「──よしお前ら、作戦タイムは終わりなんよ。“待った”なしのキックオフだぜ? カチコミの時間だゴルァ!」
「――そうと決まれば、カチコミだよっ! 正面突破だよっ!」
椅子を蹴立て、菊鞠が獰猛な闘志をたぎらせて部室のドアへと猛突進する。
チームの心臓を取り戻すため、イレブンのボルテージはすでに限界突破。いつでも臨戦態勢の戦闘陣形だった。
「おっしゃあ! アタイも拳で語り合ってやるぜぇ!」
「猪目さん、貴女が拳を振るえばそれは対談ではなくただの強盗致傷。全国大会ではなく、凶悪事件として全国紙の一面を飾ること間違いなしですわよ」
「えっ、アタイ、一躍有名人!?」
「前科者――この意味では貴女の脳細胞には通じないかも知れませんわね。……お巡りさんに捕まる側としてですわよ!」
そう言って、一切の表情を崩さない牡丹の冷徹な頸絞が萩子の首元を完全ロックする。
野生の脳細胞(萩子)は声も出せないまま、ギブアップの合図として「タタタンッ!」と牡丹の腕を必死にタップしていた。
そんな地獄のプロレスごっこが繰り広げられる横で。
「いくよ、あやめちゃん!」
菊鞠が引き戸を ガラッ!! とブチ開ける。
その瞬間、部室に入ろうとしていた顧問の三芳野咲桜里と完全に鉢合わせた。
ドアの向こうから放たれた、猛獣たちの凶悪なプレッシャー。
「ひゃうっ!?!?」
三芳野先生は奇声を発し、その場で重力を無視したかのような跳躍をした。
抱えていた保健体育の小テスト用紙が、廊下へ無慈悲な放物線を描いて飛び散っていく。
「み、三芳野先生……?」
「あ、ちょうどいいところに便利な大人がドロップしてたんよ! ──よしお前ら、作戦タイムは終わりなんよ。“待った”なしのキックオフだぜ? カチコミの時間だゴルァ! 相手の“不運”と“踊”っちまう前に、八橋の家に特攻みかますんよ!」
「ちょっと種村さん!? コンビニにポテチ買いに行くみたいな軽い感覚で、何十年前の世紀末ヤンキー漫画の幻影を背負ってどこへ特攻もうとしてるの!? 先生を“お前”呼ばわりした上に、何その今から犯罪を犯しにいきますみたいな物騒な戦術は!?」
自身のクラスの生徒(担任)でもあるカスミのヤンキーミーム大爆発に、三芳野はへなへなと廊下に座り込みながら涙目で絶叫する。
余計にややこしくなったカオスな戦場。
そこへ、散らばった小テスト用紙を上品な動作で拾い集めながら、社長令嬢の蝶名林牡丹が、どこまでも冷徹で大人びた視線を三芳野へと滑らせた。
「先生、取り乱さないでくださいな。種村さんの脳内は年中無休で世紀末ですが、私たちがこれから行うのは、極めて教育的で合法的な折衝ごとですわ」
「え、折衝ごと……?」
「ええ。八橋さんのお母様が、大人の事情で彼女を京都へ『留め置こう』としておりますの。高校生である私たちだけの言葉では、大人の『正論の防壁』に弾かれてしまいます。ですから──八々花の公式な顧問であり、学校(教育機関)の代表である三芳野先生。貴女の持つ『大人の理屈』を、私達の戦術のピースとしてお借りしたいのです」
牡丹は立ち上がり、すっと三芳野の手を取って優雅に引き上げた。その佇まいは、頼りない新任教師をリードする、美しきゲームメイカーそのものだった。
「ええええええっ!? 私、何も聞いてないんだけどーーーっ!? 待って、話を勝手に進めないでぇぇぇぇ!! 私、去年なし崩し的に顧問にされただけで、そんな高尚な交渉スキルなんて実装されてないからね!?」
両手をぶんぶんと振って、全力で拒絶のディフェンスラインを敷こうとする三芳野。
だが、そのポンコツな抵抗の隙を、菊鞠の純度100%の獰猛な瞳が容赦なくぶち抜いた。
「先生! あやめちゃんを北海道へ連れて行くには、先生の力が必要なんだよ! ──よしみんな、まずは八橋の家に突撃だよっ!」
「ちょっと菊鞠さん!? 私の話を聞いて──っ」
「しゃおらあああ! 待ってろよあやめー!」
「あ、ちょっと待つんよ! “不運”と“ダンス”る前にウチも行くなんよ!」
三芳野の制止の声を完全に置き去りにして、ひまりと萩子、そしてカスミを筆頭とするイレブンの大半が、怒涛の勢いで廊下を駆け抜けていく。
嵐のように去っていく教え子たちの背中を見送りながら、三芳野は廊下にへなへなと崩れ落ちる。
「もう……本当にこの部活のコたちは人使いが荒いんだからぁ……うう、私どうしたらいいの……っ」
頭を抱えて涙目になる若い顧問。
そこへ、残された社長令嬢・蝶名林牡丹が、呆れたような、しかしどこか楽しげな溜め息を一つついて、すっと三芳野の手を取って優雅に引き上げた。
「やれやれ、相変わらず猪突猛進な方々ですわね。ですが先生、取り乱している時間はありませんわ」
「ふぇ? 蝶名林さん……?」
「あの方々の熱意だけでは、八橋様という『大人の絶対防壁』には弾かれてしまいます。……いいえ、だからこそ意味がありますの。あの方々が玄関先で防壁を引きつけている間に、私たちが『大人の盤面』をひっくり返す最高の一手を準備いたしますわ。──さあ先生、スーツの襟を正して。八々花の公式な顧問として、私にエスコートされなさいな」
牡丹のどこまでも冷静で大人びた視線、そして差し伸べられた手に、三芳野はごくりと唾を呑む。
頼りない新任教師の背中に、なし崩し的とはいえ、この1年を彼女たちと共に駆け抜けてきた『八々花の顧問としてのプライド』が灯る。牡丹の手によって静かに、けれど確かに火を灯された瞬間だった。
◇
──そして。部室を飛び出してから数十分後。
菊鞠たちが辿り着いたのは、地元の喧騒から少し離れた場所に位置する、八橋家の屋敷だった。
黒塗りの立派な門。
その奥からのぞく平屋の邸宅は、歴史を感じさせる瓦屋根を戴き、周囲には恐ろしいほどに手入れの行き届いた日本庭園が広がっている。
青々と茂る松の木、角が丸く調えられた石灯籠。風に揺れる葉擦れの音すら憚られるような、張り詰めた『完全な静寂』が支配するその空間は、どこまでも厳かだった。
音を極限まで削ぎ落とした、研ぎ澄まされた無音の領域。
それは、高校生たちがサッカーボールを蹴って騒ぐ日常とは、完全に切り離された『別世界』の風格を漂わせていた。
「……すっごい、お上品な空気なんよ。ウチのヤンキーミームが浄化されて消滅しそうなんよ……」
「アタイらのアウェイ感が半端じゃねえな……」
カスミが口に咥えたチャッパチュプスをかすかに震わせ、萩子が珍しく気圧されたようにごくりと喉を鳴らす。
けれど、菊鞠だけは決意に満ちた目で重厚なインターホンを押し、現れたあやめの母──八橋 燕の前に、真正面から踏み込んだ。
「お母さん! お願いです、あやめちゃんを北海道へ行かせてください! うちらには、あやめちゃんの完璧なパスが必要なんです!」
菊鞠の純度100%の熱意。
背後からイレブンたちが見守る中、しかし、玄関の三和土に凛と立つ燕の表情は、ピキリとも動かなかった。
お箏の絶対防壁──その視線は冷徹な氷のようで、菊鞠たちの熱いパッションを一瞬で凍りつかせるだけの重圧を孕んでいる。
「お引き取りください、菊鞠さん」
燕の声は静かだが、反論を許さない絶対の正論だった。
「あやめには生涯を懸けて箏曲とサッカーの両立を証明しなさいとは言いました。ですが、たかが部活動の試合のために、大人の社会的信用や責任を蔑ろにすることは、本当の意味での『両立』とは言えませんわ。……これ以上、我が家の玄関先で騒がれるようでしたら、警察を呼ばざるを得ません」
「うぐっ……!」
警察、という大人の社会の言葉。そして、家の中に一歩も入れさせないという無慈悲な門前払い。
菊鞠が悔しげに拳を握りしめ、敗色濃厚の重苦しい静寂が、美しく調えられた庭園を白く染めていく。
八々花イレブンの熱意は、大人の絶対防壁の前に、完全にシャットアウトされた。
このピッチ外の絶体絶命を、彼女たちは打破することができるのか──。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
さて、今回のお話で初めてあやめの実家の様子が描かれました。
当初のプロットでは、庭に「ししおどし」や「水琴窟」などを配置することも考えたのですが、ふと「音に対して極限まで繊細な箏曲の家において、定期的に音の鳴るオブジェクトがあるのは不自然では?」と思い至り、あえて徹底した「完全な静寂」の描写へと変更しました。
また、あやめの母・燕が放つセリフの中で「箏曲」という言葉が登場します。
これまでの地の文では、読者の方々の読みやすさを考慮して「お筝」という表記を使ってきましたが、ここには作者としてのささやかな拘りを込めています。
一般的に馴染みのある「お琴」ではなく、あえて「お筝」という漢字を選んだこと。
そして、燕のセリフでは新字体の「筝曲」ではなく、旧字体の「箏曲」としている点です。
実は、新字体の「筝」には「争う」という文字が含まれてしまうため、現実のお筝の先生方はこの文字を嫌い、あえて旧字体の「箏」を大切に使われるという事情があります。
芸の道を極める燕だからこその拘りや、八橋家が纏う伝統の重みを、こうした一文字のディテールからも感じ取っていただければ幸いです。
大人の絶対防壁を前に、門前払いを食らってしまったひまりたち。
この絶体絶命のピンチに、あの「インテリお嬢様」と「ポンコツ顧問」がどう絡んでいくのか──!?
次回の第128話も、どうぞお楽しみに!
「萩子、お嬢様にチョークスリーパー掛けられてるw」
「カスミ、今度は特攻の拓ネタかよw」
「待ってたぜこの瞬間をよォ!」
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