「あのリズムは、裏拍を狙うの。『タン、タン、タン』じゃなく──『ンタ、ンタ、ンタ』、なんだと思う」
「――なるほど。良い顔になったわね。少なくとも、何かは見つけたのかしら」
天堂特別監督の冷徹ながらも、すべてを見透かすような言葉から、運命のインターハイ地区予選決勝の朝は始まった。
決戦の舞台となるスタジアムは、決勝独特の重苦しい熱気に包まれている。
ピッチの向こう側では、漆黒のユニフォームを纏った一文字学園のイレブンが、王者の覇気を放ちながら静かにこちらを睨みつけていた。
だが、今の八々花の二年生たちの瞳に、昨日の作戦会議に漂っていた迷いや焦燥は一切ない。
特に、センターバックの幕ノ内桜の顔には昨日までの迷いはなく、確信めいた対策を胸に、静かに闘気を放っていた。
「私から授ける組織戦術は、昨日提示したシートがすべてよ。あとは、貴女たちが自分で培ってきた個のロジックを、ピッチの上で私に証明してみせなさい」
天堂監督はそれだけを伝えると、冷然とベンチへと腰を下ろす。
短い挨拶。
けれどそれは、退路を断って選手たちと同じ泥をかぶる覚悟を決めた指揮官からの、最大級の信頼の裏返しだった。
「──行こうじゃないか、ボクたちの歴史を塗り替えに」
キャプテンの鹿戸椛の男前な鼓舞に、イレブンはその瞳に強い意志を込めて頷いた。
「八々花ーーーーッ!」
「「「「──ファイッ!!」」」」
咆哮を残し、めいめいのポジションへと散っていく。
一年前の春。
冬の選手権予選の【1-3】。
これまで辛酸を舐めさせられ続けてきた漆黒の要塞を打ち砕くための、運命の前半戦が、今ここにキックオフの笛と共に幕を開けた──。
キックオフ直後、スタジアムの度肝を抜いたのは、八々花がこの一年間で磨き上げてきた組織戦術のひとつ──【猪鹿蝶】。
蝶名林牡丹が中盤の底から優雅にパスを送り、
ボールを受けたキャプテンの鹿戸椛が、華麗な跳躍力で一文字学園のディフェンス陣の視線を中央へと釘付けにする。
その隙に、逆サイドを猪目萩子が、その名が表す通りの「猪突猛進」のフリーランでバイタルエリアへと爆走して先行。
これまで牙を研いできた特攻隊長へ、椛から完璧なキラーパスが放たれた。
「ブチ抜くぞ、データ女アアアァァァッッッ!!!」
パスを呼び込み、直線だけで防衛網をなぎ倒しにかかる萩子の突撃。
──だが、一文字学園の右翼を統治する中丸紅緒のデータハッキングは、その必勝パターンすら完全に想定内だった。
「想定通り。貴女は絶対にその突進ルートを変更できない。……そこが貴女の限界よ」
中丸紅緒は冷徹にキラーパスの軌道と、萩子の突進ルートが交わる『レシーブポイント』を逆算。
激しく肉薄する萩子のスピードを完全に読み切り、一瞬早くその交差点へと先回りする。
ただ一歩のステップでパスを軽々とインターセプトし、スピードが乗りすぎて止まれない萩子の突撃を、まるで闘牛士のように鮮やかにいなしていった。
【猪鹿蝶】は完璧に想定され、攻撃の芽を摘まれてしまった。
「ど゛う゛し゛て゛だ゛よ゛ぉ゛ぉ゛!゛!゛」
前線で完璧に手玉に取られた萩子は、天を仰いで絶叫する。
だが、戦況はその悔恨すら置き去りにした。
中丸に刈り取られたボールは、瞬く間に一文字学園の漆黒のカウンターへと変貌。今度は八々花のディフェンス──センターバックの幕ノ内桜の守るエリアへと、牙を剥いて襲いかかる。
翠川ハツミの、あの恐怖の『セグウェイドリブル(滑走)』である──。
(さっそく来た!)
幕ノ内桜は身構え、じっとその足元を見据える。
(右、左、右、左……!)
刻まれるリズム、その刹那を見計らい──。
「──そこっ!!」
桜は前夜のロジック(右足と左足の双子ワンツーパス)を胸に、ハツミの足元へ鋭く足を差し込んだ。
──だが。
もとより検証すらしていないぶっつけ本番の大博打。
本戦で体感するハツミの滑走スピードは、深夜の脳内計算よりもわずかに速かった。
「……えっ!?」
桜の足はミリ単位でボールをかすめ、無残にも空を切る。
最初の一歩は、失敗。
上体ひとつブレさせない漆黒の滑走に、完全に裏を取られてしまったのだ。
無慈悲にディフェンスラインをブチ抜かれ、一気に一文字学園の決定機へと変わる。
このままではGKの松明千鶴と1対1になり、即座に失点する──八々花の全員が絶望に目を見開いたその瞬間、横から死に物狂いでバックランしてきた影が、泥臭く身体を投げ出した。
「まだまだ、自分が止めたるわ──!!」
魂の大阪弁の咆哮と共に、ペナルティエリアのわずか手前で決死のスライディングを敢行したのは、時鳥藤乃だった。
激しい接触音。
藤乃の執念の足がハツミの肉体を巻き込み、文字通りその身を投げ出して絶体絶命の失点を防ぐ。
──ピィィーーーーーッ!!!
次の瞬間、スタジアムに主審の鋭いホイッスルが響き渡った。
駆け寄る主審の手が、胸のポケットへと伸びる。
高く掲げられたのは、警告を示すイエローカードだった。
「ふぅ……アブな。退場じゃなくて命拾いしたわ」
ユニフォームを芝で汚した藤乃が立ち上がり、冷や汗を拭う。
一発退場の恐怖を潜り抜け、ファウルと引き換えに絶望的な失点を免れた。
八々花のピッチに、決定的な安堵の空気が流れた──。
だが、その安堵すらも、一文字学園のデータハッキングの想定内だった。
ピッチの向こう側で、中丸紅緒や一之瀬燈子が冷徹な視線を藤乃へと向ける。
──八々花DF・時鳥藤乃。警告1枚累積。
──これに伴い、今後の守備強度は計算上35%低下。
──【インプット完了】
(私の、せいだ……)
自分のぶっつけ本番の失敗が、先輩に大きなリスクを背負わせてしまった。
激しい後悔と罪悪感に押しつぶされ、桜はピッチの芝生を見つめたまま、ただ肩を震わせる。
(やっぱり、検証もしていない私の机上の空論じゃ、あのハツミさんには通用しなかったんだ……)
「桜ちゃん」
深く暗い思考の底へと落ちていく桜の肩に、温かい手がそっと置かれた。
ダブルボランチの一角、八橋あやめだ。
その瞳には、仲間を責める色など微塵もない。
「悪くなかったと思うよ。ただ、リズムがズレていただけ」
「あやめちゃん……? リズム……?」
「あのリズムは、裏拍を狙うの。『タン、タン、タン』じゃなく──『ンタ、ンタ、ンタ』、なんだと思う」
拍子を刻み、静かに語りかけるあやめ。
箏曲の家元の娘として、幼い頃から和楽の深遠な『間』と『拍子』を叩き込まれてきた彼女だからこそ、ハツミの滑走の本当のリズムを完璧に聴き取っていたのだ。
「──っ!!」
あやめの一言が、桜の脳内にたまっていた絶望の霧を、一瞬で爆破して吹き飛ばした。
桜のオタク脳が、授かった和楽の『間』を、自身の愛する領域のロジックへと瞬く間に翻訳し尽くしていく。
(……音ゲーのリズム崩しを狙う、あの変則譜面。アレを思い出せばいいんだ……!)
ハツミの高速ステップ。
叩くべきなのは、表拍の間にある極小の『裏拍ノーツ』のスキマ。
タイミングさえ完全に解読できれば、パスカット職人の自分にとって、あんな変則譜面は『ALL PERFECT(全良)』で叩き潰せるただのオブジェクトでしかない。
「……あやめちゃん、ありがとう。次は絶対に、フルコンボで止めます」
桜は涙を拭い、両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。
張り巡らされた、一文字学園の計算という名の包囲網。
十一人全員の首元に冷徹な刃が突きつけられた瞬間だった。
けれど、八々花の反撃の牙は、その絶望の檻を打ち破り、より深く、より鋭く、漆黒の要塞の喉元へと喰らいつこうとしていた──。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
インターハイ地区予選の決勝戦、一文字学園戦が始まりました。
相変わらずのデータ主義の一文字学園。
それに対し、柘植駒高校との対戦で、ほとんどのカードを見せてしまった八々花女子サッカー部は、どう立ち向かっていくのか。
また、藤乃に課せられたイエローカード。
そんななか、桜に降りてきた、セグウェイドリブル対策のための第二の天啓。
次回もお楽しみに!!
「『ど゛う゛し゛て゛だ゛よ゛ぉ゛ぉ゛!゛!゛』って、藤○竜也かw」
「桜ちゃん、音ゲ―に例えるあたり、やっぱオタクだわw」
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