22.泣いた理由は
妻からの贈り物、プレート上に転がる三対のカフスボタンを前に、頭を抱え、空のカップを二つ積み、レモンを入れた水差しの中身を飲み干し切ったグレン・リーヴズは呻いた。
「どうして一歩も屋敷から出さなかったのに僕が学生の頃からベラドナ先輩に片想いし続け、卒業後心身共に疲れ果てていたところに、ベラドナ先輩が迎えに来て今は新婚熱々ってことになってるんですか」
なんとも虚実も良いところ。執務机の前に立ち、空の皿を二つ持ち、頰に手を当て小首を傾げるベラドナ・リーヴズは、なんともな棒読み加減でのたまった。
「……不思議なこともあるものですわねえ?」
「どうして一歩も屋敷から出さなかったのにベラドナ先輩が僕を両想いなのに伯爵令嬢という立場のため学生時代は受け入れられず、見合いを断り続け社交界に復帰した最初の夜会で僕を見つけて思わず駆け寄り、お互いの思いを確かめ合い婚姻を結んだことになっているんですか」
「あら、そちらは事実ではなくて?」
「両想いは虚実ですし確かめ合った思いはお互いにヤベーヤツって確認し直しただけでしょう」
「ま!」
わざとらしく口に手を当て、非難がましい一声をあげたベラドナ。
彼女の前で不遜にもそうのたまいあげたグレンは、妻の謹慎中に御来客してきた名だたる貴族の一覧の中、特に影響力のある方々の名前と詳細を読みあげ始めた。
「トラシ・カーナル伯爵令嬢、現在白狐商会で扱っている紙製品の生産地、慈雨の歌妓と呼ばれている、ベラドナ先輩へとただ旧友として会いに来た」
「綺麗なお水が多い地域ですしね、トラシ様の声が美しいのも、やはり普段飲んでいらっしゃるお水が理由かしら」
「デイジー・バーデン侯爵夫人、狂恋の妖精と呼ばれた舞手、娘さんが大きくなり最初の手鏡をあの櫛入りコンパクトにしたいとの来訪」
「以前にも増してお美しくなって……娘様もデイジー様に似て、将来は傾国を狙えますわあのお顔…」
「ジャーニー・ヒンス子爵夫人、子爵でありながら流通の要の土地を押さえているヒンス領主の奥様、輸送馬車の国内最大通過点を有している」
「ぅーん……私、あの方のお話あまり好きではありませんの、あっちこっちに飛ぶんですもの……」
「レオノーラ・フリードウッド、名優ながら脚本家でもあり、特にここ最近の舞台人気は無視できる物ではない、彼女がつけた唯の赤く丸い耳飾りが一夜にして国内から消えたという話」
「あぁ、その耳飾り硝子玉だったそうで、この前踏んづけて割ったそうでしてよ、おっちょこちょいですものレオノーラ様」
誰も彼も、現在の白狐商会の繁盛ぶりとは切っても切れぬ方々。
東では雨姫、西では妖精女王、北では関所の番犬が、そして王都で昨今流行りの女王子と皆こぞって白狐商会長夫人の店で買い物をと言ったらどうなるか。
東から来た客の量に従業員は悲鳴をあげ。
西から来た客の群に嗚咽を漏らし。
北から来る各方言の客達に諦観を覚え。
王都で流行りの歌劇団に所属している者達が来た時は、老若男女問わず多くの店員が腰砕けとなり使い物にならなくなった。
その全ての対応をし切った白狐商会商会長のグレン・リーヴズ、やれば出来る男であり、無理難題をやり切らなければ生きていけなかった男でもある。
今回の台風一家全員集合みたいな大騒動を乗り切った彼は、一過性の台風の目どころか留まるハリケーンそのものな自分の妻に質問した。
「交友関係どうなってるんですか、ベラドナ先輩」
「貴方に言われたくありませんわ、サラトリア王子の御友人、白狐商会長のグレン・リーヴズ」
「僕は厄介を押し付けられる枠として囲われているだけですよ」
「そうね」
「そうです、なので」
「それが私、気に入らないの」
ベラドナの観た精霊の夢の中でも、グレン・リーヴズという男は無理難題を何度もこなし、乗り越え、時にはその身を擦り減らしながらもやり抜いていた。
だが、ベラドナが哀れみを覚えるほどに、何度も身体を壊しかけ、方々に頭を下げ、時には自分の商会発足資金を擦り減らすような無理な対処の仕方であった。
ベラドナは自身の手首を強く握り、困惑するグレンの前で静かに、しかし並々ならぬ感情を声に滲ませ呻く。
「私の愛したグレン・リーヴズは、学園の催物の下地を整える道具でも、無駄に増産された菓子を売り捌く棚でも、妹分の尻拭いしかさせて貰えない男でもないの」
ベラドナの観た、精霊の夢通りの学園生活だった。何度も変えようとした、何度も彼の目に映ろうとした、何度も声をかけた。
しかし、その度に邪魔が入ったり、時が悪いと思わせるような状況だったり、今は忙しいと断られたり、グレン・リーヴズの意識がベラドナ・シェードに向くことは殆どと言って良いほど無かった。
グレン・リーヴズが顔を向けるのは、意識を向けるのは、好意を向けるのは、面倒ごとしか持ってこない筈の幼馴染と、爵位が高い故に断れない頼み事をしてくる貴族の友人達。
「…………どうして怒っているんですか、先輩」
グレン・リーヴズにはずっと理解が出来なかった。
何故、成功するかも分からない、今だってこの先続けられるかも分からない商会を持っただけの平民の自分に、引く手数多の高嶺の花がどうかお側にと執着するのか。
今だって、グレンが思っていたよりは上手くやれていた筈の学園生活の、どこに、ベラドナが怒っているのか分からない。
はた、と、前を向いたベラドナは、困惑するグレンから視線を外し、握り締めていた自分の手首も離して引き攣る頬に手を当てる。
「…………怒っているのかしらね、私、怒っているのね、他でもない貴方が私の顔を見て、そう言っているのだもの」
「怒る必要無いですよ、友人と言っても結局は迷惑の掛け合い、学生時代は顔繋ぎのために自分から方々駆け回っていただけですし、実際それが今」
「グレンのそういうところは、私、大嫌いよ」
大嫌い。ベラドナの口から食い気味に出た言葉に動揺するグレン。
どこが?なぜ?同様で手元の来客一覧の紙が散らばり、どうしてさらに怒らせた??と慌てて紙をまとめるが何度合わせても角が揃わない。なんで?どうしてさらに機嫌が悪く??わからない、何もわからない。
なにせグレンは自分をうっすら嫌いな貴族の相手は幾度もしてきたが、自分と結婚したいほど好きだという女の子のご機嫌取りはしたことがなかったから。
「…………ど、どういうところです?」
「顔繋ぎのためだけならあそこまで下手に出ることないじゃない」
「や、下手に出ることないって、相手は次世代の子爵や伯爵、なんなら侯爵も居たんですよ?僕にあの場で胸張れったって無理ですって」
「平民出身といえど貴方は成績優秀で、王子の友人で、私の…………」
ぽろ。
北の端で取れるという氷真珠よりも、南の深くで取れるという千年水晶よりも、丸く透明で、美しい雫がベラドナの瞳から転がり落ち始めた。
自分の手に触れた水滴に驚くベラドナと、そんなベラドナに顔を真っ青にして駆け寄るグレン、しかし近づいただけで背中も摩らずただあわあわと両手を空で躍らせるだけ。
「ベラドナ先輩、落ち着いてください貴女らしくない、ベラドナ先輩、ベラドナ先輩?」
「……今日は本館の自室で寝るわ、体調が悪いみたい、戻り次第寝室を戻すから心配しないで」
「先輩……?」
自分でハンカチを取り出すと軽く涙を吸わせ、ピタリと涙を止めてみせたベラドナ。次に、可愛らしく包んだ贈り物をグレンへと手渡しいつも通りに微笑んだ。
「こちら、返礼の品よ、旦那様の贈り物に合わせて私が作った物なの、普段から刺繍をしているとはいえ素人、粗はあるでしょう、使わなくても構わないから」
「ぁ、りがとう、ございます……」
「おやすみなさい、旦那様、あまり夜更かしはしないようにね」
「はい、おやすみなさい……」
それだけを伝えると部屋を出て、使用人に馬車を用意させ、すれ違う従業員達に挨拶をして、普段通りに、しかし、どこか気もそぞろな表情のまま馬車へと乗り込むベラドナ。
乗って走らせ少しして、窓の外を眺めていたベラドナの瞳から、再度ほろほろと雫が溢れ出る。
嗚咽も漏らさず、息も乱さず、ただ静かに涙を流し、ハンカチで抑え拭い取る。好いた彼の目の前で泣くことが、ベラドナが唯一、グレン・リーヴズ相手に恥と、悔しさと、無力さを感じる行為だった。
「…………………私は、気を引くために泣くような女が、一番嫌いなの」
話しかけても、贈り物を渡しても、目の前でどれだけ美しく踊っても得ることができなかった視線。
ただ一回だけ、一回だけ、体調が悪く、時期が悪く、諸々のことが重なり、最後の一押しで、グレンからの耳飾りの細工が壊れて泣いてしまった日。
「私、みたいな女が…いちばん………」
その時だけは、周りの心配げな視線の中、グレン・リーヴズの視線も、しっかりと自分に向いていた。悔しかった、恥ずかしかった、それだけでその日幸せだなと思ってしまった自分が惨めだった。
ベラドナはハンカチに顔を伏せると、涙が収まるまで目元を優しく抑えていた。
珍しく早く寝室に戻ったグレンは、明かりを消し、ベラドから貰った贈り物をベッドの上で開けた。
中には白い狐をあしらったカフスボタンが二対、行儀良く入れられている。
「………………………泣くんだな、あの人」
グレン・リーヴズは前に一度だけ、ベラドナ・シェードが泣くところを見たことがある。
どよめきが起こった方を向いたら、掌の上に何かを乗せて涙を溢していたベラドナが、人集りの真ん中に立っていた。
「…………なんで泣いたんだろ」
その時は一瞬、目が合った気がする。グレンの気のせいだったかもしれない、が、彼にはベラドナと目が合ったように思えた。けれど気のせいだとも思っていた。
ベラドナがその時泣いた理由も、今回泣いた理由も、グレンにはわからなかった。
なぜなら彼は、身内や友人の訃報以外で泣くような悲しい事は知り得なかったし、恋で泣くようなことも無かったのだから。




