嚆矢濫觴、能事畢れり 2
夜が死んだ。そうとしか形容できない光の大洪水が、宙に敷かれた星屑を押し流していた。
激越な赤光が幾度となく瞬き、天地を真昼のそれへと変貌させている。恒星の光球面、約六千度に伍する可視光線が撒き散らされているのだ。
発される光線は夥しい熱量を孕んでいる。航空戦艦ネイルソンによる冷却がなくば、地上はとうの昔に灼熱地獄の様相を呈していてもおかしくなかっただろう。
百を超え、千を数え、万の桁に到る交錯。極光の明滅を成すのは二つの恒星だ。
激突する両雄を尻目に、航行する戦艦は迸る熱射の影響を遮断している。最新鋭の航空戦艦の機能は十全だ、空の夜は死滅しても地上の夜は辛うじて保たれていた。目を灼かれる者が出ていない、それだけで戦艦の存在は貴重な防波堤となっている。
無論、発掘闘技都市唯一の航空戦艦がそれだけを使命とするわけがない。ネイルソンより魔導兵を含む全部隊が出撃し――その様はさながら、蜂の巣から飛び出した働き蜂を彷彿とさせる。大魔獣イスイヴトプスを屠らんと勇躍するモノ達が、無数の魔物が犇めく混沌の地に降り立つ。発掘闘技都市全域を戦場として、無尽の魔物の軍勢を押し留めるべく奮闘する全軍の管制役も担っていた。
眼下のその光景を見下ろす事もないまま、夜を駆逐している二つの人型の太陽は、遂に百万まで届く激突を迎えている。秒間百を超す交錯の末、太陽の表面温度を超える光と熱を宿した巨槍が少女を貫いた。
砕いたのは頭蓋。穿ったのは脳髄。人魔の境なく致命となる部位だ。そこを撃ち抜かれたなら、仮に死を避ける方策を成したとしても、魔力は大幅に減じてしまうもの。そして魔力がなくなれば戦闘の続行など愚者の夢。
だのにその理を超えて、太陽神が如き戦乙女は数度目となる頭部の撃滅と魔力の枯渇を体験していながら、全くその勢いを落とす事がない。破滅を厭わぬ特攻――背筋の凍る体験を欲する、スリルジャンキーの自滅行動。そう取られてもおかしくない猪突猛進ぶりである。まさに自ら死出の旅に出る自殺志願者、死の感覚に酔い痴れる破綻者のそれだ。
だが違う。とにかく距離を詰め白兵戦の距離を堅持し、魔族クラウ・クラウに食らいつき続けるアレクシアは、魔力が尽きる度に全快し、頭を穿たれ死ぬ度に蘇る。これこそが確実な理に則った最適の戦術だ、事此処に到ってはクラウ・クラウとて確信せざるを得なかった。
「この不死性……蘇生魔術の使い手かッ!」
「ハハハハハ――ッ!」
正解だと叫ぶかのように哄笑を迸らせアレクシアが飛ぶ。圧される形でクラウ・クラウは後退し、構わず間を潰して飛翔した少女の豪撃が沸騰する溶岩の巨槍をへし折った。
だがクラウ・クラウとて百戦錬磨の武人である。己の半分も生きていない若造に、そうやすやすと遅れを取る男ではない。
(かつてこの小娘は一度死んだという。我が弟が相討ちで殺した。後方基地に蘇生役が控え、運び込まれた遺体を復活させたとばかり思っていたが……違ったらしいな。アレクシアが戦線に加わるようになって五年は経っている……なぜ今まで奴が蘇生魔術の使い手だと報告が挙がっていない? ……決まっている、そもそも奴を殺せる者が、奴と交戦した者の中では俺の弟以外にいなかったからだ。だというのにこうも容易く命を獲らせる、隠蔽していた情報を明かす戦法を取っている……この俺が死ねば、情報が漏れる事もないと踏んだか)
高速で思考しながら折れた槍を両手で握り、コマを一つ飛ばしたかのように巨槍を元の長さへ修復する。二つに分かたれた巨槍を十全に操り、アレクシアの四肢による打撃の悉くを跳ね返すや、反撃として口腔より吐き出した熱線で少女の首から上を吹き飛ばす。
もう防禦すら億劫だとでも言い捨てるが如く、頭部を失くした戦乙女がクラウ・クラウへ渾身の拳撃を叩きつけた。胸の中心を強打されて体勢を崩すクラウ・クラウだが、左腕を掲げ側頭部を抉らんとする足刀を防ぎ、呻きつつも須臾の間すら置かずに後退する。
その間に皇女の秀麗な美貌は復活していた。アレクシアは再生した首を巡らし、戦意に濡れた艶声で興奮を漏らす。
「んっふふ。強い、強いなクラウ・クラウ。貴様の弟よりずっと。よもやこの短時間の内に、この私を六度も殺してくれるとは。おかげで彼岸の川辺で溺れそうになったぞ」
そう。アレクシアは既に、六回死んでいた。だがその度に蘇っている。
王国と帝国を合わせ、僅か三人しかいない蘇生魔術の使い手の一人がアレクシアだ。だがアレクシアが患う不治の形質不全、魔力の放出を一切不能とする欠陥により、彼女は他者を蘇らせる事は絶対にできなかった。
しかし他の二人とは異なり、異質なまでに傑出した魔導師でもあるアレクシアは自身を蘇生できる。復活できる。蘇生魔術を戦術に組み込んだのは古今東西を見渡しても彼女だけであり、まさしく不死身と言える不死性を保有していた。
不死身のモノを殺す術は、ある。不死殺し、概念改竄……不死身など詭弁、特効薬さえあれば殺せる病原菌だ。だがしかしアレクシアに不死殺しの類いは全くの無意味。何せこの野蛮人は不死などではない。
実際に死んでいるのだ。死んだ上で蘇っているのだ。黄泉還りを妨げるか、そもそも復活できないようにするしかないが、その手の対処にアレクシアは確実に対策している。
戦闘を見ただけでは誤解してしまいそうになるが、アレクシアは馬鹿ではない。むしろ卓越した戦士であり、指揮官として戦局を見渡せる視野も持ち合わせ、非常に頭のキレる知恵者だ。現にアレクシアは今、クラウ・クラウにとって最も嫌な戦闘方法を仕掛けてきているではないか。
クラウ・クラウを、釘付けにする。とにかく足止めする。
無理に倒す必要はない、ここは人類圏。長期戦に縺れ込めば、いずれは援軍が駆けつける。無理に倒しに行きリスクを負う必要はほとんどない。故の死を許容しての突撃だ。
本当ならアレクシアほどの化け物ともなれば、こうも何度となく死にながらの戦闘を行なう事なく、クラウ・クラウとも互角に渡り合えるだろう。そうしないで猛攻を加え続けているのは、クラウ・クラウが他に余計な事を仕出かせないようにするためだ。
劫火の超人にとって弟の仇である野蛮人との戦いは望むところ。だが武人として、軍人として、優先すべき役割を見失うほどクラウ・クラウは愚かではない。だからこそ隙を見て離脱しようと試みてはいたが、生憎その隙が見当たらなかった。不死性と素の実力も合わさり、難敵と称するしかない。なるほど、弟が敗死するわけだと納得してしまう。
これは、真性の悪魔だ。全人類が大敵と定めるべきモノである。地上に背を向けて、自身の直上にいるクラウ・クラウへ笑いかける少女の豪胆さに、改めて脅威の程を再認識した。
「……俺をこうも梃子摺らせるとは、女だてらに見上げた奴だ。惜しむらくは同胞ではないことだな。お前が同胞で、クーラー・クーラーの代わりになっていたなら、俺はなんの憂いもなく目の前の仕事に専心できたものを」
「ほう奇遇だな。つまり死んで魔族に生まれ変わって来いと言いたいわけだ。私も同じ気持ちだよ、来世では肩を並べられたらいいな。そのためにもまずは三途の川で穢れた心身を清め、人の身に生まれ変わって来い」
「ほざくなよ小娘。俺はお前より長く生きる、先に死ぬのはお前の方だ」
「んふ。物事の道理を知らないと見える。教えてやろう、死ぬ順番は年功序列というものだ。だからな――」
――去ねよ老兵!
実体のない炎の肉体は、燃え盛るレッド・カラーの魔力形質そのもの。再び突撃してくる少女の暴威を捌きながら、クラウ・クラウはアレクシアの不死性への対処法を考えていた。
この世に生を受けている以上、生と死の因果は必ず持っている。死なぬものなどありえず、滅ばぬものもまたありえない。不死身を謳うモノであっても殺す術があるのだ、死にながら蘇るモノもまた滅ぼす手段は存在するはず。たとえば、魂そのものを滅ぼす……など。
蘇生魔術。アレクシアはこれを、自身が死ぬ事で自動的に発動しているようだ。魔力を失っても全快する理屈は見当もつかないが、蘇生を簡単なものにしている要因は二つ推察できた。アレクシア自身が炎体と化し、生身の肉体ではなくなる事で体の再構成を容易としている事。そして魂という、存在の核そのものと蘇生魔術の術理を紐づけているのだろう。
封印はまずできない。そんな単純な縛りは力づくで破られる。削り合いもまた殺す度に魔力が全快する論理を見破れない限りは不毛。
アレクシアを滅さんと欲するなら、魔力の一片も残さず消し飛ばすか……まずは炎の体を生身に引き戻し、蘇生魔術の難度を上げさせるか……もしくはアレクシアの魔力炉心を一瞬でも停止させ、黄泉還りそのものをさせないか。どれであっても長期戦は避けられない。クラウ・クラウはこの戦闘に見切りをつけた。時間がない。作戦はもう最終段階なのだ。
「……ここまでだ。弟の仇を取れなんだ事は口惜しいが、最早お前に拘ってばかりもおれん。次の戦場で相見えるまで、その首を預けておいてやろう」
全身のバネを撓め、上体をカタパルトに見立て、捻りながら撃ち出される螺旋の拳。宿す熱量とも合わさり万物を灼き穿つ拳撃を敢えて受け、クラウ・クラウは胴の真ん中に風穴を空けられながらも後方へ逃れた。
ボゴッ、と溶岩の肉体が泡立ち、肉体を元を形へ復元する。そうしながら両手の巨槍を破裂させて万の火の粉とし、その全てを誘導弾に転換させるやアレクシアに殺到させる。防禦すらしないアレクシアの突撃をそうして妨げた。
目的は攻撃ではない、距離を稼ぐための防壁である。万の火の粉が真紅の魔導騎士へと群がり、炸裂させる事で衝撃波を迸らせたのだ。この化け物なら無視して突っ込める、しかし全方位に拡散するそれを野放しにすれば、地上へ甚大な被害を齎すだろう。地上の戦闘とクラウ・クラウを切り離す事を第一としていたアレクシアは、やむなく全ての火の粉を体で受け止めダメージを甘受する。
穴だらけとなった炎体を、焼き増しの如く再生しながらアレクシアが鼻を鳴らした。
「私に捕まっていながら、ダンスパートナーの役を降りられるとでも?」
「フン、単調なダンスに厭いたのだ。やってやれん事はないにしろ、滅ぼすのに骨を折っている場合でもない。私情よりもまずは仕事を優先する。――潮時だ。やれ、クーラー・クーラー!」
発掘闘技都市全土に轟かんばかりの大喝だ。アレクシアは目を細める。確実にクラウ・クラウの仲間へ今の声は届いただろう。平時なら。
だがその直後だ、アレクシアの背後……真下に巨大な大結界が幾重にも展開される。
曼荼羅大結界、氷獄の城壁、時間停止の防壁。アレクシアには初見の、しかしクラウ・クラウはよく知っているものだ。それがたちまち破壊され、明後日の方へ灼熱した黄金の弾丸が奔った。こちらはアレクシアが知っているものである。その二つでクラウ・クラウの大喝は掻き消えてしまったのだ。
「―――」
奇妙な沈黙の間。両雄の意識野に、同一の事態が弾ける。地上の戦局の推移を、今の一撃で正確に把握した。
砕けた三重結界の欠片の中に、垣間見えた氷人。こちらに視線や意識を向ける余裕もないまま下降していき、すぐさま戦闘に戻っていったのはクーラー・クーラーその人。
焦ったのはアレクシアだ。焦れったくなりながらも、余裕を保ち嘆息したのはクラウ・クラウである。
「……戦闘中だったか。だが、いい。追い詰めているようだからな」
「……マリアが、やられている? ……何があった。キュクレインは向こうにいたんじゃあないのか? だからこっちに来なかった……いや、言ってる場合じゃないな。どうやら時間がないのはこちらも同じらしい」
「仲間を助けに行くか? 構わん、好きにするといい。その間に俺は、俺の仕事を片付けておこう」
「………」
「どうした、行かないのか?」
苦い顔をするアレクシアに、クラウ・クラウは内心独りごちる。実を言えばもうその仕事とやらは終わっている。後は最後の仕上げが残っているのみ。それにはクーラー・クーラーの協力が不可欠なのだ。
ここから先は、自分だけではどうしようもない。作戦の肝はクーラー・クーラーなのである。後百年は技術開発に徹さなければならないと考えられていたのを、異質特性を二つも――それも、作戦に必須とされる力を有していた、奇跡の子とも呼ばれる天才が生まれた事で作戦の断行が決意されたのだ。謂わばこれは百年前倒しにした作戦………アレクシアの足止めさえしていれば、敵を下したクーラー・クーラーに最後の役割を成させられる。
故に、此処に立場は逆転した――かのように思われた。
アレクシアがクラウ・クラウの相手をせねばならないように虚言を吐く。ちらりと一瞥した先で、黄銅の魔導騎士が力尽きていた。あの調子だと放っておいてもクーラー・クーラーが勝つだろう。何も問題ない……はずだった。だが突如割り込んだ少年によって、その趨勢は覆る。
純白の房を垂らした兜を被り、その下に蒼布を被る事で顔を隠した、騎士のような風体の者。コート・オブ・プレートを纏い大剣と鉄棍を装備している。だが視認しただけで戦力は底を知れる。魔力形質、魔力波長、魔力量。どれも並ではないが、しかしそれでも最低位の【真人】ですらない。鎧袖一触に蹴散らせる雑兵だ。
「ん……ふふ、ハッハハハハハ!」
「……何が可笑しい? 雑魚が一匹紛れ込んだところで、僅かばかりの手間が増えただけだろう」
その少年を視認した途端、笑いを爆発させた少女にクラウ・クラウは訝しげに問い掛ける。
如何にして迅速に相手を倒すかと、焦りつつあったアレクシアは、敵からの問いであるにも関わらず答えた。気分が良かったのだ。
顔は見えずとも無自覚に垂れ流される魔力波長で、あれが何者なのかが彼女には分かったから。
「戦時は兜で隠れているからな、顔は知らなかっただろう。あの黄銅の騎士は戦争という場に於いて、この私より優越する能力の持ち主だ。名をマーリエルという」
「……【ベツレヘムの魔砲使い】だと!?」
「おや。その異名をそちらでも使っているのか。いいなぁ、私なんてそんな格好のいい二つ名はないのに。――これで勝ったよ。貴様のお仲間は、敗ける。一騎打ちなんて、らしくない真似をしてくれていたマリアを斃せない時点で、仲間を得たマリアに勝てる道理などない」
「………ッ」
「さて、やはり私のやるべき事に変わりはないな。貴様を、此処に、釘付けにする。簡単な仕事だ。そう思わないか?」
【ベツレヘムの魔砲使い】。その忌むべき存在を、古強者であるクラウ・クラウが知らぬわけがなかった。近年最も同胞を討ち果たした【人民最大の敵】である。
アレクシアは単一の個体としてなら、なるほど難敵だ。だが所詮は一つの戦闘単位。いくら強かろうと単独でしかない。部隊を率いては名指揮官だが、常識の範疇に収まる。
しかしアレは違う。少数ながらも無数の仲間を、それこそ雑魚であってもアレクシアと同等の戦力にまで引き上げる、厄介極まりない魔女なのだ。もしもアレクシアとマーリエル、どちらを斃すべきかと問われたなら、デウス・プロディギアリスは満場一致でマーリエルだと叫ぶだろう。満身の憎悪を込めて。
本来ならクーラー・クーラー如きが相手に出来る敵ではない。どうしてあそこまで追い詰められたのかは知らないが、絶好の好機だった。……そう、好機だったのだ。過去形である。
あの魔女の加護を受けられる仲間が到来した以上、あそこにいる少年は雑魚ではない。アレクシアほどの暴威は望めずとも、立派な戦力へと格上げされてしまう。
「ッッッ!」
歯を噛み砕かんばかりに食い縛り、クラウ・クラウはアレクシアを睨んだ。余裕綽々といった風情で目を眇め、挑発的に胸の下で腕を組む皇女騎士。
思えばこの皇女が此処にいるのも、前線にいるはずのマーリエルが此処にいるのも、全て一人の男に因果を遡る。
アルドヘルムだ。あの男が、この二人を――本来なら前線にこそいなくてはならない、決戦存在とも言うべき切り札を内地に呼び寄せた。
(またしても立ち塞がるか……アルドヘルム・ハルドストーン!)
ここまで来て。後もう少しという所で。最後のひと押しだけを残して。新人類の最高指導者、髑髏鴉が百年以上温めてきた作戦が潰えようとしている。
こんな事が赦されるのか? 否だ、断じて赦してはならない。
瞬刻、クラウ・クラウの脳裏を過ぎったのは、自身の悲願である正式な貴族位への返り咲き。恥さらしとまで呼ばれた一族の、名誉を回復する事。
神代再興、創世の時より生きる大賢者、髑髏鴉をして稀代の知恵者と指し示される男。アルドヘルムは不可能と思われる策略を幾つも実現し、デウス・プロディギアリスに多大な損害を与えている。その中には成し得ないと思われてきた離間の計、虚報も含まれ、クラウ・クラウの一族の中から裏切り者が出たのである。
有り得ない事だ。クラウ・クラウの娘が敵と密通したなどと謗られ、晒された屈辱は忘れられない。度し難い事にそれは事実であり、娘は偽りの人間と不義の交わりを以て子供を生んでしまっていた。故に、尚更に度し難い。新人類の裏切り者、よりにもよって進化に乗り遅れた、劣等種である魔人との間に子を成した痴愚。そんな者が一族から出た、この濯ぎ難い恥辱を晴らすのだ。そのためならなんでもやると決意し此処まで来た。
二百年前の幼少期。教え導いてくれた恩師にして主、髑髏鴉。敬愛する御方の子弟の一人でありながら、御方の顔に泥を塗ってしまった。名誉回復のためにも、ここ一番の作戦を託してくださった御方のためにも、是が非でも成功させねばならない。だからクラウ・クラウは、決めた。決意した。決心した。決めた覚悟の通りに、己の全てを捨ててでも為すべき事を為すと。
「……此処が、命の捨て時らしいな」
口の中で呟く。クラウ・クラウの気配が変わったのを見て取ると、アレクシアは組んでいた腕を解いた。
「来るか」
「元より死の危険がないなどと、虫のいい事は考えていなかった。不本意の極みだが、弟の末路に倣うとしよう。この首、お前達魔人にくれてやる」
「何?」
クラウ・クラウの魔力が爆発的に跳ね上がっていく。元々周囲の大気に漂う水分は余さず蒸発している、故に彼の波動は炎界を生み出した。何もない大気が発火し天上は火の海と化したのだ。それがクラウ・クラウの全身全霊、掛け値なしの本気。
許容値の臨界にまで達した魔力が、クラウ・クラウの全身を赤熱させる。体の表皮にあたる溶岩が割れ、マグマが血のように噴出し、古強者は魂を燃焼させた。だがそれは戦闘に臨むためのものではない。確かに膨大な力の発露であるが、全身の筋肉を凝固させているようなもの。機敏な動きなど望めない。こんな真似は戦いの場では自殺行為だ。これではアレクシアに一撃を当てる事すらできまい。しかし、だからこそアレクシアは驚愕したのだ。彼の思惑を看破したのである。
「貴様……!?」
「お前が選べるのは、三つに一つだ。これから俺の為す事を無視し、俺を殺すか。俺の奥の手が狙う、この欺瞞の都市を護るか。あるいは【ベツレヘムの魔砲使い】への援護に回るか! どれでもいいぞ、俺の目的は……我らの大義は成されるッ! 行くぞ、野蛮なる魔人の女ァッ!」
ぅうぉぉぉおおおおおッッッ! 漲る灼熱の魔力の大渦。さながら大陸全土を活火山とし、途方もない大噴火が巻き起こる前兆だ。アレクシアは瞠目しながらも逡巡する。
眼下を見た。そこには多数の将兵がいる。機能を軒並み破壊されているとはいえ、護るべき都市がある。目の前にはクラウ・クラウ。隙だらけである今の内に仕留めようとしても、まだ魔力に指向性がない状態で殺めれば、無作為に被害が拡散されるだろう。あの規模の力を振るえば、どうあっても大幅に弱体化するのだ。なら指向性を持った攻撃が来るのを待ち、それを迎え撃った方が被害は少ない。
しかしそれではマーリエルとアルトリウスが危なくなる。少なくとも被害の拡大を防ぐため、アレクシアは動けなくなるからだ。友情と打算、義務と使命感の二律背反……板挟みにされながら、しかしアレクシアは皇女にして騎士、軍人である顔を取る。
「【枝の破滅に燃ゆる剣執りて害を成す、傷を生む。我は紅き篭手持ちし腕の者――】」
「……すまないマリア、アーサー。そっちはそっちで、どうにかしてくれ。私には私の責務がある、これを放棄する事はできない」
かつて耳にした、クラウ・クラウの弟とやらが唱えていた呪文。力ある呼び掛け。それと一言一句違わぬという事は、今に振るわれんとしているものが、クラウ・クラウの一門の魔術奥義なのだろう。
むざむざ敵の詠唱を待たされる事の口惜しさたるや、もどかしくて己の心臓を抉り出したい衝動に駆られる。アレクシアは歯噛みしつつも、クラウ・クラウの奥義が開帳される時を待った。
「【――九つの枝葉に火を灯せ。世を支えし幹に剣を撃て。我が祖霊スルタロギ・ヘルヘイムよ、汝の御業をこの手に降ろさん】ッ!」
斯くして顕現するのは、世界を灼き尽くす劫火の破滅。全長1kmはあろうかという、人智を超えた神の槍。比喩でなく、神の槍なのだ。
スルタロギ・ヘルヘイム――古き火神の末裔こそがこの男。軍事衛星【神の杖】を想起させる、豪炎の神槍を顕した魔族クラウ・クラウは、掲げた巨槍の穂先で発掘闘技都市を照準した。
全てを灰燼に帰す終末の槍だ。あんな物の直撃を赦してしまえば、未曾有の発展を遂げてきた大都市すら、跡形も残さず消し飛び更地になるのみならず、この地は手を付けない限り永遠に絶える事のない火炎の海に呑まれるだろう。
だがそうはさせられない。防ぐのだ、この身を盾にして。方舟帝国の皇族から、今代の戦士として選出された皇女としての誇りを胸に。空を翔びたいがために、自ら皇族の責務に志願した幼い頃の己に恥じないために。アレクシアとは人類の盾にして矛であると、示すために!
進化した超人類であっても、神の御業に手を伸ばすのは愚行。しかしそれがなんだと言わんばかりに、対価として己自身の命を捧げながら、デウス・プロディギアリスの勇士は神の槍を擲った。
「〈Ignis aurum probat; /炎は黄金を証明し、
〈miseria fortes viros./苦難は勇者を証明する〉!」
† † † † † † † †
「………?!」
クーラー・クーラーにトドメを刺す寸前だった。薄暗さを保つ地上が、遂に航空戦艦の保護を破られ、世界に莫大な光が満ちた。
下顎を跳ね上げられたように、咄嗟に空を見上げたマーリエルの目と、魔力を感じ取る【空覚】がオーバーフローを起こして明滅する。
空が、燃えている。
終末の時、世界の黄昏を告げる大紅蓮。それが信じ難い魔力の燃焼を以て成され、一つの神槍を顕現させた。想像を絶する光景に、コールマンは阿呆のように口を半開きにして空を見上げている。
だがそれを見たのは、クーラー・クーラーもまた同じ。死の恐怖で光を失っていた目に力が宿った。
「――アーサー! 早くトドメを!」
「ッ……!」
擲たれた火の神槍。狙われたのは都市中枢。あそこに神槍の着弾を赦せば、発掘闘技都市は終わる。再起不能の深刻な損害を被り、ひいてはグラスゴーフが生み出す利益の恩恵に与っていた、多方面の戦線と経済圏に癒えぬ傷跡を刻み込むだろう。
だが解き放たれた万死の槍に、火神そのものとも言える皇女が突撃しているのを見た。穂先の先端を両腕で受け止め、凄まじい形相で槍の侵攻を食い止めている。
神の槍を、アレクシアなら防ぎ切る。マーリエルはそう信じた。神そのものが投じたのならともかく、そうでないなら紅の皇女を突破できるはずがない、と。故に卓越した状況判断力を持つ魔砲使いは少年を急かした。
我に返ったコールマンが剣槍を突き落とす。しかしクーラー・クーラーは足掻いた。首を横に傾け剣槍の切っ先を躱し、瞬時にマーリエルが放った弾丸を腕を上げて防ぐ。胴体に二発の着弾を許すも、そもそも頭さえ守れば心臓を撃たれても即死はしない。
地面を転がり、跳ね起きたクーラー・クーラーへ、さらなる追撃を見舞わんと二人が構えた。――そこへ、飛来する。
半死半生。黒ずんだ岩の皮膚を晒した巨漢。第三幕壁の上に、クレーターを刻んで着地した魔族は、クーラー・クーラーを背後に庇う形で割り込んで来たのだ。
「伯爵……」
「……まだ生きているな、男爵? なら、良しだ」
上空では神槍と戦女神の鬩ぎ合いが継続している。心底安堵したように呼ばう氷人に、炎人は一瞥も寄越さずマーリエルとコールマンを睨みつけた。
その大男、クラウ・クラウはどう贔屓目に見ても死に体だ。だというのに、微塵も衰えていないように見えるこの気魄はなんだ。たじろぎそうになるのをコールマンは堪える。手負いの獣ほど恐ろしいものはないというが、死に瀕している強者にはそれを超える迫力があった。
マーリエルが露骨に舌打ちした。「あの脳筋、もう少し足止めぐらい熟せなかったの」なんて。コールマンと違い全く怯懦を感じていないらしい。
「とはいえ、互いに無事ではない。お前は腑抜け、俺は死にかけだ。――これを。最後だ、上手くやれ。然る後に離脱しろ」
「ま、待て……貴方は? 貴方はどうする気だ?」
「――お喋りに興じてるところ悪いんだけど。死に損ないは、きっちり棺桶に入ってくれないかしら」
クラウ・クラウが、何かをクーラー・クーラーへ渡した。動揺する氷人の問いに、即座に返答する事はできない。
戦闘態勢を取っているマーリエルが、銃口をクラウ・クラウへ向けたのだ。同時に発砲もされている。脳天を撃ち抜かれ、頭蓋からマグマを吹き出す。
だが赤熱の魔族は死ななかった。口をモゴモゴと動かし、ペッ、とクラウ・クラウが吐き捨てたのは溶けかけの弾丸だ。
「……しけてるわね」
限界まで疲弊しているとはいえ、自身の魔弾が情けない戦果しか挙げられなかったことへ、マーリエルは自嘲の笑みを浮かべる。それをよそに、クラウ・クラウは背後の同胞へ言った。
「行け。此処は、俺が引き受ける」
「だ、だが!」
「……聞こえなかったのか? 二度は言わんぞ」
「死ぬ気か、伯爵!? 貴方の奥方に、私はなんと言って詫びれば――」
「――くだばれ売女。俺がそう言っていたと伝えればいい」
ニヤリと骨太な笑みを浮かべ、は? と呆気に取られたクーラー・クーラーの腹部に、顕した大槍の石突を突き込んだ。
吐瀉を撒き散らして吹き飛んでいった小娘へ、クラウ・クラウは失笑する。
「二度は言わんと、言ったはずだ。さっさと役目を果たせ。まったく……世話の焼ける小娘だ」
大槍を一つ顕しただけで、クラウ・クラウは足元をぐらつかせた。よろめいて槍を支えにする大男は、燃える両の眼で少女と少年を見据える。この間、一瞬たりとも目を逸らしていない。
最後の力を振り絞るが如く屹立する勇姿に、マーリエルは目を細めて。そして鋭く、教え子にして友人であるアーサーに命じた。
「行って」
「……本気か?」
「本気よ。コイツ、あの女に何か渡したわ。まだ何かするつもりよ。大丈夫、もうアイツには戦う力は残っていない、貴方一人でも勝てる。コイツは、私が相手をするわ」
「駄目だ、私がやる。君が追え。マリアの魔力量はもう――」
「コイツには、貴方は勝てない」
議論の余地はない。そう告げる少女に、少年は折れた。弱い方に当たるのは保身を望む身として悪くない。義理と友情から歯向かってみたが、正直安心してしまう。
コールマンは頷く。だがせめて、マーリエルに何かを返しておきたかった。このままおんぶに抱っこで、尽くしてもらってばかりでは座りが悪い故に。
「ならマリア、私の魔力を半分譲ろう。吸い取ってくれ」
「……いいの?」
「君の生存率が上がるなら、幾らでも」
「……なら、お言葉に甘えるわ。でも少しならともかく、半分ともなると悠長な真似はできないわね」
クラウ・クラウは、黙って二人を見ている。動くのも億劫なほど弱りきっているのだ。どちらか片方だけでも此処で食い止める、それさえ出来るなら好きにしろと、そう言わんばかりに構えていた。
だから。銃口と視線を敵に固定したまま、マーリエルは出来るだけ素早く、迅速に、魔力の供給を済ませる。不意打ち気味にコールマンの膝を蹴り、片膝立ちになった少年の頭を掴んで引き寄せた。突然の痛みに抗議しようとする少年の口を塞ぐ。自分の口で。
吸われた。
密着している顔を間近に見て目を限界まで見開いた少年は、急激に吸われていく魔力を感じる。驚きに思考が白紙化され、されるがままだ。
時間にして一秒。しかしたっぷり一分以上に亘って接吻が交わされたかのような、濃密で濃厚な一瞬だった。
顔を離したマーリエルが、仄かに赤らんだ顔を隠しながら言う。言い訳みたいに。
「……だって、目の前に敵、いるから」
「あ……うん……」
「……何を呆けてるの? さっさと行ってよ!」
癇癪を爆発させたように怒鳴られて、コールマンはふらつきながらも氷人を追って駆け出した。その際に捨てていた兜と蒼布を拾って。
自身の横を駆け抜けようとしていた少年へ、炎人はぎょろりと目を向ける。大槍を持ち上げ、一撃で頭部を粉砕せんとするも、銃声に阻まれた。大槍のみならず全身を撃ち抜かれ、蜂の巣の如く穴だらけになりながら炎人は正面に向き直った。
元々あんな小者に興味はなかったが、あわよくばと欲を掻いてしまった。目の前には白銃を構える黄銅の魔導騎士がいる。数秒前の余韻を感じさせない、兵士の瞳がある。最後の敵としては申し分ないなと武人肌の男は嗤った。
† † † † † † † †
第三幕壁から飛び降りながら、少女と同じく赤くなっていた顔を隠すように蒼布を被り、その上に兜を装着する。そんな彼にマーリンが野次を飛ばした。
『どうしたの? あの娘とのキス、そんなによかった?』
「……うるさい。それより、どうなんだ。成功したのか?」
『失敗したよ。流石に無理だった』
クーラー・クーラーとの戦闘時、敢えて捨てていた兜の中には宝石が――演算補助宝珠のマーリンがいた。
衝動的に意味もなく兜を捨てていたのではない、きっちり強かな計算を持って兜を外していたのだ。
マーリエルがコールマンを強くする方法は魔術しかないと考え、出来るならその術式をコピーしようとしていたのである。
コールマンは最初から、漠然とした【真人】への進化の手法に頼りきる気はない。確実に成れる魔術があるのなら、それを習得するなりして【真人】に自由意志の下、変身してしまえばいいと思っていたわけだ。
結局出来なかったらしいが、まあそれはいい。
ハナから無理だと解っていた。
だが、マーリンは言った。
『コピーは出来なかったけど、今のマスターを強化してる魔術を分離して、別の媒体に温存しておく事は出来るよ』
「……へぇ」
『その媒体を使えば、任意で【真人】に成れる。もちろん保存しておいた魔術式が燃料をなくせば効力を失うけどね』
マーリエルから闘技場の受付へ。その闘技場の受付からコールマンへと渡っていた、オペレーティング・システムを保存していた記録媒体。USBメモリに似たそれに、マーリエルの決戦魔術を保存する。
そうしてコールマンは元の雑兵へと回帰した。だがとんでもない切り札を手に入れられたとほくそ笑む。マーリンはいい仕事をしてくれた、本当に役に立つ。何から何まで大助かりだ。故にこそ、コールマンは内心独りごちた。
(そろそろ、マーリンも捨て時かな?)
今、マーリンは明らかに、コールマンへの説明と矛盾する事を成し遂げていたのだ。
以前マーリンを受領した際に、この演算補助宝珠は言っていたのである。コールマンに出来ない事は、自分にも無理だと。だのに、マーリンはコールマンには絶対に不可能な、遥か格上の魔術への干渉を実現している。
マーリエルの魔術をコピーするため、というのは方便だった。マーリンが自分にウソを吐いていないか試すためのウソだ。
彼は最初から、マーリンを本当に切り捨てるか否かを決めるために、こうして試すつもりでいたのである。
マーリンには助けられている。特大の切り札まで手に入るなんて計算外にもほどがあった。恩がある、本音を言えばこんなに便利な道具は切り捨てたくない。ないが――彼は決定的に、コールマンの信用と信頼を失った。何より本能的な恐怖を感じるものなど、いつまでも手元に置いておくつもりもない。
(思い立ったが吉日……だったかな、コウジロウ)
元の世界で日本語を教えてくれた、日本人の青年を思い出しながら、コールマンは即断即決する。決定的嘘を発見した以上、躊躇う必要はない。マーリエルの魔術式を秘めた記録媒体を手に入れると、コールマンはマーリンを身に着ける事なく、地面に落下していく最中に虚空へ放った。
『ん、どうしたのマス―――』
一閃。剣槍を閃かせ、宝石を一刀両断する。
地面に着地したコールマンのすぐ後ろで、かつてマーリンだった物の残骸が砕け散った。
か、感想とか諸々、いつまでも待ってるんだからね!(激寒ツンデレ風)




