11.御挨拶
避暑地に避難して暫く、椅子に座って胃薬の瓶と水入りのカップを前に宙を見つめるグレンと、幸せそうな顔で微笑み片手に持った扇子で自分の旦那様を扇ぐベラドナ。
「本店の外装工事が終わったそうですわ、あとは内装、の前に私のお母様とお父様との顔合わせですわね」
「なんとか顔を合わせずに済ませることって出来ませんか」
「可能であれば顔を合わせない形で済ませておりますわ」
「やはり子供から見ても怖い方なんですか、シェード家の御当主は……」
「いえ…?べつに……」
「べつにって……」
結婚には親御さんへの挨拶がつきもの、駆け落ちか絶望的に親と仲が悪いかでもなければ、まぁ貴族も平民もほぼほぼあるだろうこの儀式。
胃薬と水を胃におさめたグレンは誓った、生きて帰ると。こうしてシェード伯爵夫妻との顔合わせはしっかり事前に決められた日時と場所で、然るべき手順と共に始まったのであった。
クソデカ門で胃に一撃、使用人総出の出迎えで二撃、一張羅とはいえ安物の三揃えを装備してきたことによる防御力の低さが仇となった。
グレンは無理に金と時間を捻出して新しいのを作るべきだったと満身創痍の身体を引き摺りながら席についた。
席について五分もしないうちに開かれる扉、人攫いのご両親の姿が全て現れる前に、席を勢いよく立ち上がり九十度どころか七十度のお辞儀をその場で繰り出すグレン。
「お初にお目に掛かります、グレン・リーヴズと申します、ホアン・シェード様、イザドラ・シェード様、この度はわたくしに御挨拶の機会を頂き誠にありがとうございます」
「堅苦しいのはよして、もう貴方はシェード家の一員なのですから、ね、あなた」
「…………」
「もう頑固!頭をお上げになって、グレンさん、さ、さ、お座りになって頂戴」
恐々と顔を上げたグレンの目に入ったのは、ベラドナ似のスラッと背が高い奥方と、その隣に立ち胸を張る、小さく丸く整えられた髭がくるんと巻いた領主。
厳しい顔をしてはいるが、なんとも愛嬌のある身長とお顔、グレンは拍子抜けした顔でその場に立ち尽くし、袖をベラドナに引かれて慌てて座った。
「白狐商会には友人共々基礎化粧品でお世話になっておりますの、貴方のところの化粧水、朝露、アレを使ってからお肌の調子がとても良いんですのよ」
「あっ、ありがとうございます!朝露は、わたくしの故郷で生産されている品でして、奥方様のお肌に合ったようで何よりです」
「夫も白狐商会から買ったペン立てを愛用していますもの、ね」
「…………………」
「御主人様にも購入して頂けていたとは、感無量です……!」
「………………………………………」
無言。一切口を聞くつもりがないのか髭の一本たりとも動かさないシェード伯爵。シェード夫人の好意的な反応に多少戻っていたグレンの顔色が徐々に悪くなっていく。
暫く重苦しい沈黙が続いた後、呆れたような表情のベラドナが口を開いた。
「お父様」
「……………………」
「拗ねないでちょうだいお父様、私、ちゃんと書き置きを残していったじゃないですの」
「…………………………………」
「旦那様を連れ帰るので、そのつもりで、と、宣言通り、私の旦那様を連れ帰って参りましたわ」
なにしてくれてん。グレンの視線がベラドナに向くが、無視。ほんとになにしてくれてん。
それどころかベラドナに連れてきた旦那はこの人ですがどうですお父様如何ですか?と言わんばかりに腕を絡められ、益々グレンの顔色が悪く、死人一歩手前まで色が濁る。
「品行方正、欲深くなく、シェード家の力を目当てにしているわけでなく、領地の益となり、王族とも友人関係、そして何より私の好きな方」
「………………………………………………」
「何か問題がありまして?」
沈黙。せめて痛みの無い死に方が良いなと、死因を考えながら一周回って顔色が良くなってきたグレン。そんな娘の連れてきた旦那様の前に座るシェード伯爵は、ベルを鳴らして使用人を呼ぶ。
その音に野鼠の如く縦に跳ね上がるグレンの身体を腕を抱き締め押さえつけたベラドナ、部屋に入ってきたのは避暑地の屋敷で働いていたベラドナの侍女達三人だった。
シェード伯爵は三人の侍女へと一言だけ発した。
「お前たち」
「はい、退避期間中お嬢様は一切、夜・昼・朝共にグレン様のお部屋へと呼ばれておりません」
「はい、退避期間中お嬢様へ届く不届者からの手紙へ返答を全てグレン様が書いておりました」
「はい、退避期間中使用人に一切八つ当たりや理不尽な要求は一つたりともありませんでした」
黙り込むシェード伯爵。表情こそ変わりはないものの、多少、纏う雰囲気から剣呑さが薄れる。
状況への理解が追いつかず、恐々とシェード家面々を見渡すグレン。
「……………………………………お前たち」
「「「ヴォード様のご報告した通りでございます」」」
「……………………………………………………許す」
それだけ言うと、シェード伯爵は椅子から立ち上がり、スタスタと歩くと何も言わずに退室してしまった。その背を追うように侍女達も頭を下げて退室していく。
何が起こったか分からず目を白黒させているグレンに、続けて立ち上がったシェード夫人は明るく微笑みかけた。
「白狐のお店が出来るまで本館で過ごすのも気を使うでしょう?申し訳ないけれどもう暫く別荘でお過ごしなさってね、グレンさん」
「はっ、はい、ありがとうございます奥方様」
「ベラドナ、商会長様にあまり迷惑をかけないようにね」
「お母様ほどではなくてよ」
「まぁ小生意気なこと!では失礼するわ、ベラドナをよろしくね」
「お時間を割いていただき、誠にありがとうございました……!!」
慌てて立ち上がり、退室するシェード夫人に向けて深々とお辞儀をするグレン。その後頭部を見たシェード夫人は笑い、お澄まし顔を続けるベラドナに軽く手を振って、部屋に居る残りの侍女達を連れて退室した。
「「…………」」
機嫌良さげなベラドナと、今にも真横にぶっ倒れそうな顔色のグレン、室内にはリーヴズ夫妻だけが残された。
ふらふらと椅子に座り直した旦那様にそっと寄り添い、微笑みかけるリーヴズ夫人。カッッッスカスで今にも途絶えそうなほど震えた声が部屋の中で響く。
「……手を出していたらどうなっていたんですか」
「別にどうもなりませんわ、今より少々母の機嫌が良くて、父の機嫌が悪かっただけですわよ」
「…………成功、で、良いんですよね」
「ええ、名実共に私の旦那様になりましてよ」
「実感が無い…………」
「両親への挨拶までしておいて?ふふ、ふふふふ」
気疲れで椅子からずり落ちるグレンと、笑いながら肩を揺らし背凭れに沈むベラドナ。
「嬉しそうですね」
「ええ、とっても、だって貴方が私の旦那様になってくれたのだもの」
グレン・リーヴズには何故、ベラドナ・シェードが自分を選んだのか理解出来なかったし、今もなんでだろうかと考え続けている。
くすくすと嬉しげに笑い続ける自分の奥さんの指に嵌められた、伯爵家の娘に贈るには二束三文と言って良いほど安い作りの指輪。
ベラドナの指から目を逸らしたグレンは、小さな声で見栄を張った。
「…………指輪、贈り直しますよ、ちゃんと金属で出来ている流行りの物を」
「要らないわ、貴方の選んだこれが良いの」
「そうですか……ベラドナ先輩が良いというなら、こちらとしてはお金がかからないので助かりますけど…………」
「ふふふふふっ、減らず口は変わらないのね、ふふっ」
ころころ鈴を転がすような声で笑い続けるベラドナ、グレンは椅子から立ち上がり手を差し伸べる、まだ笑う妻を立たせて彼女の怖い怖い実家から逃げ出す為に。
この後、リーヴズ夫妻が帰る直前に結婚祝いだとシェード伯爵から渡された一匹の白狐の剥製を見て、白狐商会会長グレン・リーヴズは今度こそ文字通り真後ろにぶっ倒れる事となった。




