35.なんたる失態
紺の細身のドレスに胸元から首までを隠す繊細なレース、月の光を織り込んだストールを身にまとう。
膨らんだ花弁のような色とりどりのドレスを着た令嬢の間に磨き抜かれた宝石の如く立つベラドナは注目の的。
「ベラドナ様、本日は珍しいドレスを着ていらっしゃいますのね」
「ええ、偶にはこういうのを着てみても良いかと思って」
「とてもお似合いですわ、ほっそりしたお身体によく映えますのね」
舞により引き締まったウエスト、すらりと伸びた脚に絡む薄く嫋やかな裾、周りと比べ華奢に見える服装。目立つのは当然だ。
今の流行りとは正反対のドレス。悪目立ちも良いところ。ファンに囲まれ流行りに逆らい良い気になっているとの評価を下した者が、周りに聞こえるように嘲笑する。
「身体の線をみせるような格好なんて…今の流行りはクリノリンの入ったドレスだというのに……」
ふわりとしたドレスの流行りを作った人間だったのかもしれない、ベラドナのことが気に入らない人間なのかもしれない、ただ嫌味の一つでも投げてやろうと思った人間なのかもしれない。
一つ石が投げられると、矢張り、そうだ、アレは違うと矢継ぎ早に四方八方から嫌味が飛ぶ。
「既婚のベラドナ様には少々、ねぇ、身体を冷やしてはいけないとお聞きしますし」
「そうねぇ、婚姻を結んだというのなら、落ち着いたモノを身に纏うのが常識、色ばかり気にしてもそんな薄い生地の物を……」
ヒソヒソ、クスクス、明らかに嘲りを含んだ囁きにもベラドナは顔色ひとつ変えない。
ただ周りの好意的でない反応に困ったように頰に手を当て、いじらしくストールの前を片手で押さえ摘む。
「ですわよねえ…でも、旦那様が、これを着た私が見たいと言って聞いてくださらなくて…」
身体の線が出ている。それだけで異性の視線は惹かれ、既婚者であれども強い魅力を訴える。
嫌味を投げた者の中には隣に立つパートナーの視線がベラドナの方へと向いている事に気付いた事だろう。隣に流行りのドレスと流行りの首飾りと、完璧に流行物を身にまとった、自分がいるのに?
「似合うから、頼む、と、何度も言われ、手ずから着せられてしまっては、断れず……私と旦那様は一年違いで、学園での接点も無いに等しいものだったからでしょうか……こういった服装でいると、大変お喜びになってくださるんです…………」
貴族であればほぼ同じ王立学園へと通う事が決まっている。そこで出会った二人は若く、制服を着て、束の間の自由を過ごした。
今流行りの足元が全く見えない膨らんだ花のようなドレスでなく、もっと軽く、もっと柔らかな、駆ける靴も脚捌きも自由な細身の……、
「……君は、ずっと綺麗だから何を着ても似合う、と…」
誰かの口から甘く甲高い悲鳴が上がる。誰かの手元から憎々しげな音が鳴る。
この社交界の主役は誰がどう喚こうが、どう呻こうが、もう白狐商会夫人、ベラドナ・リーヴズから変わらないだろう。
という、四方八方にとんでもねぇ挑発しやがる夫人の渦中から少し離れたテーブルの端。
昨今噂の白狐商会長の両脇を固めるのは、社交界で噂の遊び人ラルフ・スウィートと、次代騎士団長と名高いロッディ・バンバディア。
「……何かベラドナ夫人に言われてるよ、グレン准男爵」
「放っておいて下さいラルフ様、今すごい後悔してるんで」
「いやぁ益々美しくなるなリーヴズ准男爵夫人、羨ましいぞグレン准男爵」
「遊ばないでくださいロッディ様、なんですか、何が望みなんですか」
友人に両側から肩へと肘を置かれ、飲み物すら喉を通らず死体の如き顔色のグレン・リーヴズ。今ほど暴れ散らしているベラドナ・リーヴズの夫だ、言うまでもなく、最近噂の、恋物語のヒーロー。
そんな顔色激悪ヒーローの両隣の友人二人は、たいそう意地の悪そうな表情で、めっぽう面白い見世物でも見つけたような声色で話し続ける。
「そりゃぁもちろん旧友との楽しい会話だよ」
「俺は木製のコンパクトの融通、細工が壊れてしまってな、今見合いをしている御令嬢に渡す前になんとかできないか」
「なんとかしますけど、期待しないでくださいよ、なんとかするだけですからね」
「はっはっは!そう言って学生時代から期待以上の働きをしてくれるじゃあないかグレンは!」
「せッ、なかッ、をッ、叩くッ、なッ!」
バシンッ!バシンッ!と結構痛そうな音で叩かれるグレンの背中。学生時代からの友人の上に家格は高く、口以外で抵抗することの出来ないグレンは割と良いように扱われる。
が、この二人に庇われているのも事実。グレンに恨みを持つであろうライバルの商会を子飼いにしている貴族や、とにかく難癖をつけたくて堪らない人間、グレンに学生時代同じクラスだと言って近づこうとする奴は近づけない。
つまり、外に出てからは割とお互い様の使い方をしている。対等ではないけれど。まぁ友人ではある。
遠くで誉めそやされるベラドナを見ながら、グレンは両脇の友人の間にさらに潜り込んだ。無事帰りの時間まで逃げ切るのだ、カクレクマノミか掃除エビの如く。
「なんて熱烈な口説き文句……!」
「お見かけによらず激しい方……」
「それに…とても素敵な贈り物を頂いたので……」
「「きゃぁっ!」」
ベラドナはグレンを褒められ上機嫌で、ストールの前を少し開いて今回の主役を見せつけた。
胸元を隠すレースの上を飾る銀とゾイサイトの首飾り、V字の先に揺れるのは丸い夜空、他のどこにもない紫の輝きを持つ一等星が煌めいた。
「見たことがない宝石ですわ……」
「綺麗…まるで夜空全てを丸めたよう……」
「美しいでしょう、白狐商会が贔屓にしている職人のガラス細工なんですの、いつか私の首飾りにつけたいと…それで、このようなものを……」
性別によって視線の先は違う。目新しいもの好きな人間は首飾りに、不躾な興味を持つ人間はレースに隠されたその下の、灯に照らされ少しだけ透けた肌の色に。
婚約者を側に置いた一人の男性とベラドナの視線がかち合い、男の喉仏が動いた。
「……とても、目を惹くでしょう?」
見る場所を間違えているぞ、と、言わんばかりにストールの前を閉め、首飾りだけを滑らせ外に出したベラドナ。その目は冷たい。
睨まれた男性が即座に視線を逸らすと、自分の少し下、ベラドナの方を向いていた筈の婚約者が自分を見上げマジ怒ぷんぷんエクストラムカ着火ファイアー絶許怒髪天なことに気付く。
弁解する間もなく無慈悲な一発が、グーで顎に叩き込まれた。可哀想に。
それを皮切りにあちらこちらで風船を破るような音や、強めの打撲音、抓りヒールの踏みつけ脛の蹴り飛ばし。悲鳴と嗚咽と懇願の声が情けなく響き渡る。
遠目にその惨状を見ていたラルフ・スウィートは、気の抜ける口笛で阿鼻叫喚の最中に居る悪魔を囃し立てる。
「惜しい、いや本当に惜しいことをした、人妻じゃなかったら何としてでも口説いてた」
「…………目立つな」
「あの紫電の舞姫が薄着だもんなぁ、今の流行りの型の中じゃ、そらぁあんな細身のドレスは目立つだろうさ」
「目立っているんだ、そうか、目立つんだ彼女は」
「グレン?」
「悪い、二人とも、ベラドナ様を見ていてくれ」
「えっ、や、会場中の人間が見ているけれど」
「どこ行くんだグレン、奥さん放置して」
「侍従の方にメモを渡してくる!直ぐに戻るから!」
渦中の妻を回収しに行くでもなく、謝りに回るでもなく、物凄い勢いで二人の間から飛び出していったグレンの背中を見送るラルフとロッディ。
学生時代からの変わらぬ勢いと行動力に顔を見合わせた二人は、取り敢えず二人の隙間から出てきたグレンを捕まえようとして追いつけず、舌打ちをする貴族の数を指折り数え、肩をすくめた。
「……なぁラルフ、あいつ貴族向いてないよな」
「……まぁ、グレンだし、生粋の商人なんだろ」
学生時代から助けられてきた、だから貴族社会ではちょっとでも助けようとしてる、でもなんか自分から騒動に飛び込んでいく。
自分達が学生の時に好意を寄せた、彼と同じ孤児院出身の女の子を思い出し、重ね、どうにも孤児院出身の人間は生き急ぎが好きらしいと笑いながら話し合うのだった。
一方、侍従待機室に飛び込んだグレンは何ごとかと駆け寄ってきたベラドナ付きの侍従の一人に、走り書きのメモを渡す。
上がった息を整えることもせず、切羽詰まった声色に侍従はグレンの身体を支え、可及的速やかに要件を聞くために膝を突き、真剣に耳を傾ける。
「すみませんどうか商会の人間にこのメモ二枚を渡してください、今直ぐ、もどって」
「はい、かしこまりました」
「こちらのメモは職人の、えー、硝子玉の職人に渡してくれと言えば伝わります、お願いします、お手数をおかけします、よろしくお願いしますっ」
「この通り受け取りました、必ずお届けします」
そしてふらふらと会場へと戻るグレンの背中を確認すると、早足で御者の下へと向かう侍従。
手元のメモを見、罪悪感に口元を歪ませながら折り畳まれたそれを開いた。
「……申し訳ありません、内容の確認だけはさせていただきますグレン様…………」
二つのメモの中身は。
『増産確定布確保』
『いまのうちたくさんねとけあとしばらくあけろしごとたのむ』
だった。侍従は脚を止め、結構判別に苦労する筆跡のそれを読んだ感想を口から漏らす。
「……はぁ…?」
しかしそこはプロの侍従。馬を一頭馬車から外し商会までの道を爆速で駆け抜け、疲れた馬の手入れを使用人に頼み、速攻で白狐商会の商会長補佐であるジェロームへと届けた。
白狐達の怨嗟が籠った輪唱が始まった。この侍従は怖くてちょっとだけ泣いた。ちょっとだけだけど泣いた。
地獄のメモ二枚が渡る前、ふらふらと会場に戻ってきたグレンを入り口で待っていたロッディとラルフ。
あいも変わらず話題の主役を掻っ攫い続けるベラドナを見守っていたが、唯一止められそうな旦那が戻ってきたことに安堵する。
「戻った、ベラドナ様は何もしてないな、よし」
「何もしてないっていうか…何もされてはないっていうか……」
「あっ、あーあ、ワインが…どこの家のご婦人だ、あそこの」
一番目立たてず気を悪くしたのか、華美なドレスを着ている夫人が身体の向きを変えた途端、高齢のご婦人が一人よろけて転びワインを盛大に溢してしまう。
旦那らしき人物が駆け寄ろうとするが、そちらも年嵩のいった紳士。ドレスの裾を掻き分けようにも、ご令嬢の身体に触れるのは避けたい。
「確か……あっ、ベラドナ夫人が、うわっ」
「おぉ〜…………」
ワインの染みがつく事を避けようと老婦人の周りだけは隙間が出来る。その隙間を縫って転んだ婦人へと近付いたベラドナは、ストールを脱ぎドレスの前を汚した彼女へと優しく羽織らせた。
ベラドナが着る背中が大きく開いたドレスが現れ近くに居る、独身の令息達がこぞって上着を貸し出そうとするが、既婚者相手ということもあり二の足を踏んでいる。
「良くも悪くも目を惹くね、グレン、夫なのだからここは君に譲……」
「もう行ったぞあいつ」
ラルフが隣に立つ友人に顔を向けると、もう一人しか居なかった。目を瞬かせもう一度ベラドナの方向に視線を向けると、もう容赦なくドレスの間を通り抜けて一直線に向かっている背中が見える。
「はっや……心配していたけど、この分なら結婚生活は上手くいってそうなのかな」
「度胸だけはあるしな、グレン」
裾を押し除けられ嫌な顔をするご令嬢達には気も止めず、真っ直ぐにベラドナの元へと辿り着いたグレン。
じゃあ自分がと意気揚々と脱いだ上着を片手にベラドナに近づこうとした若い貴族を手で押し留め、ワインの水溜りも気にせず踏みつけ近づく。
「このストール、素敵な物ですのに、汚してしまうわ…」
「構いませんわ、私がこれを羽織ってきたのは貴女に渡すべきという女神の思し召し、どうぞお使いになって…あら旦那様」
「羽織って下さい」
老婦人を助け起こしたベラドナの隣に立つと、直ぐに上着を脱ぎ羽織らせるグレン。
無事に立ち上がった婦人の手から指を離し、夫の上着の前を合わせ幸せそうに微笑むベラドナ。噂の大恋愛の末に結婚したとされる夫婦のやり取りに周りから歓声が上がる。
「心配してくださったの?うふ、嬉しい」
「貴女が身体を冷やして風邪でも引かれたら悪く言われるのは僕なんですよ」
「想定していた心配と違う方向ね……」
恋物語のヒーローもかくやといった行動だったが、行動原理が気に入らない。少々口を尖らせたベラドナ耳に聞き捨てならない言葉が飛び込んでくる。
「ねぇ…リーヴズ様って案外……」
「えぇ……良いお体をしていらっしゃいますのね…」
理解しているし魅力的に映るのも当たり前のこと、しかし気に食わない。真顔になったベラドナはグレンの腕に自分の腕を絡め、拗ねたような声で帰宅を促す。
「…今日は引き上げませんこと?そう言われたら、少し肌寒いわ」
「……そうですね、貴女から上着を取り上げて挨拶回りをするわけにもいきませんし、帰りましょうか」
「おお、お、わたしの妻がご迷惑を、後日、御礼の品をお贈りしますリーヴズ夫妻」
「お気になさらず、どうぞ奥さんの方へ声をかけて差しあげて下さい、行きましょうベラドナさ…」
老紳士の謝罪を止め、身体を反転させようとしたグレンだが名前を呼んだところで強く腕を引かれ、彼女の方を向いた。
圧のある笑顔をしている。引き攣った笑顔で返す。
「……ベラドナ」
「はい、旦那様」
超スーパーウルトラファンタスティック超絶御機嫌なベラドナを腕につけ、出入り口で待ち構えられていた友人二人に冷やかされ、御者さんに心配そうな顔を向けられ、商会まで馬車内で腕を絡められながら帰るグレン。
帰った後に白狐商会No.2兼左腕兼昔からの相棒兼一番の悪友兼最終的に絶対に引き分けに成る喧嘩相手に胸倉を掴まれ両脚が浮いたまま超絶不機嫌怒怒怒ー・怒・怒ー怒怒鉄拳を喰らう事を彼はまだ知らない。




