「ふぬうぉぉぉぉ、チョー気持ちいー! もうなんも言えねぇぇぇ……っ」
「ひ、ひえぇっ……! ウ、ウメハラ商業……!? あの、神懸かり的な超反応のブロックと、ミリ秒単位の予測で敵を完全に完封してくる、絶対カウンターを宿した鉄壁のチーム……!?」
長い前髪をガタガタと震わせながら、桜がゾクリと総毛立っていた。その脳内にある、データオタクとしての回路が恐怖でショートを起こしている。
だが、その張り詰めた絶望の予感を、天堂監督の冷徹な、けれどどこか響きの柔らかい声がパチンと断ち切る。
「作戦会議は、明日の夜開始します。それまでは休暇よ。ゆっくり体を休めなさい」
──休暇。
その予想外の単語の響きに、ロッカールームの中の時間が一瞬だけピタッと停止した。
過酷な連戦となる夏のインターハイ。2回戦と準決勝の間には、選手たちの肉体を保護するための「休養日」が丸一日だけ設定されているのだ。
「えっ……? 監督、マジで言っとるん?」
藤乃が弾けるような笑顔から一転、きょとんと目を丸くする。
天堂監督は手元のマーカーを指先で止め、見つめてくるメンバーたちへと言い放った。
「梅原商業の超反応に対抗するには、肉体と精神の完全な 弛緩 ( リフレッシュ ) が必要よ。泥だらけの脳みそでデータを詰め込んだところで、ピッチの隙間は消せないわ。本日は終日、完全自由行動とするわ。──さあ、さっさと着替えて街へ出て行きなさい」
「「「──よっしゃあああああッ!!!!」」」
次の瞬間、ロッカールームが割れんばかりの歓喜の爆音に包まれたのは言うまでもない。
冬のベスト4を破った興奮と、日本一の王手を懸けた準決勝。その張り詰めた戦いの境界線で、八々花女子高校のメンバーたちに、最高の丸一日のブレイクタイムが与えられた瞬間だった。
◇
──その日の夜、遠征先の宿舎にて。
「マッサージが必要な人は私に言ってくださいね。一応、大学で学んできてますから!」
三芳野先生が、小さくガッツポーズを決める。
普段は一歩引いて見守っている顧問の、そんな頼もしくも愛らしい申し出に、メンバーの顔がさらにパッと明るくなった。
──だが、その刹那。
「あら, 三芳野先生。お気持ちは大変素晴らしいですが、肉体のケアでしたら、どうぞこちらをお使いになって。……皆様、お入りなさい」
左右の縦ロールを優雅に揺らしながら、ボランチの牡丹が扇子を鳴らすようにしてロッカールームの扉をそっと開いた。
するとそこへ、白い衣服を身にまとった、見るからに熟練のオーラを漂わせる男女の集団が、一礼しながら一糸乱れぬ動きで入室してきたではないか。
我が蝶名林家が直轄する、一流の私設マッサージ師集団である。夏の過酷な連戦を闘うメンバーのために、わざわざ実家からこの北海道の遠征先までチャーター機で呼び寄せたのだという。
「あ、あっ……プロの専門の人たちが来ちゃいました……」
ガッツポーズを崩された三芳野先生が、最高にチャーミングな敗北感を顔に浮かべてガクッと肩を落とす。
だが、特設ルームに手際よく本格的な折りたたみベッドや高級アロマオイルがセッティングされていく中、八々花のメンバーたちは自然と二つのスペースへと二極分化していった。
高級スパさながらのプロのベッドへと真っ先に滑り込んでいったのは、鹿戸椛、猪目萩子、道風柳、松明千鶴、あるいは鳳桐子の5人だった。全国の最前線で肉体を極限まで削り合っている彼女たちだからこそ、プロの繰り出す骨抜きレベルの超絶技法に、たちまちベッドの上で泥のようにとろけていく。
「ふぬうぉぉぉぉ、チョー気持ちいー! もうなんも言えねぇぇぇ……っ」
「……静かにしようか、萩子くん。せっかくの至高の旋律が、君の野性味溢れる歓声でかき消されてしまうじゃないか……。くっ、だが認めよう……この指先、あまりにも罪深い……!」
先の激闘で理不尽な破壊衝動を撒き散らしていたはずの萩子のプライドも、麗しきトップスターとしての椛の気高き理性も、プロの容赦ない極上ケアの前には一瞬で消し飛ぶ。
2人して特設ルームにだらしない歓喜の声を響かせ、完璧に無力化されていくのだった。
その横、部屋の片隅にパイプ椅子とヨガマットを敷いた簡易スペースでは、三芳野先生が「私だって、私だって大学の講義でちゃんとお墨付きをもらったんですからねっ!」と健気に意地を張っていた。
そんな先生の元へとちょこんと集まってきたのは、幕ノ内桜、薄満月、神酒盃菊鞠、八橋あやめの4人だった。
プロの本格的な施術よりも、三芳野先生の「よいしょ、よいしょ。凝ってますねぇ」という、実家のお母さんのような温かい揉みほぐしの空間の方が、彼女たちにとっては居心地が良いらしい。
先生にフンフンと一生懸命に肩を揉まれながら、菊鞠やあやめたちはどこかほっこりとした安心感に目を細めていた。
高級スパの至高のケアと、部活の部室のような先生の温かい施術。
遠征先の宿舎を包む至福の 弛緩 ( ブレイクタイム ) は、八々花女子高校のメンバーたちの心身を完璧に解きほぐしていった。
──そして、明朝。
◇
「あり。」
「よう。」
「おう。」
宿舎の裏庭では、日課の数鞠をする菊鞠の姿があった。
ギラギラとした真夏の太陽が照りつける、見知らぬ遠征先の静かな朝。
カクテル光線の下での激闘が嘘のように、彼女の右足から放たれる請い声だけが、格式高い神社にいるかのような心地よい静寂を裏庭へと連れてきている。
どれだけ過酷なトーナメントの渦中にあろうとも、絶対にボールを落とさない蹴鞠少女にとって、この朝の数鞠こそが最も自分をニュートラルに調律できる時間だった。
そんな凛とした空気が流れる裏庭とは対照的に、宿舎の正面ロビーからは、早くも賑やかな爆音が響き渡っていた。
「小梅ーッ! 休養日は今日しかないんや! それに夕方にはまたスカウティングが待っとる! 時間は有限や、急ぐでぇ!」
「ふにゅううっ、待ってくださいよぉ藤乃ちゃん! お財布忘れましたあぁっ!」
ロビーから元気いっぱいに街へと飛び出していったのは、昨夜のペナルティエリアで見事なクリアを演じてみせた藤乃と小梅だった。
昨日のあのおでこ激突の余韻を吹き飛ばすかのように、二人は地元の名物スイーツを求めて、早くも全開のドタバタで街へと消えていく。
一方、そんな賑やかな背中を見送りながら、宿舎のラウンジのソファで、ノートPCの画面に目を輝かせていたのはカスミだった。
「サクラちゃん、ウチらも計画を立てるんよ。ウトナイ湖に北駒牧場、決勝の舞台はいくら時間があっても足りないんよ」
「四星製菓さんで食べにくいお菓子を買うのも忘れないでね!」
口元にチャッパチュプスを転がしながら、いつになく行動力全開の瞳で誘う天才スコアラー。
データ分析もそこそこに、次の遠征先となる北海道の満喫計画をガチで練りにかからんとするカスミの申し出に、隣にいた桜の瞳がパッと輝いた。
広大なウトナイ湖の大自然、そして名門・北駒牧場──『ウマgirl』にもハマった彼女たちにとって、競馬の血統を肌で感じられるそこは、これ以上ない聖地巡礼のチャンスである。
さらに、表面にたっぷり塗られたハスカップジャムゆえに「日本一食べにくい」と称される地元の名物ロールケーキをしっかりおねだりする桜の言葉に、二人は笑顔でラウンジを後にした。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
第二試合から準決勝の間、全国大会の三日目は休養日が当てられているそうです。
ので、ここで一度、小休止を挟もうと思いました。
コーチやトレーナーからのマッサージが施術される強豪校もあるとのことなので、ここでもそれに準じてみよう、と思ったのでした。
天堂監督の後輩などの新キャラを出そうとも思ったのですが、せっかく三芳野先生が体育大学出身という設定を活かし、彼女がスポーツマッサージを学んできている、という描写を挟もう、と思った矢先に悪魔の囁き。
──蝶名林家の財力で、マッサージ専門店のプロ軍団をチャーター機で呼びつければいいじゃん!
でも、あまりにもそれでは三芳野先生が不憫かわい……可哀想なので(笑)、お淑やか組やサクラちゃんたちのように、彼女の温かいマッサージを受けたがる生徒もちゃんといる、という形への対比へと変更しました。先生の健気なガッツポーズ、見守っていただけたでしょうか。
これにて最高の心身充電は完了。
次回、第145話ではサクラちゃんとカスミちゃんが北海道・苫小牧の『ウマgirl』聖地巡礼へと飛び出します。そこで待ち受ける、次なる強豪・梅原商業のあの二人との運命の遭遇戦もどうぞお楽しみに!
「萩子と椛の理性崩壊マッサージ、ギャップが最高すぎたw」
「三芳野先生が不憫かわいい! 応援したくなる!」
「蝶名林家の財力が相変わらずバグってて最高」
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