乙女ゴコロと男ゴコロ。
夕刻。
そろそろ起こさないと、支度の時間が無くなると思ったライラだが、彼女が起こす前 にリーナは起きて来た。のそりと自分の部屋の居間に顔を出して
「お、おはようライラ。支度の時間だわよね?」
「リーナ様!おはようでは無いですけど、おはようございます。お体の方はもう大丈夫なんですか?」
「ええ、寝たら治ったみたい。心配かけてごめんなさいね。ライラ」
にこりと愛らしく笑って返してくれているが、その笑顔はどことなく元気がないと、ライラにはすぐに分かった。
(やはり先程の、フェラルド陛下と爆弾乳女との抱き合いシーンを、まだお気にされているんだわ……)
「リーナ様……。そういえば、リーナ様が寝ている間に陛下が二度ほど訪ねて来られましたけど……」
「えっ?フェラルド様が?そう………わかったわ」
途端に目を伏せて憂い顔になってしまったリーナに、ライラはより心配になってしまうが、残念な事に人とのコミュニケーションを怠って来たライラには、こういった場合の気の効いた台詞は上級編過ぎて出てこない。
「陛下を、お呼びしますか?」
「えっ?…いいえ、大丈夫よ。どうせ直ぐまた後でお会いするもの。それよりも、舞踏会の支度をしましょう。」
「はい、畏まりました。」
(……わたし、間違えたかしら?言葉?少し無神経過ぎた?直球過ぎたかしら?やっぱりあそこは、あの二人は何も無いですから、安心して下さい。と言うべきだったとか?
いいえソレはダメよ。そっちの方が、直球過ぎるでしょ!
大体私が、何故その事を知っているのよ、おかしいじゃない。リーナ様は一人で行ったつもりなんだから、つけていたのがバレてしまうでしょう!?
それについて説明を求められても、あの清らかな眼を見てに上手い嘘をつく自信が無いわ。
職業柄、計算上の嘘や騙すこと自体は下手な方ではないけれど、命のやり取りの無い所で、しかも相手を気遣ってとか、ちょっと私には経験不足で難しいわ。
嘘ついて一芝居しても、たいていその者は消えてしまうから、後の事なんて気にしなくて良かったし。
下手をすると零隊で在ることまでバレかねないわ。
それは駄目。絶対にさけなければ!零隊の存在は極秘なんだから!
そもそも、私が余計な口出しして、こじれてしまう方が良く無いのでは?
イーゼルト様には頼まれたけど、きっと忍びの本分であるように、陰から温かく見守ってやって欲しい、という意味ね。
それもそうよね。リーナ様の事はすごく心配だけど、主人達の恋愛に、そこまで部下の私なんかがでしゃばっていい筈がないし。
夫婦ゲンカはイヌもクワナイって言うものね……。
きっと今頃、いつものようにイーゼルト様から呆れた様に話を聞かされた陛下は、青い顔になって必死に言い訳を考えているに違いないわ。
そういえば……何度もきていたのも、きっとその話のためだったのね。
でも、青い顔どころか、嬉しそうに見えたのは気のせいかしら?)
ライラの気のせいではない。フェラルド本人は何も知らないのだから当然である。
イーゼルトの思惑は見事にハズレた。
全てを託したのが普通の侍女では無く、暗殺のエリート集団零隊のライラという事に彼はもっと早く気付くべきだったのだ。
リーナの事は心配だが、彼女にとって恋愛というカテゴリーはもっとも些末で、未知の領域であり、彼女にとってもっとも優先される事柄は零隊の使命である。生粋の暗殺者なのだ。
****
「そういえば、珍しいドレスの選択ですよね、リーナ様」
「そ、そうかしら?たまにはね。やっぱり……似合わないかしら?」
今リーナは、ライラに舞踏会の身支度を整えてもらっていた。
「いいえ、とても良く似合っていますよ。今までのフリルにリボンのドレスも素敵ですけど、こういったシンプルで少し艶やかな装いも、とてもお似合いです。イメージが変わり、まるで別人のようですわね」
「べ、別人?変ってコト?」
「誰がそんな事言いました?お似合いと申しましたでしょう?私が言う別人というのは、大人っぽくなって、見違えたという事ですよ!」
いつもながら、とんちんかんなリーナの受け答えに、ついついライラも姿鏡の中の相手へ軽くつっ込む。
「えっ?大人っぽくなった?私が?本当に?」
驚きながらもくい気味に聞いてくるリーナの顔に、先程の憂いは見えない。
ライラはほっとすると同時に、リーナに優しく微笑んだ。
「ええ、とても綺麗で魅力的な大人の女性ですよ。そしてリーナ様らしい可憐さですわ」
「あっ、ありがとう!ライラっ私とっても嬉しいわ」
少し照れながらも、にっこりと満面の笑みで素直に喜ぶリーナを見て、ライラも嬉しくなる。
(本当に素直で、可愛らしい方だわ。見ているこっちまで幸せな気分になるから不思議よね……。
でも、そんなに大人っぽいって言われて嬉しいのかしら?以前はそんな事気にして無かったと思うのだけど……?)
「……………」
あ……なるほどそういうことね。健気ね、ほんと可愛いひと……。私には死んで蘇っても出来なさそうだけど)
ライラ自身の恋愛観念は置いといて、彼女の知識として一般的な恋愛感と鋭さで他人の恋心は何となくわかるらしい。だがそれに共感出来るかといえば、さっぱり出来ないのだ。
リーナの今の姿はライラの言う様にいつもとは少し違い、魅力的な大人の女性だった。
淡いシャンパンゴールド色のさらさらシフォン生地で作られたエンパイアドレスは、リボンやフリルなどの可愛らしい飾りは無い。その変わり、きらきらとした小さい薄オレンジの宝石が襟ぐりや裾に控えめに散りばめられている。
背中の開きが深く、胸元の開きもかなり深めのデザインだ。リーナの大きく膨らんだ白い乳房が襟ぐりから盛り上がり主張している。
袖は小さなパフスリーブのみで白い細腕が剥き出しになり、全身の華奢感がより胸元を強調させた。
赤や黒などの原色があまり好みではないリーナは、淡いシャンパンゴールド色にしたのだが、それも肌色となじんで、まるでちょっと裸体みたいに錯覚させてしまう。
そんなことはもちろんリーナには計算されていない。
胸の切り替えしから、ストンと垂れた薄いシフォンを何枚も重ねたスカートは裾の後ろが少しトレーンになっているので、まるで妖精のような可憐な透明感と品がある。だからこそ、胸元の大胆さや体のラインが少しだけ分かる艶やかさが絶妙なバランスで、もっと露出度の高いドレスより余程危ういいやらしさを誘う。
リーナはライラに大人っぽいと言われて心から喜んでいた。
(良かった。私、ちゃんと大人っぽく見えてるんだ……。
フェラルド様と一緒にいたあの女性は、とても美人で色っぽい大人の女性だったもの……。
きっとフェラルド様は、ああいった大人の女性がいいのよね………。
あの方ほど胸もないし、背も低いけど………。あの方ほど襟も開いてないけど………。でも出来るだけ頑張って襟の開いたドレスにしたし!ちょっと恥ずかしいけど。
そういえば、あの方みたいな赤い髪の方が……フェラルド様はお好きなのかな?赤い鬘もつけた方がいい?
ドレスの色もやっぱり赤の方がよかったかしら?
でも、ライラも大人の女性だって褒めてくれたし、とりあえず私も大人の女性に少し近づけたって事よね?
フェラルド様、この姿を見て私のこと大人の女性として、見直してくれるかしら………。)
ライラが衣装の最終チェックをしている間、リーナはもんもんと色んな事を考えていた。
そんな時、ちょうどリーナの私室の扉がノックされ、どきりとリーナの思考は止まった。
続いて聞こえてきたのは、低く艶やかな男性の声。フェラルドの声だった。
「リーナ、迎えに来た。入るぞ?」
ガチャリと扉を開けて入ってきたのは、正装した麗しい男二人。フェラルドとイーゼルトだ。
フェラルドは濃紺の品の良い上下スーツに、濃緑のベスト、緑の立ち襟シャツに、濃紺のクラヴァットという装いだ。
一方のイーゼルトも今夜は親衛隊の隊服は脱ぎ、フェラルドの従弟で、前王の弟である公爵の嫡男、イーゼルト・サーベラード伯爵として出席する事になっていた。
そのため、いつもより更に華やかで、白の上下スーツに、薄ピンクの立ち襟シャツ、品の良い刺繍がされた薄紫のクラヴァット、という夜の艶王子様使用となっている。
「その……リーナ、さっきはすまなかっ……………」
視線を斜めに伏せながら、気まずそうに入室してきたフェラルドは、リーナの装いに気づくのに少し遅れた。フェラルドのすぐ後から入ってきたイーゼルトと、気づくのはほぼ同時だった。
「リーナ様、失礼しま………す。」
「フェラルド様、イーゼルト様も、お迎えありがとうございます。あっ、フェラルド様……。あの、先程尋ねてきて下さったと、ライラから聞きました。すみませんお迎え出来なくて……少し横になっていたので……あの、それで御用は何でしたか?」
「…………。」
ぱたぱたと小走りにフェラルド達の方へ近寄ってきたリーナに、フェラルドも無言でスッと近づいた。
「……?」
そしてイーゼルトからの視線を遮る様に、小首を傾げているリーナの前に立つと、ポンっ。と、優しく彼女の頭に手を置く。
そのまま、軽くアップに纏めたゆるふわの金髪を、そっと崩れないように優しく撫でてやる。
ゆっくりと、数回静かにそれを繰り返すと、フェラルドはおもむろに口を開いた。
「リーナ、まだ舞踏会まで少し時間がある。着替えておいで。」
「えっ……?」
思いもよらない事を優しく言われたので、リーナには一瞬何を言われたのか分からなかった。
その間にもフェラルドはライラに指示を飛ばす。
「ライラ。リーナにいつもの夜会用のドレスを用意してやってくれ」
「…………」
「何をしている?早くしないかっ」
「……はい、畏まりました。」
ライラは何か言いたげな目でフェラルドを見ていたが、主の二度目の命にはさすがに素直に従った。
ライラが部屋を出ようとした時、今までぼうっと二人のやりとりを見ていたリーナが、おずおずと静かに口を開いた。
「……して……どうして着替えなくちゃいけないんですか?」
「どうしてって……それは……」
リーナからまっすぐ目を見て聞かれたフェラルドは、バツが悪そうにフイっとリーナから視線をはずす。
急に着替えろと言われれば誰でも訳が分からなくて当然だ。
特に今回はリーナにとっては特別な想いがある装いなのだから、理由も無く「はい分かりました」とは彼女も聞けなかった。
だが今この部屋で、訳が分かってい無いのは言われた当人のリーナだけだった。
イーゼルトは勿論の事、ライラも何となくフェラルドの真意に気づいていた。だがライラはリーナの思いもわかっているからこそ、絶対主であるフェラルドの命に直ぐに答えることが出来なかったのだ。
「どうして何ですか?フェラルド様……」
「…その……リーナには……その服は似合わないからだ」
「っつ!!で、でもっ……ライラは似合ってるって言ってくれました!魅力的な大人の女性だって!」
「大人かどうかは服装なんかで決まるものじゃない。それに、魅力的って、お前は俺という夫がいるのに他の男でも誘惑する気か!?」
「っ!!」
さすがにしまった!!と思ったフェラルドだったが、もう遅い。
リーナの緑の瞳には次々に涙が溜まっていく。
「フェラルドさまのばかぁッ!!他のひと誘惑してるのはフェラルドさまの方じゃないっ!!」
あ~あ………。と事情を知っているイーゼルトとライラは思った。
その一方で、訳が分からない。という顔をしているのがフェラルドだ。
リーナを泣かしてしまった事に激しく動揺するも、全く身に覚えの無い発言だったからだ。
「何?俺が誘惑?自慢じゃないが、誘惑される事はあっても俺から女性にそんな面倒な事をした覚えは一度もないぞ。もしするとしたら……その……一人だけだ」
最後だけ照れくさそうに、リーナを見つめて告げたフェラルドは、勿論妻であるリーナの事を言ったつもりだったが、恋愛経験が乏しく自信が無い今のリーナには分かるはずが無かった。
「っつ!!!」
フェラルドの言葉は、勘違いしたリーナの心に深く突き刺さった。
「………ごめんなさい、少し混乱してるので、しばらくそっとして置いてください……舞踏会は……父にエスコートしてもらいますから、フェラルドさまも……どうか私に遠慮なんてしないでくださいっ………っつ!」
深緑の瞳に涙をいっぱいに溜め、か細い声でリーナは何とかそれだけを口から絞り出すと、フェラルドの制止を振り切って、自身の部屋から逃げる様に走り去って行った。
「おいっリーナっ!!何処へ行くっ!………っくそ!!何やってんだ俺は……っ!」
フェラルドは片手で顔を覆うと、大きく天井を仰ぎ嘆いた。
いつも素直なリーナだが、今回はやたら食い下がり、なかなか素直に着替えてくれなかった。だからつい、強く言ってしまった。
でもまさか泣かしてしまうなんて………。
(はぁ……、ほんと男の嫉妬や独占欲ほど醜いものは無いな。だがあんなに可愛く艶っぽい姿なんて、無防備過ぎて危ないだろうが!)
そういえば、初めて本気で口げんからしいものをしたかもしれない。
リーナがあんなに本気で、怒鳴った所を見るのも初めてだ。
怒った顔も可愛いかったが……内容は……イマイチよく分からない事を言っていたな………。
「…………俺が、他の人を誘惑?」
フェラルドはぼそっと一人ごちた。
在り得ないだろう。他の女性など俺からすれば皆じゃがいも……いや、女ではないからな。
まさか男の事か?だが男を誘惑するなど死んでも御免だし、それこそ在り得ない!
そして入口に佇むライラの方へ、首だけで振り向く。
「ライラあの服はお前が選んだのか?」
「いえ、違います。ご自分でお選ばれなさいました。」
「そうか……また何であんな服を選んだんだ?いつもと全く違うじゃないか……。」
はぁ~、と息をつくフェラルドに、ライラは余計な事だと知りつつも、リーナの気持ちを思うと、黙っては居られなかった。
「………それは、陛下に喜んで欲しかったんだと思います」
「なぜだっ!?何故俺があんな服を着られて喜ぶんだ?胸がほとんど丸見えなんだぞ?喜ぶどころか、リーナのあの白い胸を他の野郎が見ると思うだけで、不愉快極まりないし、そいつを八つ裂きにしてやりたくなる!」
フェラルドが言う程、特別露出が多い服では無い。若い女性の夜会用ドレスとしては、いたって一般的な開き具合である。
最近の流行りで、お洒落な女性は皆、胸元の開きが深めなのだから。
「それは………」
リーナ様があの爆弾乳女ミランダと、陛下が抱き合ってるのを見て、勘違いして不安になり陛下の好みはあの女みたいだと思い込んで、健気にも少しでも近づこうと選んだんですよ。
と言おうかどうかライラが迷っていると、今まで場を静観していたイーゼルトがライラの次の言葉を封じる様に、割って入って来た。
「ライラ、お前はリーナ様を早く追うんだ。」
「そうだな。くれぐれもリーナを頼んだぞライラ」
上官であるイーゼルトに次いで、主であるフェラルドにも頼まれたライラに先程の迷いは無い。主の命が何より優先だからだ。
「はい。承知致しました」
ライラは、暗い薄紫の髪を僅かに翻すと、あっという間に姿を消した。
****
部屋に残された、フェラルドとイーゼルトの二人は、無言だった。
先程のリーナの姿を揃って思い出していたのだ。
いつものまだあどけなさが残る、愛らしい妖精姫が、艷やかな大人の女性になっていた。
ゆるく纏めた金の髪が、白いうなじに数本ほろりとかかっていて、華奢な身体は女らしく丸みをおびて柔らかそうだった。
襟から溢れるように膨らむ白い胸は、谷間をくっきりと浮かばせて、悩ましいほど艷やかで、美味しそう…………
「……………………」
「……………………」
二人はほぼ同時に、ぶんぶんと頭を振り、煩悩をはらう。
「イーゼルト、おまえ見たな?」
「………いいえ。何も見てませんよ」
「………まぁいい。そういう事にして置いてやる。しかし、遠慮しないで下さいって、リーナは他のパートナーを気にせず選べとでも言うのか?」
イーゼルトの返事が直ぐに返って来ないので、ふとフェラルドはイーゼルトの顔を見た。
すると、イーゼルトはリーナが出て行った扉をぼぅ〜っ見つめていた。
その眼差しには、どこか熱に浮かされたような、憂いたような、特別な何かをはらんでいる様に見える。
フェラルドはそんなイーゼルトを、探る様にじっと見つめた。
「……………」
が、それはほんの一瞬の事。
扉を見ていたイーゼルトに気取られる事は無かった。
「えっ?はい?何ですか?」
我に返ったようにくるりと振り向くイーゼルトに、フェラルドは何も無かったようにいつも通りクールに返す。
「………いや、何でもない。気にするな。」
「?……はい」
「そろそろ舞踏会の時間だな。とりあえず俺達も行くか。クラーデル大臣がどんな奴か探るぞ」
「はい。分かりました。」
(……まさか…な……………アイツのタイプとは違う……。
それに、リーナは俺の妻だ。アイツが俺の女に手を出すなどあり得ない。)
「………………」




