「蝶名林さま! あーし、一生ついていくっしょ!」
大広間の隅に置かれた立派な文机を囲み、一同は一斉にペンを握った。
広げられたのは、八々花女子の『同好会設立・統合申請書』。
そして菊鞠が並べた、菊堂神社『蹴鞠保存会』の入会申込書だ。
「まさか、新設早々に同好会の名前の変更をするとは思いませんでしたわ」
牡丹がため息まじりに呟く。
サッカー同好会として正式に設立したはずが、その日のうちに非認可のフットサル同好会を取り込み――。
さらには蹴球同好会と名前を変えようとは、神様も想像できなかっただろう。
「あーっ! クソ、また字ィ間違えちまった!」
静かな大広間に、萩子の悔しそうな悲鳴が響き渡る。
萩子はガシガシと頭を掻くと、手元にあったボールペンで、間違えた漢字の上を「ぐちゃぐちゃぐちゃっ!」と勢いよく黒く塗りつぶした。
「ちょっと萩子さん! 学校に提出する正式な申請書を、泥だらけのピッチみたいにするんじゃないわよ! 書き直しなさい!」
「えーっ!? 牡丹、ケチくさいこと言うなよ、読めればいーだろ読めれば!」
「そういう問題ではありませんわ!」
青筋を立てて怒る牡丹の横で、満月は小さく肩をすくめながら、一筆一筆、息を詰めるようにしてペンを走らせていた。
満月の手元を見ると、まるで教科書の印刷か、あるいは習字の先生が書いたかのような、寸分の狂いもない美しく整った文字が、きっちりと枠の真中央に収まっている。
「……ふぅ」
名前と住所を書き終え、満月は小さく安堵の息を漏らした。その完璧な生真面目さは、書類の記入欄にまで120%発揮されていた。
一方で桜は、お隣のカスミからの熱い視線を背中に浴びながら、静かに、しかし驚異的なスピードで記入を終えていた。
(ふっ……。即売会のサークル申込書や、ジャンルコードの記入で培った私の書類作成能力を舐めないでほしい。記入漏れも、枠へのはみ出しも、一切の隙はない。私のディフェンスは今度こそ完璧……!)
桜が心の中でそっとガッツポーズを作った、その時だった。
ガラガラ、と大広間の襖が小気味よい音を立てて開いた。
「はいはい、みんなお疲れ様。しっかり球を蹴った後は、甘いものでも食べなさいな」
入ってきたのは、お盆に載せた冷たいお茶と、お茶請けの塩大福を抱えた菊鞠の祖母だった。
おばあちゃんは笑顔でお盆を畳に置くと、ふと、満月が書き終えたばかりの『蹴鞠保存会』の入会申込書へと目を留めた。
そこに並ぶ、牡丹の流麗な署名が目に入った瞬間、おばあちゃんの動きがピタリと止まる。
「おや……。この『蝶名林』っていうのは、あの化粧品会社の蝶名林さんかい?」
「えっ……? あ、はい。蝶名林牡丹と申します。一応、父が “Papillon et Pivoine” の経営をしておりますけれど……」
突然尋ねられ、牡丹は少し面食らったように背筋を伸ばした。
すると、おばあちゃんはポンと手を叩いて顔を輝かせる。
「あら! やっぱりそうかい! それって、鞠花さんがいつも使ってる化粧品の会社じゃない! ちょっと、鞠花さーーん! 蝶名林社長のとこのお嬢さんが保存会に入ってくれたわよ! こっち来てご挨拶しなさいな!」
「わわっ!? ちょっと、やめてよお祖母ちゃん! 恥ずかしいから大声で呼ばないで!!」
居間に響き渡るおばあちゃんの声に、菊鞠は顔を真っ赤にして慌てて両手を振り回し、おばあちゃんを制止した。
その横で、お茶を飲んでいたまつりが、ゴブッ! と激しくむせた。
「えっ、ゲホッ……えええっ!? 蝶名林さんの家って、あの“P&P”なの!? ウチの好きなインフルエンサーもみんな使ってるやつじゃん! めっちゃ高くて、高校生には逆立ちしても手が出ないヤツ!!」
目を丸くして身を乗り出すまつりに、牡丹はふいっと顔を背けた。
「べ、別に珍しいことではありませんわ。我が社の製品は幅広い年齢層の女性から圧倒的な支持をいただいていますもの。 ……でも、まぁ、その。身近な方に愛用していただいているのは、悪い気はしませんわね」
ツンと澄ましてみせるものの、牡丹の白い耳たぶはほんのりと赤く染まっている。
「明莉さん、……そんなに興味がおありなら、我が社で新しく開発したティーン向けのラインの試供品、少しはお譲りできますわよ? 余らせておくのも勿体ないですし」
「マジで!? やったーーー! 蝶名林さま! あーし、一生ついていくっしょ!」
狂喜乱舞するまつりの横で、萩子が「牡丹のやつ、また耳赤くしてやんの。分かりやすー」と小声で笑い、千鶴もニカッと笑って同意していた。
(……っていうか、蝶名林さんの家って、あの超高級ブランドの……? そ、そんなお嬢様がうちの保存会に……!?)
おばあちゃんを宥めながら、菊鞠の脳裏には一瞬だけ、とんでもないお大尽が入会してしまったのではないかという戦虜が走った。
――後に迎える神社の例大祭にて、化粧品会社 “Papillon et Pivoine” から文字通り『桁違い』の奉賛金が振り込まれ、神社の一家全員が白目を剥いて卒倒することになるのだが。
――この時の菊鞠は、まだ知る由もなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
次回予告――
【「萩子さん貴女――いま手にしてる塩大福は、何かしら……?」】
どうぞお楽しみに!
――
「菊鞠のおもてなし無双がもっと見たい!」
「サッカー同好会のドタバタが大好き!」
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