12.見知った顔
冷めた表情のグレン、微笑みを絶やさないベラドナ、二人の前に立つのは白狐商会副会長、会長と同郷かつ学園時代に至るまで一緒だった幼馴染のジェローム。
食えない笑顔を浮かべてベラドナに握手を求めるジェロームは、臆せず遠慮せず、ベラドナの柔らかく細い手をしっかりと握って挨拶した。
「ベラドナ・リーヴズ様、お初にお目にってわけでもないですね、学生時代からのグレンの友人、ジェロームと申します、今後ともよろしく」
「御丁寧にどうもジェロームさん、お久しぶりですわね」
「いやぁ本当にあの紫電の舞姫様と結婚しているとは、手紙来た時なんの詐欺かと思ったぜ、よかったなぁグレン、今後の心配事一つ減って」
「心配事?」
「コイツ、爵位貰ってから関わりある学園通う前の知り合いに迫られること多くて、爵位しか見てない女しかどうせ僕にはよってこないんだとか泣い゛ッッッ」
ベラドナの真横から瞬間的な強風が吹き荒れ、彼女が気付いた時には今さっき握手をしたジェロームが土と熱い抱擁を交わしていた。
「あら」
隣を見ればグレンが袖を直して次の従業員の方へと歩いていくので、その後ろを大人しく着いていくベラドナ。
次に現れたのは人好きのしそうな笑顔を浮かべ、ベラドナ相手に目を蕩けさせも不躾な視線を寄越しもしない、彼女の知らないグレンの友人兼従業員。
「顔見知りの人間は良いでしょう、彼は商会の会計を担ってもらっているデリクです、僕とジェロームとは同郷で同い年の幼馴染でして」
「こんちゃすリーヴズ奥様!グレンまじで碌な女寄ってこなかったから攫ってくれて助゛ッッッ」
瞬間、真横に斃れ沈んだデリク。ベラドナは微動だにせずその様を見、落ち着いた声を反射的に発する。
「あら」
「次に工房との交渉を頼んでいるトロイ、彼は男爵家の次男で、学生の頃の後輩なんです、うちに来てくれて大変助かって」
「…………なんでグレン先輩こんな美人と結婚したのに手紙゛ッッッ」
ベラドナが顔を向ける間もなく、小生意気そうな声をした青年が地に臥す音がした。
ベラドナがキチンと顔を向けると、袖を直し、手に持った重そうな書類を綴じた物を開いて何かしらを確認しているグレン。無感情に話している。
「次はですね」
「旦那様、もしかして全員その契約書を綴じた物で殴り倒していく紹介をなさるおつもりですの?」
ベラドナが顔を合わせた従業員の男女問わず七割型がグレンの手によって沈められた後、作り上げられた倉庫内を歩く二人。
たんこぶをつけた従業員が彼方此方で働く中、ベラドナはグレンの腕を軽く抱きながらきょろきょろと物珍しげに視線を彷徨かせる。
「旦那様には大変面白…愉快…個性的な御友人が多くいらっしゃいますのねぇ」
「友人ではなく従業員です」
「結構な勢いで皆様倒れられておりましたけれども……」
「白狐商会には丈夫な者が多いので、お気になさらず」
「それで済ませられる問題ですの?」
平民流の荒っぽいスキンシップに気圧されていたベラドナだったが、五人目からは少し慣れ、十二人目からは殴られる者と見逃された者の違いを考えるだけの余裕を持てた。
先程真横に吹っ飛ばされていた元気なお嬢さんに手を振ったベラドナは、足を止めるなとグレンに袖を引かれ、笑顔のまま機嫌良く連れて歩かれる。
「本店の移転祝いとして、元本店があった近くの農家で採れた星林檎の蜜漬けを売ろうと思います、その蜜漬けを詰める瓶もあちらで生産しようと思いまして」
「よろしいのではなくて?」
「……貴女の御実家に今のところ、益は無いのですが」
「贈答用のリボンの生産が可能な工房がこの近くにありますもの、瓶に巻く装飾品か何かでシェード家お抱えである工房を使うつもりだったのでしょう?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてベラドナへと視線を向けるグレン、なにか違いました?とばかりに小首を傾げて見せる己の新妻へと肯定の声をどうにか絞り出した。
「…………はい、そうしようかと」
「ではそちらは私が話をつけておきましょう、他に心配なことはございまして?」
視線を逸らし、泳がし、再度自分の隣で微笑む妻と目を合わせた白狐商会商会長は、まるでおいたをした犬のような表情でおずおずと申し出た。
「……本店近くに立てる倉庫、と、僕とベラドナ様の住居、なのですが、倉庫と近い位置、店内に直ぐに行けるような所に居住地を置いても構いませんか?」
「勿論」
「アッサリ許諾しますね」
「その方が商会の仕事がし易いのでしょう?私には良くわからないことですし、貴方と居られるのであれば、私は身を置く場所がどこであろうと構わないもの」
ベラドナの見目に似合わぬ豪胆な台詞に、倉庫内に点在する粗野な平民出身の従業員達から野次が飛ぶ。
「ひゅ〜〜♪」
「奥様かっちぇー!」
「グレン負けてんなぁ」
商会長が片腕の袖を捲り、綴じた書類を持ち直した。途端、顔をよそに向け逃走を図る従業員達。
「少々失礼致します」
「ええ、いってらっしゃいませ」
遁走、追尾。殴打殴打殴打。
「い゛ッ」
「き゛ッ」
「う゛ッ」
三名ほど叩き伸した夫が帰ってくるのを大人しく待つベラドナ。夫から従業員に対しての純粋なる暴行現場だが、特に止めもせず微笑んで見守っている。
目が据わった状態のグレンが捲った袖と少し乱れた襟元を戻しながらベラドナのところに戻ってきた。
「戻りました」
「おかえりなさいませ」
おかえり、と伝えることすら嬉しいのか眩しい笑顔を自分の夫へと向け手を振るベラドナ。
グレンは近くの従業員達が彼女の笑顔を浴び、作業の手が止まったことに対して顔を顰め、妻の手を取り移動し始める。
「倉庫にはもう商品を何種類か運び込んでいますので、中に入る際は物を倒したり壊したりしないように気をつけて下さい」
「畏まりました…あれはなぁに?」
「ああ、うちの商会に落ちていたトルソーです、針金を曲げた簡素な物ですので、重い生地のドレスなどは着せられませんよ」
「貴方の商会、ドレスも取り扱っていたの?」
「昔、生地の薄い、一枚作りのものにショールを纏う格好が流行ったことがあったようでして、その辺を買い込みました」
「まあ……」
「もう少しでその流行が回ってくるかと思いましたが、読み違いました、型を見てまわせるようであれば室内着として売り出そうかと思っているものが多数」
その言葉を耳聡く聞きつけた女性従業員の幾人かがベラドナに向けて木箱から出した型落ち品のドレスを見せるように持ち上げる。
その様子に微笑み面白げに視線を向けたベラドナにキャアキャアと黄色い声をあげ、早よしまえと顔と手で示したグレンにブーブーと非難の声をあげる従業員達。
「そうだったのね……この箱の中身は?」
「確認しなくてはならない化粧品の新作です、目の周りや口の周りに塗るものですので、安全確認は欠かせません」
「私も使ってみて良いかしら?」
「確認が終わるまで駄目です、動物実験は通過していますが、先に僕が使用し、次に従業員の女性に試してもらって、ベラドナ様はその後です」
「…………そうなの」
「……売り出す前に色味を確認してもらう為、塗っていただくことも、あるかも、しれませんけど」
少し気落ちした様子のベラドナに罪悪感を覚えたか、同情心でも芽生えたか、絶対に商品として売り出した状態になるまで従業員と自分以外でテストはしないと豪語していた独身同盟の一員が世迷言を言い出した様子に騒めきが広がる。
「おい、結構商会長奥様に甘くね…?」
「心配してたけど大丈夫そだなぁ…」
「あんな美人相手ならそらな…」
一大事だ、近くで口紅用の入れ物(流行が過ぎた為中身を作る前に在庫行き)を詰めた箱を運んでいた従業員達が顔を見合わせ頷き囁き合う。
「「「たとえ保険金殺人目的だとしても結婚したい」」」
再び腕捲りをしだしたグレンが其方を向き、手に持った契約書を綴った物を持ち直す。サッと蜘蛛の子を散らす勢いで逃げた従業員達だが判断が遅い。
「少々席を外します」
「いってらっしゃいませ」
「僕か従業員の許可無しに商品の在庫に触らないでくださいね」
「あら」
木箱の裏に飛び込むや否や打撃音、反対側のトルソー群に入るや否や打撃音、暫く木箱の山を分け入っての打撃音。
「あ゛ッ」
「を゛ッ」
「へ゛ッ」
夫の従業員に対する暴行現場を特に止めもせず、ご機嫌で待つベラドナの様子を見て近くの従業員が近づく。
私にご用事かしら?と、小首をかしげるベラドナの手を取り、花柄の持ち手がついたお玉をそっと一本持たせて去っていった。
「ただいま戻りました…触らないでくださいねと言ったはずですが」
「従業員さんが渡してくれたのよ?」
「片付けますね」
「あら…」
ステッキの如くお玉を振っていたベラドナの手から在庫品(花柄ブーム終了)を取り上げたグレンは無感情に片付け、先程ベラドナにお玉を手渡した老齢に片足をつっこんでいる従業員の後頭部へと軽くチョップを喰らわした。
後頭部を抑える平民出身の従業員に笑顔で手を振ったベラドナ、その腕を掴んで引っ張っていくグレン。
先程からあちらこちらで雇用主に殴られ倒している従業員達だが、倉庫内は大変和やかな雰囲気である。
「慌ただしいのね、商会の準備って」
「ええ、まあ、ですので邪魔はしないでいただけると助かります」
「私がどんな邪魔を?」
「特に若い従業員、男も女も、に、笑顔で手を振るのを先ず止めてください」
「白狐商会の方々と仲良くしたいと思うのはご迷惑かしら?」
「迷惑では無いですが、ベラドナ様が手を振った倉庫内の人間の手が止まっているんですよ、ほぼ全員」
「そうなの?」
「もう少しご自分の影響力を理解してから行動に移して下さい」
奥方だろうが貴族様だろうが気にしてられないほどの殺伐大忙しでなければならない商売開始前の倉庫内が、大変、和やかな雰囲気である。
しかめ面をしたグレンに睨めつけられたベラドナはパチクリと目を瞬かせ、頰に手を当て至極当然といったふうに宣う。
「だって貴方に微笑みかけても無視されるんですもの、舞台上から一人に笑顔を向けて手を振る危険性なんて今の今まですっかり忘れていたわ」
「先輩」
紫電の舞姫の名は伊達では無い。学生時代は恋文に宝石、果ては領地に至るまでを笑顔一つで貢がせてみせた女なのだから。
それも、初恋の人に向けた笑顔一つで、初恋の人の周りに観客として座っていた男性女性問わずの人間から。
グレン・リーヴズは頭を抱えて長く長く長く長い溜息を吐いた、そして、今すぐに倉庫内から彼女を連れ出し人目に付かない部屋で大人しくさせておく算段をたて始めたのだった。




