「……なぁ、小梅。あのアホ二人、本当に偵察に行くって分かっとんのかな。完全に遠足のノリやんけ」
――皆さん、落ち着いてよく聞いてくださいね。対戦相手は、サッカーの強豪校のひとつ。一文字学園の高等部です」
さっきまでの喧騒が、嘘のように引いていく。
三芳野先生の口から告げられたその名に、牡丹、椛、萩子の三人が大きく目を見開いた。
あの日、深い絶望の中でサッカーを捨て、この桃源郷へと逃げてきた『猪鹿蝶』の三人の胸の奥で、蓋をしていた苦い記憶が、そして消えない怒りの火花が、一瞬にして激しく燃え上がった。
「……上等じゃん」
沈黙を破り、不敵に笑ったのは萩子だった。 牡丹も椛も、白くなるほど拳を強く握りしめている。
そんな3人の覚悟を確かめるように見つめたあと、腕を組んだ桐子がピシッと一同を見据えた。
「相手は強豪校よ。浮かれてる暇は無いわ。まずは敵の『今』を丸裸にする必要がある──カスミ、桜、藤乃、小梅。あなたたちに、一文字学園の偵察をお願いするわ」
「了解なんよ! ウチのプログラマー級の解析眼で、システムのバグを暴いてくるんよ!」
こうして、様々な想いを孕んだまま、八々花女子サッカー部は動き出す。
──だが、この因縁の対決に心を揺さぶられている者は、グラウンドの中だけではなかった。
* * *
しゃらん、と繊細で厳かな美しい箏の音が、八橋家の和室に響く。
「あやめ、今日の音は調絃が狂っています。あなたの心、どこを向いているのですか」
「……っ、はい。すみません、お母様」
母親の燕からの鋭い指摘に、八橋あやめは小さく頭を下げ、再び八橋流の特徴的な丸爪をはめた指で、琴の糸を弾く。
──サッカーは小学生まで。
厳格な母親の言いつけ通り、中学の3年間はお琴に全てを捧げてきた。高校に入った今も、その約束を守っている。
けれど、大好きな幼馴染の菊鞠がサッカー同好会に入り、楽しそうに、必死に白球を追いかけている姿を見るたびに、あやめの胸の奥底に眠る「天才ボランチ」としての血が、どうしても静まり返ってはくれなかった。
(一文字学園との、練習試合……)
耳にしてしまった、次の日曜日の予定。
かつて自分がジュニア時代に何度も戦い、その圧倒的な強さを知っている絶対王者。そんな怪物に、サッカーを始めたばかりの菊鞠たちが挑むのだ。
(お母様には、絶対に言えない。……でも、応援に行くだけなら。影からそっと、試合を見るだけなら……)
激しく上下する体幹を箏の演奏で隠しながら、あやめは静かに、けれど熱い未練を瞳に宿して、日曜日のピッチへと心を飛ばしていた。
──お母様との約束。お琴の家系としての伝統。
頭では分かっているのに、放課後、気づけばあやめの足は一文字学園の周辺へと向いていた。お琴の爪を調整する買い出しの帰り道、どうしても、菊鞠たちの戦う相手のことが気になってしまったのだ。
(見るだけ。ちょっとフェンスの外から様子を見るだけなら……)
自分に言い訳をしながら住宅街の角を曲がった、その時だった。
* * *
「いや〜、他校の偵察なんて、リアル潜入クエストみたいでマジでワクワクするんよ! やっぱ潜入捜査っていうと段ボール用意したほうが良かったかなぁ?」
「た、種村さん、声が大きいっ、大きいです……っ! あと今は部活の移動中ですから一般人擬態をですね……!」
前方を歩くのは、チャッパチュプスをピコピコ揺らして上機嫌なカスミと、長い前髪の隙間から周囲をキョロキョロと警戒する桜の『オタク同盟』コンビ。
その後ろを、呆れたように歩く二人の姿があった。
「……なぁ、小梅。あのアホ二人、本当に偵察に行くって分かっとんのかな。完全に遠足のノリやんけ」
「う、うう……。ふ、藤乃ちゃん、そんな大きな声で怒ったらダメだよぅ……」
長い手足をすらりと伸ばして不機嫌そうにつぶやく藤乃の袖を、小梅が涙目でぎゅっと引っ張る。小梅のおかっぱ頭のてっぺんでは、主の不安とシンクロするようにアホ毛が左右にせわしなく揺れていた。
と、その時。ふとした拍子に、前を歩いていた桜が立ち止まり、後ろの小梅と視線がぶつかった。
お互いに、長い前髪で目を隠した「目隠れ」気味のビジュアル。
お互いに、チームの中で一際ちんまりとした小柄な体格。
似通ったシルエットの二人は、目が合った(と思われる)瞬間に、ビクゥッと同時に肩を跳ね上がらせた。
「あ、あの……っ、えっと、ご、ごめんなさいっ、前を見てなくて……!」
「ひゃ、ひゃいっ!? わ、私の方こそ、お、お邪魔でしたよね、すみませんっ……!」
どちらかが一歩下がれば、もう片方もキョドりながら一歩下がる。 桜がオロオロと両手を前に突き出せば、小梅もウジウジと入部届を握っていた時のような手つきでペコペコと頭を下げた。前髪の隙間から覗くおどおどした視線が完全に同じ挙動で彷徨っている。
「あ、あの、えっと……私は、1年Eクラスの、鶯塚、小梅です……っ」
「う、うん、知ってるよ……! 私は1年Dクラスの、幕ノ内桜です……。えっと、同じ1年生だし、クラスも隣、だよね……っ」
小梅がウジウジと両手を胸の前でこねると、桜もオロオロと制服の裾を握りしめる。
「は、はい……っ! でも、幕ノ内さんは、あの、元・神園中等部の凄い選手だったって聞いて……っ。わ、私なんかとは次元が違いすぎて、その、同級生なのに『先輩』って呼びたくなっちゃうというか、敬語になっちゃいますぅ……!」
「ええっ!? そ、そんな滅相もないよぅ……っ! 私なんか、ただの隠れオタク(ステルスモード)だから、普通に『桜ちゃん』とか『桜さん』でよくて……っ。そんな風に呼ばれたら、緊張して、知恵熱が出ちゃうよ……っ!」
「そんな、桜さんをちゃん付けなんて、私なんかじゃ畏れ多くて無理ですぅ……!」
会話のドッジボールがお互いの足元にポロポロと転がり落ち、二人して「あうあう」と顔を真っ赤にしてフリーズしてしまう。
「……なぁカスミ。あいつら、何の一人コント始めとんねん」
「いや〜、同じ系統の小動物がクラスの垣根を越えて共鳴し合ってるんよ。てぇてぇなぁ、動画に撮って『神引き(奇跡)』フォルダに入れたいレベルなんよ」
藤乃が額を押さえて深くため息をつき、カスミは萌え袖の手でスマホを構えようとして桜に「撮らないでくださいぃ!」と必死に止められていた。
「っていうかさぁ、藤乃ちゃん。さっきから『遠足のノリ』とか言って冷めてるけど、偵察にはモチベ(やる気)が一番大事なんよ? そんなツンツンしてたら、一文字のシステムのバグ(弱点)も見落としちゃうんよー?」
カスミがチャッパチュプスをピコピコさせながら、挑発するようにニィと笑う。
「あぁん? 誰が冷めとるって? ウチは真面目にやっとんのじゃ。ダラダラ歩いとるお前らに活を入れてやっとるんやろが!」
案の定、勝気で短気な藤乃の導火線に火がついた。ぱっつんの前髪の下から、鋭い目力がカスミを射抜く。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
次回予告――
練習試合の相手、一文字学園へと偵察に向かう、カスミ、桜、小梅、藤乃。
しかし、突如としてカスミが藤乃を挑発し、一触即発!?
そして、八橋あやめが再び登場!?
次回、
【「ふおぉぉっ!? あやめっち!? なんでこんな因縁の地の裏路地に立っとるんよ!?」】
どうぞお楽しみに!
――
「桜と小梅の小動物コンビかわいいかよ」
「あやめフラグきた!」
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