17.交渉とお強請りは違う
「ねぇ、旦那様」
「なんですか」
「離縁したい?」
ドシャンパキパリンガシャドドド。店内のあちこちから商会内人災文書提出案件の音が響き、白狐商会商会長グレン・リーヴズの瞳から光が消えた。
白狐商会商会長夫人であるベラドナ・リーヴズは、注文票の束から一切手を離そうとしない夫の腕に掴まったまま再度問う。
「……私と、まだ離縁したい?」
「…………質問の意図がよくわかりません」
「あら、即答されると思っていたのに、迷っていただける程度には私のことを好いて下さったの?」
「……次から、そのような質問をされる際には二人だけの時にお願い致します」
最小限の音を立てながら壊したり落としたり崩したりした商品の山を片付け、最大限商会長夫妻の会話に耳を傾ける従業員達。
睨んでも片付けるペースは上がらないだろう従業員達を腐った魚のような目で見ながら、注文票の隅に目に見える範囲の損害計算式を書き始めるグレン。特に陶磁器類が被害甚大らしい。
「今のでだいぶ損害出ましたよ」
「あらら、私のお小遣いから補填しておくわね」
「そういう問題では無いんですよベラドナ様、開店前といえどもどこで誰が聞いているか分かったものではないので、少なくとも店内でそのようなことを言い出すのはおやめ下さい」
「衆人環視で聞くからこそ意味があるのではないの」
「そこ、手を止めない」
崩れたラッピング用の紙箱の影から顔を覗かせる二人の若い従業員に鋭い声を投げつけたグレンは、店内の奥のそのまた奥、半住居スペースと化した所まで片腕にベラドナを引っ付けたまま歩いていく。
「木製の指輪をベラドナ様が流行らせてから少々問題が発生していまして、その対応に追われているんですよ」
「どんなこと?何かを渡す、卸す、通す代わりに、紫水晶を出せ、とかかしら?」
「そちらも有りますが、そう吠える相手にベラドナ様が顔を見せなければならない状況にはさせませんよ、差し迫った問題としては一つ」
店の二階に上がり、商会長室と書かれた部屋に入る二人。扉を閉じ、ベラドナに椅子をすすめ、注文票の束を損害計算した物以外片付けたグレンは真顔で言い放った。
「宝石類の確保が難しくなりました」
「それの何が問題ですの?」
「ベラドナ様の結婚指輪、木製の物で三つほど御用意していますよね」
「ええ、一生にひとつというのがお決まりなのだけれど、グレンが用意した予備ね」
「木製の指輪はサイズ直しが効かず、指にピッタリの大きさで作ると使用者の体調変化により、指に嵌まらなくなったり、弛んだりすることがあります」
「そうね」
「問題はベラドナ様のつけた文句、"私の指にしかピッタリと合わない物を、旦那様がわざわざ、私に合わせて作ってくださった物"と、お言いになったことです」
「それの何が問題ですの……?」
グレンは自分の左手薬指にもぴたりと嵌っている揃いの指輪を見せ、空色に紫の煌めきの走ったオパールを光らせた。
それを見たベラドナもまた、結婚指輪として渡され、風呂と就寝時以外は外す事のない自分の指に寸分違わず嵌っている指輪を見る。
「実際、私の指に合うように作られた物でしょう?」
「そうですね、揃いで僕のも三つあります、少し大きめのものと、さらに大きめのもの、日によって浮腫み等がある日はそちらを渡してもらうようにベラドナ様の侍女の方へと話を通しています」
「ま!」
「貴女の指にピッタリ合うものでなくてはならない、そう条件付けたのはベラドナ先輩です、足を掬われることの無きようお願いしますよ」
「……私より、私に厳しいのね、グレン」
「当たり前でしょう僕が渡した指輪で何か言われたら全部僕の落ち度なんですよ、絶対盗まれたり捨てられたりしないで下さいね、もう絶対あんな空色に紫の遊色あるデカい石なんて見つかりませんからね」
「肝に命じますわ…」
きゅっと指輪を嵌めた手ごと胸に抱き締めたベラドナ、その様子を横目で見ながらグレンは今回の木製指輪バカ売れ騒動で従業員から上がってきた諸々の反省点や至らなかった点をまとめた紙へと目を通す。
「そしてこれ以上指輪の予備が作れない事も問題ですが、宝石が確保できなくなったことにより、細々とした物に使われている宝石類まで価格が釣り上がりました」
「どうして?」
「これもベラドナ先輩の言った『私のこと"だけ"を考え抜いて贈ってくださった物』という言葉のせいですね、お貴族様全体が宝石の種類を選ぶようになり、質の良い物順に玉突き式に買われ上げていき、宝石店では扱わないようなクズ石までもが価格を引き摺り上げられてしまったんですよ」
「あらぁ大変」
「本当になんてことしてくれたんですか、結婚記念に渡すのにネックレスを作らせようと思っていたのに、本当になんてことしてくれたんですか、今の稼ぎで買えませんよ、伯爵令嬢が付けるような首飾りのメインを張れる宝石」
「私、別に宝石がついている物でなくて良いのよ?」
「もうちょっと周りからの評価を気にして下さい、下手なものを貴女に渡すと白狐商会の評価に直結するんですよ」
「次に貰えるのは私よりも商会のことを思っての贈り物なのね……」
当たり前のことだろう。二人の脳裏にそんな言葉と、ベラドナの胸に一抹の寂しさ、グレンの指先に罪悪感がよぎる。
ベラドナの手が自分の胸元、夜会でも茶会でもないため何もつけていない鎖骨あたりに当てられ、グレンの手が居心地悪そうに二、三度握り開かれた。
「首飾り、と、決まっているわけではないのでしょう?他の物を、貴方が私に似合うと思った物を贈ってくだされば、私は満足ですの」
「しかし、今の流行りは」
「グレンが流行りを追うと絶対に失敗するので、きちんと、私に似合う物を考えて選んで下さいませ」
「だいぶ商人として致命的なことを僕いま言われませんでした?」
軽い応酬、寂しさも罪悪感もどこかへ消えたらしい。グレンは手に持っていた諸々を机に置くと顎に手を当て、思考を巡らせ、目に無理だと諦めを浮かべたのちにベラドナへと質問する。
「えー……では、参考までに、何か欲しい物あります?」
「貴方からの愛かしら」
「冗談は後にして下さい」
割と本気の言葉を容赦なく切って捨てられたベラドナは口を尖らせ、片想い相手の夫がしてきた質問への答えを頰に手を当て探し始めた。
「冗談でもないのだけれど……欲しい物…新しい手鏡かしらね、前に使っていた物を私の不注意で壊してしまって……それから気に入った物が見つからないの」
「手鏡……大きさはどの程度のものが良いですか」
「ぅーん…手のひらに、乗る程度のものだと嬉しいわ……夜会にも持っていけるように小型の物が欲しいの」
「わかりました、再来週迄に用意しておきます」
「思ったよりも早いのね、物があるなら今すぐにでも良いのよ?私、記念日は誕生日以外気にしないの」
「お渡しはおそらく二日後に、物だけであれば確実に出来ますが、渡した後誰にも見せずに一週間強黙っていられますか?先輩」
長考、熟考、推考。
「………………………………………うーん」
「二週間後にさせて下さいね」
「……もう少し早くならない?」
「なりませんね」
この後続いた二人の時切り交渉は、それこそ夕飯の時間だとベラドナの侍従が部屋に入ってくるまでしつこく続いたのだった。




