「――はい、お母様! 生涯を懸けて、必ず証明してみせます!」
――パチ、パチ、パチ……。
緞帳が下り、ホールを揺らすような万雷の拍手が遠のいていく。
演奏を終え、その余韻をまとったゆったりとした美しい動きで舞台袖の楽屋へと戻ったあやめを待っていたのは、母であり、八橋流箏曲の師範でもある燕だった。
燕は静かに、だけど誰よりも重みのある拍手をあやめへと贈り、氷のようだった瞳に初めて柔らかな光を宿して娘を見据えた。
「――見事な六段でした、あやめ」
「お母様……」
張り詰めた空気の中、燕はゆっくりと歩み寄り、あやめの胸元で誇らしげに翻る、緑のユニフォームの『黒と赤の重ね衿』へと視線を落とした。
「貴女にサッカーを辞めさせて、箏に専念させれば大成する。そう思っていましたが、私の見込み違いだったようですね。……あの緑のピッチでの熱、サッカーと真っ直ぐに向き合えばこそ、貴女の演奏(音色)は活きる」
師範としての、そして母親としての、これ以上ない全面的な娘の肯定。
あやめが思わず瞳を潤ませた、その瞬間――燕は再び、凛とした絶対的な師としての威厳をその声に湛えて言い放った。
「ならば、私に証明してみせなさい。お琴の伝統も、サッカーの情熱も、そのどちらの手も離すことなく掴み取れるのだと。――両立できるのだと、生涯をかけて私に証明するのです」
それは、最大の愛を込めた、母から娘への、そして生涯を懸けた本気の『宣戦布告』だった。
あやめは胸に手を当て、新調したスパイクを履いた足で床をぐっと踏み締めると、今度はお琴の跡取り娘としての気品に満ちた、一切の迷いのない笑顔で深く頭を下げた。
「――はい、お母様! 生涯を懸けて、必ず証明してみせます!」
その言葉を聞くと、燕は一瞬ふっと頬を緩め、しかしそれを娘に気取られることを厭ったかのように、すぐに冷徹な師の顔に戻って踵を返した。
「さて。わたくしはお弟子さんたちの様子を見てきます。こちらはいいですから、貴女も、自分の片づけをしてきなさいな」
泥まみれのユニフォームから、お嬢様と巫女の手仕事によって一瞬で着替えさせられた、あの急ごしらえの着物の背中。お母様はそれを見て、最初から全てを分かった上で、娘の『本当の居場所』へと背中を押してくれたのだ。
「――はい。ありがとうございます、お母様」
あやめは胸の奥の温かい熱を噛み締めながら、母の気高い背が見えなくなるまで、深く一礼して見送った。
静寂が戻った舞台裏の廊下。あやめはふっと視線を落とし、廊下の隅のほうへと悪戯っぽく微笑みかけた。
「――いるんでしょ、菊鞠ちゃん。それと……蝶名林さんも、かな?」
「――いつから気づいてたの!?」
あやめの後ろ、カーテンの影から、菊鞠と牡丹が文字通りドタバタとまろび出た。
「当然ですわ! わたくしの結んだ『蝶の羽』を、こんな不細工なお太鼓結びにしやがって……と、わたくしは影からずっと神酒盃さんを睨みつけていましたのよ!」
「こういう場面では、お太鼓結びだって言ったじゃないですか。蝶名林さん、社交界に慣れてると思ってたけど、時々ポンコツになりますね。――そんなことより、あやめちゃん本当に、本当にお母様に許してもらえたんだねっ……!」
お互いの着付けへの文句を言い合う牡丹と、涙目で飛びついてくる菊鞠。
そこへ――廊下の向こうから、「あやめっちーーー!!」「八橋さーーーん!」と、ホールの静寂を完全にぶち壊すような、ガタガタと賑やかな足音が近づいてきた。
廊下の角から雪崩のように飛び出してきたのは、客席の後ろから大急ぎで走ってきた、泥まみれの緑のジャージを着た仲間たち――桐子や椛、猪鹿蝶のみんなだった。
「八橋さん、最高の演奏だったわ! あたしのオーバーヘッドの音が、本当にお琴から聞こえてきたよ!」
「あんた最高やわ! 自分、感動してジャージの袖で涙拭きすぎて、泥まみれになってもうたわ!」
口々に大興奮で叫びながら、泥の匂いとサッカーの熱をまとった仲間たちが、お琴の跡取り娘としての美しい着物を着たあやめを囲み、全員でぎゅーーっと、壊れそうなほど優しく、力強くハグを交わした。
お琴の上品な気品と、泥まみれのサッカーの情熱。
交わるはずのなかった二つの不協和音が、今、この舞台裏で、世界で一番美しく、愛らしいハッピーエンドの旋律へと調律されていく。
「ふふっ、みんな、ありがとう。――私、お箏もサッカーも、これからもっともっと、たくさんの綺麗な音をみんなと響かせていくね!」
自分の心に嘘をつくのをやめた《中盤の調絃師》のタクトは、これからも二つの世界を繋ぎ、緑のピッチの上で、どこまでも高く羽ばたき続けるのだった。
―― 第一部:花合わせ編 完 ――
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
これにて第一部、「花合わせ」編は終了となります。
次回からは第二部へと移ります。
次回予告――
晴れて11人揃ったサッカー同好会。
ここで牡丹から、一つ提案があがる。
次回、
【第一部完結記念】登場人物紹介・チーム名鑑」。
からの、
【「なっ……! 私、そんなふうに勧誘した覚えはありませんっ!――おう!」】
どうぞお楽しみに!
――
「第一部の完走お疲れ様!」
「エタるんじゃねぇぞ……」
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