37.過去の遺恨
輝かんばかりの美貌、計算し尽くされた仕草、身体を最大限魅力的に見せる衣服の崩し。
ベラドナは全力で蠱惑的な表情を作り、書類から一切顔を上げないグレンへと甘い声で呼びかける。
「前よりも唇が柔らかくなったと思うのよ」
「よかったですね、中身の質は保証できるところに任せましたから、効果は高いと思いますよ」
「ねぇ旦那様、キスして確認してみない?」
「今はいいです」
「つれないの……」
寂しげな顔を作るも全く視線は向かない。向かないどころか顔すら上げない。仕事が落ち着こうが忙しかろうがずっとそう。
学生時代からずっとそうだ、女性に興味すら無いのでは?そう思い悩んだこともあるほどベラドナはグレンと目が合わなかった。
「デートも無し、お出かけも無し、私、暇で暇で……………」
それはそうと、ベラドナもまた視線が向かないだけで心が折れるような女ではない。
するりと裾を撫で立ち上がると、グレンの方に…ではなく、部屋の出入り口へと体を向けて足取り軽く部屋から出て行こうとした。
「倉庫から何か漁ってお茶会に持って行ってしまいそう」
「絶ッ対やめて下さいそうですね息抜きも大切ですからどっか出かけましょうか!!!!」
しっかと捕まえられた手首に満足そうにしたベラドナは再度椅子に座り、今回、は、冗談だったらしいと安堵したグレンもまた椅子に座る。
面接のような状態で二人は向かい合い、グレンの視線の先でベラドナは微笑みながら、長く絹糸のような髪を手で梳いた。
「出かけるって言っても、どこに行きたいんですか」
「どこにも?」
「は?」
「貴方と一緒ならどこでも良いの」
「…………どこでも…」
普通の人間ならば怒りそうな答え。しかし、グレンの場合はベラドナの奇行に慣れてしまったがために、どこでも、の、どこでも、が、どの程度許容されるのかを考える。
色々と思案し、多分これは不機嫌に成るだろうなというのを除外し、結論を出した。ただの興味だったかもしれないし、彼女を試すためだったのかもしれない。
「……そこそこ移動時間ありますけど、墓参り行っても、良いですか?」
「勿論、ついて行きますわ旦那様」
とにかく、グレンは行くつもりも無かった場所を最初に提案し、二つ返事で承諾されてしまったのだった。
しばらく馬車を飛ばしグレン・リーヴズが、まだ家名の無いグレンだったころに生まれ育った片田舎へ。
白狐商会の本店が一応ある町からもう少し行ったところ、育った孤児院で養母さんに背中をめちゃくちゃ叩かれるグレンと、嬉しそうに隣で笑顔を浮かべるベラドナ。
「グレン!立派になっても〜本当に寄付ありがとね〜〜!!大助かりよぉ!!」
「ヘラおばさん久しぶり、背中叩かないで…」
「あらあらあらあら〜〜ベラドナ様まで〜〜!!あの舞からここ一帯水に困ったことないんです〜!ほんとぉ〜にありがとうございますぅ〜〜!!」
「それはよかった、私の舞が皆様のお役に立てたようで何よりですわ」
「まったく結婚したなら早う顔出しに来なさいなグレンったら!お昼寝の時間だから子供達はみんな寝てるし、お祝いの品だって用意してないのに〜!!」
「いいよ用意しなくて、今日だって顔見るだけ見て帰るつもりだったし」
「す〜〜ぐそうやって!待ってなさい今クッキー持ってくるから!!」
「いらないって……」
土産を持ってきたのに何かを持たされ返される、おばさん特有なのか、それとも大概の年嵩のある女性は皆こうなのか。
押し切られてしまったグレンは隣に立つベラドナを見る。足元が汚れるような悪路も、舗装なんて考えられていない道も、文句の一つも溢さず普通に隣に立って歩いて来たベラドナ。そんな彼女に問いかけた。
「……なんでベラドナさ…ベラドナが、ヘラおばさんと面識あるんですか」
「私とて国から認められた舞手ですもの、貴方が社交界に出てくるまで各地を巡業していましたのよ?」
「だからってこんな辺鄙な場所に建ってる孤児院に…」
「行きますわよ、貴方の故郷なのですから」
「知ってたんですか」
「調べすとも周りが教えて下さいましたわ、何せ、あの王子のご友人の中で唯一の平民出身、噂にならない筈がございませんもの」
「そんなに僕って目立ってたんですか」
「ええ、とても」
嘘なのか本当なのか判別がつかない。今考えても答えは出ないだろうし、問い詰めるのも違うだろう。
よくわからないむず痒さを覚えながら視線を外したグレンの前に、明らかに多い紙袋を抱えて来たヘラおばさんが現れる。
「はい持ってきたわよ〜!ハイこれクッキーでしょ、ナッツとバターの、こっちが林檎ジュースで、こっちが」
「いい、いらない、そんなにいらないから、子供達に食べさせてやって」
「いいわよ、ベラドナ様にあげるから」
「ちょっ」
「まぁ嬉しい、ありがたく頂きますわねヘラ奥様」
「グレンと違って良い子ねぇ〜〜〜〜もぉ〜〜〜〜〜〜〜」
絶対重いだろう紙袋を表情一つ変えずに受け取るベラドナの細い腕から、速攻で荷物をぶんどるグレン。瓶とジュースの重みが掌に食い込み悲鳴をあげる。
自分の妻とはいえ、珍しいことにお貴族様を前にしてめっちゃいい笑顔のヘラおばさんを不可解に思ったグレンは質問を浴びせかけた。
「大体、ヘラおばさんは貴族嫌いだったろ、なんでベラドナ、に、だけそんな気安く」
「度々ここにきて寄付を直接くださるからねぇ」
「そんなことしてたんですか」
「旦那様の故郷ですから、ねー」
ご機嫌な理由をあっけらかんと返されただけでなく、明らかに何度か、自分が居ない時に個人的に話していたような空気感に驚くグレン。
ヘラおばさんの仕事で荒れた手を躊躇なく握り、裏表のない笑顔を向けるベラドナ。キャッキャと話す二人を暫く見ていたグレンだが、居心地の悪さが限界を迎え、背中を向け帰りの挨拶をした。
「じゃあ行くから」
「またおいでなせッ!全く、ここを出た子はどいつもこいつも、金ばっか送ってきて顔も見せやしないのさッ」
「えっ、もしかして、メイベルも来てない?」
ヘラおばさんのその言葉に足を止め、振り返りそう問いかけたグレン。その表情を見たベラドナは、何も言わず、視線を逸らす。
おばさんは首を傾げ少し考えると、手を軽く叩いて聞かれた人物のことを答えた。
「メイベル…ぁあ、学生の頃グレンと一度来たっきりだねぇ、あの娘もヒョロかったから、ちゃんとお貴族様のところでご飯食べてると良いんだけど……」
視線を逸らしたベラドナにはグレンがどんな顔をしているのかは見えなかったし、見てはいけない物だと思ったから、見なかった。
孤児院から出て暫く歩いて、お土産を従者に渡して、近くの聖堂に着くまで二人とも何も言わなかった。馬車から降りたベラドナが顔を上げると、晴れた空が澄み渡り、鳥の鳴き声が静かな空気に彩りを与えるように響く。
「…………空気も澄んでいて、良いところね」
「……空気が良い代わりに、何も無いところですよ」
「今は貴方の商会があるでしょう」
「…そうですけど」
「なら、なんにもないは違うわね、あの白狐商会の一店舗目がある土地ですもの、大事な場所よ」
区切られた場所に木と墓標が立ち並ぶ聖堂の裏にある広い霊園。だんだんと足元の石畳が手入れされているところから、くすみ、汚れ、あまり人が来ていないのだろうなと思われる色に変わる。
ベラドナは前を見据え、グレンは少し下を向いて霊園の中を進む。二人以外人影は見えず、会話だけが何事もないかのように続く。
「グレンの御両親のお墓はどこにあるの?私、顔を見せて挨拶がしたいわ」
「樹木葬、それも共同で木の根元に混ぜられたんでどこに埋まってるかまでは正確には分からないんですよね」
「綺麗なお庭、ここの土地では樹木葬が流行り?」
「埋葬できる土地が少ないので、焼いて灰にして土に混ぜるのが一般的ですね、ベラドナ、のところはどうですか?」
「私のところは…まちまちね、灰を海に流す人もいれば、谷底に撒く人もいるわ」
「へぇ、谷底は聞いたことありませんでした」
一本の木の前でグレンの足が止まり、ベラドナも隣で止まる。近くには水の流れる溝があり、古ぼけた柄杓が落ちているのか添えられているのかわからない位置に置かれている。
「この木です」
「お水をあげるの?」
「ええ、習わしなので」
二度ほどグレンは水を木にかけ、ベラドナも柄杓を受け取ろうとしたが止められた。促されるまま元の位置に戻ったベラドナは、グレンの様子を見、同じように手を合わせる。
少し長くその場に佇み、グレンの方が先に手を離した。目を瞑っているベラドナの肩に軽く触れ、来た道を戻っていく。
「……行きましょうか」
「次はどちらに?」
「こちらの店舗の様子を見て帰ろうかと、ベラドナはどこか寄りたいところはありますか?」
「特に無いわ、でも、お土産を買って帰らないと従業員の方に配れないし…」
「今回は買って帰らずともいいですよ、元本店の様子見ということにしますので」
「そうなの」
霊園の中を進み、だんだんと足元の石畳が綺麗になっていく。馬車に乗って白狐商会の元本店へと向かう馬車内で、ベラドナは窓の外を眺めながら話を続け、グレンもそれに返す。
「何度か商品は購入したけれど、自分の足で行くのは初めてね…」
「御愛顧ありがとうございます、やっぱり御自分の足で来られなかったのは伯爵令嬢だったからですか?」
「違うわ、貴方の隣に他の女性が、白狐商会夫人として立っているところを見たくなかったの」
想定とは違う、しかし、納得してしまういじらしい理由にグレンはベラドナの方へと視線を向けた。目こそ合わないものの、ベラドナがどんな表情をしているかはなんとなく分かる、そんな声色だった。
彼女の方を向いたことを悟られたくないのか、視線を外してからグレンはその理由へと返答を選び、口に出す。
「…………発足当初は忙しすぎて、結婚相手どころか恋人すら探す暇無かったですよ」
「そうだったの…………」
元本店が見え、馬車の乗り口が開く。先にグレンが降りて手を差し出し、ベラドナがその手を取って降りた。
本店の入り口へと真っ直ぐ視線を上げたベラドナは、グレンへと、先ほど窓の外を見ていた時に気付いた人影の、異様な行動の理由を聞いてみた。
「じゃぁ、店の入り口の前からこちらに向けて険しいお顔で迫ってくる方は、貴方のお姉さん?それとも妹さん?」
「帰りましょう今すぐに」
「グレン・リーヴズゥゥゥゥゥゥウッッ!!!!!」
馬車に再度乗ろうとしたが遅かった、もう馬車を停められる場所へと向かう御者。仕事が早い。
ベラドナの手を離し上着の前を流れるように全て開けるグレン、叫びながら走ってくる女性への感想を呟くベラドナ。
「あら、足がお速いわあの方」
「逃げんなテメェェェェェェエッッ!!!?!?」
真横を二つの旋風が通り過ぎていった。ふわりと余風に吹かれたベラドナの髪と服の裾が翻り、彼女が振り返って見た方向の遠くに、それは良い姿勢で逃げ行く旦那様と、怒声を上げ追跡する女性。
「旦那様も逃げ足がお速いのねぇ…」
そう惚けた声で呟いたベラドナの腕を軽く叩く人間が一人、驚いて振り返った彼女の眼前に、手作り感の溢れる旗を掲げるまだ幼い子供。
『元本店へようこそ!白狐商会奥様!』と描かれたそれを得意げに揺らす、従業員服を着た女の子が笑顔で立っていたのだった。




