38.無礼講
キラキラした目でベラドナを見上げる女の子と、角を曲がり切れず減速したグレンに容赦のない飛び蹴りをかましノックアウトを決めた女性が、困惑するベラドナの前で、二人とも大袈裟なお辞儀をする。
「御初にお目にかかりますベラドナ奥様、わたし、このアホ男の妹分、ノーマと申します、こっちは妹のナミンです、挨拶して」
「はじめまして!奥様!」
「本当に妹さんでしたのね……」
「正確には同じ孤児院出身で、僕が学園に行っている間に色々任せてお゛ッ!!」
からの綺麗な回し蹴り。脇腹に強めの打撃が入ったグレンはよろけるが、倒れる暇もなく少しカサついた細い指に胸倉を掴まれ立たされる。
悪鬼の如き顔をするノーマは地獄の底から響くような声で、なんとも現場のことを考えていない商会長に対して恨み言を呻き罵る。
「ほんッとに上から順にほぼ連れて行きやがってこのバカ!客が来るのは本店だけじゃ無いのよ!?何考えてるのほんとに!!?」
「育てていた店員候補は居ただろ、沢山」
「殺されたいならそう言って、今すぐグレンの灰かける木選んでくるから」
「ごめんなさい」
ガックガクに首を揺すられるグレンを見ていたベラドナだが、ふと、自分の前に立つ女の子、従業員であるナミンを見る。
突然自分に視線が向いたことにピャッ!と飛び上がったナミンだが、照れ笑いを返し、ベラドナに照れ笑いに微笑み返され、恥ずかしそうにノーマの背後に隠れてしまう。
「ッ!?……っ!………っ!!」
「ハァ〜〜〜〜…なんでこんなのがあのお祭りで見た舞姫様に選ばれたんだか……」
まだ花冠を作って遊ぶような小さい女の子が従業員。ベラドナはナミンほどの背丈の頃、自分はどうしていただろうかと考えながら、未だ夫を睨め付けるノーマに話しかけた。
「あの、ノーマさん?」
「ひゃいっ!?なんでしょう奥様!」
「ナミンさんとは、歳はお幾つ離れていらっしゃるの?」
「六つです〜!すみません奥様こんなところで、いま店の中の応接間にお通ししますので、さ、さ、どうぞこちらに」
パッ!とグレンの胸ぐらから手を離したノーマが、今度はベラドナの手を優しく取って元本店までエスコートを始める。
強引だがその手は優しい、ベラドナは断ろうとしたが。
「あら……でも旦那様がすぐに帰ると仰って…」
ノーマの手が向こうの店舗の従業員達よりも荒れ、皮膚が硬いことに気付く。視線を上げるが特に気にした様子のないノーマ、視線を下げると照れつつも羨望の視線を向けてくる彼女の妹のナミン。
手を引かれるままに足を運び、底抜けに明るい声に相槌を返しながらフラフラと店舗の方へ近づいていく。
「いいんですよ気にしなくて〜!絶対仕事詰めでデートのひとつも言い出さなくて、休憩ついでに出かけたんでしょ〜!あ〜〜〜だめだめちゃくちゃ綺麗〜!!ね!こっちの従業員ともぜひお話しして下さい奥様!雨降らなかった時期に来て下さった時の踊り!私最前列で見てたんですよ〜〜!!」
「まぁ…………」
「白いドレスに薄紫のショール!風に揺れて超綺麗で〜!!私ずっと憧れてて!いっつも何食べてたらそんなにお綺麗になれるんですか!?」
「えーと…毎日というと……お水を飲んでるわね…」
「やっぱり紅茶とかじゃ無いんだ他のご令嬢と違うんだ〜〜!すご〜〜い!!」
押され気味なベラドナの背中を見ながらグレンは上着を直した、少なくとも嫌がってはいないという判断をした彼は三人を追うように足を進め、速め、走る。
そして三人の横を通り過ぎ、店舗入り口からこちらを指差し絶対ロクなことを叫ばないだろう、孤児院時代からの付き合いである従業員の一人にラリアットを喰らわせるためだけにグレンは全力で駆けた。
開口一番ベラドナにスリーサイズを聞いた奴、グレンの若気の至りを話そうとした奴、あろうことか一目惚れでしたと夫の前でベラドナに求婚した奴、無礼失礼etc…。
二桁の従業員を伸したグレンは腕捲りを直し、二桁の従業員を相手にサインを書きまくったベラドナは利き腕と反対の手で従業員用の茶葉で淹れられたとてつもなく安い味の紅茶を飲む。
「皆様、元気な方でしたわね……」
「こっちに残してきたのは皆んなそうなんですよ…変に我は強いし、高位貴族に絡まれた時に対応でなく対抗する奴ばかりで……」
「私の名前って…こんな文字だったかしら……」
「すみません、皆有名人にサインを求めたがる人間なので、手首冷やす物をお渡ししますね」
空のインク瓶が投げ入れられた箱を隅に置き、あらかじめ用意していたタオルに製菓食品用の保冷剤を巻き入れるグレン。慣れた手つきだ。
ベラドナは動かし続けて少し痛む自分の手首に目を落としながら、先程まで部屋に溢れかえるほど居た、男も女も、皆歳がバラバラだった従業員達の雇い主に話しかけた。
「ねぇグレン」
「はい、あ、温める方が良いですか?」
「私、貴方の奥さんをちゃんと出来ている?」
「はい?」
「白狐商会の、奥様を、出来ている?」
全員ベラドナに話しかける人間は笑顔だった。けれど、開け放してある扉の向こうから顔を覗かせる従業員は、笑顔でない者も多かった。
探るような視線、好かれていないのが見て取れる表情、ベラドナは慣れていたし、皆が自分のことを好いていないのは当たり前だと思っていた。けれど、グレンが店を任せている者に嫌われているのは少し悲しかったらしい。
「…………充分過ぎるほどにこなされていますよ、ベラドナは」
グレンもそれを理解した上で、貴族に良い印象を持っていない人間を元本店に置いていった。いくらこの地域に踊りに来たとはいえ、皆が皆ベラドナのことを好きになる筈もない。
だから、お前達が思っているよりは良い人間だから、心配するなと伝えるために連れてきた。ベラドナが自分の雇った従業員のせいで多少なりとも傷つくことは織り込み済みだった。
「普通の伯爵令嬢はあの人数相手に色紙に、律儀に相手の名前まで聞いてサインなんて書きません」
「そうなのかしら……」
「備品で安物ですが我慢して下さいね、はい、手首に巻きますよ」
「ありがとう、グレン」
グレンが膝をついて、座っているベラドナの細い手首へと簡易氷嚢を巻き付ける、彼女の滑らかな肌についたインク跡を見て目を細めたグレンは、少しだけ笑った。
「こちらこそ、礼儀もへったくれも無い従業員達に、眉間に皺一つ寄せず対応していただき、ありがとうございました」
「礼儀?皆様とても礼儀正しい方でしたが…無理に抱きついてこないし」
しかしなんともなしに口に出されたベラドナの言葉に表情が強張る。視線を上げると、自分に巻かれた手首を嬉しそうに撫でるベラドナ。言葉は続く。
「髪に触ろうとしてこないし」
確かに入り口付近であまり良い顔をしていない従業員への説明というか、弁明的な事はしていた。
室内に入る従業員にも失礼な事はしないようにと言い含めていたし、実際失礼な事を宣った奴は男女問わず普通に殴り飛ばした。
もちろん大多数に殴り返されたが、全ていなしたので問題ない。
「胸にも触れようとしてきませんからね」
それはそれとして現在の問題は何事もないかのようにセクハラ事案を報告してくる目の前の妻だ。いつ、どこで、どんな時に被害にあったのか。
言っても吐きはしないだろう。三秒でこの結論に至ったグレンは引き攣った喉で、辛うじて一言搾り出す。
「……今までどうやって躱してたんですか」
「それは…扇子で、こう……?」
「…………不躾なことを聞きますが、今もあります?」
「既婚者になりましたもの、少なくなりましてよ」
「それでもありはするんですか」
「准男爵夫人になりましたもの、紫電の舞姫の地位はあれど家格的には下ですので、仕方がないと思っておりますわ…」
当然のこと。そう口に出すベラドナの顔は悲観しているわけでもなく、ただ本当に、仕方のないこととして話している。
家格差というものはそれほど抗い難いもので、グレンも学生時代死ぬほど苦労させられたし、貴族の末席なんかに据えられてしまいそれはもう慣習やらなんやらにずっと頭を痛められていた。
彼の口から苦しげな息が漏れる。どうしようもできないから。
「……怒ってくださるの?私のために」
「普通の人間なら嫌悪感持つでしょうよ」
「ふふふふ、少し前だったら考えられないわ、貴方が、他人がする私への無礼で怒るなんて」
「次されたら言ってくださいよ、出来る範囲でなんとかするので」
「まぁ頼もしい、絶対にさせない、と、言い切らないところに好感が持てますわ」
「僕は無理な約束はしないタチなので、契約不履行は避けたいんです」
ベラドナは心底幸せそうに微笑む。渋めに淹れられた紅茶を飲み干し、先に立ち上がったグレンの手を取って、先程サインを持った従業員達が笑顔のまま出ていった扉へと向かう。
もう直ぐ改修が行われるという白狐商会元本店、ベラドナは初めて見る、グレンが死に物狂いで作った場所を見たいと強請った。
彼があまりいい顔をしないというのは織り込み済みで。
「店内を見たら帰りましょう、商会長自ら御案内しますよ、ベラドナ」
「ええ、お願いするわ旦那様」
それほど従業員の事を大事にしているのだとベラドナは知っていた。その上で、自分が少し睨まれた程度で首を切れと言うような人間でないと、彼が大事にしている従業員に示すためということは秘密のまま。
ベラドナは繋がれた手を軽く握り、彼の宝物の紹介を幸せそうに聞くことが、ここで自分が出来る最善策だと知っていた。
それはそれとして、グレンの従業員への肉体言語が普段の五倍になってベラドナは流石にびっくりし泣いた。平民の躾は元伯爵令嬢には過激すぎたのだ。




