19.虚勢と威勢
わかり易い白狐を模した細工のコンパクト、中を開くと品の良い無駄な装飾の無い櫛が、隙間なく、ピタリと櫛を入れるためだけに作られた凹みにおさまっている。
ベラドナは自分の手の上にのせたコンパクトをしげしげと眺め、優しく開けて閉めてを何度も繰り返す。
「可愛らしい白狐のコンパクト……こんな商品も置いていたのね…知りませんでしたわ…………」
「……外側のコンパクトはもう少し時間を下されば、他の物に変更する事も可能ですけれど、別な意匠にしましょうか、ベラドナ先輩」
「どうして?とても可愛らしくて気に入りましたわ、確かに、背面の細工が少々粗い…?ところはございますけれども、貴方の贔屓の職人なのでしょう?」
「僕が作ったので」
言われた言葉の意味が分からず、椅子に座った自分の隣に立ったままのグレンを見上げるベラドナ。
そっぽを向いているので表情こそわからないものの、彼の声には後悔と羞恥が滲んでいるのが彼女には分かった。
「……背面の細工は、僕が貼り付けましたので、やはり、今からでも職人を引っ張ってくるのでそれは」
用意が出来次第別な物を作らせて、と、その後の言葉は続かなかった。
なぜならグレンが視線を向けた先に、子供のように渡したコンパクトをお腹に抱えて丸まったベラドナが居たからだ。
美人な妻の突然すぎる奇行に困惑したグレンだったが、こうも抵抗されると気恥ずかしさと何がなんでも取り上げようといった気持ちが勝つ。
「…………先輩」
「もう貰ったのでこれは私の物です」
「先輩」
「粗いところは確かにございますが、可愛らしい白狐のコンパクトという評価も、気に入ったという事実も変わらなくてよ」
「先輩、渡して下さい」
「いやです」
「ベラドナ先輩」
「私はこれが気に入りました、結婚後最初の贈り物はきちんと受け取られました、これで両方満足の筈ですわ、この話は終わりでよろしくて?」
「何にもよくないんですよ」
「私に渡せるほどご自分でも出来がよろしいと思っていたのでしょう、実際大変に愛らしい出来ですわ、何も気にすることはなくてよ」
「気の迷いでした、作り直させますのでそれを渡してください」
「いや」
綺麗に流した髪を乱しても渡さないと意固地になっているベラドナ、その様子を見て取り上げることを諦めたグレンは、せめて彼女が頭を上げた時に溢したりしないよう紅茶の入れられたカップをテーブルの奥へとずらした。
恐々と上半身を起こしたベラドナは、グレンの顔を見て折れてくれる気になったことを確認してから、片手で髪の毛を直し始める。コンパクトを手放す気は一切無いようだ。
「……貴方が私のために作ってくださった物ですもの、絶対にいや」
「…………わかりました、ですが外では使わないで下さいね、恥をかきますよ」
「かくわけないでしょうこんなに素敵な物なのに」
「あのですね」
「貴族に何人、好きな人が自分の手で作ってくれた物を、結婚後初めての贈り物で貰える人間が居ると思う?」
細工の荒いコンパクトを胸に抱き締め、これ以上無いほど幸せそうに微笑むベラドナ。
「きっと、この国では私一人だけよ、グレン」
その美しい笑顔にまた、グレンは何も言えず、何と返すべきかも思い付かず、罪悪感を腹の底へと積もらせた。
とはいえ旦那の後悔とか罪悪感とかそういった諸々を一切合切知ったこっちゃないベラドナは浮かれ切っていた。
しっかりキッパリ約束通りの日にちに渡されたのは好きな人が作ってくれた…と言うと多少語弊はあるがまぁ手作りと言っても過言ではないコンパクト。
ウッキウキのわっくわくで取り出し、これ見よがしに夜風に吹かれて乱れた髪を梳きなおして見せる。
幸せいっぱいのその仕草に近くの御令嬢の視線が向き、見慣れぬコンパクトを使っているベラドナに声をかけた。
「ベラドナ様、そちらのコンパクト…」
「えぇ、旦那様からの贈り物ですの、中に鏡と、櫛が収まっていて…前に使っていた手鏡を壊してしまったとお伝えしたら贈ってくださったのです……」
「お優しいのですねリーヴズ様……」
「鏡だけでなく乱れた前髪を整えるための櫛まで、とても気の利く方ですのねぇ……」
でしょ!でしょ!!口には出さないし出せないが肯定の意でベラドナの笑みが深くなり、周りの御令嬢は望んだ通りの幸せな結婚なのだなといっそう憧れを強くする。
だがどこでも幸せな人間に冷や水を浴びせたがる人は居るものだ、飛ばされた矢羽のようにベラドナの耳を鋭く掠めたのは白狐商会を詰る声だった。
「そこまで気が効く方ですのに、白狐商会は碌な職人を使えていないようですわね、背面の細工の粗さが目につきましてよ?」
その言葉通り、目の肥えた貴族達にはどうも作りが粗い、紫電の舞姫が気にいったにしては割とお粗末に見えるコンパクトの背面細工。
木片を合わせる物だからこそ作った人間の腕が顕著に出る、貴族社会は意地と見栄の張り合い、得難い物を手に入れたと自慢し合うのが慣わしで、その得難い物は案外大したことがないのねと貶すのが御約束なのである。
「新人の職人に最愛の妻の贈り物を任せるなんて……はぁ、かの有名な美しき紫水晶が夫から贈られた品が、そのような…………」
「このような、旦那様が自ら細工を施してくださった、粗さの残る物を贈られるなんて」
だが、価値観は人それぞれあれど、大切な人が心を込めて作ってくれた贈り物を貶すのは不粋と責められるのは、人間社会上から下までまぁどこでも変わりない。
食い気味の切り返しに目を丸くし、素で驚いた表情をしてしまう嫌味を言った令嬢。その隙を逃さず、よくぞ話に出してくれましたと結婚後初の贈り物を持ちながら口の止まらないベラドナ。
「…………は?」
「まさか木製の指輪を作成する職人様方の手を煩わせるわけにはいかないと、旦那様自ら細工を施してくださるなんて、私、聞いた時には思わず愛しさでどうにかなりそうでしたわ……」
「リーヴズ様自ら細工を!?」
「彼の方、元は職人を目指していましたの?」
「いいえ、孤児院にいた頃から手先は器用だったそうでして、造花を作ったり、貝の装飾を作ったりと、自分の居る場所の助けになればと小さな頃からそうして稼いでいては孤児院にお金を入れていたと……」
「まぁ、なんと健気な……」
「幼少期から、とてもお優しい方だったのですねリーヴズ様……」
人伝に聞いたお涙頂戴な情報も、誇張はしていないがそれらしく聞こえる事実も、全てベラドナは自分の夫が好きで好きでたまらないから話しているだけ。
だが、話を聞いた周りは勝手にグレン・リーヴズは平民上がりで努力家で優しく健気な人物、と、勝手に思い込む。その彼が運営している商会の物は良い物、と、やはり自分から色眼鏡をかけるのだ。
それが面白くない人間だって多く居る、例えばよその商会の人間だったり、ベラドナに舞で一杯食わされた人間だったり、そもそも平民上がりの末端貴族が話題に上がることすら気に入らない人間。
「ッ……しかし、ここ最近で宝石類の値段が上がったことで、小さな商会では宝石を仕入れられなくなったと耳に入ってきますわ」
「木製の指輪に嵌め込むための宝石を、皆様、少しでも美しい物をと選ばれていますからね…」
「ベラドナ様の贈り物の櫛に何も意匠が施されていないのは、商会に資金を回す為に態とつけられなかったのではなくて?」
そんな人間、珍しくもない。
ベラドナは開いていたコンパクトの中に収められている櫛を指さされ、貴族が使うには装飾も無い、ただ木から削り出されただけの簡素な櫛と貶された。
今の流行りは豪奢な細工の施されたコンパクト、彫り物でも、装飾でも、夜闇の中、か細い光を受けて煌めく小物が流行り。
「木製の指輪がここ最近で流行り売れ始めたとはいえ、元は平民向けの商品を扱うのが主流だったそうですし、かの紫水晶に贈るための宝飾品が用意出来ず、そのような質素な櫛を───」
「あら、この櫛に使われているのは"ツゲト"という木で、髪油をその身から滲ませ続け、使えば使うほど持ち主の髪を美しくする櫛を作ることが出来る……の、ですが、あまり有名ではなかったかしら?」
「───なッ」
そんな言い掛かり、珍しくもない。
目を細め、嫌味に対し優雅に言い返して見せたベラドナは、装飾も何もないただ櫛として削り出されただけのツゲトを手に微笑んだ。
伐採され髪を洗う桶やヘアオイルを入れる容器にまで使われ続けたツゲトは、今や高位貴族でさえまな板一枚分手に入れることすら難しい。
「あのツゲトを……!?どこから買いつけたのかしら……?市場に出回らなくなって久しいのに……」
「本当ならば、そこらの小粒の宝石では比較にならないほどの値が付きますわよ……」
「確かに、ツゲトの櫛に装飾を施す方が無粋…リーヴズ様は美容品の見極めの才もお持ちなのね……」
ベラドナは精霊の夢で以前から知っていた、正確には、前世の記憶で見た恋物語で知っていた。一時の流行りさえ追い求めなければ、グレン・リーヴズは商人として他の追随を許さぬほどに優秀な人物なのだと。
そして、創りモノの物語の中であろうとそんな彼のことを一番に好いた前世の自分と思わしき女は、とても見る目がある人間だなと感心していた。
ベラドナは長年手入れし続けた己の髪を手で触り、嘘を吐いた。嘘ではないのかもしれないが、彼女にとっては嘘だった。
「旦那様は美しく長い髪を持つ女性が好み、と、お聞きして……ずっと私、髪を切らずに、手入れをしていたのです、それを旦那様も見ていてくれたようで…………それを思うと……」
絶対にグレン・リーヴズがベラドナ・シェードを見ないことは精霊の夢で知っていた、実際、初対面時以外学園で彼の方から視線を貰ったことは一度も無かった。
長い髪の女性が好きと聞いて手入れし続けた髪も、白い服が似合う人が好きと聞いて選んだ私服も、笑顔の可愛い人が好きと聞いて練習した表情も、一度たりとも、グレンの方から見られていたことはなかった。
貴族令嬢の報われない恋など、珍しくもない。
「……一生、手放したくないわ」
胸に抱いたコンパクトがたとえ自分へと向けられた好意からの贈り物ではなかろうと、ベラドナは『愛妻家で妻を気遣う白狐商会長』像を作り上げると決めていた。
それが無理に契った自分が出来る贖罪であり、白狐商会の利益に繋がると確信していたから。
話を聞き、贈り物を見、ベラドナの贈り物を扱う手付きから全てが本当の事であると思い込んだ、リーヴズ夫妻の何もかもが気に入らない人間から心無い言葉が飛ぶ。
「…………そっ、んなに、ベラドナ様は思われているというのに、夜会には、ベラドナ様の旦那様は御顔を見せては下さらないのですねッ、新婚というのに、まるで咲き誇る花を摘んで、花瓶にも入れない行いでは!?」
「うふふふっ!皆様が白狐商会にいらっしゃるから、社交場に出る暇もない程忙しいの、私の旦那様の御顔を見とうございましたら、是非とも本店へいらしてくださいな」
「き…………ッ!!」
「御来店を是非ともお待ちしていますわ、私と、旦那様と二人で」
一生をかけての片想いなんて、珍しくもない。
ベラドナは幸せいっぱいの笑顔を見せ、この日の夜会中ずっと婚約後初の贈り物をこれみよがしに使い続けた。
この日のベラドナは今までに無いほど、それはもうアホほどテンションが上がっていたし、出来得る限りの手段を尽くしてグレン・リーヴズの株を上げまくったのだった。
結果、三日後にはご覧の通り髪も肌もボロボロで、目の下に濃い隈を作った白狐商会長グレン・リーヴズが、両掌の上にコンパクトを乗せ機嫌良さげに微笑むベラドナ・リーヴズを前に、執務机に文字通り沈みかけていた。
「夜会に持って行ったんですか」
「勿論ですわ、お母様にも大変羨ましがられましてよ」
「よりにもよって夜会に持って行ったんですか」
「当たり前でしょう、今回は外での集まりでしたから、前髪が風に吹かれて乱れますの、お直しの為の手鏡を準備するのは当然でしょう?」
「国中の既婚男性を敵に回しましたよ、余計なことをしてくれやがってと、僕が」
「国中の女性のお客様が今や貴方の商会の虜ですわ、細工をしていないコンパクトの売れ行きは?」
「大変、よく、売れていますよ……ッ!」
商会長が沈んだ。特に珍しくないことだ。
『愛妻家』で『健気』で『努力家』で『これから大きくなること請け合いの商会』を持つグレン・リーヴズ白狐商会商会長は、目の前で微笑む利益的には天使だが、タイミング的には悪魔のような自分の妻を睨みつける。
その視線により一層艶が出て美しくなったと言われる髪を揺らし、幸せいっぱいに微笑んだベラドナは彼女が特に気に入っている嘘を囀った。
「まぁとっても嬉しいことね、『私のことが大好きな』旦那様?」
「無理矢理にでも……ッ誰かに作らせるんだった…………ッッ!!」




