30.迎え
どこか憂を帯びた表情で遠くを見つめるベラドナ。テラスに座り、髪を風に撫でられながらミルクを入れた紅茶を飲む。
気怠げに頬杖をつき哀しげな視線を投げるその姿はまるで一枚の絵画のようであり、彼女の隣に立つ侍女もまた、彼女の悲しみに胸を痛めるような顔で付き従っている。
花弁のような唇が開き、銀鈴が鳴る。
「………………………三日」
「はい」
「三日ですわよ」
「はい」
「化粧も髪もドレスも下着も完璧にして!三日!私!三日この避暑地で放置されていましてよ!?信じられます!!?」
「はい」
そりゃもうなんかこうめっちゃうるさく鳴る。チリチリッ!ではなくヂリヂリヂリッ!の勢いで鳴る。銀鈴とは美声を象徴する表現だが、鳴らし方によっては聞き苦しいだけだ。
ベチン!びちゃ!ベラドナが机を平手で叩いたことで紅茶がちょっと溢れ、生気を失った顔の侍女がサッとカップを取り上げて拭き、新しいソーサーに乗せて戻す。
「まさか雇い主に対して返事が面倒だなとか思ってますの?貴女」
「はい」
「ま!!!!」
憂を帯びた表情ではなく、押してダメなら引いてみろ作戦が失敗した事を悟りぶすくれてる顔だし。
哀しげな視線ではなく、自分の家か白狐商会の馬車が一向に避暑地へと繋がる道に現れなくて苛ついている視線だし。
彼女の隣に立つ侍女の顔は、マジクソ面倒臭いな早よ向こう帰って自分の部屋の掃除してぇの顔だった。
侍従達の総評。恋の駆け引きド下手くそお嬢様。脚本家親友からの大変お節介なアドバイスを鵜呑みにし実行したベラドナ。
脚本は脚色されているものであり、現実でしたらただの痛い女、見目により痛さは緩和されても怖い女になるだけなのに。
侍女は痛む頭を押さえながら、絶対に意固地になっていて進言を聞かないベラドナを説得しようと今日も頑張る。
「もうやめましょうよ、お嬢様、今頃リーヴズ様大困りしてますよきっと」
「少しは困れば良いのよ、私は毎日困っているんですから、一切仕事に関係すること以外の話をしませんのよ?食事の席でも執務室でも寝室でも」
「執務室は仕事をする場では?それに今は商会がお忙しい時期ですし……」
「それにしてもほどがありませんこと?私、新婚の、結婚したての、妻なのですけれど?」
「新婚って、いつまで新婚なんでしょうね…お嬢様……」
「…哲学みたいなこと言うわね貴女……」
多少トーンダウンさせることに成功した侍女は空になったポットを他の者に下げさせ、次に運ばれてきた白湯を自分と、ベラドナの分を淹れ置いた。
冷めたミルクティーを飲み干したベラドナは白湯に口をつけると、一切迎えにくる気配のない道に今日も視線を落としながら侍女相手に他愛もない話を続ける。
「はぁ…精霊の夢の内容よりはいくらかマシな状況ですけれども、ここまで私が興味を向けられていないとは思いませんでしたわ……」
「夢の内容はどのような物だったのですか?」
「家に言っている災害や利益獲得可能な物以外だと……私は、王子以外ともあやふやな関係を結んでいるメイベル様とダンスバトルをするわ」
「だんすばとる?」
「舞勝負の別な呼び名よ、それで、負けてしまうの」
「ベラドナお嬢様に限ってそれはあり得ません」
「負けてしまうの、夢では、そして領地の農作物を白狐商会に流すことになる」
白湯が入ったティーカップをそっと置いたベラドナは、青空へ視線を向けると、揺蕩う雲を少しだけ憎々しげに睨みつけた。
「……そこで、私の初恋は貴方だったわグレン・リーヴズ、と、メイベル嬢と仲睦まじい彼を諦めて終わり」
その表情を間近で見ていた侍女は自分の分の白湯を一口飲むと、心底わけわからんといった声と顔で慣れた応対をバカ正直にする。
「ベラドナお嬢様に限ってそれは天地が上がり下がりで融合したとてあり得ませんね」
「でしょう?二人は正式な交際もしていないのにどうして諦める必要があるのかしら、私、この夢にずっと納得がいっていないの」
「精霊の夢は気紛れとお聞きしますしね…メイベル様は精霊のお気に入りなのでしょうか…………」
「実際、途絶えた筈の尊き血が流れていたと判明したとしても平民出身、引き取られた先の男爵令嬢という身で妃候補へと駆け上がったのだもの、精霊のお気に入りには間違いが無いと思うけれど」
ベラドナの視界の端にガタゴトと揺れながら動くものが視界に入り、両手を突いて勢いよく立ち上がる。
その瞬間カップが揺れバチョチョッ!と白湯が溢れたので、今度はソーサーごと新しいものに入れ替える侍女。たいへん洗練された手つきだ。
「来た!?」
「いいえ、うちの馬車ではありませんお嬢様、お座りください」
「なんだ……三日もこのテラスでお茶を飲んでいるのだもの、景色にも飽きるわ…」
「わたくしも商会に帰りたく思います、白狐商会の新商品を見るのが楽しみなので、寂しいですね」
「他の者を寄越す?」
「いいえ?家出娘の扱いには慣れておりますから」
「貴女のところの娘もお転婆だものね…」
「ベラドナお嬢様ほどではありませんよ」
「家出回数二十五回には負けるわよ」
「そろそろ風が冷えて参りましたね、中へ」
陽が傾き始め影の多くなった付近。肩を落としながらも素直に室内へと入るベラドナの顔は、今度は本当に憂を帯びていた。
アドバイス通りとはいえ酷いことを言った、本心であったとはいえ墓まで持って行くつもりだったことを言った。その罪悪感と後悔が響いてきたのだろう。
鏡台の前で綺麗にまとめ上げられた髪を解かれ始め、ベラドナの視線が徐々に下へと落ちて行く。
「四日目に突入かしらね……」
「お髪を梳かしまッッッッ」
櫛を手に取った侍女が、テラスの片付けをしていた侍女のハンドサインに顔を青ざめさせ、手の中の櫛を持ち手が折れんばかりに強く握り締め始めた。
髪を梳かされる感覚が無いことを不思議に思ったベラドナが顔を上げ、自分の背後に立つ侍女へと疑問と視線を投げる。
「どうしたの?」
「……リーヴズ様、どうして髪を解した瞬間に……ッ!!」
「今すぐにまとめてちょうだい」
「畏まりました…ッ!!」
顔馴染みの御者が鏡を使った光でこちらに知らせる『ごめん』の合図。
理由は分からないが、他所の馬車を借りてグレンがこちらに近付いている事を知らせるためなのか、それとも屋敷の使用人達にまじごめんの謝罪のためだけの光なのか。
手早くまとめられた髪を確認し立ち上がったベラドナは、もうまじ到着間近すぎて笑えるほど時間が無い中で、出て行った側としての威厳を保つための諸々の支度を侍女達にさせる。
「ドレスに皺は無い?」
「ありません」
「化粧は落ちてない?」
「下唇を塗り直させていただきます」
髪も化粧も服も完璧に整え、玄関口へと早足で進むベラドナ。彼女は無意識だが不安な時に耳朶を触る癖があり、髪を払い、いつものように耳を触った。
そこにあるはずの耳飾りが片方無い。
顔を青褪めさせ、迷子になった子供のように取り乱すベラドナ。表情が崩れ、今にも倒れてしまいそうなほどに泣きそうな声をあげる。
「耳飾り!耳飾りをつけていないわ!どこ!?」
「お嬢様が持っていらしたのでは!?」
「私!?覚えがないわどこに置いたかしら、入れ物ごと持って、ええと、あそこに行って」
「侍女全員で探してきますので本日屋敷内外の行った場所を最初から口に出して下さいませ」
「海岸に散歩…」
「「「あ゛ーッ…!」」」
ベラドナを取り囲んでいた侍女達は各々のやっちまったなポーズを取り、ある者は海岸に行く前にベラドナが日課の舞の練習をしていた部屋に走り、ある者は先ほどのテラスに戻り、またある者は今さっき早足で歩いた廊下を戻る。
ベラドナの横についていた侍女がふらつく彼女を支え、その場に残った者に捜索指示をしようとした瞬間。
ノックの音が響いた。
「グレン・リーヴズです、僕の妻は、ここに居ませんか」
「ぉ゛ーーーーッ……!?」
「散れッ…!解散…ッ!耳飾りを探し出したら所定の場所に……ッ!!」
「ど、どうしましょう、耳飾り、失くして」
「探します探し出しますから今は毅然と立っていて下さいませお嬢様、いいですか、引いたらダメですよ、これから先一生尻に敷くつもりで毅然とした態度を取るんです」
「ぇ、えぇ、でも耳飾り…」
「必ず見つけ出しますので…ッ!」
「お嬢様ご武運を……ッ!」
小声でベラドに激励を送った侍女達はその場から散り、後には今にも死んでしまいそうなベラドナだけが残された。
耳飾りを失くした側の耳にずっと触れながらも、どうして良いか分からず、その場で立ち尽くす彼女。
「…………ベラドナ様」
扉から聞こえてきた待ち望んだ声に肩を跳ねさせたベラドナは、まるで死神の迎えでも来たかのような空気の冷たさを感じる。
震える声でやっと、扉の向こうに届くような声で一言絞り出した。
「………………………っ、いるわ」
ベラドナの怯えるような声を聞いたグレンが優しく問いかける。
「ベラドナ先輩、僕のこと、まだお好きなままですか」
「……………………ええ」
「この扉を開いては、頂けませんか」
「……グレン、私」
「……開いてもらえなければ、明日も来ます」
それはどこか諦めたような声で、でもなぜかとても寂しそうにベラドナには聞こえた。
「明日も、明後日も、明々後日も、開いてもらえるまで来ますから」
今開けないと、話をしないと、でも耳飾りを失くしたと言ったら、あの耳飾りがないと知ったら貴方は。
焦りと恐怖に取り憑かれ、その場から足を動かせないベラドナ。
穴が空いているだけの片耳から手を離せず、泣きそうな顔で立ち尽くす彼女の耳に、愛しい人の声と遠ざかろうとする足音が聞こえた。
「……じゃぁ、今日は帰りますんで」
ザリ。土のついた靴と、石畳の擦れる音。昨日雨が降ったのは見ていたから知っている、ここまでの道が悪路になったことも知っている、雨だからきっと今日は来ないわねと自分に言い訳をしたのを覚えている。
ベラドナの手が耳から離れ、扉に駆け寄ると勢いよく押し開けた。
「待って!」
「ぅぉでッ!?」
「ぐれっ!?こ、転んでしまったの?大丈夫?痛いところはない?」
後頭部を強かに扉に打たれ、衝撃でその場に転んだグレンに駆け寄るベラドナ。完璧に整えた髪も、服も、乱れ汚れる事を厭わずその場に膝をついてグレンの怪我の様子を見る。
滅茶苦茶に格好悪くなってしまったグレンは顔を背け、転んだ時に地面についた方の腕を引き掌の傷を見るベラドナから必死に視線を逸らし続ける。
「…………やっぱり帰っていいですか」
「手を擦りむいているじゃない、帰すにしても手当てをしてからよ、早く入って」
「や」
「早く、早く汚れを洗い流さないと、傷が膿んだらことよ、ねえ立って頂戴な、貴方のこと私、中までちゃんと運べないの」
「あの…っ」
自分に触れないように差し出されたグレンの手を見て、彼の腕を引いていたベラドナはやっと怪我した場所から、彼の顔へと視線を向けた。
目の前で首まで赤くしたグレンを見て、はた、と、自分が彼の好みだろうかと選んだ服も、靴も、髪型も、全て崩れていたことに気づく。耳飾りを失くしてしまったことすら今の一瞬忘れて、自分がしたことも、どう見られるかも気にせずに駆け寄ってしまっていた。
「やりなお、させて、下さい……さいしょから…………」
グレンはグレンで、同情心から口を滑らせてはくれまいかとベラドナの侍従に昔話を問いかけたのを最後にここぞとばかりに侍従達に喋り倒され、昨今流行りの芝居に寄せてロマンチックなことでもしてみるかと画策した。
結果がこれだ、慣れない事をするものではない。死に体で這って逃げようにも、ベラドナがしっかりと腕を掴んでいるため逃げられず。脚も変に折り畳んで座ってしまったため立てすらしない。
「あした、もういっかいくるんで…………」
「……格好つかないわねぇ、貴方も、私も」
先に立ち上がったベラドナがグレンの手を取り、グレンはベラドナの手に捕まり立ち上がる。
二人してどうしようもなくふらつきながらも、取り敢えずは怪我の手当てをするために屋敷の中へと入って行ったのであった。




