「何でもは知らないんよ。知ってることだけなんよ」
「私、もうみんなの元へは――」
涙を浮かべるあやめの悲痛な言葉が、静まり返った部室の空気に、残酷な強制引退のタイムリミットとして突き刺さっていた。
あまりにもエグすぎる大人の絶対防壁(京都幽閉の罠)を前に誰もが言葉を失い、部室の温度が氷点下まで凍りついた、まさにその直後だった。
「なんだよあやめ、いいじゃんか! 第一試合くらいアタイらがボコボコに勝って、二回戦まで繋いでやるよ! アタイの左サイドのオーバーラップを舐めるんじゃねえぜ!」
「しゃおらあ!」と無駄にキレのある格好いいポーズで拳を突き上げ、絶対零度の静寂を強引にブチ破ったのは、追試をクリアして脳内が無敵モード(全知全能)のまま時空が止まっていた猪目萩子だった。
「「「「……は?」」」」
部室全員から浴びせられる、文字通り冷ややかで生暖かい、一斉の一斉射撃。
「あの、萩子先輩……。あやめちゃん、初戦だけじゃなくて『一週間ずっと京都に連れ回されて戻れない』って言ったんです。つまり、もう一緒に全国で戦えないかもしれないって……」
「……え? 一週間? ──ってことは、アタイがせっかく31点で守り抜いた人権(全国)のピッチに、あやめが一度も立てないってことかよぅ!?」
「その通りです。テスト用紙の上では奇跡的に部分点を捥ぎ取ったようですが、現実の会話における文脈(地の文)のスクレイピングは、1ミリも成功していませんね、猪目さん」
薄満月が腕時計を冷徹にタップしながら、憐れみすら超えた絶対零度の眼光で、萩子の暴論を完全シャットアウト(完封)した。
「そんなバカなーーーっ!! 誰だアタイの脳細胞にバグを仕込んだやつはーーーっ!!」
(……ゴル○ムの仕業なんよ……とは、さすがに言えない空気なんよねぇ……)
マネージャーの種村カスミが脳内でそんなオタク的ツッコミを全力で抑え込む横で、頭を抱えて部室の床をのたうち回り、大暴走特急をカマし始める萩子。
だが、その最高に賑やかで愉快なドタバタのすぐ隣で。
時鳥藤乃だけが、自身のレッドカード――チームを初戦から『10人対11人』の極限戦に追い込んだという重すぎる負い目に、静かに、申し訳なさそうに視線を落とし、ただじっと拳を握りしめていた。
ボランチの要も消え、ディフェンスの要(藤乃)も不在。
八々花を襲う絶望の絶対防壁を前に、部室が完全なお通夜状態の静寂に沈んだ、まさにその時だった。
「あ、あの。皆が熱くなってて言いにくかったんだけど」
マネージャーの種村カスミが、おずおずと手を挙げる。
「今のインターハイの全国大会って、熱中症対策で全試合『ナイター』なんよ……」
「「「……へっ?」」」
あまりにも間抜けなハモりが部室に響く。カスミが差し出した公式のスケジュール表(戦術書)。
そこには、キックオフ時間『18時30分』の文字がしっかりと刻まれていた。
全員、あやめの「お昼まで京都に監禁」という先入観に思考をハッキングされ、「絶対に間に合わない」と無意識に諦めのマークを外してしまっていたのだ。
夜のキックオフという盲点に気づくまでは。
だが、その静寂のピッチへ、いち早く反撃の楔を打ち込む者がいた。
「18時30分……! だったらあやめちゃん、諦めるのはまだ早いよっ!」
ドンッ! と、菊鞠が部室の長机を叩いて立ち上がった。
その瞳には、右脚一本の偏執そのままの、ただひたすらに幼馴染を手放したくないという純粋な熱い光が灯っていた。
「京都の挨拶回りがお昼の13時に終わるんだよね!? だったら夜の試合まで、まだ5時間以上もあるよっ! 何か間に合わせる方法が、絶対にあるはずだよ!」
「ちょっと、菊鞠さん落ち着きなさい。お気持ちは分かりますけれど、京都から北海道の苫小牧ですのよ? 物理的な距離を考えても、本当に間に合うのですか?」
ひまりの熱意をなだめるように、蝶名林牡丹が眉をひそめ、お上品なトーンのまま冷徹な正論のディフェンスラインを敷いた。
だが、その正論という名のバックパスを、すぐ横で不敵に目を輝かせたオープンオタクが完璧にレシーブ(インターセプト)する。
「ふふん、物理的には可能なんよ!」
オールラウンドオープンオタクの種村カスミが、スマートフォンを爆速で検索しながら、部室のホワイトボードへとチョークで分刻みの弾丸ルートを書き殴り、オタク特有の早口パス(弾幕)を配給し始める。
「京都を13時ちょうどにタクシーで出て伊丹空港へ爆速移動! 14時15分発の新千歳行きフライトに乗せれば、北海道への着陸は16時5分! そこからあらかじめ手配したレンタカーで苫小牧のスタジアムまで道央自動車道経由でブッ飛ばせば……現地の時計で『16時50分』に滑り込めるんよ!」
「わ、本当だ……! 18時30分のキックオフどころか、試合前のウォーミングアップ(マーク)にすら、物理的に完全合法で間に合う……!」
その完璧な時刻表トリックの数字に、弾かれたように目を輝かせる幕ノ内桜。
そんなイレブンの驚愕を一身に浴びながら、カスミは眼鏡(伊達)のブリッジをクイッと指で押し上げ、不敵なドヤ顔を決めてみせた。
「こんなこともあろうかと、一津川警部シリーズも読んでいて正解だったんよ」
「カスミちゃん、何でも知ってるんだね」
「何でもは知らないんよ。知ってることだけなんよ」
「……何そのどこかで聞いたことのあるキメ台詞。というか一津川警部って誰ですか」
呆れたようにツッコミを入れる桜。――だが、その実、隠れオタクとしてオープンオタクであるカスミの『密やかな同胞』である桜の脳内には、今カスミがハッキング(引用)した2つ、いや3つの元ネタのタイトルが1秒で完璧に思い浮かんでいた。
一般人のフリをして冷静なマーク(ツッコミ)を入れながらも、心の中では「使いどころが完璧ですわカスミちゃん……!」と、そのオタクとしての格の高さに密かに快感を覚えていたのは、部室の誰にも明かせない絶対の秘密である。
だが、その完璧なタイムラインを突きつけられながらも、あやめだけはまだ、自分の和装の防衛線を捨てきれずにいた。
「で、でもみんな! 会場を13時に出たら、着物を脱いでユニフォームに着替える時間なんて1ミリもないよぅ……!」
大慌てで両手を振るあやめ。その躊躇を、正面から響いたどこまでも真っ直ぐで力強い声が、豪快にブチ破った。
「着物姿のまま、新幹線も飛行機も飛び乗れば、別にいいじゃん!!」
ガタッと椅子を鳴らして叫んだのは、他ならぬ菊鞠だった。
「ひ、菊鞠ちゃん……?」
「髪型もお上品にアップにしたまま、苫小牧のピッチへ着物のまま爆速スライディングしちゃえばいいんだよあやめちゃん! 後半からでもあやめちゃんが滑り込めば、私たちの戦術は完成する! 全員揃って、全国の並み居る強敵たちを完封しにいくんだから!」
「「「ええええええええええッ!!?」」」
部室中がひっくり返るような驚愕と、大爆笑の嵐に包まれる。
データは揃った。
全員の魂も、今度こそ1つに繋がった。
「――そうと決まれば、カチコミだよっ! 徹底抗戦だよっ!」
ガタッと長机を鳴らして拳を握るひまりに、隣でポカンとしていた萩子が眉をひそめて首を傾げた。
「へ? もうこれで万事解決なんじゃないの? 飛行機乗れば間に合うんだろぅ?」
「もう、忘れちゃったの? 発表会と挨拶回りが終わった後も、一週間は京都に拘束されるってあやめちゃんが言ってたじゃない! ――だったら、挨拶回りが終わった瞬間に前線離脱(京都脱出)できるよう、お母さんに直談判しなきゃなんだよ!」
菊鞠のその凛とした、けれど誰よりも獰猛な幼馴染への執念が、部室の空気を今度こそ完全に1つへと繋ぎきった。
お箏の絶対防壁(お母様)から、八々花の最高のボランチを完全合法的に奪還するための、運命の京都直談判への出撃――。
すべてをひっくり返す逆襲のカウンターへ向け、少女たちの視線が、いま真っ直ぐに交錯した。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
えとですね。
ごめんなさい。
全国大会、ナイターなんですってね。
プログラムや、近年のデータを確認したら、熱中症対策として、寒冷地である北海道(旭川市や室蘭市)に固定化されていたり、来年以降は宮崎県でのナイター開催だったりするそうで。
あれ? 昼間にやる、と思い込んでいたから第一試合は出られないと思っていたけれど、間に合うんじゃない? となりまして。
あ、ちなみに苫小牧市で、というのは完全に僕の趣味です。
ホッコータルマエが好きなので、作者特権で捩じ込みましたよ!
今さら、過去に投稿した内容を「やっぱなしで!(てへぺろ)」とはできなかったので、無理やり辻褄合わせました!
困った時のカスミ頼み。
萩子とカスミは、物語を牽引するのにとてもありがたい存在です。
萩子、もうちょっと優しくしてやらないとな。
次回もお楽しみに!
「一津川警部www 十津川警部じゃないんかい!」
「一津川警部だったり真田さんだったり羽川翼だったり、忙しいな、カスミ」
「そして桜ちゃん、サクラちゃんじゃなくて知世ちゃん化しとるw」
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