第十二章 『大磯事件』
事務所に着いた。
「モタモタしてんじゃねえ、蹴り込まれてえのか!」と富田さんが大声で煽った。オレたちはガチガチに体が硬直してロボットみたいにぎこちなくドアを開いた。
組長は黒い椅子に向こう向きに座っていた。オレたちはドアの脇に「気をつけ」の姿勢で三人が横並びになった。組長がゆっくりと椅子を回転させる。
お互いが正面で向き合い。一瞬の静寂があった。
「……おまえら、何しに来たか言ってみろ」と組長は低い声でゆっくりとつぶやく。
すごい迫力に緊張で言葉が出ない。
「もう一度言うぞ。何しに来た……」
口が麻痺したみたいで、何か言おうとするのだがブルブルするだけで言葉にならない。しかし言わないと刃物か爆弾か、恐ろしい何かが飛んでくるような極限的な雰囲気。オレは渾身の力で震えを止め、口を開いた。
「き、給料を、給料をもらいに来ました」
「給料……? フッ」組長はちょっと吹いた。
「馬鹿野郎! てめえらに払う給料なんてあるハズがねえ」と組長が大爆発した。
「うわっ」組長の爆風に三人が後ずさりする。
「ベースの仕事は消えた。おれのメンツもだ。おまえらどう責任を取る?」
ドスの効いた声、上目使いでジロっとにらまれた。『責任』って重たいんだって初めて分かった。
「……」
「……」
「……」
「責任の取りようがねえなぁ……」
組長は少しニヤッとした。
「ガキに責任を取らせる訳にはいかねえ。そう言って金城が指を詰めたんだよ。……お前ら、金城に土下座したぐらいじゃ済まねえぞ。ヤツは筋を通した。だからそれで終わりだ。あとは金城とお前らでどうにでも決着しろ」そう言うと組長は椅子を回転させて後ろを向いた。
「……」
「……」
「……」
オレたちはそのままどうして良いか分からず、硬直したままだった。
「出て来い……」外からの富田さんの声でオレたちのロックが外れた。フラフラと事務所を出る。
「お前ら幸運だったな。金城が指詰めなかったら、いまごろ安浦港のヘドロに沈んでたとこだ。あそこに投げ込むと重油たっぷりのヘドロに絡まって死体は浮いてこねえ。腐って無くなるだけよ。金城も甘かったな。――お前らが暴走の爆音とバイクの振動に慣れてるからあのバイトに向いてる――なんて思っちゃったんだ」と富田さんは半笑いした。
「お前ら、うざいからもう帰れ」って指先で追っ払われた。
「失礼します……」
「……」
「……」
ふらふらと事務所を離れる。ゾンビみたいに安浦駅まで無言で歩った。そこで解散。
「ふうっ」家に着くと大きなため息をついた。この一ヶ月って何だったんだ。金はねえ、体はガタガタ。まあ、半殺しか安浦港よりはマシか。「筋を通す」って本当なんだ。ヤクザってもっと汚い世界だと思ってた――横須賀だけの事かもしれないけど。そんなことをボヤッと考えていた。いきなり強烈に眠くなってきた。「明日はどうなるのか? 」考えながらフッと眠りについた。
暴走族はますます増え、社会問題になっている。確かにバイクの走り屋が集まっていた頃より無秩序になっているのが気になる。夏が過ぎ、夜が涼しくなるころ、「人数が多すぎて遠出は無理とのことで『小田原』までの暴走が決まった。三浦、横須賀の族と横浜の連中が江ノ島で合流して小田原城に向かうコースだった。横須賀が三百台、横浜も二百台位、計五百台以上の規模になる見込みだ。
「ゴーッ」巨大な音の塊が動いてゆく。暴走は台数が多くなるほど移動がゆっくりになる。江ノ島で横浜のグループが合流してきた。
「あぶねえ、なんだあいつら」
「下手で見てられねえ」暴走のベテランから声が上がった。
暴走って無秩序の中の秩序っていうか暗黙の了解がある。いま合流してきた連中にはそれが感じられない。『ヤツら無鉄砲なだけ』ってオレも感じてた。
スピード出し過ぎ、ローリングも下手。あちこちでバイク同士が接触してる。
「こいつら新参だな……」そう思うが暴走全体を仕切るやつがいる訳じゃない。オレたちは、とばっちりを食らわないようにちょっと距離を空ける。大磯のあたりにさしかかった。
この時期のこの時刻だと営業してるガソリンスタンドは限られる。
集団の先頭『新参者たち』が次々にスタンドに入った。「千円だけ」「五百円分」「三リッター半」ヤツらは面白半分に中途半端な量のガソリンを入れるように要求した。
「エエッ、三リッター半ですかぁ? 半はないんですけど……」アルバイトの店員がマゴマゴし始めた。「早くしろよ! 先に金額言えよ、いくらなんだよ、ホラ、後が行列になってるじゃねえか」と『新参者』たちは店員を煽る。「すいませんいますぐに入れます」、「えーと五百五十円かな? ……」
「計算も出来ねえのか」と煽ったヤツがニヤッとした。
「サンキュー」って叫んでバイクをスタートさせてしまった。「ちょっと、あの、代金が……」店員がガソリンの注ぎ口を持ったまま途方に暮れていると「店長に報告しないとマズイでしょ」と次のバイクの男が次ぎ口を奪い取る。「早く行きなよ」と店員を追い払うと「今日は無料サービスデイです」と手を振りながら、皆に聞こえるような大声で叫んで勝手にガソリンを入れ始めた。「ヘヘッ」それを見ていた後続の連中も調子に乗って次々とガソリン入れる。「サンキュー、悪いね」とガソリンスタンドは完全に無秩序状態になった。
もう収集がつかない。店長がパトカーを呼んだ。そのころオレを含む横須賀グループが『新参者』たちに追いついた。スタンドは大混乱になっていたが「何が起きているんだ?」オレたちには状況が理解できない。
「ウー、ウー」赤灯を回してパトカーが二台到着した。すぐに追ってもう一台が到着。次々パトカーが増え、道路は完全に封鎖されバラバラと警官が降りてきた。
「数が多すぎる、ナンバー控えろ」と年配の警察官が指示を出す。オレたちは動きがとれず、解散の指示が出るまでそこにとどまるしかなった。すごく不安になった。
「やべえ、みんな一緒にされちゃうぞ……」
後に『大磯事件』と言われる暴走事件がこれだ。
数日後、「橘ヒロシ、本人だね。先日の暴走事件、君は現場にいた。間違いないね。明日横須賀署に来なさい」と突然警察から電話があった。言い方が命令調だ。行くしかないみたい。バイト先に断って出頭した。
横須賀署の一室に十人ほど集まっていた。確かにその半分は族の仲間だ。それぞれに足を組んだりふんぞり返ったり、ツッパリを効かせている。しかしだれも目を合わせず無言だ。
五十歳ぐらいの恰幅のいい警察官が書類を抱えて部屋に入ってきた。
敬礼をして部屋を見回す。
「きょうはご苦労様、君たちは任意でここに来た。それは重要な事なんだ。いいかね、君たちは場合によっては罪に問われるかもしれない。なにしろガソリンスタンドで燃料が盗まれたんだからね。君たちはそこに居た。今日は『任意の事情聴取』だ。正直に答えてほしい。
「バンッ」警察官は大きな音を立てて書類を机に置いた。
「ウオッ」オレたちはちょっと驚いて姿勢を直した。
「このあと二人の警察官が交代で君たちから事情を聞く。呼ばれたら隣の部屋に行ってください。……なにか聞きたいことは? ……ない? じゃ、よろしく」
年配の警察官に代わって三十歳くらいの警察官が入ってきた。それぞれ書類を見て名前を呼ぶ。呼ばれた二人が部屋に向かった。
オレは最初に呼ばれなかったが、返って緊張してしまった。肩に力がはいってコチコチになっている。隣を見ると、さっきまでふんぞり返っていたヤツが背筋を伸ばして固まっていた。
その隣のヤツは固まったままずっと同じピッチで上半身を前後にゆっくり動かしている。
「みんな完全にビビッてる。『オレは何もしてないから大丈夫』……」と自分を励ますが
「疑われたらどうしよう……」が肩にのしかかっているような重い重い気持ちだ。
十五分も待ったろうか、職員がやってきた。
「橘ヒロシさん。いますか? 来てください」
とうとう呼ばれた。立ち上がると腹に力を入れ「ポンッ」と軽くたたいた。こうすると落ち着く。
部屋はついたてで二つに分かれていた。右の方に誘導される。待っていた警察官は敬礼した後、向かい合って座ると警察官の帽子をキュッと正した。
「いまから事情を聞きます。これは正式な聴取です。正直に答えてください」と言ってこちらに目を合わせる。一瞬気後れしそうになったが負けずに睨み返す。――ここで目を反らしたら負け――みたいな反骨精神が沸いてきた。
警察官が目を反らした。書類に目をやり、記事を指で追っている。
「あなたの当日の写真とバイクのナンバーがここにあります。バイクは黒のホンダCB400ですね。スタンドの店員が同色同型のバイクの暴走族がガソリンを盗んだと言っています。こちらで把握している同色の同型車はあなたを入れて三台、あなたは関係ありませんか?」と、いきなり疑ってきた。
「関係ないです。オレ、いつもガソリン満タンで出るから入れる必要がないじゃん」
「当日も満タンだった訳ですね、そのガソリンはどこのスタンドで入れました? 領収書ありますか?」と警察官が詰めてくる。
「スタンドは本町のとこだけど…… 領収書…… あるかなあ?」と記憶は定かでない。
「それ、探しておいてください」
警察官は次の資料に目をやった。
「あなたが関係ないとして、だれかが料金を払わず逃げたという現場は見ましたか?」
「いや、見てません。自分らより先の第一陣なら見たかもしれないけど」
「ほう、あなた達は言わば第二陣で、第一陣より先に見慣れない別グループがいたということ?」
「そう。聞いた話だと問題起こしたのは横浜の新人グループらしい。自分らが着いた時は第一陣の仲間たちはその騒ぎで先に進めなくなってた。自分は第二陣の先頭ぐらいの位置だったと思います」
「わかりました……」
警察官は頷いて別の写真を取り出した。
「この中で知っている人とバイクはありますか?」
二十枚ほどの写真を見せられたが知っている者はなかった。
「あなたは免許持ってるんだから分かってるはずだけど暴走自体は明確な道交法違反行為だからね。やめたほうがいいよ。……じゃあまた警察から呼び出しがあったら来てください」そこで事情聴取は打ち切りになった。ほっとした。自分はやっていないのに無謀なヤツらと一緒にされかねない不安、それが重かったんだ。
「やれやれ、暴走もこの辺が潮時か……」家に帰ると本当に楽しかった暴走の日々を思い浮かべる。
暴走って若者のバカ騒ぎがバイクと車で派手になっただけなんだが公道を法規を無視して道幅いっぱいに走る。それはスリル満点の一種のショーであり動く舞台だ。格好の派手さは衣装。バリバリ爆音は音楽。そしてローリングは演技だ。オレは『飛行機乗り』が得意だった。バイクを50~60キロに加速してギヤをニュートラルにする。バイクは惰性だけで結構な距離を走れる。その間バランスを取りながらバイクのシートに真っ直ぐ立って両手を広げる。それがいわゆる『飛行機乗り』だ。出来るヤツはそういない。「おおっ、すげえ」と、だれもが驚く。そのときのオレはショーのスターだ。快感だった。真似をして大けがをしたヤツ多数。そんな暴走をそろそろやめようか……と思い始めたんだ。
義務のように毎週行ってた暴走をサボるようになると毎日のバイトが終わった後、暇を持て余す。テレビを見てゴロゴロしてるだけ。ユキは会社の寮に入っているから居ないが、目障りな『でかいクジラ』が隣の部屋にいる。今日も例によってちゃぶ台に一升瓶を置いてチビチビ飲んでいる。最近は夕方早くから酒を飲んでいるようで、仕事をしてるんだかしていないんだか分からない。
「ヒロシ、酒のつまみ、何か買ってこい」とおやじにでかい声で呼ばれたが無視。
「汐入のスーパーならまだやってる」どうしてもオレにパシリをさせる気だ。
「…………」無視を続ける。
「ガタッ」ふすまが開いておやじが入ってきた。酒のせいでちょっとフラついている。
「てめえ、言うこと聞けねえのか」というと寝転がってたオレを足で蹴ってきた。緩慢な動きだ。何をされるか想定していたオレは余裕でそれを交わすことができた。
「ドッスン」空振りしたおやじはバランスを崩して派手にひっくり返ってしまった。
「おあーっ」おやじは意味のない声を発しながらうつ伏せになって起き上がろうとしている。オレはすかさずおやじに馬乗りになって左手をねじ上げた。
「アウッ、イテテッ、イテエ、やめろ、ヒロシ」おやじが悲鳴をあげた。
子供の頃よくおやじにやられた。いつか仕返ししてやろうと前から思ってた事だ。
「イテーッ、わかった、わかった、自分で行くよ」とおやじは悲鳴をあげた。
「チッ、放してやるけど、もう勝手な事言うんじゃねえぞ」と言って腕を解放してやると、
とたんにおやじが開き直った。
「おまえ、不満ならここを出てけ、自分だけで勝手に暮らしゃいいだろ」と目を反らして痛む腕をさすりながら言う。
「おー、そう来たか。分かった。出てくよ」と反射的にタンカを切った。オレは何となくこうなる予感があったんだ。行く先の目処はある。
中学のころからの悪友、『ユタカ』から聞いた話。『肉屋』で使ってくれるし寮もあるっていう。直接問い合わせた訳じゃないが『ユタカ』自身がそこに勤めてるっていうことだからたぶん大丈夫だろう。
翌日早速ユタカに連絡を取った。「ユタカ、この前聞いた衣笠大通りの肉屋の話、まだ従業員募集してる?」
「全然オッケー、支店がたくさんあっていつも人手不足だから。今日でも行ってみるか?」
「悪い、すぐ行きたい」
「いいよ、七時過ぎなら社長いるから」
「オッケー、頼む」
カツあげ、かっぱらい、こそドロで有名な悪人のユタカだがこういうときは頼りになる。マジメなやつだったらこうは行かない。




