24.横槍
ベラドナはとてもとてもとてもとても不満ですと顔に出し、隣を歩くグレンの顔を睨めつけていた。
「旦那様、本日は夜会に御出席なさるとお聞きしたのだけれど、本当?」
「はい、いい加減一度は顔を出しませんと、お客様からの圧もありますし」
更にとてもとてもとてもとてもとてもとてもとても不満ですと顔に出し、一切視線を自分に向けない平民出身准男爵の夫の横顔を睨めつけた。
「どうして私に、最初に教えて下さいませんの」
「僕の衣服を仕立てると言い出すからですね」
「当たり前でしょう、貴方の結婚後初の社交界よ、ここで見栄を張らなくていつ張るの」
「仕立てなかったのは態とですので、また、機会があれば考えましょう、御手をどうぞ」
グレンから無感情に差し出された手を取り、階段を降りるベラドナ。ぶつくさと文句を続ける妻に適当な相槌を打ちながら一緒に降りていくグレン。
それが貴族社会のマナーであるからしているだけ、簡素なエスコートに尖らせた口を扇子で隠したベラドナは、隣を歩くグレンの婚姻前から変わらない一張羅を見て溜息を吐く。
「はぁ……紫電の舞姫の夫が着古した物を着てくるだなんて、グレン、色々引っかけられても知らないわよ」
「引っかけられそうですねぇ、酒もジュースも軽食も」
「そうねぇ、かけられてしまったら早めに帰りましょうね」
最後の一段を降り、手を離したベラドナは自分の視界に入った見慣れぬモノに声をあげた。
その声に振り返ったグレンは虚をつかれたようなベラドナの顔に首を傾げ問いかける。
「あら」
「どうしました?お手洗いなら向こうに行ってからにして下さい、髪も衣服も乱れてませんから、安心して」
「……貴方、手首の」
ついと向けられた扇子の先。手首に着けられた妻からの贈り物を、贈り主本人に指摘され、気恥ずかしくなったのか顔を背け言い訳をごにょごにょと口から漏らし始めるグレン。
「……カフスボタンが壊れかかっていたので、着け替えただけです」
耳を赤くし小さな声で、夫の下手くそなその言い訳に目を丸くしたベラドナは少し困ったように眉を傾けた。
沈黙に耐えられなくなったグレンが、刺々しい声で半ば悲鳴のようにベラドナに話しかける。
「何か言って下さいよ、気不味いでしょうが」
「……使って下さると思っていなかったから、なんと言っていいのか………」
「………僕だって、多少の礼節ぐらいは持ち合わせているので」
「……………付けて頂けるのでしたら、もう少し、綺麗に縫うんでしたわね」
「……十分な出来だと思いますけど」
なんとも言えない空気を馬車内に持ち込み、黙ったまま夜会へと向かう二人。会場に着くまで御者だけがずっとニッッッコニコしていた。
会場内、ベラドナは一人会場の端で受け取った飲み物を味わっていた。グラスに注がれているのは冷えた水。
だが華奢な持ち手を優しく掴む白い指に、硝子に口付ける淡い花弁のような唇、ベラドナが持っているというだけでまるで極楽の泉から沸いた酒のようにも見えた。
その姿は会場中央から離れていても目立つもので、一人、顔見知りの貴族がベラドナへと話しかけてくる。
「ベラドナ様、リーヴズ准男爵はどうなされたの?」
「向こうで白狐商会のお客様とお話を、私、何人もに話しかけられるので少々疲れてしまって、ここに」
「それでお一人で…お忙しそうですのね、リーヴズ様。白狐商会から購入したこのコンパクト、大変気に入っておりますと御礼申し上げたかったのですが……」
「私の方からお伝えしておきましてよ、そちらの細工は貴女の旦那様が?」
「ええ、私の好きな猫を入れてくだいましたの、うちには白猫がおりまして…」
白狐商会の商品を贈り物に、という話を幸せそうな顔で聞くベラドナ。疲れはどこへやら、空のグラスをウエイターに渡すことも忘れ、想いの籠った贈り物の話に耳を傾ける。
紫電の舞姫が惚気話を真剣に聞いている、という状況に周りのお嬢様方も集まり始め、ドレスの花畑が会場の一角に出来上がったその時。
「失礼!天界にあるという花園のような光景を見ていたいところだが、少々ベラドナ・シェード様に用が…いや、今はリーヴズ夫人と呼ぶべきかな?」
「ラルフ・スウィート様……!」
「きゃっ…私、髪崩れてないかしら…!?」
「ご機嫌ようラルフ・スウィート様、咲き誇る花々を前に、他に摘まれた私に御用事?」
無粋にも羽音を立て近づいてきた蜂に、ベラドナは花のような微笑みと少々の棘で返してみせた。
優雅な動きながらもどこか慌てた様子のラルフ・スウィートは、ベラドナの手を失礼にならない程度の強さで取り、軽く引いて共に来ることを強請る。
「俺の友人と契りを交わした相手に失礼なことはしませんよ、ご歓談のところ申し訳ない、急ぎですのでどうかご容赦ください、ベラドナ先輩」
「……そう呼ばれては断れませんわね、皆様、失礼いたします」
一応は学生時代の先輩と後輩、戯れに呼ばれた敬称に含まされた懇願。
花の輪から抜かれたベラドナは暫くエスコートされ、連れて行かれる先が会場の反対端な事に気付き、自ら手を離してラルフ・スウィートに説明を求める。
「それで、私になんの御用事かしら?」
「目を離した隙にグレンが"根腐れ"に囲まれていまして、貴女を持っていけばおさまるかと」
「あらあら、旦那様は人気者ですのね、私妬いてしまいそう」
「はははは、殆ど貴女の信者ですよ紫電の舞姫、グレンに手紙の返信を任せたそうじゃないですか」
「そうよ、適任でしょう?」
「あいつが捌き切れると俺は思いません」
「それはグレンを下に見過ぎではなくて?少なくとも彼、貴方よりは他人の感情を躱わすのが上手よ」
ベラドナが扇子で口元を隠し、ラルフの目が少し細まった。二人とも足の進みは止めず、談笑している風を装いながらも、剣呑な空気が二人を包む。
「俺相手に言いますね」
「准男爵夫人ですもの」
何を隠そうこの二人、学生時代外見のみで釣り合う似合いの二人だと囃し立てられ、要らないお節介により何度も二人きりにさせられかけた事がある。
仲良くはないが悪くもない、どちらも好きな相手がいたからそういう空気にならなかっただけ。偶に雑談し、どこかしらでお互いの気を逆撫でる発言をするだけの友人とも呼べぬ微妙な関係。
そんな二人が静電気程度の火花を散らしながら歩いていくと、ラルフ・スウィートがベラドナに伝えた通り無粋な輩に囲まれているグレン・リーヴズが居た。
「白狐商会の資金繰りは怪しいと見える、結婚後、独身時代の物を着てくるのは契った相手に失礼と知らないのかね?」
「仰るとおりです、妻にはこの羽織りが好き、と言われていましたので、つい甘え過ぎてしまいました」
彼等の周りに群れる者共もグレンに対して良い感情は抱いていないようで、嫌味な笑みを浮かべる者や、扇子で口元を隠し嘲笑う者が多数。
特にグレンと対面している貴族は服装こそ品があるものの、その声と顔は曲がりなりにも社交界で出して良いものではない。
「嘆かわしい……ベラドナ嬢は優し過ぎる、社交界に着てくる衣服の新調もままならない金回りらしい准男爵なぞに嫁入りして、さぞ苦労なさっているだろうに」
「いやぁ、資金自体は用意していたのですが、新規顧客の皆様はうちの商会の木製品がお好きなようで、その対応に日々追われ採寸する暇もありませんでしたので、妻には本当に苦労をかけました」
「貴様…ッ!」
嫌味に対し嫌味で返すグレン、火に油を注ぐが如き言動に殺気立つ相手。
当たり前だ、彼よりも家格は下の下の下であり、何を言われようと微笑んで流さねばならぬ立場なのに、あろうことか反抗してきたのだから。
ラルフ・スウィートの脚が一歩前に出たが、胸あたりにベラドナの閉じた状態の扇子が当たり止まる。
「ッ」
「お待ちなさいな」
学生時代の先輩を見るにしてはそこそこ剣呑な視線、苛立ちを隠そうともしない指が扇子を下げようとしたが、一切微動だにしなかった。
「スウィート様は、私の夫があれに負けるとお思いなの?」
「だって彼は准男爵で」
「ええそうね、"彼自身"に与えられた准男爵の爵位を持つ、白狐商会の主」
「……ベラドナ先輩」
「学生時代の私が一つ下の男に惚れたのには、それなりの理由があるのよ、"庭師"さん」
夫の友人が前のめりの姿勢から戻ったことを良しとし、扇子を広げ口元に当てるベラドナ。
面倒なのに絡まれた友人、しかし、彼を一切心配していないベラドナの横顔に肩をすくめたラルフは、心底だめだろあれは庇わないとの顔を隠さず紫電の舞姫の隣に立つのだった。
二人の視線の先では難癖をつけベラドナとの離縁を迫る他人に対し、飄々とした面持ちで火に油どころか木粉を撒き始めているグレン・リーヴズ准男爵。
「矢張り准男爵風情に、国一の舞姫の伯爵令嬢は見合っていない!今すぐにでも、ベラドナ嬢を放して差し上げるべきだ!!」
「妻が、そう言うのであればそうしても僕は構いません、自分でも釣り合わないと常々感じておりますので」
「ほぅ?身の程を弁えているではないか」
「毎朝彼女の手で髪を整えられ、共に朝食を食べ、仕事をしている時にはお茶を淹れてもらい…本当に僕は彼女にこんなことをして頂けるような人間なのかと、不安が頭をよぎる時が何度も…」
「こッ、ぃつ……ッッ!!」
「なにせ、僕はこの通り小さな商会のひとつ、ベラドナ・シェード様は貴方の仰る通り、国一の舞手であらせられるので、ね」
想定よりも貴族の土俵で闘えている友人に目を丸くするラルフ、彼の口をついて出たのは純粋な驚きからの言葉だった。
その言葉に嬉しそうに扇子を動かしてみせるベラドナ、今日も自分の夫が格好良くてご機嫌なようだ。
「…………言うようになったなぁグレン…」
「でしょう?私への言葉をあれひとつで済ませようとするのは少々問題なのですけれどね」
「俺が教えた相手の一番努力している部分を褒めろって、まだ守ってたのかぁ……」
「貴方のせいでしたの」
「王道を外す流石のグレンでもその褒め方ならハズレが無いですし、お気に召しませんでした?」
社交界の男も女も蕩けさせるような愛想笑いで隣を見たラルフだったが、向けた相手が悪かった。
ベラドナの顔は真顔も真顔、ブリザードが背後に現れるほどの真顔だった。
「大外れよ」
「あちゃぁ」
ベラドナが諸悪の根源を見つけた頃、加減を間違えうっかり育てたキャンプファイアーに火薬ひと樽をぶち込んでしまったグレンが相手を激怒させてしまい、腕を捻りあげられていた。
無理な捻じ上げ方をされたせいでグレンの腕に痛みが走り、流石に顔が苦痛に歪む。
「ッッそこまで解っているのならば彼女を解放して差し上げたらどうだ!」
「ぃ゛ッ…!」
「どうせこれも襤褸を継いで着ているのだろう、カフスも随分と貧相な物をつけているようだが!!?」
天高く上げられた手首にはベラドナからの贈り物、貴族ならば絶対に付けないだろう手作りの刺繍カフス。
痛みに呻きながらも口を止めることのないグレン、どうやらこの男、態度だけでなく口も相当悪いらしい。引いたら負けだとばかりに相手を煽りあげ続ける。
「ッ、ええ、お褒め頂けて嬉しく思いますよ、こちら、妻の手作りの品ですので、ッ!…刺繍も彼女の手製です、乱暴に扱って失くしたなんてのは流石に……」
「こ、の、平民がァッ!!」
一線を越え、理性を消した相手が引っ掴んだグラスのワインをグレンにかけようとした。
腕を捕まれているため逃げられないグレンは、せめて、と、掴まれていない方の腕を、カフスを隠すように背に隠す。
グラスが振り上げられ中の液体が踊った───
「あ゛っ?」
───が、寸でのところでグラスを持つ腕に扇子が当たり、難なく上へと振り上げさせるとグレンにかかるはずだったワインは、かけようとした本人に殆どかかってしまった。
「あらごめんなさい、お飲み物に当たってしまったわね、御召し物は御無事かしら?」
「べっ、ベラドナ嬢……!」
「いやだ、今は既婚の身ですのよ、私」
頭から爪先までワインに濡れた貴族に呼ばれ、心底可笑しそうに言葉を返すベラドナ。腕から扇子を離し、捻りあげられていた夫の腕をとって自分の腕を絡み付かせた。
唖然とするグレンに寄り添い、幸せそうに微笑むベラドナ。絡み付けていない方の手で扇子を開くと、勝手なことを言い出し、それにグレンも合わせる。
「後日、白狐商会から代わりの物をお贈りいたしますわ、ね、旦那様」
「……そうですね、僕の妻が御迷惑を、大変申し訳ありません」
「あら、他の方への御挨拶は良いの?」
ベラドナに言われグレンが辺りを見渡せば、気まずげに目を逸らす者、最初から興味が無いと顔を逸らしている者、逃げるように会場の別な場所へと向かう者。
グレンは小さく溜息を吐くと、ベラドナの腕を解かせ手を取って、会場の出口へと身体を向けた。
「ベラドナさ…も、ドレスの裾を濡らしたようですから、すぐに帰らないと、染みになりますよ」
そう言われたベラドナが目を瞬かせ、自分の足元を見るとワインが少々かかり花が咲いているのが見えた。
「気付かなかったわ、旦那様は目敏いのね」
「それでは皆様、失礼致します」
失礼とか知ったこっちゃない勢いでベラドナを引っ張っていくグレンと、半分引っ張られるような形でその場をあとにするベラドナ。
あとに残された人々は二人の去った方向を見つめ、ただ静かに立ち尽くす。
最初にワインを頭からかぶった貴族が我に返り、その場から逃げるように立ち去った。
次に野次馬の中の一人が足を引き、その音で正気を取り戻した一人が扇子を閉じた。連鎖は続き、人々の口が回るようになった頃、誰も彼もが話すのは白狐商会夫妻のこと。
好きだ嫌いだ無礼だ痛快だ、好き勝手な感想を抱く彼彼女ら、しかし、その場にいる全員が白狐夫婦の話に夢中なことには変わりなかった。
ベラドナの腕を引いて逃げに逃げ、会場出口付近で学生時代からの友人と顔を突き合わせたグレン。
グレンの前に立っていたのは、百花繚乱の花庭師と名高いラルフ・スウィートその人。人好きのする笑顔を浮かべ、夫妻へと軽く挨拶をした。
「やっ、目を離して悪かったね、グレン」
「…………ベラドナ様をお連れしたのはラルフ様でしたか」
ラルフは軽い足取りで二人へ近づくと、疲れ切った表情のグレンの肩をぽんぽんと叩きながら軽快に話を続ける。
「途中で居なくなったと思ったら……」
「流石にあの量は俺だと捌き切れなくてね、手助けを呼んだのさ、あまり必要なかったようだけれど」
「いいえ、助かりましたよ、伯爵家の御令息である貴方と違って、僕はこれが一張羅ですので」
「ははっ、いいのかい?そんなことを言って」
ピッ!と反対の手でラルフが示したのは、学生時代には隣にいなかったグレンの妻、ベラドナ、非常ににこやかな表情だがどこか怒っているような雰囲気を纏っている。
「君の奥さんが聞き逃してくれないと思うけど」
「あ」
「次の社交界の為にお作りしましょうね、旦那様、私と同じところでよろしくて?このまま帰りに寄りましょうか、私のドレスと揃いのものを一つ二つ、ね?」
「あ゛〜……………ッ!」
片手で額を抑え下を向くグレン、そんな夫の腕を抱え早よ帰るぞと言わんばかりに引きずっていくベラドナ。
二、三歩進むと思い出したと言わんばかりに、首だけラルフの方へと向けたベラドナが簡素な挨拶をする。
「それではラルフ・スウィート様、ご機嫌よう」
「ええ、ベラドナ・リーヴズ様、グレン・リーヴズ様、また今度、お時間がある時にでも馴れ初め話を聞かせて下さい」
挨拶にお世辞で返し、手を振りながら仲睦まじく見えるリーヴズ夫妻の後ろ姿を見送るラルフ。
喧騒が遠ざかり、一人静かな廊下に取り残された彼は飾り棚の上に生けられた、一輪挿しの大輪へと視線を向ける。
「……ちょっと惜しいことしたかな」
それだけ言うと踵を返し、リーヴズ夫妻の話で持ちきりな会場へと戻るため足を進める彼。その顔はどこか淋しげで、また、少し嬉しげでもあった。




