33.杞憂に終わる
翌々日の昼頃、風呂上がりで溜まった確認書類をバサバサと忙しそうに整理するグレンと、彼の執務机の前で小さな小箱を手のひらに乗せ、片手で口元に手を当てるベラドナ。
ベラドナの瞳に水膜が張り、氷真珠もかくやな雫がはらはらとこぼれ落ちる。泣き出した妻に言葉もかけず、書類で顔を見せずな夫は今度は判子を探し始めた。
「…………………………グレン」
「………………………………………あったんで」
「……グレン」
「…………あったので」
「…………………グレン!」
「うるさいですね早く宝石箱の中にでもしまって下さい、壊したくないんでしょ!」
耳まで赤くして真後ろを向いてしまったグレンに、ベラドナは机に手をついて、失くしてしまった耳飾りがお澄まし顔で二つ並んで箱の中に入っている不思議を夫に向かって問い詰め始めた。
「貴方、どんな魔法を使ったの!?」
「シェード家の侍従さん達の助力と、犬一匹借りました、七割犬の手柄です」
「ま!」
速攻種明かしをしたグレン。家出先での行動、侍女達の証言、最後に耳飾りを見た時間から推測された失くした場所は海岸。
あとは人海戦術とシェード家現領主様のツテで紹介してもらった腕の良い狩人、の、猟犬。ピーナッツ二世(4歳)の力を借りて砂の中に落ちているのを見つけた。
その後職人の元で洗浄・弛みを直し、適当にそれっぽく見える箱に侍女さんに持ってきてもらった耳飾りの片方と揃えて入れ、用意が出来たのでそれ持って行ってくださいとぶっきらぼうに渡したというのがここまでの話。
感極まって泣いていたベラドナはハンカチで目元を拭うと、早速とばかりに両耳に耳飾りをつけ始める。
「えっ、つけ、つけるんですか?今?」
「私、貴方からまた耳飾りを貰うまでつけないつもりでいたんですもの、貰ったのだからつけるわよ」
「あっ、ぶな……あの商会は宝石価格の高騰で妻に並の耳飾りの一つ買ってやれないとか言われるところだった…………」
「心配し過ぎよ、その辺の誤魔化し方はもう対策済みなの」
「なに言って誤魔化すつもりだったんですか」
「初めてもらった耳飾りをなくしてしまったと泣いていたら、その耳を一番素敵に見せる物を贈るからもう泣くなと言ってくださったの、ですから、皆様にどのようなモノが贈られるのか想像していただこうと思いまして……」
「やめて下さい勝手にハードルを上げるな」
小芝居にしては真に迫った文句と表情で、それらしい動きをするベラドナ、胃が二回転半したグレンが腹と頭を抱えて椅子の上に蹲る。
「あぶなかった……ほんとうにあぶなかった……ッ!見つかって良かった…ッッ!!」
「金具の揺らぎも直して下さったのね、嬉しいわ、ありがとうグレン!」
「これは確認なんですけれど」
「ええ、何かしら?耳飾りの調整も細工も完璧よ?」
「さっきの文句、もう誰かに言ってたりしませんよね」
「…………………………うふふ!」
「うふふじゃない」
「誰に、誰に言ったんですか、場合によっては死にますよ、僕が」
うふふではない。冗談抜きで。更に二回転半した痛みを抱えたグレンが青い顔で机の向こうのベラドナに問いかける、頼むから一人二人程度であってくれと。
騒ぎを大きするのはお手のものなベラドナは指をまず、一本折り数えた。
「まずお母様に……」
「お義母様に!!?」
「けれど、耳飾りをこうして見つけて直して下さったのだもの、期待以上よグレン」
「あぶなかった死ぬとこだった、軽率に商会潰れるとこだったァ………………ッッッ!!!!」
「娘の旦那の商会だもの、潰さないわよ……」
安堵から床に落ち崩れ丸まったグレンを覗き込むベラドナ、呆れた声だが表情は嬉しさを隠せない。
手鏡で自分の耳に煌めく耳飾りをご機嫌で見ながら、質の良い簡素でシンプルなドレスの裾を揺らめかせる。机に這い上がり、その姿を見たグレンが青さの戻らない顔と、引き攣りの隠せない口元で呻いた。
「ベラドナ様、普段から着ているものも質の良い物なんですから、そんじょそこらの宝石じゃぁ太刀打ち出来ないんですよ…本気で職人探すか、いっそ自分で掘りに行くかしなきゃならないところだった……」
「あら、普段から着ている物の質を良くしたのは貴方の為よ?」
「え?」
「白狐商会の会長の妻ですもの、室内着とはいえ気のぬいた物を着るわけにはいかないわ、それに……」
どこで誰が見ているかわからない、どこで誰に見られているかわからない、紫電の舞姫の名は重い。
けれどどこの誰に見られようと、どこの誰にどう思われようと、ベラドナは昔からただ一人に好ましいと思われるのならばそれで良いと思っていた。
「………好きな人と毎日顔を合わせるのですもの、少しでも、長い期間綺麗だと思われていたいんですのよ、私」
どれだけの有象無象に誉めそやされても意味が無い。グレン・リーヴズの視線さえ、好意さえ貰えれば、彼女には他はどうでも良かった。
想定よりも健気で一途な言葉になんと答えて良いやら分からなくなったグレンは、それでもよく分からないなと思いながら、取り敢えずの感謝の言葉を述べる。
「…………………それは、お気遣い大変ありがとう、ございます…」
「どういたしまして、そんな普段の私の頑張りの報酬として、貴方から貰いたいものがあるんですけれど」
「在庫によりますね」
「在庫さえあれば良いのね、グレンからの名前呼び」
「はい?呼んでいるでしょう、ベラドナ様と」
「様無しで」
「……ベラドナ先輩♡」
「先輩も無しで」
誤魔化されなかった。最大限愛嬌のある声を出したグレンだったが、ベラドナの圧のある笑みは崩れない。
目を逸らし机の下に沈もうとする彼を逃すまいと、ベラドナの手が胸ぐらを掴み留める。逃げられない。逃がさない。
「五日、いや、三日ください」
「なんの期間なのそれは」
「入荷期間というか棚卸しにも色々準備がありまして」
「今」
「ちょっと持ち合わせがございませんね」
「い、ま」
両手をあげて降参のポーズを取るグレンと、令嬢らしからぬ名前呼びカツアゲを披露するベラドナ。
沈黙を破ったのはノックの音と、扉が開かれる空気の動き。従業員の一人が室内に顔をぴょこっと覗かせた。
「商会長、在庫確認表の…」
途端。ベラドナの手を外し最大限逃げるグレンと、外されたことに怒り机を周りなんとかもう一度捕まえようとするベラドナの鬼ごっこが始まる。
真ん中の執務机を間に挟み、右に、左に、ドタバタとまるで喧嘩をした子供のように追いかけ逃げ回る二人。
「なにが理由でできないと仰るの!?様と先輩を取るだけよ!?簡単ではないですの!!さあ!いますぐに!呼んで!!」
「無理です無理無理あのですねこっちには心の準備ってもんがあってですね」
「心の準備ぃっ!!?私達が結婚してからもう何ヶ月経ったと思っておいで!?口を開けば様だの先輩だの!妻相手にそんな敬称つける旦那がどこにいますの!!」
「つけてたって良いじゃないですかァッ!世界を探せばそんな旦那十人ぐらいいますしそのうちの一人がここにいる僕なんですよ!!文句ありますかっっ!!?」
「なんですってぇっ!!今に見てらっしゃい社交界で私が失くした思い出の耳飾りを探し出して直して贈る国一の最愛家に仕立て上げてやりますからね!!?覚えてらっしゃいな!!!!」
「ごめんなさいやめてください居た堪れないんですあの場には元同級生だってわんさかいるんですよ人の心が無いんですかベラドナ先輩は」
「ま!!!!ここまで言っても先輩ってまだつけますのね!!?!?」
「もう様も先輩もつけるの癖になってるんですよ!!!!」
その二人の様子に、他と同様にしてグレンの居た孤児院から白狐商会に入った従業員は微笑んだ。
手紙が届いてから心配していた、騙されているのか、それともグレンが自らを担保に金でも借りているのか、それとも結婚詐欺をしなくてはならないほど資金が足りないのか。
「…仲良いなぁ……」
商会で深夜まで、あーだこーだと従業員達で言い合った心配事は全部外れたらしい。
安心したように微笑んだその従業員はそっと扉を閉めると、仲間達に今日の商会長夫妻の様子を伝えるために足取り軽く廊下を戻っていった。




