32.原因と約束
膨れ面のベラドナと、心底疲れ果てた顔のグレンが仲良く馬車に乗っていた。
ガタゴト揺れる馬車内の静寂を破ったのは、珍しくグレンの方からだった。あくまで外を見ながらも、機嫌取りでは無い声色で、ただ本当にわからないといった声色で、外を向くベラドナに話しかける。
「…………ベラドナ様は、なぜ、僕を好きになったんですか」
「耳飾りを渡し、助けてくれたからと言っているじゃないの、それともこのお話がそんなに気に入ったのかしら?着くまでに五回はお聞かせできますわ旦那様」
「いいえ必要ないです」
「遠慮しなくていいのよ?」
「耳飾りのせいで貴女は酷い目に遭ってきた筈で、いっそつけない方が良かったかもしれませんと言いたかっただけなので」
ベラドナが振り向きグレンの横顔を見たが、本気で言っているのだと気付き、迷うように口を開き、頬に手を当て、少々考え込む。
グレンはベラドナが黙り込んだことで更に肩を落とし、馬車の背面に寄りかかり長く細く、とても小さく息を吐く。
「……酷い目に、酷いめ…………あぁ、たいしたことではないから忘れていたわ、確かに、同じような大きさの石がついた耳飾りを勝手に贈ってきた方に付き纏われたりはしたわね」
「そうですよね、だから尚更、貴女に好かれている理由が分からない」
ベラドナが何かを口に出す前にグレンの言葉が続いた。自分の方に視線を一切向けないグレン・リーヴスの横顔を見つめながら、黙って彼の言葉に耳を傾ける。
「ただ、災いの種を売り付けただけなんですよ、僕は」
更にベラドナから顔を背け、そう呟くグレン。彼の手は膝の上で震え、指先の色が変わるほど強く握り締められていた。
ベラドナは自分の耳に手をやる、そこにいつも大事な時に着けていた耳飾りは無く、ただ柔らかな耳朶だけが指を優しく押し返した。
「なのに何言っても好きとか言うし…、学生時代も警戒心無いのか寄ってくるし…、挙げ句の果てに誘拐紛いのことされるし……」
「…その耳飾り、失くしてしまったかもしれないの」
「えっ」
「ごめんなさい……グレン、私、浜辺かどこかに落として、もう見つからないかも…………」
「……全然、いい、ですけど…………」
「良くないわ、耳飾りを失くしてしまったら、私は、貴方に話しかける口実さえ無くなってしまうのよ」
ベラドナは残っている方の耳飾りを慌てて取ると、その一つだけは失くさないように、どこにも落とさないように大事そうに両手で握りしめる。
彼女に似つかわしくない慌ただしい動きと、その必死な行動に呆気にとられたグレンは、先ほどまで縮こまっていたのが嘘のように身体の力を抜いていた。
「この耳飾りと一緒に、貴方は災いを売りつけた、それならそれで良いの、選んで買ったのは私だもの」
「…………無くて困っている人にこれ幸いと一つ売り付けた相手に、選んだとは言えないと思いますが」
「いいえ、私は貴方の持ってきた物を買った、あの時、客と商売人だったの、貴女と私は」
「……不幸を幸いとし、売りつけるような商売人に惚れたと?」
「ええ、求めたのが私の顔でなく、身体でなく、心でなく、周りの羨望でなく、自分の未来への布石として恩を売ってきた男はグレン・リーヴズが初めてだった」
ベラドナの手が中に入れた耳飾りを確かめるように少しだけ開かれ、馬車の窓から差し込む光を受け、耳飾りは彼女の指の間から光ってみせた。
「貴方なら、恩を貸し付けられても過度に取り立てられる事はない、そう感じたから貴方から選んで買ったのよ」
ベラドナの細い指が中の石を、意匠を、愛しげに撫でる様子を見つめていたグレンだったが、再度視線を彼女から外し、流れ行く外へと目を向ける。
「それに、この輝く耳飾りがあったから私は国一の舞手として認められた、違う?」
「……………何をつけていても、先輩なら選ばれていましたよ」
「ふふ、相変わらずお世辞は下手なのね…売りつける相手を値踏みする商人って、学生の頃から噂だったもの」
「は!?そんな噂あったんですか!!?」
「気付いてなかったの?方々から非難轟轟だったわよ貴方、飼ってやろうとしたら生意気に噛みつかれたって」
「だからかよその商会からのアタリが強いのは……ッ!!」
「それは関係無いと思うのだけれど……」
頭を抱え唸り始めたグレン、その隣でベラドナは困ったように首を傾け、手の中に一つだけ残った耳飾りへと視線を戻した。
手の中で陽の光を受けてキラキラと輝く耳飾りは、対を失くして少し寂しげなようで。ベラドナは謝るようにまた石を優しく指先で撫でる。
「…………でも、失くしてしまったし、もう、見つからないかもしれないわね……」
「良いですよ失くして、あんなもの、というか補修の跡ありましたけど何回壊れたんですか」
「右側だけ三回」
「三回も!?」
「壊す度にどうしようって右往左往していたわ…今右は直っているのだけれど、今度は左側の石が緩んできているのよ……」
そう答えたベラドナは自分の耳を触る、失くした耳飾りの方だろうか、執拗に触れ確認するその動きにグレンは眉根を顰め、至極当然な疑問を彼女に投げかけた。
「そんな、三回直して使うほど、気に入ってたんですか、あんなの」
「?当たり前でしょう、また壊すのが怖いから頻繁には使っていなかったけれど……ハァ…………」
「デザインも形も時代遅れの骨董品紛いを」
「あら、私がつけた事で昔の型が流行り出したのは知らなかったのね、商会長様、他に在庫は無かったの?」
「嘘だ」
「ほんとよ」
ベラドナの声に今にも死んでしまいそうな空気がなくなり、普段の和やかな声色に戻ったことにグレンは安堵し、肩の力を抜いた。
一つだけの耳飾りが握り込まれ、申し訳なさそうな顔のベラドナが、隣に座る旦那様に向けて珍しく令嬢らしい、しかし妻らしくはないお強請りをする。
「……ねぇ、グレン、もう一度私に耳飾りを売ってくれない?」
「…………………………なんの石が良いですか」
「貴方が選んで」
「あのですね、男に好きなように選ばせると十中八九手持ちの服や小物に合わせるのが難しい物が贈られてくるんですよ、だから僕はあらかじめ最低限でも好みを聞いてから」
「好きな人が選んでくれた物ならなんでも嬉しいわ」
「…………無茶言いますね」
「白狐商会の会長様だもの、その辺の男と違って、私に似合う素敵な物しか選ばないでしょう?貴方」
学生時代からの無茶振り。友人然り幼馴染の女の子然り、数々の無理難題に応えてきたグレン・リーヴズにはベラドナのお強請りなど容易く叶えられるような願いであり、また、この世で一番難しいのではないかと思えるような条件であった。
グレンは気まずげに目を逸らし、馬車の床を見つめ、ちらとベラドナに視線を戻す。普段の美しくて憎たらしくて、何を考えているかわからない笑顔だった。
「…………代金は要りませんので、今回のことは水に流してくださると、僕が助かります」
「えぇ勿論、期待しているわね」
そうこうしているうちに馬車が白狐商会に到着し、疲れた顔のグレンとご機嫌な顔のベラドナが馬車から降りてくる。
遠くから様子を見ていた白狐商会従業員達は口々に事の顛末予想を言い合ったが、まぁ明日の休み時間にでも奥様の口から全部話されるだろうとのことで、取り敢えず一時解散としたのであった。




