境界のまなざし 9
その夜は家に帰る。
無言の車内。男のなんとも言えない不機嫌な顔。
私が抱えてるランドセルについては一言も触れない。漂う青墨の重い空気。
家に帰ると姉が居て玄関先まで来て
「おかえり」
男を迎える。あくまでも私ではない。しかし私が抱えるランドセルをみて
「え?どうしたのそれ?」
と聞いてくる。
「爺ちゃんのとこ行ったらなんか貰った。」
どう答えたら良いのかわからず、自分でもよくわからない答え方をする私。
「えぇーいいなー。自分だけずるい!今度私もなんかお願いして買ってもらおう!」
と姉が言ってくるが、『多分そういうことじゃないんじゃないかな?断られそうな気がする』と思いながら
「そう。」
とだけ返しておく。
大事なランドセルは使い始めるまでもうしばらくあるので押し入れの奥の方に大切にしまっておく。
翌日からもいつも通り男から虐げられる毎日だった、心做しか何時もよりキツめに虐げられたがそれでも週末に一旦のゴールがあるので私は耐えれた。
次の週の土曜、朝から家に迎えの車が留まる。車に乗るのは男でも姉でも無く私だけ。
てっきり姉も私と一緒にお泊りかと思ったが運転手が
「旦那様(爺ちゃん)が呼んでますのは端白様だけ、と仰せつかってますのでご遠慮願います」
とキッパリと姉の乗車を拒否する。
姉は驚いた顔をしてから無言で私を睨みつける。『そんな睨まれても…私のせいじゃないし』と内心うんざりしながら乗る。
動き出す車。『嫌な思いをさせてしまった』と謝る運転手。『いつもの事だから問題はない。気にしないで欲しい』と私は返す。
わざわざ私のために車が迎えに来るってのが私如きの為に手を掛けすぎという、なんとも場違いな思いがしてなんか居心地が悪かった。
1刻ほどで爺ちゃんの家に着く。abuelo の家と違ってありふれた二階建ての日本家屋。とはいえ庭もあり、玄関までの飛び石もあり、ガレージもあり、周りの家と比べると明らかに広かった。
庭には様々な木が植えてあり、中でも枇杷の木は家を凌ぐほどの高さで碧緑の葉が空を覆うように揺れているのが印象的だった。
なんでもその木は爺ちゃんが婆ちゃんと結婚して新しく家を興す時に、周囲が「枇杷を植えるのは縁起が悪い」と大反対を『婆ちゃんの好物だから』の一存で植えたものでそれから数十年、家も滅亡せず、毎年美味しい実を付けてる。と婆ちゃんが嬉しそうに語っていた。…爺ちゃんは恥ずかしそうにどこかの部屋に行く姿を見て、こういう夫婦が良いな、と子供ながらに思った。
玄関を開けると二人が揃って出迎えてくれる。
「どうだ?迎えは?びっくりしたやろ?あれならアイツも拒否できんからな」
「その気持はとても嬉しいけど、乗っててなんか落ち着かない。ちょっと困るかも…」
私も爺ちゃん達の好意と配慮を無碍にはしたくなかったが申し訳無さが勝った。
「ほらだから言ったでしょう?このコには公共交通機関の使い方を教えればいいのですよ。」
婆ちゃんが呆れ顔で爺ちゃんに言う。
中に案内され座敷に通される。中は広く、白木に細かな彫刻の入った欄間があり床の間には水墨画、小壁には長弓と薙刀が掛けられていた。
話を聞くと爺ちゃんが水墨画の先生と弓道の教士、婆ちゃんが薙刀の教士持ちだという。
爺ちゃんがこっそり「婆さんが一番怖い」と言ってあとで婆ちゃんに怒られていた。
私の家系はしっかり武術の家系だったようだ。
話もそこそこに座敷に座ると、婆ちゃんがお茶と煎餅を出してくれる。
爺ちゃんは障子から見える庭を眺め、すこしむずかしい顔をした後、私を見る。
「なんで端白だけ、ここに呼ばれてるかわかるか?」
「あんまりわかってない。」
「私も子供のお前にこういう事を言うのは酷なのもわかってる。もう少しなにか無かったのかと悩んだりもしたが、どうにもならん。
情けない爺婆ですまない。」
そう言って頭を下げる爺ちゃん。
「毎週末、お前1人をここに呼び出す事にしたのは大きな理由が2つある。お前にはまだ理解出来ないことが多々あると思うが聞いて欲しい。」
真剣な表情の爺さんに、姿勢を正して頷く。
「一つ、アイツ(男)のお前に対する虐げ方は異常だ。止めもしたがどうにもならん。だから、少しだけでも儂らが抑止力になる為。端白の休む場所を作る為だ。
もう一つ、アイツ(男)はもうだめだ。だから端白、お前は早く『大人』にならないといかん。そのための術を、心構えを、少しでも教えておくためだ。
本来なら親が教えるべきことだろう。そんなに焦ることもないだろう。しかしお前はもう違う。嫌でも社会を知らねばならない。その中で早く生きていかないとならない。
だからそれを教えるためだ。」
そう言うと急に後悔した顔をしてポツリと話す。
「私達は、息子の育て方を…間違えた…だからその罪滅ぼしでもある。誰かが責任を取らにゃならん…。」
そう言って悲しそうな顔をする二人を見て、私は『そんな顔を二人にさせる男はやはり何時か殺そう』と決意する。




