10.冷めたところで
先日、一応は妻であるベラドナが一人で友人の所に出掛け帰ってきてから、少々大人しく、少々無口で、少々苛立たしげに見える事に、グレン・リーヴズは胃を二回転半捻りするぐらいにビビっていた。
自分の近くに置いた椅子に座り、黙々と花の刺繍を進めるベラドナに恐怖を覚え、そろっ…と顔を覗き込むグレン。目が合わない。
「…………ベラドナ様?」
「……………………なんですか」
「…………何か、怒っていますか?」
「……………………貴方がそう思うのなら、きっと私は怒っているように見えるのでしょうね……」
ぷつ。刺繍糸を切る音が小さく鳴り響き、グレンの胃がもう一回転する音がした。うろ…うろ…と手が宙を掻き、死にそうな顔で立ち上がったグレンにベラドナは一瞥もくれない。
「……………………あの、お茶でも淹れましょうか」
「いいえ。御自分の分だけどうぞ、私、今は喉が渇いておりませんの」
「はい……」
一度外に出てお茶のセットを自分で持ってきたグレンは視線をベラドナに向け、止め、もう一回向け、ポットを持ってみて置いて、カップを無意味に直して、腹を括って話しかけた。
「…………ベラドナ先輩」
「なんですの先程から、言いたいことがあるなら言えばよろしい、私は貴方の妻なのですから」
「ええと……」
今まではベラドナに、真っ直ぐに顔を見つめられ、笑顔で話しかけられたことしかなかったグレン。
普段よりだいぶ冷めた声色に怖気付いたが、ここで引くような男であるなら、商会を持てている筈がない。当たり障りの無い、しかし、確実に彼女の機嫌を取れるような話題を選び出す。
「…………部屋の、家具、どのような調度品が良いかな、と……」
「……家具」
「はい、あの、侍従さん達にすすめられて、寝室は一緒にしておいた方が長く続くと……」
「貴方が決めてよろしくてよ、私、物にそこまでこだわりは無いの、なんでもいいわ」
だがどうにも若い、考えも、感覚も。下手に出てやったのに、学生時代から不意打ちを喰らった時に顔に感情を出す癖は変わっていないようだ。
彼の気に食わないといった様子を伺い見、視線を手元に戻すベラドナ、その動きにすら噛みついてくる旦那様に冷や水を浴びせ返す。
「………………飽きましたか、僕に」
「いいえ」
「……何に、怒っているんですか」
「悲しいだけよ」
グレンがベラドナに向けた視線には驚きと怒り、困惑。彼の表情を見ているのかいないのか、針山に糸がついたままの針を戻し、手元のベルを鳴らしながら言葉を続けるベラドナ。
音もなく室内に入った侍女が、縫いかけの刺繍と裁縫道具をまとめ、深々と頭を下げて退出する。
「悲しいだけよ、どれだけ舞姫と持て囃されようと、紫水晶と褒めそやされようと、好きな殿方の興味一つ引けない自分が、惨めで」
ベラドナは片付けられた手元を見続け、徐に立ち上がる。その洗練された立ち振る舞いに身惚れていたグレンについと視線を向けた。
目が勝ち合い、慌てて自分のお茶を淹れる作業に戻った彼の背を見て、ベラドナは心底悲しげに呟いた。
「…話すより、黙った方が貴方の視線を貰えるだなんて、本当に私って顔だけは整っているのね」
「えっ」
「この顔だけでは、貴方の好意を貰うに値はしないのでしょうけれど、虚しいわ」
「ベラドナせんぱ」
「私も彼女達のように可愛げのある造りをしていたらどれほど良かったでしょう、少なくとも、貴方の言った自分を好きな方が好き、なんて言葉に浮き足立つことなんて無かったかも知れないわ」
「ちょっ」
「書き物の邪魔をして御免なさい。旦那様、私、自室へ行きますのでどうぞお続け下さいませね」
「待っ」
「また夕食どきにでも、失礼致します」
演技にしては表情が落ち込み過ぎていて、本気にしては言葉が態とらし過ぎる。ポットを傾け、だばだばとカップに注ぎ続けるグレンをその場に、さっさと出ていってしまうベラドナ。
閉じた部屋の扉、茫然と見つめるグレンの視界で扉が開かれ、ベラドナと入れ替わりに菓子製作担当の使用人が焼きたてのマフィンを片手に顔を出した。
そして彼の目に入る、お嬢様が連れてきた旦那様の奇行。
「グレン様、息抜きの時につまむ菓子を御用意致しましどうされました!?お茶!お茶溢れてますよ!!?」
「シェード家の侍従さん……」
「はい!?とッ、ともかく書類やお手紙が濡れないように退けさせていただきますね!!」
「ベラドナ先輩に離縁されるかもしれません」
「えッッッッッ」
取り敢えず溢れたお茶を片付け、資料や手紙を汚れない場所へと移動させた菓子担当の使用人は、叱られた犬のような顔をするグレンへと、淹れ直したお茶を勧めた。
先程までベラドナが座っていた椅子に座らせられ、自分の分も淹れさせられたお茶を啜り、会話に付き合わされる菓子担当。
「えーーーー……と、わたくしとしては、その、お嬢様からの離縁は無いかと思います……」
「でも絶対怒ってますよねあれ」
「怒っ……ているかどうかは、現場を見ていませんから解りかねますが、お嬢様は理由無しに怒る方では無いので……怒っているとしたら、何に怒っていると思いますか?」
「…………言っても、怒りません?」
「使用人がお仕えしている方の旦那様に怒るようなことはありませんよ……」
かくかくしかじかうんぬんかんぬん、カップを両手で持ち、背を丸めて怒られ待ちをしている青年に、菓子担当の使用人は時折り眉間を伸ばしながら話を聞いた。
しっかりと聞いた上で、なんとも言え無さそうな顔をした菓子担当は、カップ一杯を空にして何度も頷く。
「……………………うん、はい、はい……んー…………」
「……怒りますかね」
「…………怒るというより、きっと泣きますね、流石のお嬢様でも好意を疑われ続けるのは耐えられなかったようで……」
「泣くんですかあの人」
「泣きますよ、わたくしがデザートを任されるようになったころ、お嬢様が御学友に渡すお菓子を作りにきたことがありまして」
「ぁっ」
「学園の中でお菓子を作るご令嬢がいらっしゃったらしく、その影響ですかね?初めて作るにしてはだいぶ上手いものが作れていましたよ、ベラドナお嬢様」
使用人の思い出話に青褪めていくグレンの顔、どんどん目線は下がり、ずんずん肩も下がっていく。
冷めてしまったマフィンをそっちのけで話し続ける菓子担当は、少し寂しげな笑顔を浮かべて自分の仕えるお嬢様の想い人へと、学生時代のベラドナのことを伝え切った。
「その時は結局、渡せなかったと笑って領主様に渡していましたが、おそらく、渡したかったのはグレン様だったんじゃないでしょうか」
「…………確かに、箱を持って話しかけてきた事がありました」
「おや、その時グレン様はなんと?」
「メ…幼馴染から貰ったマフィンを食べていました……」
「あー…………」
マフィン。菓子担当は自分の作った菓子を見て、自分の前で青を通り越して白く染まったグレンの顔を見た。
口を暫くもにゃもにゃさせ、無理やり笑顔を作った菓子担当、シェード家の使用人は全員仕える相手を主人とも思わぬ態度を取れるらしい。
「……まぁ!お嬢様も学生時代から若い蜜蜂を囲ってそうだとか、本命にだけ逃げられそうだとか、色々言われてきていますし!!これしきではめげないと思います!!」
「そ、そうですかね…めげないと思いますって……」
「もう本命を攫ってきてる時点で何がなんでも逃さない気でいるみたいですしね!わはは!!」
「当事者としては笑い事じゃぁないんですけど……」
ひとしきり笑い笑われ、グレンに多少顔色が戻ったことを確認した菓子担当は空になったカップを回収し、シルバートレイに下げるものをひとまとめにした。
冷め切ってしまったマフィンが乗ったお皿だけはそのままに、菓子担当はよく知っているお嬢様が連れてきたまだあまり知らない若旦那様へと質問を投げかける。
「グレン様はベラドナお嬢様のことを、どう思われていますか?」
「…お綺麗な方だと思います、舞姫と呼ばれても呼ばれ負けしないぐらいに、とても」
「他には?」
「……想定よりお元気な方でしたね」
「そうでしょうとも、お嬢様のこと、お好きですか?」
「…………正直、分かりません。シェード家の援助を確実に貰えるようになった事を幸運とは思いますが、あの人が僕を好きな理由は、全然ですし、好意自体は人並みにありますけど…でも……」
「そうですか、お嬢様は、グレン様のそういった実直なところを好いておられるのだと、わたくしは思いますよ」
失礼な事を言った、と、隠すこともせず顔に出す彼に菓子担当は微笑み、片付ける物を持って扉へと向かった。
退室する直前、振り返った菓子担当は項垂れるグレンに向けて、ちょいちょいと指で自分の作ったマフィンを示す。
「ベラドナお嬢様が戻ってこられたらお二人でお食べ下さいね、今日のおやつは自信作ですので」
では。それだけ言って部屋から出ていったシェード家の侍従の一人。
ベラドナを好いているか分からないと言ったグレンを責めもせず、不快な顔一つせず、仲直りだけしてくれとそう示して退室していった。
「………………………………」
一人取り残されたグレンはますます縮こまり、床を見つめる。まだ、最低だ、元平民のくせにお嬢様に選ばれておいてなんたる失礼なと、思いつく限りの言葉で罵倒された方が彼としては気が楽だった。
しかし、泣きますよあの人、と、言われてしまうと、それはそれで心底困る。机の上のマフィンに視線を向け、グレンは椅子から立ち上がった。
ところ変わりベラドナの自室。ぶすくれたベラドナの髪を梳き、爪を手入れし、水を飲ませている侍女達。
そのうちの一人が、機嫌悪げなベラドナへとひとつ質問した。
「ベラドナお嬢様、どうでした?押してダメなら引いてみろ作戦」
「効果があるようには思えませんでしたわ、旦那様の方から話しかけてはもらえましたが……もしかして私、黙っていた方が彼の好みなのでは……?」
「でしょうね」
「そうでしょうね」
「それはそうでしょうね」
「一人ぐらい否定なさいな」
主人を主人とも思わぬシェード家の使用人達。この雑な対応にも慣れているベラドナは呆れたように手を振り、脚を組み直して自分付きの侍女達に無茶を言う。
「次の作戦は何か無いの、言ってごらんなさい」
「もう少し大人しくしませんかお嬢様、お気に入りの子を攫えて毎日祝賀会を開きたいのは解りますけど」
「偶に繕い物などいかがですか?ほら、普段は見ない相手の意外な側面を見ると胸に来ると言いますし」
「写生なども宜しいかと、花瓶に活けた花でも御用意しましょうか?それとも果物でも盛ります?」
「貴女達がとにかく私を黙らせたいことは理解したわ」
椅子から立ち上がったベラドナは軽く両手を広げると、不、機、嫌、で、す、が、と隠さない顔と声で侍女達へと指示を出した。
それにも慣れ切っている侍女達はお喋りをしながら、手早くベラドナの室内着である上着を取り、首飾りを外し、中のドレスに手をかける。
「今日はもう部屋に行くのをやめておきます、寝ます、脱がせて頂戴」
「畏まりました……」
「他に何かあるかしら……?」
「お菓子作りとか……?」
「お菓子は作らないわ、デザートなら担当の者が作った物を食べた方が美味しいし、見た目も綺麗だもの」
わややと今夜の議論が始まろうとした瞬間、ベラドナの部屋にノックの音が響き、ここ最近で使用人達を絆した男の声が聞こえてきた。
「ベラドナ先輩、僕です」
ベラドナの目尻がこころなしか弛み、声が柔らかくなる。ご、機、嫌、で、す、わ、と隠さない仕草と声色で侍女達に指示を出す。
「着せて頂戴」
「脱がせたばかりですのに……」
「髪どうします?適当に纏めますよ……?」
そして慣れ切っている侍女達は上着を着せ、首飾りをつけ、鏡台前にベラドナを座らせ髪を纏め始めた。
うっきうきでファンデーションを、しかも自分の手で塗り始めたお嬢様に溜息を一つ吐いた侍女の一人が扉の外へと出て、お嬢様の連れてきた好青年への対応をする。
「グレン様、お越しいただいたところ大変申し訳ありません。ベラドナお嬢様の支度が終わるまで書斎でお待ち頂いても宜しいですか?」
「分かりました、では待っているとベラドナ様に伝えていただけますか」
「畏まりました」
それだけ了承すると、無理に部屋に押し入ることもせず、侍女を退けようとすることもなく、素直に書斎へと戻っていくグレン。
その後ろ姿に感嘆の溜息を溢した侍女は、ベラドナの自室に入り、ガタバタゴチャモチャと鏡台を漁るベラドナお嬢様に盛大な溜息を吐いた。
「口紅が見つかりませんわ、何処に片付けましたの」
「お気に入りの物なら御守りと言って外に持ち出したのが私が知ってる最後ですよ」
「私共で探しておきますので、今はこちらのもので我慢して下さい」
ぶすくれに戻ったベラドナお嬢様の口にそれなりの物を塗ってやり、髪をまとめ上着を直す。
準備ができたのち意気揚々と部屋を飛び出していくお転婆を見送った侍女達は、早速、失くしたと言ったベラドナお気に入りの口紅を、口々に愚痴を言いながら探すのであった。
使用人の努力で完璧を保っているベラドナが書斎にスキップで辿り着き、その勢いのままノックをしようとして止まる。
表情を直し、裾を直し、髪を直し、首飾りを直して、やっぱり口角をもうちょっと下げてからノックし、返答を待ってから落ち着き払った様子で入った。
「どうぞ」
「……お待たせいたしました、旦那様、私に何か御用でしょうか?」
「…………休憩ついでにお茶でもしようかと、侍従さんにお菓子も頂いたし、それで」
「八つ時の話し相手にするためだけに私をお呼びに?」
ベラドナが感じた純粋な驚きからの言葉だった。なにせこの女、呼び出されれば告白から家の繋ぎによる利益云々、贈り物を馬車二つ程度用意されているのが当たり前だったから。
別に怒っているわけではなく、ただただ純粋に驚いただけだった。
しかしグレンとしてはそんな事全く知らず、やっぱり怒ってるじゃないか面倒臭いでも今更離縁されたら商会が斃れるここはなんとしてでも機嫌を戻させなくてはと、ベラドナの台詞に対してどう返すか青い顔で考え込む。
別に嫌いなわけではないが、ただただ純粋に妻のことが怖いだけだ。
お互いにお互いの顔を見つめ、ベラドナが優しく微笑み、グレンは顔を背ける。
机の上には冷め切ったマフィンが二人分。自分で一人掛けの椅子をグレンの書き物机に近づけ座ったベラドナが、一つ持って立ったままのグレンへと手渡す。
「……意地悪を言いすぎましたわね、ごめんなさい、グレン」
「……僕と話したくないほど嫌いになったのなら、離してくれても良いんですよ、先輩」
「まさか、貴方が私の事を嫌いになったとしても、決して逃してはあげられませんわ」
「物好きですね」
「貴方がそう思うのなら、そうなのでしょうね」
お茶すら用意させないおやつの時間は、割と和やかに、想定よりも長い時間続いた。何せ、菓子担当のマフィンは冷めていてもとても美味しかったので。




