「かわいそうに、まだ中二病こじらせてる痛いコなんよ」
「──では、失礼いたします」
最後にもう一度、完璧な小笠原流礼法を燕へと捧げ、三芳野と牡丹、そして八々花イレブンは八橋家の重厚な黒塗りの門をくぐった。
風に揺れる葉擦れの音すら憚られるような『完全な静寂』が支配する屋敷から離れ、見慣れたアスファルトの道路へと戻ってきた、まさにその瞬間だった。
「も、もう無理ぃぃぃぃぃぃっっっ!!! 寿命が、私の教師寿命が30年くらい縮んだよぉぉぉぉぉっ!!!」
ガクガクと膝を震わせ、道路の端でへなへなと崩れ落ちる三芳野。
さっきまで高級化粧品大手の格や公的システムを盾に家元を論破していた、あの『冷徹なエリート教育者』の面影はどこへやら。
涙目で頭を抱える姿は、いつもの、なし崩し的に顧問にされたポンコツな三芳野咲桜里そのものだった。
「先生、カッケーなんよ! まさに“待った”なしの大逆転カウンターだったんよ!」
「ううぅ……種村さん、お願いだからもうあんな一津川警部なみの分刻みの移動計画を私の懐に忍ばせないでぇ……! あと蝶名林さん! 『これをそのまま読めば相手は確実に詰みますわ』とか言って、あんな恐ろしい大人の脅迫台本を私に演じさせないでぇ! 私、あんな冷徹なこと言える器じゃないのにぃ……っ! 噛まないようにするだけで、心臓バックバクだったんだからぁ!!」
大粒の涙をボロボロと流しながら、自分の胸元を両手で押さえて必死に呼吸を整える顧問。
スーツの袖で涙を拭うその姿を、菊鞠たちが「先生すごーい!」「まるで名監督だよ!」とわらわらと囲み、早くも胴上げのフォーメーションを組み始める。
「――ふふ。完璧な音量とピッチでしたわよ、先生」
涙目の顧問を前に、牡丹は悪びれる様子もなく、縦ロールを優雅に揺らして楽しげに微笑んだ。
その横で、あやめが潤んだ瞳で三芳野をじっと見つめていた。
「三芳野先生……本当に、ありがとうございました。私、京都でも、最高の演奏をして見せます。だから──」
「──うん! あやめちゃんが京都で最高のパス(旋律)を響かせるなら、私たちはそのパスを北海道のピッチで、絶対に地上に落とさずに次の軒へ繋がなきゃなんだよ!」
あやめの言葉を継ぐように、菊鞠が拳を突き上げて、太陽のような笑顔を咲かせた。
伝統とお箏の絶対防壁は、大人たちの理屈と、少女たちの情熱によって美しく調律されたのだ。
「よしっ、それじゃあみんな……次は北海道へ、出陣だよっっ!!」
「「「しゃおらあああああああ!!! 北海道を、うちらのステップで無双してやるぜええええ!!!」」」
夕暮れの街路に、八々花イレブンの勝鬨が、高く、高く響き渡った。
あまりの熱量に拳を突き上げ、興奮を抑えきれない様子の萩子が、そのまま夕日に向かって西部のガンマンよろしく大声で叫ぶ。
「アタイたちの戦いはまだ始まったばかりだぁっ!」
「ちょ、ショコたん、それは打ち切りの常套句なんよぉ。めでたしめでたしで第三部完になっちゃうなんよ。まだちょっとだけ……じゃなかった、うちらの全国無双はまだまだ続くんよ!」
すかさずカスミが「待った」をかけるように人差し指をチッチッと振り、どこかで聞いたことのある偉大な漫画家の台詞を引用しながらメタなツッコミを入れる。
そんな騒がしい日常を背に受けながら、八々花女子サッカー同好会はついに、決戦の地へと向けて動き出す。
目指すは、北の大地。
夕暮れの風が涼しく吹き抜ける、夏の北海道──。
◇
──数日後。
本州のじっとりとした酷暑が嘘のように、夏の北海道苫小牧市は涼しく、海側から吹き抜ける夕暮れの風が肌を心地よく撫でていく。
全国から選び抜かれた猛者たちが一堂に会する、インターハイ女子サッカー競技・開会式。
カクテル光線に照らされたスタジアムの芝生の上に、各都道府県の代表校が色とりどりのユニフォーム姿で整列する光景は、圧倒的なスケール感で菊鞠たちの目を奪った。
まだ11人全員が揃っていない八々花の陣形。鳴り響くブラスバンドの音と、周囲の強豪校が放つ独特のプレッシャーに、喧嘩っ早い萩子すら心なしか肩に力が入っている。
そんな厳粛な式典が閉幕し、各校が宿舎へと引き上げるスタジアムの退場通路。
八々花のピリついた空気を、通路の影から現れた、凛とした気高い『声』が優雅に割った。
「あら。キリコじゃない。見たわよ、貴女たちの地域予選。ついついチェシャ猫みたいに大笑いしちゃったわよ」
その声が響いた瞬間、鳳桐子の身体がびくりと硬直した。
ゆっくりと振り返った視線の先に立っていたのは、純白に金の刺繍があしらわれた、気高い王者のジャージ。
全国の頂点に君臨する名門・神園学園の絶対的エース──剣崎英子だった。
「……英子……っ」
桐子の喉から、絞り出すようにその名が漏れた、まさにその時。
「その名前で呼ばないでよ! 私のことは『アリス』って呼びなさい!」
それまでの優雅な淑女の仮面をかなぐり捨て、剣崎英子──いや、アリスは顔を真っ赤にして凄まじい勢いで捲し立てた。
古風な本名へのコンプレックスゆえか、あるいは大好きな絵本の世界への憧れゆえか。コードネーム(アリス)という響きに対する、異常なまでの執着。
そんな王者のピリついた威圧感を前に、背後からひょっこりと顔を出したカスミが、チャッパチュプスを口に咥えながら哀れみの視線を英子へと滑らせる。
「かわいそうに、まだ中二病こじらせてる痛いコなんよ」
「なっ!? 誰が中二病よ!? 私は神園の『主役』として世界を美しく規律して──」
「見苦しいですわよ、アリスちゃん。本名で呼ばれたくらいで目くじら立てるなんて」
奥の暗がりから凛と響いた冷徹な声に、英子が「っ……!」と言葉を詰まらせた。
神園学園が誇る新・絶対守護神──原アテナが、完璧に整った長い髪を揺らし、ため息交じりに歩み出てくる。
その気高き盾を前に、アリスはプライドを完全に粉砕された子供のように、顔をクシャッと歪めて叫んだ。
「……とにかく! そんな緊張でガチガチの陣形じゃ、明日の初戦の相手に“ワンターンキル”されて、私たちの元に辿り着く前に文字通り『死ぬ』ことになるわよ。精々頑張って決勝戦まで上がってきなさい! 私たちがギャフンと言わせてあげるんだから!」
「……今日び、ギャフンなんて言わないんよ……」
アリスの昭和な捨て台詞に、カスミが終始無表情のまま、冷ややかな視線を突き刺す。
「な、なによぉー! 言うわよギャフンくらいーーーっ!!」
アテナに容赦なく引きずられ、闇の中へと消えていくアリスの絶叫が虚しく響いた。
「……ワンターンキル、なんよ?」
嵐のように去っていった神園の背中を見送りながら、カスミがノートPCを小脇に抱え、不審そうに眉をひそめた。
緑の芝生の上において、およそ使われるはずのない不穏なカードゲームの用語。アリスが残していったその言葉の『本当の不気味さ』を、この時の八々花イレブンは、まだ誰も正確には理解していなかった。
ただ、菊鞠だけは何か面白い玩具を見つけたかのように、その端正な唇の端を吊り上げ、不敵な笑みを深くする。
決勝の舞台で待つ絶対王者との、嵐の前の邂逅。
八々花イレブンの、命懸けの全国大会が、今ここに幕を開ける──。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
ついにインターハイの全国大会にやってまいりました!!
そして、開会式では神園学園のエース、神崎英子が絡んできます。
新旧の、神園学園のエース同士がバチバチやり合うか……と思ったのですが、なんかカスミに煽りたおされて終わりました。なんだったんだ(お前が始めた物語だろ)
ちなみに神崎英子、「英子」って名前がいまいち古臭く感じてて、コンプレックスなんです。そのため、コードネームでもある「アリス」って名前で周りには呼ばせてます。
コイツ、絶対に普段着もフリフリしたヤツ着てるぜ。
さて、次回は全国大会の初戦です。
八橋あやめは間に合うのだろうか?
そして、相手チームのモチーフは!?
もういい加減、手札が無くなってきちゃったよぅ。
それと、誠に勝手ながら、作者が出張に出てしまうため、【10月4日】および【10月5日】の更新はお休みとさせていただきます。
楽しみに待ってくださっている読者の皆様には大変申し訳ありませんが、出張から戻り次第、最高に熱い『ずっと俺のターン!』編の続きをドロー(執筆)いたしますので、今しばらくお待ちいただけますと幸いです!
次回の第131話も、どうぞお楽しみに!
「アリス、前にもトゥイードゥルダムとトゥイードゥルディーやらウミガメのスープやらをネタにしてたけど、そういうことか」
「カスミ、中二病とかお前が言うなw」
「アテナもたいていDQnもとい、キラキラネームだよなぁ」
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