「予測のすべてが、すり抜ける……っ!」
鳳桐子 vs 神酒盃菊鞠の対戦です。
「おうっ!」
凛とした請い声を上げると、菊鞠を射抜かんとばかりに蹴り出されたボールに足を添える。
――ふわっ。
次の瞬間、突進してきた桐子と柳の目の前で、ピッチに奇妙な「完全消音」の静寂が再び訪れた。
強烈な衝撃を伴っていたはずのボールは、菊鞠の足の中で急速に獰猛さを失う。
そしてそれは、まるで可愛い子犬が戯れるように、菊鞠の真っ白なスニーカーのつま先の上へと、ノーバウンドのままピタッと吸い付くように纏りついたのだ。
「おい。どういう理屈だ、それは!?」
恐怖のあまり、盛大にトラップを失敗する──100%そう確信していた。
しかし、その目論見は見事に外れた。
いや、外れたどころではない。
(……回転を、完全に殺した……!?)
(嘘でしょ……あの速度のグラウンダーを、上から押さえつけるんじゃなくて、足の甲で『迎えに行って』無音で吸収したの!?)
サッカーの常識を遥かに超越した「神事の足捌き」
菊鞠の手前で猛烈な急ブレーキをかけ、目を見開いて対峙した。
「……あり。―――どう、とは?……よう。」
とん、とん―――。
新調したスニーカーの甲の上で、まるで手品のようにボールを撫で回す。
菊鞠は桐子の鋭い問いをもおっとり受け流した。
「さっきの超絶トラップだ。どうなってる?」
「……よう。……おう」
……ぽん。……ぽん。
「―――そうですね」
菊鞠はにこりと微笑む。
「我が『菊堂神社・蹴鞠保存会』に正式に入会して自筆のサインをいただきましたら、お話しても構いませんよっ、と。……あり。」
夕日の差し込むアスファルトの上で、涼やかに、おっとりと。
―――菊鞠は。
絶対の王者である鳳桐子を、満面のビジネス笑顔で完璧に挑発した。
「―――ほざけ!!」
プライドを木っ端微塵に爆破された桐子の瞳が、カッと見開かれる。
かつて女子サッカー界の未来を牽引するとまで謳われた、天才ストライカー。
その獰猛な牙が、ギラリと蘇る。
キィィィン──。
一瞬にして、ピッチの空気が凍りついた。
(……来る。本物の、化け物が──!)
コートの端で、カスミの口元のホイッスルがマヌケに鳴り響いた。
2大雲上人の一騎打ちへの、興奮と恐怖をはらんだ頼りない音。
ピピピピ──。
「いくよ、神酒盃さん──!」
ドッ、とアスファルトを蹴る。
桐子が、全盛期の神がかったスピードで突っ込んできた。菊鞠の足元のボールを、文字通り「狩り」に。
だが、坂東武者の血脈が完全に覚醒している菊鞠は、微笑んだまま一歩も動かない。
「あり。よう。おう」
ぽん。とん。と。
衣服の擦れる音。
そして、雅な請声。
それに合わせて、ボールの軌道が空中でミリ単位で変化する。
それは、サッカーの常識ではあり得ない──あまりに不条理な軌道。
右へ来ると読んで、体を投げ出した桐子。
だが、その目の前で、ボールはふわりと重力を無視して真上へと跳ね上がった。
今度は左。
次はカカト。
まるで菊鞠の身体の一部のように、ボールが吸い付いて離れない。
「な、なんだその動きは……!?」
地上戦のあらゆる戦術眼を極めた桐子の口から、驚愕が漏れる。
「予測のすべてが、すり抜ける……っ!」
極めたからこそ、分かってしまう。
完全に物理法則を無視した、菊鞠の「空の支配」。
桐子はただただ虚空を掴むように、冷や汗を流すことしかできなかった。
「───んっ!」
「桐ちゃん!」
「きりさん!」
これほど本気で。
これほど必死にボールを追う桐子の姿など、誰も見たことがない。
桐子の抱く激しい焦燥感を、敏感に感じ取ったのだろう。
道風柳、薄満月、幕ノ内桜の三人が、すぐさま周囲から救出へと動き出す。
一糸乱れぬ、フットサル同好会の絶対的な連動守備。
「来るな!」
「「「───!!」」」
だが、桐子の鋭い一喝が、夕日のコートに響き渡った。駆け寄ろうとした三人の足が、ピタリとアスファルトの上で凍りつく。
「これはアタシの勝負だ。サシでやらせてくれ」
前髪の隙間から、血を吐くような執念の瞳を燃やす桐子。
大事故で、一度はすべてを失った。
それでも2年間、地獄のようなリハビリを戦い抜いてきた王者のプライドが、そこにはあった。
目の前の「おっとりした怪物(菊鞠)」を──。
絶対に、他人の手で倒すことなど許さなかった。
桐子は再び、アスファルトを踏み荒らすようなステップで菊鞠へ突っ込む。
だが──無情にも、その時は訪れた。
ドクン──。
桐子の右足の筋肉が、限界を超えて激しく痙攣する。
ピピピピピピ……!
「あ、あと十秒で……五分なんよおぉぉぉ!」
口元のホイッスルを震わせながら、スマホのタイマーを計っていたカスミが、悲痛な声を張り上げた。
「──っ、あ……あぁ……っ!?」
次の瞬間、桐子の全身から完全に力が抜けた。
アスファルトの上にガクッ、と崩れ落ちるように、両膝を突く。
激しく肩を上下させ、滝のような冷や汗を流して、1ミリも指先すら動かせなくなる。
「はぁ、はぁ……くそ、アタシの身体、もう……動かない、のか……っ!」
───大事故の後遺症。最初の五分間だけ、全盛期の牙を剥く。
それが彼女の背負った、あまりにも切ない「タイムリミット」の現実だった。
「……ッ!」
「───桐子ォ!!」
桐子に一喝されて黙っていた千鶴たちが、今度こそ簡易ゴールを飛び出して駆け寄ろうとする。
だが──
膝を突き、うなだれる鳳桐子の、まさに目の前で。
菊鞠は、ボールを一度もアスファルトに落とすことなく。
真っ白なスニーカーのつま先の上で──
ひた。
華麗に静止(載せ鞠)させてみせた。
中庭に、ふっと優しい夕暮れの風が吹き抜ける。
菊鞠は、息を荒くしてうなだれる王者の顔を、真っ直ぐに見つめ。
───これ以上ないほどおっとりとした。
気品あふれる、慈愛の微笑みを咲かせた。
「──鳳さん」
「貴女のその、二年間の絶望も」
「五分間の限界も」
「すべて、私の『空』に預けてくだされば──」
「何の問題も、ありませんよ?」
菊鞠の優しいおもてなしの心が、傷ついた桐子の耳朶を打つ。
「……え?」
桐子がハッと顔を上げた瞬間──。
菊鞠の足元から。
ふわり。
と、重力を無視した浮き球が放たれた。
この試合で一番優しく。
一番、美しい。
五光の頭上を優雅に越えていく、完璧な放物線の『おもてなしのパス』。
そこへ。
三年分のすべての想いを乗せた──鹿戸椛が、弾丸のように走り込んでいた。
(いけ、鹿戸さん……!!)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
次回予告――
【「あと一分で──放課後のチャイムなんよぉぉぉ!!」】
次回、決着。
どうぞお楽しみに!
――
「菊鞠のおもてなし無双がもっと見たい!」
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