「わ、忘れてください! それとも今ここで記憶消去しますか!?」
──ピ、ピ、ピーーーッ!!!
試合終了のホイッスルの長い余韻が、真夏の夜空へと消えていく。
電光掲示板に刻まれた「1-0」という奇跡のスコア。
抱き合う藤乃と小梅、そしてベンチから涙目で雪崩れ込んでくるカスミたちの歓声に包まれながら、八々花のメンバーたちは、死に物狂いで駆け抜けた緑の芝生の上で、ようやく肩の息を整えていた。
カクテル光線が眩く照らす、静まり返ったピッチ。
先ほどまで「ばたんきゅー……」と絶望のダウンボイスを上げて芝生にへたれ込んでいた落果成学院の10番──名座愛歌が、ユニフォームについた芝と土をパパッと払いながら、菊鞠の元へと歩み寄ってきた。
試合中のあの獰猛な勝負師の牙はどこへやら、愛歌はいつものボブカットを揺らし、ニシシと悪戯っぽく、けれど心からの敬意を瞳に宿して笑ってみせる。
「あはは、完全にボクの負けだよ! ボクの計算をあんなに力尽くでバーストさせるなんて、君たち本当に最高のバグ(イレギュラー)だ。……特に君のあの先回り、めちゃくちゃ邪魔で、最高に格好よかったよ!」
愛歌から差し出された、小さな右手。
菊鞠は腰まで届く黒髪を揺らし、少しだけ驚いたように目を見張ったが、すぐに小さく微笑むと、その手をがっちりと握り返した。
「ありがとうございます。私たちも本当にギリギリの勝負でした。皆様の『ファイヤー』?という請い声も、とても斬新でしたよ」
お互いの健闘を称え合う、爽やかな握手。
全国シードの壁を破ったという確かな熱量が、互いの掌を通じて伝わってくる。
──だが。
手を離した瞬間、愛歌は何かを思い出したように、ぽんと自らの手を叩いて瞳を輝かせ大声を出した。
「そういえばボク、キミのTickTack動画を見たんだ~。凄かったよね、ローファーのバックヒールでボールがふわぁって浮き上がってさ。ボクの中ではもう──『ばよえ~ん!』って感じだったんだ!」
愛歌は本当に嬉しそうに両手を広げてみせる。
『ばよえ~ん』──それは彼女の愛するパズルゲームにおける、敵すら感動で立ち尽くさせる伝説の最大連鎖魔法。
画面越しに菊鞠の超絶技巧を浴びたあの瞬間、愛歌のシステムは完全にフリーズしていた。身動きが取れなくなるほどの純粋な衝撃と感動を、彼女は自らの最大級の賛辞に変えて伝えたのだ。
──だが。
その言葉を真っ正面から食らった瞬間。
格式高い神社の巫女であり、普段は世界の雑音を寄せ付けない凛とした佇まいの神酒盃菊鞠が、一瞬にして爆発寸前の火山の如く真っ赤に染まった。
愛歌が口にした『TickTack』。
それは、マネージャーのまつりが勝手に動画を投稿して大バズりさせ、学校特定にまで至った、八々花におけるすべての元凶。
ローファー姿で鮮やかに《後ろ鞠》を決めたその刹那、勢い余ってスカートが思いきりめくれてしまい、その大失態ごと全世界へと無慈悲に拡散されてしまったのだ。それこそが、菊鞠にとってこの世で最も封印したい『黒歴史』そのものであった。
「わ、忘れてください! それとも今ここで記憶消去しますか!?」
普段の優雅な物腰はどこへやら、菊鞠はガチの焦燥の声を上げながら愛歌の肩をガシガシと激しく揺らした。その記憶を物理的に『全消し(バースト)』せんばかりの詰め寄り方である。
「ぶ、ブレインダムドっ!?」
あまりの恥ずかしさと勢いに任せた菊鞠の物理アタックを喰らい、愛歌の口から思わず、相手の知性を奪い去るデバフ魔法の名前が飛び出す。
「ごめん、ごめんてばー! ボクの脳みそが本当に溶けちゃうよ! ……でもね、本当にファンなんだ。次は絶対に負けないからね!」
そんな二人の掛け合いを他所に、右手に痛々しい白い包帯を巻いた四角てとらが歩み寄ってきた。
てとらは氷の無表情のまま、自らのシュートで負傷退場に追い込んだ因縁の相手──萩子をジロリと見据え、地を這うような低い声で告げた。
「«Удачи в турнире.»(ウダーチ・フ・トゥルニーレ)」
だが、その張り詰めた空気を、ノートPCを抱えて歩み寄ってきたカスミの気の抜けた声が一瞬にして緩ませた。
「『健闘を祈る』って意味なんよ」
「……え、アッハイ」
口元にチャッパチュプスを転がしながら、サラリとロシア語を翻訳してみせた天才スコアラー。その圧倒的な知識量を前に、萩子が思わず呆気にとられたように目を丸くする。
「か、カスミちゃんは本当になんでも知ってるね!」
長い前髪の奥の瞳をキラキラと輝かせながら、隣にいた桜が、尊さを噛み締めるようにして興奮気味に声を上げた。
しかし、カスミは萌え袖のカーディガンを少しだけ揺らすと、何てことのないように、どこか得意げに不敵に微笑んでみせた。
「何でもは知らないんよ。知ってることだけなんよ」
「──あ、あはは(きっと、ロシア少女がデレるラブコメだろうなぁ)!!」
そんな八々花のドタバタを他所に、てとらはふっと微かに、その冷徹な唇の端を和らげる。
極北の言葉に込められた、偽りのない最大級の敬意。
落果成学院のメンバーたちは、青いユニフォームの列を整えて、爽やかにカクテル光線のピッチを退いていった。
──ノーサイド。
戦いが終われば、そこにあるのはただ、お互いにサッカーを愛する者同士の清々しい余韻だけだった。
八々花のイレブンもまた、落果成のメンバーと互いにハイタッチやグータッチを交わし、死闘を演じ切った健闘を称え合う。
心地よい疲労感と、全国シードの壁を破ったという確かな熱量をその胸に宿しながら、少女たちはちぎれた芝を踏み締め、熱気の渦巻く更衣室へと戻っていく。
重い扉を開け、泥と汗にまみれた身体でロッカールームへと足を踏み入れた八々花のメンバーたち。
そこで待っていたのは、パイプ椅子に深く腰掛け、足を組んでノートPCを開いていた知将──天堂監督だった。
監督はパチンと静かに画面を閉じると、入ってきた教え子たちの姿を見渡し、その切れ長の瞳に確かな満足の光を宿して口を開いた。
「一回戦に続き、よくやったわ。しかも相手は冬のベスト4。大金星といっても過言ではないスコアね」
その切れ長の瞳には、普段の冷徹な厳しさの奥に、シード校を見事にハメ殺し返した教え子たちへの確かな満足が宿っている。
「──っしゃあ!! あの鬼監督に文句言わせんかったの、マジで最高に気持ちええわ!!」
ユニフォームを泥だらけにした藤乃が、弾けるような笑顔で小梅と再びがっつりとグータッチを交わす。
ロッカールームは、まるで優勝したかのようなお祭り騒ぎの熱気に包まれた。
一回戦の勝利がフロックではないことを、全国の舞台で完全に証明してみせたのだ。全員のエゴが噛み合って掴み取った、歴史的な一勝だった。
だが──。
天堂監督は組み替えた足をすんなりと下ろすと、ただ静かにホワイトボードの前へと立ち、黒いマーカーをその細い指先で弄んだ。
「でも、喜ぶのは今夜までにしておきなさい。……うちはまだ、2回戦を突破しただけの『名もなき挑戦者』に過ぎないんだから」
コツン、とマーカーの先が、ホワイトボードのトーナメント表を鋭く叩く。
その冷徹な音一つで、ロッカールームを満たしていた歓喜の熱気が、一瞬にしてピリッとした冷たい緊張感へと塗り替えられていった。
「落果成のような、美しく整えられた戦術の連鎖なんて生温いものは、一切通用しないと思いなさい。次の相手は──ここよ」
天堂監督のマーカーが、準決勝の対戦相手の枠を乱暴に、かつ禍々しく塗りつぶしていく。
そこに浮き上がってきたのは、絶対王者が待つ決勝の舞台へと立ちはだかる、恐るべき強豪校の名前だった。
──『梅原商業高校』。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
久しぶりに、菊鞠のTickTackの動画の話題(黒歴史)を引っ張り出してきて、悶えさせてみました。お年頃の巫女さんにあれはさすがに死活問題(世界配信)だったようで、愛歌の肩をガシガシ揺らす姿は書いていて最高に楽しかったです。
そしてラスト、次なる準決勝の相手は──『梅原商業高校』!
麻雀、競馬、パズルときて、いよいよネタ切れ感が凄い対戦チームです。
いやマジで。次は格ゲーのフレーム理論と背水の逆転劇が八々花に襲いかかります。
おまけに、ついついミームを引き合いに出したくなり、そのメタノイズとのバランスに苦戦します。(これでも自重しているつもり、らしい)
桜の脳内ラブコメ妄想やカスミの『知ってることだけ』など、私のブレーキがどこまで仕事をしているか、温かい目で見守っていただけると幸いです(笑)。
「菊鞠の黒歴史の解像度が上がって最高に不憫可愛いw」
「ウメハラ商業とか次の試合絶対に熱いやつじゃん!!」
「自重ミームの応酬テンポよすぎて草」
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