻っていく。
やがて、出席番号31番の菊鞠――。
そして38番のあやめ。
――最後の生徒が受け取ったところで、松居先生がパンッと小さく手を叩いた。
「皆さん、手元の認定書に、名前の間違いなどはなさそうですね?」
松居先生は、教室内を見回す。
幸い、誰からも不備を指摘する声は挙がらない。
「―――それでは、ここからの時間はロングホームルームとなります」
「一年間の年間予定のご説明と、その後に皆さんの自己紹介の時間を設けます」
「ここからは副担任の三芳野に交代して進めていきますね」
松居先生は教壇を降り、傍らに立つ三芳野先生に声をかける。
「――それでは三芳野先生、よろしくお願いします」
「はい!よろしくお願いします!」
担任からバトンを渡され、少し緊張した面持ちで前に出た三芳野先生は――。
一番前の生徒に、プリントを渡していき、後ろに回すよう促す。
カサカサと小気味よい音を立てて、一年間の年間予定が書かれたプリントが後ろへと回されていく。
全員に行き渡ったのを見届けると、三芳野先生は手元の資料を広げた。
「明日ですが、まずは先輩方との対面式――」
「また、部活紹介、オリエンテーション、身体測定、写真撮影が予定されています」
「それから、身体測定が予定されています。体操服の用意を忘れないでくださいね」
「普通の授業は明後日からとなります」
そこから、三芳野先生によって一学期から三学期までのスケジュール説明が始まった。
一日遠足、中間テスト、体育祭、夏休み、文化祭、冬休み……。
「覚えることが多すぎる……」
誰ともなしに呟きが聞こえる。
そんななか、菊鞠だけは別の意味で、配られたプリントを凄まじい熱量で見つめていた。
(なるほど……! 五月の連休は神社のお手伝い――)
(テスト期間中は早く帰れるから放課後の蹴鞠の時間を二時間は多く確保できそう)
(そして、夏休み――)
(ここが勝負どころ。――朝から晩まで《蹴鞠の舞》の復元に没頭するのっ……!)
普通の女子高生が「部活どうしよう」「テスト嫌だな」と考える年間予定表。
菊鞠は瞬時に
『効率よく蹴鞠の時間を増やす計画案』
を脳内で完璧に翻訳していた。
(うふふっ!完璧な計画っ!)
(この学校には、私の大切な日課を邪魔する邪悪なサッカー男子も、彼らに群がる女子もいません!)
(このスケジュール通りにいけば、私の蹴鞠ライフは生涯最高の充実期を迎えるのね!)
これから始まる薔薇色の高校生活を確信し、菊鞠の頬は期待で桃色に染まる。
――だが、彼女はまだ気づいていない。
この完璧な脳内カレンダー。
それは、わずか数日後の放課後、たった一つの『サッカーボール』の飛来によって、跡形もなく木端微塵に打ち砕かれる運命にあるということに。
「それでは年間スケジュールの説明は以上となります」
「……続いて、皆さんの自己紹介の時間に移りましょうか!」
「ただ、急に何を話せばいいか分からないと思います
松居先生へと視線を投げる、三芳野先生。
「松居先生と私からお手本を見せますね」
まずは担任の松居先生が前に出た。
「改めて、Bクラス担任の松居明良です」
松居先生は、落ち着いた、柔らかい声で話始める。
「私も高校時代はこの学校の生徒でした」
「担当教科は国語です。 部活動ではかるた部の顧問をしています」
「皆さん、1年間よろしくお願いしますね」
そのまま視線を三芳野先生に投じ、バトンタッチ。
「副担任の三芳野咲桜里です!」
「私もこの学校の卒業生です。担当は体育です」
「まだ赴任してきたばかりで至らないことも多いですが、皆さんと一緒に頑張ります」
「よろしくお願いします!」
深々と頭を下げる三芳野先生。
パチパチパチパチ――。
誰からともなく、拍手が起こり、教室内を埋め尽くす。
「 ――それでは、出席番号1番の明莉さんから順番にお願いします」」
「はい!」
出席番号1番の明楽さんがハツラツと立ち上がった。
「明莉まつりでーす!」
「みんな知ってるとは思うけど、八々中からの内部進学! 趣味は『TickTack』でダンス動画を撮ることでーす!」
「もし良かったら、フォローしてねー!」
「井上彩華です。私も内部進学組です」
「中学ではかるた部に所属していたので、高校でもそのまま入部するつもりです」
そこまで言うと、井上は真っ直ぐに松居先生を見る。
「松居先生、よろしくお願いします!」
松居先生が嬉しそうに「大歓迎しますよ!」と応じると、教室にどっと軽い笑い声が起きた。
内部進学組がリードしてくれたおかげで、教室の緊張が一気にほぐれていく。
その後もテンポよく自己紹介が進み――
ついに、出席番号31番、菊鞠の番がやってきた。
(よし……。ここで上品かつ完璧に『私は優雅な帰宅部です』とアピールして、薔薇色の蹴鞠ライフの第一歩を刻むのよ!)
スッと美しい姿勢のまま立ち上がり、教室を見渡して丁寧にお辞儀をする。
「皆さん、はじめまして。神酒盃菊鞠と言います」
「神様のお酒、そして盃と書いて“みかづき”。 菊の鞠で“ひまり”です」
「むさしの市立第二中学校からの外部進学になります」
鈴の音のように綺麗な声に、教室の女子たちの視線が集まる。
「家は神社で、普段は巫女のお手伝いをしています」
「……あ、あとは、趣味は『蹴鞠』です」
「実家の神社には高齢化社会の縮図のような『蹴鞠保存会』というものがありまして……もし、もし興味がある方がいらっしゃいましたら、いつでも入会をお待ちしております――ね?」
最後はおっとりとした満面のビジネス笑顔で締めくくり、菊鞠はスッと席に戻った。
――コトッ。
椅子に着席した瞬間。
張り詰めていた緊張が抜け、菊鞠の脳内に猛烈な後悔が押し寄せてきた。
(……や、やっちゃったぁ……!)
(緊張してちょっと早口になってたし……! それに、最初の自己紹介から『高齢化社会の縮図』だなんて保存会の愚痴を言う必要はなかったよね!? 変な子だと思われてちゃったかなぁ……ううう、もう消えてしまいたい……)
(穴掘って入りたいっ)
机に突っ伏したい衝動を必死に堪え。
おっとり澄ました顔の裏側で、菊鞠は盛大な自己嫌悪の嵐に悶絶していた。
そんな菊鞠の脳内パニックなど露知らず。
自己紹介の順番はテンポよく進んでいく。
そしてついに出席番号38番――
すぐ隣の席のあやめの番がやってきた。
あやめがスッと立ち上がった瞬間、菊鞠はおっとりした顔に戻って「がんばって、あやめちゃん」と心の中でエールを送る。
だが、あやめの内心は、親友の「蹴鞠」という単語に激しく揺さぶられていた。
(……菊鞠ちゃん、趣味は蹴鞠って言っちゃったよ。やっぱり彼女のあの驚異的な体幹と足元の技術は、毎日鞠を蹴っているからなんだよね)
生徒会長の「自由と責任」の言葉。
そして親の言いつけとはいえ、チームメイトと袂を分かつことになったかつての自分への、後ろ髪を引かれる思い。
ポケットの中にいつも忍ばせている、小学生時代の思い出の品――。
それが、なぜか急に熱を帯びたように感じられる。
(……ああっ、ダメダメ!)
あやめはゴクリと唾を飲み込み、サッカーへの未練を心の奥底へとグッと押し込める。
( 私はもうサッカーを辞めてお琴に専念するって――)
眼鏡の位置を直して上品に微笑んだ。
(お母さんと約束したんだから……!)
「八橋あやめです」
「京都の有名なお土産に『八ッ橋』がありますが、私の名字には小さい“ッ”は入りません」
「私も、多くの方々と同じく、八々花女子中からの内部進学です。外部進学の皆さん、これからよろしくお願いしますね」
「……実家がお琴の教室をやっていますので、音楽や伝統芸能に興味がある方は、ぜひ声をかけてください」
サッカーのサの字も出さない、完璧なお琴の家系のお嬢様としての自己紹介。
パチパチパチパチ――!
(さすがはあやめちゃん、完璧で優雅な自己紹介っ!)
菊鞠は誇らしげに拍手を送る。
隣に座る親友が、自分をサッカー界へ引きずり込みかねない『伝説の天才ボランチ』の牙を必死に隠しているなど――。
今の菊鞠には想像すらできるはずがなかった。
あやめの後に2人の生徒が自己紹介をして、全員の自己紹介が終了する。
「皆さん、自己紹介ありがとうございました。1年間の中でお互いを知り、もっと仲良くなってください」
三芳野先生が松居先生のほうを見る。
「他にありますか?」
代わって教壇に立つ松居先生。
「何人かの生徒さんには、SNSの視聴や投稿を趣味とする方がいるようです」
「それ自体は否定しません――」
「ただ、動画の投稿や扱い方を間違えると、友人や学校、何よりも皆さん自身を危険に晒すトラブルの原因となります」
「特に、許可なく学校敷地内で動画を撮影・拡散するような『規律を乱す行為』は厳禁です」
「ネットリテラシーをしっかり持って利用してください」
担任は、「そんなところかしらね」と、柔らかく微笑んだ。
(ふふ、本当にしっかりした学校なのね)
(ルールを乱すような野蛮な生徒は、生徒会長さんや松居先生が徹底的に取り締まってくださるみたいだし)
松居先生の厳しい注意を、菊鞠は満面の笑みで「理想郷の安全宣言」として受け止めていた。
(ああ、私の平和は約束されたも同然……!)
――まさかこの数日後。
鹿戸椛らの『SNSに投稿されたゲリラ練習動画』が大バズりし、学校中を巻き込む大騒動に発展するとは夢にも思わずに。
「それでは、今日はこれで解散にします。号令は……三芳野先生、お願いします」
「はい。……起立! 礼!」
「「ありがとうございました!」」
真新しい制服に身を包んだ乙女たちのハツラツとした声が教室に響く。
「明日は8時30分始業です!」
「遅れないように登校してくださいねー!」
副担任の三芳野先生のアナウンスでロングホームルームが終わり、ついに初日の全日程が解散となった。
お隣同士の菊鞠とあやめは並んで教室を出る。
校門近くで待っていたそれぞれの母親と合流し――
桜吹雪の舞う帰路へとつくのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
次回予告――
【「私、なんであんな事しちゃったんだろおおおおおおおお……!?」】
どうぞお楽しみに!
――
「菊鞠のおもてなし無双がもっと見たい!」
「サッカー同好会のドタバタが大好き!」
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