「言ったはずよ、ドードー鳥さん。のろまなあなたには、私たちの規律に触れることすらできずにワンターンキルされるってね」
苫小牧の空は、昼間の爽やかな青から、深く吸い込まれそうな群青の夜へと移り変わっていた。
だが、白鳥王子アイスアリーナにほど近いこのサッカースタジアムを包む空気は、冷涼な北の大地の夜風を完全に押し返すほどの、異様な熱気に支配されている。
巨大な鉄塔から照射される鮮烈なカクテル光線が、青々と茂る緑の芝生を太陽の下よりも鮮やかに浮かび上がらせていた。
スタンドを埋め尽くした超満員の観客から放たれる地鳴りのような咆哮。
そこにブラスバンドの重低音と、メガホンを叩く無数の乾いた音が混ざり合い、夜のスタジアム全体を激しく震わせる。
インターハイ女子サッカー競技・決勝戦。
全国の頂点を決める最終決戦の舞台は、鮮烈なカクテル光線の光と観客の狂気にも似た興奮によって、まるで巨大な古代のコロシアムの如き威容を誇っていた。
「これ、まじでバズるやつじゃん……」
八々花女子高校のベンチ裏、明莉まつりがスマホを片手に、圧倒されたように呟いた。
いつもならギャル特有の軽いノリで動画カメラを回し、レンズの向こうへピースを飛ばしているはずの指先が、今日ばかりは微かに震えている。それは、苫小牧の冷涼な夜気によるものではない、スタジアムを支配する全く別の熱量に気圧されてのものだった。
「当然なんよ。相手は全国連覇を狙う神園学園。メディアもスカウトも、全員が王者の『完璧な戴冠式』を見に来てる。うちらは、そのお祭りを台無しにするためにここまで這い上がってきたんよ」
カスミはノートPCを小脇に抱えたまま、口の中のチュッパチャプスをゴリリと容赦なく噛み砕いた。
その鋭い視線は、すでにピッチの向こう側、純白と金のユニフォームを纏ってアップを終えつつある神園イレブンへと向けられている。
海沙悠理が率いるダイヤの精密要塞、神田瑠衣が征服する中盤、そしてトップ下に君臨するハートのキング、茉優・シャロン。
どこを見ても隙のない、精緻に美しく統率されたトランプの「王国」。
「――みんな、よく聞きなさい」
ベンチ前に集まった八々花の選手たちを前に、天堂監督がいつも通りの不敵な、しかしどこか肚の据わった笑みを浮かべて声をかけた。
そのまなざしが、かつて自らが率いた古巣のジャージを一度だけ捉え、すぐに目の前の少女たちへと戻る。
「相手のフットボールは『規律』。完璧に計算されたシステムで、敵を文字通りハメ殺す美しき独裁よ。だが、そんな綺麗な額縁に収まった戦術なんて、あなたたちの足技で引っ掻き回してやればいい。うちらのルールはたった一つ」
天堂が不敵に、どこか悪戯っぽく顎を引いた。
八々花イレブンが一斉に、引き締まった表情で監督を見つめる。
「――絶対に、ボールを地面に落とさない。泥臭く、美しく、あの硬苦しい王国をあなた達のステップで無双してきなさい!」
「しゃおらあああああああ!!!」
誰よりも早く、獣めいた咆哮をあげて拳を突き上げたのは萩子だ。
それに引っ張られるように、「はいっっっ!!」と鋭い勝鬨がスターティングメンバーから弾け、柳は短く「んっっっ!!」と腹の底に力を込める。
椛がマントのようにジャージの袖を翻し、八々花イレブンの熱い熱量がベンチ前で爆発した。
深く腰掛け、膝にタオルをかけた桐子は、その喧騒の中で小さく微笑んだ。
「頼んだよ。アタシがピッチに立つまで、その『旋律』、絶対に切らさないでね」
「――ああ、任せておけ」
短く答えたのは、グローブのベルクロをバリ、と力強く締め直した千鶴だった。
その横では、菊鞠がピッチ中央を見つめ、静かに呼吸を整えている。
スタジアムに、入場を促す高らかなアナウンスが響き渡った。
薄暗い入場ゲート。
赤のユニフォームの八々花と、白のユニフォームの神園が二列に並ぶ。
先頭に立つのは、神園のキャプテン、スペードのAこと剣崎英子――アリスだ。
アリスはベンチ側の桐子をこれみよがしに鋭く睨みつけ、それから隣に立つ千鶴へと冷酷な一瞥を滑らせた。
「言ったはずよ、ドードー鳥さん。のろまなあなたには、私たちの規律に触れることすらできずにワンターンキルされるってね」
その言葉を遮るように、アリスの背後から静かな、しかし圧倒的な威厳を伴った声が響く。
「無駄口はそこまでよ、アリスちゃん。もう舞台の上なのだから」
スペードのQ。
神園の現《新・絶対守護神》、原アテナだった。
アテナはアリスの肩を軽く叩いて下がらせると、千鶴の正面に立ち、その澄んだ双眸を真っ直ぐにぶつけてくる。
昨夜の自販機コーナーで見せた余裕は消え、その眼に宿るのは、冷徹にゴールマウスを支配する王者の眼光そのものだった。
視線の先にあるのは、プロチームのような洗練された応援団ではない。
5分しか戦えない桐子を含め、控え選手はわずか3名――総勢14名の選手と3名のマネージャーの合計17名だけ。
なにより今年の春、部へと昇格したばかりでありながら全国大会の決勝戦まで勝ち上がってきたサッカー部のために、学校側が急ピッチで手配してくれた一般生徒や保護者たちの急造応援団だ。
彼女らが必死に打ち鳴らす手作りのペットボトルメガホン。お揃いのチームTシャツを身に纏った仲間たちが、涼しい夜気の中で顔を真っ赤にして張り上げる、叫び慣れていない甲高い声援。
それとは対照的に、バックスタンド側には神園学園が誇る、巨大で一糸乱れぬ組織的なブラスバンドの大音圧が、照明の光を背にして城壁のようにそびえ立っている。
この「手作り感のある挑戦者」と「組織された絶対王者」のスタンドの対比が、決勝戦という大舞台の重みを、少女たちの足の裏へとリアルな質感として伝えていた。
スタジアムのボルテージが最高潮に達し、両校のイレブンが眩い太陽の光の下へと踏み出していく。
ピッチ中央。
コイントスが終わり、神園学園のキックオフが宣告される。
ボールの前に立つのは、アリス、そして茉優・シャロン。
その神園の最高峰のゲームメイカーとセンターサークルを挟んで対峙したのは、八々花の心臓、菊鞠だった。
シャロンの完璧なオーケストラを想起させる天才特有の威圧感を正面から受け止めながらも、菊鞠は臆する風もなく、ただ静かに、いつも通り「地面にボールを落とさない」ことだけを見つめて深く呼吸を整えている。
近代戦術の最高峰と、型破りな蹴鞠の申し子。二人の視線が、眩い白光の中で火花を散らす――完全な静寂の、1秒間。
審判が時計を確認し、右手を高く掲げた。
運命のホイッスルが、苫小牧の空に、高く、鋭く鳴り響く――!
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
いよいよ始まった決勝戦! 最高の舞台ということもあって、心なしか地の文の情景描写やカクテル光線の演出などがいつもより派手になっている気がしますが、……うん、これは絶対に気のせいではないでしょうね(笑)。
そして今回、決勝戦という大舞台に合わせて、八々花女子高校の生徒や親御さんたちがスタンドに応援に駆けつけてくれました!
実は今までの試合では「応援席の描写が全然ないけど、これでいいのかな?」と僕自身ずっと気になっていたんです。
ただ、よくよく考えてみれば、新しく同好会から部に昇格したばかりで、まだ校内での実績らしい実績もない異端のチーム。
それが地方予選を勝ち抜き、いきなり全国大会の決勝戦にまでもつれ込んだとなれば、学校側も「これは大変なことになったぞ!」と大慌てで急きょ応援団を結成して苫小牧まで送り込んできた……ということに脳内補完しました。
あの手作り感満載の泥臭い声援は、八々花女子らしくて個人的にとても気に入っています。
さて、神園学園の主将・剣崎英子。
前夜のレスバ敗北に懲りることもなく、入場ゲートの時点で早くもアクセル全開で煽り倒してきました。
鳳桐子や松明千鶴といった「鳥」の文字を名前に冠する八々花の主力組を相手に、わざわざ「ドードー鳥(空を飛べない、絶滅したのろまな鳥)さん」なんていうマニアックなワードをチョイスしてくるあたりが、いかにも彼女らしいですよね。
本人は最高にクールな死神を気取っているつもりなのに、どこかポンコツで中二病な可愛さが隠しきれていない――そんな彼女の愛すべきギャップが、読者の皆様にも「相変わらずだなあ」と憎めない魅力として映ってくれると嬉しいです。
カクテル光線の下、役者はすべて揃いました。
次回、インターハイ決勝戦――いよいよ激戦のキックオフです!
「なんか急に場面の解像度バチバチに上がってて草」
「ナイター開催のスタジアムの空気感がリアルでゾクゾクする!」
「アリスモチーフになると急に生き生きとしだす作者さん好き」
と思っていただけましたら、ぜひページ最下部にある【☆☆☆☆☆(星ボタン)】や【ブックマーク】をポチッと押して応援していただけると、いよいよ幕を開ける決勝戦(第159話〜)への執筆の大きな大きな励みになります!どうぞよろしくお願いいたします!




