25.三連打
珍しく柄物のスカーフを首に巻いたベラドナが、一切視線を上げないグレンの隣で幸せそうに身を捻り踊っている。
細い指先でくるりくるりと自分のスカーフを上機嫌に絡め遊ぶベラドナ、その姿を一切視界に入れず、方々へ出す手紙を無心で書き続けるグレン。いつもの光景だ。
「可愛らしいことするのね、貴方って」
「揶揄うのはやめて下さいベラドナ様」
「私のお気に入りのドレスと同じ柄でベストの背中を作りたいだなんて」
「布地が残っていて安く済むならその方が良いでしょう」
つれない態度の彼の背中にそっと寄り添い、頬に手を当て陶器の肌に朱を入れて見せるベラドナ。更に余った布で作られたのが今着けているスカーフだった。
一切その姿に目を向けないどころか、手ずから水差しを取り、自分のカップに水を注いで飲み続けるグレン。いつもの光景だ。
「しかもチーフに私の紫を選ぶだなんて…愛されていますのね私ったら……」
「やけに店員から紫色をすすめられるとは思いましたが、そういうことだったんですね納得しました」
「覚えてらっしゃいな、そのうち本当に後悔させてやりますからねグレン」
「今絶賛後悔中ですよベラドナ先輩、服飾の知識がほとんど無いとはいえ店員の提案に安易に頷くのでは無かったなと、今後の課題にします」
リーヴズ夫妻のドレスとベストを作ったあとの余り布。その布を使い作られたスカーフを首に巻いたベラドナは、つれない夫の背中から剥がれ、溜息を吐きながら彼の机の前へとまわる。
ベラドナが顔を覗き込むも夫と一切目は合わず、手と視線が慌ただしげに動き、口と耳だけを妻へと向けるグレン。いつもの光景だ。
「はぁ…まぁよろしくてよ、次の社交界には揃いの物で出掛けられるようになりましたし、これでもう少し私の体裁も保たれますわね」
「あ、また僕、暫くは社交界に出れませんから」
「どうして?」
「ベラドナ先輩がくれたカフスボタンの問い合わせが多数、刺繍糸の在庫が切れそうで確保のために忙しいんですよ」
「あら大変」
「ええ、大変なのでしばらく放っておいて下さい」
いつもの光景ならば。ここで焦れたベラドナがグレンの気を引くために手なり髪なりに触れ、無理にでも視線を向けさせる所だが……特に今日は何も無い。
珍しい沈黙に視線を上げたグレンが見たのは、頬に手を当て、床を見つめ、少し考え込むベラドナの姿だった。
「…………ベラドナ様?」
「……私もね、少し忙しくなりそうなの、今日はもうこちらには来ませんので、心置きなくお仕事をなさってね」
「え?どこに行くんですか」
「ごめんなさい、密約ですので、旦那様にも詳細は言えませんわ」
困ったように笑うベラドナを見たグレンは水を一口啜り、彼女の首につけられたスカーフ、それ以外は目立たないよう配慮された服装、靴も歩き易いヒールの低いものである事をはじめて確認した。
確認したのち、机の上に置いた書類へと目を落とし、一応の釘刺しをおこなった。
「………………火遊びは商会に燃え移らない程度でお願いします」
「あなたねぇ」
ベラドナはそんな冷たい夫の返答にまた一つ溜息を吐き、慣れ切ったことと言わんばかりに微笑んで見せた。その笑顔を見たグレン虚を突かれたように動きを止め、羽ペンを戻そうと手が空を掻く。
「まぁ、私がどこで何をしようと貴方は興味が無いのは学園に居たころからですものね、失礼いたしますわ、お土産は今回もおまかせでよろしい?」
「はい」
「では行って参りますわね、旦那様」
「はい、お気をつけて…………………………………」
春風のように扉から出ていくベラドナを見送ったグレンは、自分が掴んでいたペンの軸が敷いた紙束を汚したに気付き、メモ紙の上にその紙を置いてペンをしまった。
しばらく椅子の背もたれに寄りかかり、思案を巡らせる。徐に水差しを取った手彼の手がその軽さに驚き、底で机を叩いて音を立てさせた。
「…………………………水でも取りに行くか」
白狐商会本店と、リーヴズ夫妻の住居スペースは繋がっている。扉一つ開けばすぐに仕事場、公私混同も良いところだが、事業が人生の全てであったグレンにはとても過ごし易い環境だ。
曲がり角に差し掛かったところで、地元から連れてきた三人の姦しい従業員達の話し声が聞こえ、グレンは足を止める。
「ねえ!商会長の奥様超お綺麗じゃない!?」
「当たり前でしょうあのベラドナ・シェードよ!?はぁ〜肌も髪も艶々していてまるで美術品みたいよね〜〜!」
「私この前手渡しで御土産貰っちゃった」
「「いいな〜〜〜〜ッ!!!!」」
三人とも勤務態度も品物の扱い方も良いのだが、なんにせよ五月蝿い、自分と一つ下、同い年、一つ上、流行りに敏感な女性なだけあり、服も靴も化粧品も見る目があるのだが、五月蝿い。
他の道を通るかとグレンは踵を返したが、話の続きが気になったため、少し歩幅を狭める。
「どこかに行くと必ず従業員にまで御土産買ってきて配るし、店内でも店外でも絶対挨拶してくれるわよね奥様」
「わかる、従業員全員の顔覚えてるんじゃって思うわ、私この間名前呼ばれたもの」
「えっ、なんでなんで」
「商会長は何の花がお好きかって聞かれたの、知らなかったんだけどさぁ、怒りもしないで時間取ったことを謝るし、しかも頭まで下げて」
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜私も奥様に話しかけられたい……あわよくば談笑したい…………」
「でも実際話しかけられて対応できた?」
「無理、眼前に美、何言ったか覚えてない」
「だよねぇ〜」
どうやらベラドナは従業員達に好かれているらしい、それもそうだ、あんなに美人で気の利く令嬢など他に居ない。
グレンは同意するよう軽く頷き、水差しを持ち直す。今度ベラドナに女性従業員と仕入れる茶葉でお茶でもと思案し始めた彼の脳味噌に突如飛んできた言葉の刃が刺さる。
「あんな綺麗な人が商会長のどこに惚れたんだろ、普通の人じゃん、見た目は」
「ねー、仕入れる季節モノ商品のセンス悪いし」
「ゔっ」
もう一本。
「女向け商品の流行り全逃しして在庫全死蔵するし」
「い゛っ」
さらにもう一本。
「この前仕入れた口紅の色カスだしね」
「がッッッ」
ダメージが膝に入ったのかその場に崩れ落ちるグレン。水差しを割らないところは流石腐っても商会長、なにしろこれも大事な商会の備品なので。
重い口撃を三発喰らって床に沈んだ商会長は体勢を整えると、床に座り込み壁にもたれかかる。回復にはしばらく時間が必要らしい。
「てか奥様に贈り物してるけど、なんでお貴族様達の間でその物が流行ってるのか分からないよね正直」
「ベラドナ様が使ってるからじゃない?商品云々はともかく」
「かも〜、あの人が持ってんなら欲しいもの、実際コンパクト私買っちゃったし」
「中の櫛が安めのやつ?」
「当たり前〜〜、うわッ!?商会長!!?何してるんですかこんなところで……」
「ちょっと、水を取りに……」
従業員の一人が驚き飛び退き、我等が商会長の体勢を見てすぐに呆れた表情に変わった。商会長グレン・リーヴスが商会内で書類を散らばし倒れていることはよくあることなので。
今回は水差しを溢さず手に持っているのを確認し、軽傷だと判断した三人は別に手も貸さず、適度な距離を保ちグレンの横を通り過ぎようとする。
「あー、水差し分飲み切ったんですね、お疲れ様です」
「お前たち」
「「「はい?」」」
したが、我らが商会長からの呼び止めに振り向き、
「正直に、僕とベラドナ様について思っていることを教えて欲しい」
「「「………」」」
中々に答えることが難しい質問を投げかけられ、三者三様の考えるポーズをとって固まってしまった。
なにせ、孤児院時代からの付き合いのこの商会長、手伝い方が悪かったり遊んでサボったりすると容赦なく賃金を減らしてくるタイプの雇用主だったので。
唸り続ける三人を見て嫌な顔をしたグレンはめちゃくちゃにデカい溜息を吐くと、条件を一つ追加した。
「賃金にも待遇にも影響しない」
「どうしてあんなクソ不遜な対応で紫電の舞姫に惚れてもらえているか心底謎です本気で」
「塩対応にも程があります、私なら舐めた二言目で相手の顔面凹ましてますね、バキッと」
「えっ、単純に愛してますって言ってんのに試し行動続ける人間って最低じゃないです?」
三連打が見事にボディに入り、その場に蹲るグレン。割と痛かったらしい、回復までに時間がかかりそうだ。
孤児院時代から金による圧政を敷いていた人間の弱った姿に、三者三様の冷たい視線を向ける従業員達。なにせ今回は珍しく彼の自業自得なので、なに勝手にダメージ受けてんだこいつの構えである。
「……………………もう、行っていい」
「傷付く覚悟が無いなら聞かないで下さい」
「体裁整えるぐらいしましょうよ商会長、昔馴染みの人間しか連れて来てないなからなんとかなってますけど、外に奥様への対応バレたら終わりですよ」
「うわ…泣いていいのは奥様の方ですよ……好きな相手に広告塔と割り切られて結婚されてるとか……」
「もう行っていいから!」
追い討ちもいいとこな口撃を喰らい死に体なグレンをその場に残し、まだ文句を言い足りない姦しい三人はヤイヤイ鳴きながら廊下の向こうへと歩いていく。
その背を見送りお腹を抱えた体勢でその場に転がり続けるグレン。商会長の威厳なんてクソほども無い。
「…………はぁ……」
「グレン先輩探しましたよ、刺繍糸の工房と話がつきましたので契約書の確認をお願いします」
そんな彼の下に孤児院外から雇った人間の一人である、トロイがやってきた。
彼にとってグレンはまぁそこそこ奇行をする人間枠なので、床に転がっていても何も言わないし、その場に膝をついて書類を渡すぐらい普通にする。
「……トロイ、僕、そんなにベラドナ様に対しての態度悪いか…………?」
「正直ドン引きですね、頭もがれて溝川に浮かんでないのが不思議でなりません」
「正直過ぎるだろ……」
「少なくとも妻に対してする態度では無いと思います、こちら契約書類作成時の話し合いの概要です、目を通しておいて下さいグレン先輩」
「ありがとう……」
トロイから受け取った書類に目を通し、胸ポケットから出した判子で印を押すグレン。どんな体勢であろうと押せるように訓練してきた彼は、たとえ手のひらの上で押そうと綺麗な印影がつけられるのだ。変な特技。
取引先との雑談・仕事内容をまとめた紙に目を通しながら、トロイに話しかけるグレン。内容は先ほどめった打ちにされたものと同じ事。
「トロイは、妻に、結婚相手に対する対応って何だと思う」
「質問がふわっとし過ぎていますけど、世の中の良い夫と呼ばれる方々は少なくとも奥さんに対してあの頻度の憎まれ口は叩きません」
「……後輩に指南を受けるって、僕いまめちゃくちゃ格好悪いことしてる…………?」
「自覚があるのなら対応を改めて下さい、普段使う言葉は大事な時にも出てしまうと、先輩が言ったんでしょう」
「はい……」
ますます縮こまった商会長に対して、わりと容赦のない言葉を投げかけるトロイ、そしてますます縮こまる商会長。そんな商会長を見たトロイは、結構大きめの溜息をひとつ吐き出した。
「……感謝してますよ、めんどくさい家の三男であるぼくを、二言無く、従業員として採用してくれたことは、だから他所から足元を掬われることのないよう改めて下さい先輩」
「とは言っても、あのベラドナ先輩に対して夫として振る舞えとは…………」
「夫として振る舞え、ではなく、先ずはあの人が言っている、グレン・リーヴズが好きという事実を信じてあげる方が先ですね」
「けれども……」
「人間、好意を疑われ続けると、その気はなくとも何かしら揺らぐものですから」
判子を押された契約書とグレンが充分目を通した会談録を回収したトロイは、膝の汚れを軽く払うと、その場に転がるグレンに背を向ける。
「……………トロイ、お前人生何周目なんだ?」
「何周目だったとしても前世の記憶は無いので分かりかねます、失礼します」
さっぱりした返答を投げた彼はグレンを起こそうともせず、さっさと歩いて廊下を曲がりその場を後にした。
残されたグレンは暫く生温い床の上に転がっていたが、のそのそと起き上がると、水差しを持って執務室へと戻っていった。従業員が自分を探して作業が滞るのは困るので、彼は情けなくても商会長なのだ。




