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第十三章 肉屋に就職

 バイトが終わると六時半に衣笠駅に行った。ユタカに連れられて七時に肉屋へ。

 肉屋の裏口の鉄の扉を開けるとムッとした肉の匂いと揚げ物の油の匂いが鼻をつく。

「ここが作業場な。右が冷蔵庫。んで二階が事務所。社長には一応電話してある」

「サンキュー、悪いな」

「いいよ、行くぜ」

 鉄の階段を上がった。そこは倉庫でずっと奥が事務所だった。

「すいませーん、電話のヤツ連れてきました」

「こんにちわ……橘です」

 大雑把に机が並んだ事務所だった。社員は二人。一番奥に座っているのが社長らしい。雰囲気で分かる。

「橘だっけ……こっち座って」と社長が手招きする。

「はい……」社長と向かい合った。

「おまえ今どっかでバイトやってるんだって」

「はい、レストランと酒屋の配達の掛け持ちです」

「ふうん、まあ今、飲食関係やってるんなら問題ねえな…… よし、採用。難しい仕事じゃねえから。ただ、忙しいよ。そんで寮に入りたいのな。オッケー一人分空いてる。じゃ、給料とかの話は経理の山田から話すから。以上……」あっけなかった。いつから来るか山田さんと話して終了。

「サンキューユタカ、おかげで来週から入れる事になった。土、日で酒屋の梁さんに頼んで自分の荷物を寮まで運んでもらう。来週から仕事教えてくれ」

「オッケー、じゃぁ今週の暴走は不参加な。仲間に伝えとく」


「何ぃ、肉屋に勤めるってぇ?」梁さんがすっとんきょうな声をあげた。

「梁さん、ごめん、だから配達とかもうやれねえ……」

「何でだ、肉屋って給料いいのか?」と梁さんが口をとがらせる。

「給料は並だけど寮に入れるんだ。ちょっと前にオヤジと喧嘩してさぁ、家を出るってタンカ切っちゃったんで住むとこないんで……」

「バカ、オヤジなんかちょっとご機嫌取ってればいいのに」

「すいません、そんで土曜日さぁ、荷物運んで欲しいんだけど……」ここは梁さんに頼むしかない。「お願いします」って深く頭を下げた。

「わかったよ。明日六時過ぎなら車、出して運んでやる……」

「すいません、恩に着ます」

「ハハッ、おまえとの付き合いで頭下げられたの初めて……多分最初で最後……」と梁さんは片手を上げて「オッケー」のサインを出したまま店に引っ込んだ。


 寮は大通りの裏手、川を越えたところにある相当古いマンションだ。一階は倉庫で、割り当てられたのは二階の端、2DKの日当たりの悪いカビ臭い部屋だった。そこに自分が加わり三人が同居することになる。奥側の部屋は三十歳近い、原田さんという部屋の主のような男が占有している。オレは手前の部屋で同い年の川添ミツオ君と一緒だ。

「橘ヒロシです。よろしくお願いします」とりあえず荷物を下ろす前に二人に挨拶を済ます。あぐらをかいていた原田さんがジロッとオレを見る。

「おまえよう、一見マジメっぽいけどそれだとここじゃぁ続かねえぞ」と半笑いでタバコに火をつけた。

「えっ、そんなぁ……、オレ、全然マジメじゃないですよぉ、高校中退だし、暴走するし、シンナー吸うし」

 オレってマジメに見えるのかなぁ? ちょっと意外だった。「そうか、正座してるのがいけないんだ」さっそく足を崩してアグラに座り直す。

「よし、合格」なにが合格なのか分からないが原田さんはそう言ってニヤッとした。

「ヒロシ、押し入れにエロ本が一杯になってる。読み切れないぐらいな。右の上段がオレ専用だ。ただしオレ、ちょっと癖があって、たぶんおまえらと嗜好が違うからな。でも見たきゃあ見てもいい。おまえも新しくエロ本買って押し入れのエロ図書館を充実してくれ」と原田さんは親指を上げてグーサインを出した。

「それとな、一階の倉庫の番号鍵付きの物入れにシンナーが一斗缶で隠してある。番号は「一・一・五・〇」、「イ・イ・コ・ト・と覚える」好きなだけ吸っていい。ただし無くなったら補充は三人の割り勘で買うんだぜ」と原田さんはニコニコして続けた。

 一応歓迎されてるみたい。やっと安心した。とにかくオレにとってこの部屋の居心地はそう悪くなさそうじゃん。


 翌日、一番先に目が覚めた。「腹減った」と感じるがこの時刻だと外の店はまだどこもやってないし買い置きもない。「我慢するか……」と布団に戻る。

 オレがゴソゴソ起き出したのに気づいたミツオが声をかけてくれた。

「おまえ起きるの早すぎ。……まだ六時じゃんか」

「そうだけど目が覚めちゃって……」

「腹減ってるべ、食パンあるぞ」

「エッ、ああ、そうなの」

「棚の扉あけるとオレの食い残しが四枚ある。乾いてパサパサだけど二枚食っていい。ジャムとか塗る物ないからそのままかじるしかねえぞ」

「サンキュー、もらうよ。ありがとう」

「いいよ、その代わり後で明日の分、オレのも含めて買っといてな」

「わかった」

 ミツオって親切なやつだ。こういうのってうれしい。「家を出て正解だな」って思った。

 ミツオと雑談してると原田さんが起きてきた。

「ヒロシ、ここでの食事の件、教えてやるよ。今日は日曜日だから飯は適当に外食するしかねえ。平日の朝は今日みたいになんか口に入る物を買い置きしといてそれで我慢する。だけど昼はいいぞ、ここだけの特典だな。ここ肉屋だろ、肉はいくらでもあるじゃんか、で、隣は食堂。当然肉はうちから仕入れてるんだ。オレたちはうちにある極上の肉を食堂に勝手に持ってく。『勝手に』つってもそれは社長の許可があるからオッケーなんだ。ここの社員なら肉を持ち込めば一食の手数料たった百円で適当に料理を作ってくれる。野菜も付くしご飯のおかわりオッケー、豪華な昼飯ってわけだ。夜も同じ。だけど毎日肉食ってるとさすがに飽きるよな、贅沢な話だけど」

 すげえ、食い物の心配無いんだ。……ますますここが気に入った。あらためてユタカに感謝だ。

 月曜日、仕事の初日だ。ミツオが肉のスライサーの所で説明を始めた。

「これ、肉を一定の厚さにスパスパ切る機械な。おまえまだ肉の種類わかんねえだろ、右の冷凍ケースの一番上、その肉持ってきて」

「これ? このひと固まりでいいの?」

「そうそう」

 オレは言われた通り持ってきた肉をスライサーに置いた。

「ここの目盛りが肉の切れる厚さ。いま十ミリになってるだろ。……よし、これでモーターのスイッチ入れて肉をこっちに寄せながら押せばいいんだ。自動の機械もあるけど動きが速いから素人には危ねえ。これで慣れてからな……」そう言ってミツオが作業の見本を見せてくれた。

「なーんだ簡単じゃん」とミツオの指示通りにいろいろな肉を昼まで切り続けた。

「よーし休憩」奥の方から原田さんの声がかかった。

「さっき最初に切った肉な、それ、メチャ旨いんだ。スライサーの切り始めで厚さが中途半端なやつ、結構溜まったろ、それ、売り物にならない部分だからまとめてて袋に入れろ、それ持って隣の食堂に行こう。月曜はあまり混んでないから店の一番奥の机を取ろうぜ」とミツオはさっさと先に歩き出した。

「ちわー、新人連れてきたぜ」とミツオがデカイ声で食堂の女将にオレを紹介してくれた。

「こんにちわ、橘です。これからお世話になります」と身を小さくしてペコリと頭を下げる。

「あらー、お宅らしくない真面目そうな人じゃん。こちらもよろしくね。……んで、注文はいつものように肉持参の日替わり定食でいいのね」

「そう、二人とも」

「了解、食材の余りものが入っちゃうけどさぁ、絶対おいしいからね。で、百円ポッキリ」と女将さんは持参した肉を受け取って厨房に戻った。

 確かに料理は旨かった。満腹になったころ突然会社員の集団が食堂に入ってきた。

「十人だけど席ある?」と店内を見回す。

 女将さんが出てきて「十人ですかぁ……あら、ちょっと足りない」の顔をしている。

「あっ、オレたちもう終わったから」とミツオが気を利かして席を立った。オレも同調し店を出る。なるほど隣とはいい関係なんだ。米兵が減ってギスギスしてきたドフ板通りを出てよかった。衣笠通りはたぶん三笠通りに次いで横須賀で二番目に繁盛している場所だろう。ここに来て正解だ。

 結局仕事の割り振りで自分はミツオと組んで挽肉、コロッケ、ハンバーグなどの揚げ物

の担当となった。ときどきもう一人、暴走族上がりの先輩ケンジが加わる。

 仕事を始めて驚いたのは食品を作っているにしては余りに不衛生。まあ、揚げ物だから食中毒の心配はないが自分は絶対口にしない。皆も同じだろう。


 今日も隣で特製の定食を食べた。今日はトンカツ、旨いがさすがに飽きてきた。

 おっともうすぐ一時、作業場に帰らないと。急いで店に向かう。

「入らせてくださーい」今日も繁盛。店の入り口にお客が二重になっていてオレたちが店に入れない。しびれを切らしてミツオが買ったハンバーグを受け取っている小太りのおばさんに声をかけた。

「ちょっと、すいませーん」

「エッ、ああ、お店の人? 」おばさんが振り返る。

「そうでーす、午後の仕事に入らないと……」ミツオは軽く敬礼をした。

「はいはい、ごめんね。もしかしてあんたらがこのハンバーグ作ってんの? 」とおばさんがハンバーグの包みを指さしてニコッと笑う。

「アッ、そうです」ミツオはなんとも言えない顔になった。

「あら、そうなの……この店のハンバーグとコロッケが特別おいしくてさぁ、匂いもいいしウチじゃあ大評判、もうほかの店じゃぁ買えないよ」とおばさんは満面の笑み。

「ウッ……」言葉が出ない。ミツオがこんどは頬に力を入れ歯を食いしばるような顔になった。

「グッ……」ミツオの反応は自分に移ってきた。中学校の弁当事件以来、笑いたくても笑えない腹筋が痙攣しそうな状況に陥った。ケンジ、ミツオと一緒に小走りで店に入る。

 三人が顔を見合わせる。一瞬の静寂の後「ハッ、ハッ、ハー」皆が同時に吹き出した。

「おいしいって……」

「匂いがいいって……」

「ブハーッ」皆が吐くように笑って涙が出ている。

「そりゃ、そりゃおいしいよな、オレの足の脂がたっぷり入ってるもん」とミツオ。

「匂いがいいって、オレ、靴下洗ってなかったし……」とオレ。

「缶コーヒー飲んだあとオレがうがいした水を足したのがひと味加わってるに違いねえ」とケンジ。

 今日売っているハンバーグはおとといコネた物だ。あの時オレたちはシンナーでラリッた後だったのでやること全てがメチャクチャだった。

 ハンバーグは特にひどかった。日付がバラバラな残り肉に砂肝を混ぜ、色と味を誤魔化すというなんともいい加減な合い挽き肉なんだが、オレとミツオは「疲れてカッタルイ」からと言って大きなナベに入ったそれを床に置き、本来大きなヘラでコネるそれをなんと素足でコネはじめたのだった。

「ヘヘッ、足の方が力が入って良くコネれるじゃん」と臭い靴下を脱いだ洗っていない足。ミツオの脂ぎった汚い足。それにケンジのうがい水。それらの相乗効果がきっと大好評の原因だと考えられる。


 あさってから肉屋に入って初めての夏休み、暴走もしないし……今年は何しようか? とゴロ寝してテレビを見ていたオレを呼ぶ声がする。

「ヒロシ……いるかぁ?」とちょっと声を潜めて入ってきたヤツ――外山だ。首をすくめてイヤにニヤケている。

「なんだよ、オレ、金ねえよ」外山じゃあ、どうせロクな話じゃない。またテレビに目を戻した。

「ちがうよ、ヒロシ、メチャいい話、ナンパし放題の場所があるっつうの。先輩から聞いた」

「うっそ……どこよそれ? 」ガバッと振り返ると外山がニヤけたまま座り込んで手招き

している。

「伊豆の白浜海水浴場、そこ、知る人ぞ知るナンパスポットだっつうの」

「ほんとうかよ、誰から聞いた話? 」

「知ってるだろ会社の先輩、高山さん。スッゲエきれいな彼女いるじゃん、その彼女、去年白浜でゲットしたんだって」

「へえ、そうなんだ……そうなるとこれってマジな話かよ……」

 完全に乗り気になったオレは早速『ナンパツアー』のプランを練った。メンバーは外山、同僚のミツオ、それとやっぱり東、肝心の足は暴走族時代にオレの子分みたいな存在だった大石に決まった。ヤツは最近デカイ車セドリックを買ったばかりだ。あれなら全員余裕で乗れる。

 夏休みの前日に集まったオレたちは夜走って早朝から女の子を待つ。きっと他にもナンパ狙いのヤツらが来るはずだから朝の早い内に女の子を物色する作戦だ。一般道を百キロ近いスピードで飛ばす。ミツオが持ってきたカセットテープレコーダーで山口百恵のメドレーを大音響で流しながら。

「この辺でいいんじゃね? 」白浜に着くと浜の中央付近、売店と休憩所が見えるあたりに車を停めた。

 いま午前三時、仮眠しようと思うが興奮しちゃってなかなか寝付けない。

 ちょっとウトウトし始めた頃、夜が明けてきた。

「六時じゃん、まだ来ないよ」といって缶コーヒーを買いに出た東が走って帰ってきた。

「女の子四人こっちに向かってる。遠目に見てもかわいい感じ」と叫ぶ。

「ガバッ」全員が体を起こして目を凝らした。たしかに若い女の子がこちらに向かって歩いている。ちょうど今、道路を渡ろうとしているところだ。

「あの子たち休憩所に向かってるからタイミング合わせて出ようぜ」とオレが音頭をとる。

「GO!」四つのドアを同時に開けて外に出た。ドキドキ感で胸が痛い。

 アレッ、どんな歩き方すりゃあいいんだ? 一瞬迷った。不良っぽいのかマジメそうなのか、歩きながら変えてみる。結局マジメそうなのを選んだ。他のヤツをチラッと見るとそれぞれバラバラでロボットみたい。皆コチコチになっているのが分かる。「フッ」ちょっと吹いた。

 十メートルぐらいに近づくと女の子達もこちらを意識しているのがよく分かる。

「おはよう」オレはニコッとして手をあげた。

 女の子たちは立ち止まり、お互いに顔を見合わせて頷いた。

「おはようございます」と笑顔。

「全員かわいいじゃん……それにマジメそう」がオレの第一印象。

 お互い印象が良かったのかみんなやたら笑顔でいい雰囲気になった。

「ねえ、君たちどこから来たの? オレたち横須賀」

「えっ、横須賀ですか。あの、軍艦のあるとこ? 」

「そうそう、米軍基地があるよ。あと自衛隊とかね」

「知ってます。外人がいっぱい居るんでしょ」

「うん、じゃまなくらい」

「じゃあ、もしかしてあなたたち英語しゃべれるの? 」

「ムッ」、言葉に詰まった。このメンバーでしゃべれるヤツはいない。

「まあ、カタコトだけどね。でも向こうの言ってることはだいたい分かるよ」と格好をつける。

「すごーい、尊敬しちゃう」と本気にしちゃったみたい。

 英語の話になるとちょっとまずい。ここは流れを変えなきゃ……オレは自己紹介に切り替えた。

「オレ、橘ヒロシ、元暴走族、今、肉屋の作業員。バイク乗りは上手な方です。次ミツオどうぞ」

「小橘ミツオ、ヒロシの先輩です。年は一個上です。暴走はやったことあります。運転はあまりうまくないです。次、外山」

「外山隆です。仕事は配管工、オヤジの跡継ぎです。特にありません。次、東」

「東タカオです。ヒロシと幼稚園から同級です。特技、何もないです。以上」


 君たちどこから来たか教えて、名前もね。じゃあキミから」オレは一番背の高い娘にマイクを向けるような仕草で質問した。

「ハハッ、八王子から来ました高島不二子でーす」

「ハイ、同じく八王子の岸田礼子です」

「フフッ、足立の田野順子です」

「石渡さおりです、私、住まいは割と近くの伊東です」

「で、四人は知り合いなんだ」

「そう、テニスの試合で知り合ったの、夏休みに遊びに行きたいって言うから私が民宿を手配したの」

 いまのところオレが代表みたいに一人でしゃべってる。――なんでオレだけが――とチラッと振り返ると外山を始め他のヤツらはニヤニヤしているだけのようだがじっくり女の子の品定めをしているのがわかる。全員が充分可愛いが八王子の娘が抜きん出た美人。スタイルいいし、ちょっとハーフっぽい。

「でさぁ、君たち水着着てるんだからこれから泳ぐんだよね? 」

「はい、一応……」

「一応ってどういうこと? 」

「あの、みんな、スポーツ好きなんだけど泳ぎだけは全然ダメなんです。浮くのがやっとみたいな……」と岸田礼子が情けなそうな顔で下を向いた。

「オッケー、任しといて。オレたちみんなガキのころから泳ぎは達者。だって横須賀は海の町じゃん」

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