「これ……受け取って、頂戴……。前夜、わたくしが夜なべして、全員分リメイクしたユニフォームですわ」
4月下旬。桜が完全に散り、初夏の汗ばむ陽気が近づく頃――。高校女子サッカー界は、インターハイ予選という最初の熱い季節を迎えようとしていた。
高校女子サッカー界の強豪校の一角でもある、一文字学園の一軍のミーティングルームでも、インターハイ予選を通過するための打ち合わせが行われていた。
部屋の一番前に設置されたホワイトボードには、過酷な遠征、そしてこの後に控える、全国規模の強豪校との大一番の対戦スケジュールなどがびっしりと書かれている。
「監督、明日の八々花戦ですが……翌週に(超強豪校)との練習試合、さらにその直後には全国大会の予選が控えています。一軍メンバーの疲労と手の内を隠すためにも、明日は温存すべきかと」
コーチが監督に、事務的に進言する。
「――分かっているさ。大学時代の可愛い後輩の必死の頼みだったからな。義理立てのつもりで承諾はした。だがそれは、別に一軍でなくとも構わない話。私はそう捉えている」
「しかし――八々花女子さんから提出いただいたこのメンバー。我が一文字の中等部に所属していた鹿戸、蝶名林、猪目の三名。それに神園学園の《五光》と恐れられた、鳳以下4名も含まれていますよ?さすがに二軍では――」
別のコーチから、不安視する声があがる。
しかし。
「猪鹿蝶の三人か。我々一文字のシステムからドロップアウトした者だ。それに、神園の五光も、鳳が大怪我をして、満足に走れないと聞いている。」
「せいぜい、二軍に経験値を積むための餌になってもらう。スケジュール的にも、それが最適だ。違うか?」
「――いえ。承知しました」
ミーティングルームを出ていく一軍メンバーたち。翌日の完全オフ(クールダウン)を喜ぶ声が多い中、ミッドフィルダーの一竹すずめだけは、静かにスパイクの紐を締め直していた。
(猪鹿蝶……。あなたたちが去ったあの日から、私は泥をすすって一軍まで登り詰めた。明日はオフ。だが、身体をなまらせないよう、会場の近くでも走るか……)
――そんな一軍の冷徹な空気とは裏腹に。
同じ時刻、一文字学園の二軍の部室は、妙な熱気に包まれていた。
明日の一軍温存と、自分たちのスタメン起用の決定。メンバー表を手に取った二軍FWの仁野ツグミは、取り巻きの部員たちを前に、傲慢な笑みを浮かべてみせた。
「ふん、明日は東風先輩たちは完全オフね。相手は一文字を逃げ出した猪鹿蝶? 悪いけど、今の一文字において、あなたたちの存在なんて――『二の次』以下だってことを、私がピッチで教えてあげるわ」
ついに迎えた練習試合当日の朝。
八橋あやめは、筝曲発表会のため、母のお弟子さんたちとともに市民ホールに到着していた。
ふと視線を向ければ、ガラス窓の向こう――すぐ横の市民グラウンドへと向かって、八々花のジャージ姿の生徒たちが歩いている。
あやめがその中に菊鞠の姿を見つけると、菊鞠もまた、あやめの視線に気づいたようだった。軽く手を振ってくる親友に、あやめも小さく手を振り返す。
「あら、あちらは八々花のサッカー同好会かしら?」
すぐ隣から、母・燕の静かな声が降ってきた。あやめがびくりと肩を揺らすと、燕はグラウンドを見つめたまま、声音を変えずに言葉を続ける。
「今日の発表会、あなたの音色に『迷い』が出なければ良いのだけれど。……行きますよ、あやめ」
「――はい、お母さま」
胸の奥につかえる熱い未練を必死に押し殺しながら、あやめはお琴のケースを抱え直して、母の背中を追ってホールのロビーへと歩き出す。
お弟子さんたちに囲まれ、重苦しい静寂が周囲を包み込んだ、その瞬間だった。
「お、お待ちになって、あやめさんっ……!」
自動ドアを勢いよくすり抜けて、大理石のロビーへと滑り込んできた影があった。
息を激しく切らし、肩を上下に揺らしているのは――八々花の緑色のシャツを着た牡丹だ。
「あら、蝶名林さん? サッカーの試合前ですのに、どうしてここに……」
驚くあやめの横で、母・燕の冷徹な視線が牡丹へと注がれる。お弟子さんたちも「お琴の発表会前に、なんてはしたない……」とざわめくが、牡丹はそんな周囲の冷ややかな空気など眼中にない様子で、胸元に大事そうに抱えていた『もう一着の緑のシャツ』を、あやめの前に差し出した。
「これ……受け取って、頂戴……。前夜、わたくしが夜なべして、全員分リメイクしたユニフォームですわ」
見れば、そのシャツの首元や袖口には、着物の『おめり』を思わせる白い布地が、驚くほど細やかで美しい手縫いでアクセントとしてあしらわれている。牡丹の指先には、小さな針創がいくつも赤くにじんでいた。
「蝶名林さん……私の分まで……?」
「当然ですわ。あなたが今日はお琴の発表会で出られないことは分かっています。でも、あやめさんは八々花の立派なメンバーですもの。……せめてお守り代わりに、衣装袋にでも忍ばせておいて頂戴。わたくしたちの魂は、いつでも一緒ですわ!」
「――ありがとう、蝶名林さん。大切に、本当に大切に持っておくね」
あやめが愛おしそうにユニフォームを抱きしめると、牡丹は「では、一文字を奈落へ叩き落としてきますわ!」と、再びグラウンドへ向かって風のように走り去っていった。
「……随分と騒々しいお友達ね。行きましょう」
母の冷淡な言葉を背中に受けながら、あやめは胸の奥に灯った温かい熱を噛み締めるように、その手作りのユニフォームをお琴の衣装袋の底へと、そっと、大切に仕舞い込むのだった。
その衣装袋の奥には、実はもう一つ、お母様には絶対に内緒の「秘密」が隠されていた。
それは、数週間前にスポーツ店でどうしても抑えきれない衝動に駆られ、使う予定もないのに新調してしまっていた、ピカピカのサッカー用スパイクだった。
(本当は、もう二度とピッチに出るつもりなんてなかったのに……。私、どうしてサッカーに……、あの緑の芝生に焦がれているんだろう…………)
自分の消せない未練(心の雑音)そのものである、まだ革の匂いが新しいスパイクを指先でなぞりながら、あやめは胸の奥の熱を噛み締めるように衣装袋のチャックを閉めた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
次回予告――
牡丹が徹夜してまで用意したお揃いのユニフォームに着替える八々花女子サッカー同好会。
そこへ、いよいよ一文字学園がやってくるがしかし――。
次回、
【「――なるほど。随分と舐められたものですわね」】
どうぞお楽しみに!
――
「牡丹、可愛すぎかよ」
「これ、あからさまなあやめ参入フラグしかないwww」
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