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死に候え不思議の国〜モータル・ワンダーランド〜  作者: 飴玉鉛
第二部「抹消される“コールマン”」
53/74

嚆矢濫觴、能事畢れり 3






 たられば(・・・・)を思索するのは不毛である。何せIF(もしも)の可能性を論じても、現実に作用させられる訳ではないからだ。

 しかし人の心とは不思議なもので、想定外の事態に直面した時に限ってそうした思考実験に興じてみたくなるものらしい。

 時代の変遷を経ても、人類が超常存在へ進化しても、そうした人間心理はなくなる事がない。文化と文明に育まれた知性を有するが故の悲劇だろう。その事を、王の代理として君臨する男はよくよく理解していた。他ならぬ自分自身がそうだからである。

 もしも。こうだったら。そうなっていたら――限定的ながらも無数の運命の中から、望んだ道筋を選定する【運命簡抜】の力を持つからこそ、仮染めの王は夢想する事をやめられない。常に最善を選べる訳ではなく、幾つかの筋道に沿った上での選択であるのだから尚の事だ。


 実物の星空を(・・・・・・)切り取り、ドーム状の天井に貼り付けた自身の天象儀。プラネタリウム。離宮の一室で、椅子に腰掛けつつそれを見上げ、ワインを飲む。なだらかに過ぎ去る静かな時間に身を委ねながら、過去を想う一時に浸る。……独りきりになるこの時だけは、自分自身に向き合えるのだ。己が選び取ってきた道は、誤りではなかった事を再認識するために。


「………」


 運命選定、歴史改竄、事象改変。その手の異能、魔術は神々の権能により禁じられ、封じられている。故に、たとえそれらを行使できるだけの実力者がいても、神の力を超えない限りは扱えないもの。しかし全人類の頂点に立ち、新人類の王権を有する自分だけは、僅かにその括りの中から抜け出し権能を無視する事が出来る。

 神の法理を侵すのは不敬だが、勝つためだ。人類が悪しき遺物どもを討ち滅ぼし、真にこの世界を勝ち取った後なら幾らでも罰は受ける覚悟はあった。

 だがそれも任意に行使できる訳ではない。【運命簡抜】の王権は不随意に駆動する天啓に似たシステムとして機能する。都合の良い未来を選び、選定する機会が訪れるのは稀だ。神々の権能を無視する際に設けた、自身の力を強めるための縛りの一つである。その縛りの一つとして、王権の存在を他者に告げる事が出来ないが、その分強力な異能として現実に作用できるのだ。


 己が決めた未来(・・・・・)を、何者も改変する事は能わぬ。たとえ憎むべき、恐るべき神王の遺物であっても例外ではない。

 だが――失念していた。例外とは、慮外の事態とは、たとえ神の如き王者であっても逃れ得ぬ定めである事を。


 不意の電撃が彼を襲う。磨き抜かれた象牙のような、光沢のある嘴を開閉した。ぱくぱく、と。陸に打ち上げられた魚のように。

 実際に落雷の直撃を受けても、小揺るぎもしないが、それが己自身の王権に齎されたものなら話は違う。

 自らの頭蓋が疼く。矢のような映像(イメージ)が彼方より飛来したのである。その痛みは何度体験しても慣れる事がない。大脳に異物が突き刺さるに等しい感覚に、彼は無意識に体を強張らせた。そして何より、視えたものが衝撃的で、思わず手にしていたグラスを取り落としてしまう。


 予期せぬ光景を視たのだ。デウス・プロディギアリスの未来を占う、重大な作戦に従事していた者達の現在(いま)を視たのである。

 支配者はモダンな椅子を蹴倒して立ち上がった。


「く、クラウ・クラウ………?」


 グラスの割れた音を聞きつけ、何事かと扉を開けて顔を覗かせた下僕に気づきもせず。肉の削げ落ちた鴉のドクロ頭を持つ、10mはあろうかという体躯の貴人――髑髏鴉(ニグレド)は二百年来の股肱の臣の名を呆然と呟いた。

 青の豪奢なローブを羽織り、歪な王冠を戴く王は、連続して遥か遠方の出来事を視認してしまう。コマ送りに受信した見知らぬ景色、それを認識した異形の王は唖然として立ち尽くした。


 数瞬の後、絞り出すように呟く。


「なぜ彼奴が、死ぬ? そのような未来など、予は赦しておらんぞ……」


 クラウ・クラウ。デウス・プロディギアリスが誇る勇士の一人。火神の末裔の中でも飛び抜けて優秀な武人だった。その戦歴と実力は、彼を我が子のように可愛がってきた髑髏鴉も格別の信頼を寄せている。だからこそ重大極まる任務を託したのだ。

 髑髏鴉は新人類の最高位に君臨する王として――爵位こそ公爵だが――常に泰然自若とした姿勢を崩した事がない。白公爵(アルベド)大公爵(ルベド)が討たれ、その五体が別個の生命体として独立し弱体化している現在。無欠の五体を有する唯一の公爵であるからこそ、堂々たる支配者としての振る舞いを忘れる訳にはいかなかった。


 そんな彼が、狼狽えてしまったのである。


 下僕が目を丸くして驚いているのに気づいた髑髏鴉は、どかりと強靭な拵えの椅子に座り直す。眼球のない両の眼窩を押さえ、呻いた。

 発掘闘技都市の現在を視た彼の胸中は荒れ狂っている。有り得てはならない事が起こっていた。己が視て、決定した未来(・・・・・・)。そこではクラウ・クラウの初撃により、選び取れる未来を大幅に狭めてきた敵方の知恵者、アルドヘルムは瀕死になり。【ベツレヘムの魔砲使い】もまた、アルドヘルムを護るために半死半生となる。

 そしてあの魔女は本当の意味での仲間と合流できないまま、本来の実力を発揮できず、格下のクーラー・クーラーと交戦し死亡する(・・・・)。紅の野蛮人も撃退しクラウ・クラウとクーラー・クーラーは見事に任務を成し遂げ、英雄として帰還してくるはずだったのだ。それでクラウ・クラウの名誉を回復してやり、元の爵位へ正式に復帰させて、右腕として働いてもらうつもりでいた。


「……何が、起こった」


 地獄の底から響く怨嗟の如く、低い声で呻いた。苦い気持ちを吐き出し、クラウ・クラウの死を悼みながらも思考を止めない。

 こんな事は今まで一度もなかった、なかったが――今までなかったからと、これから先もありえないと決めつけるのは愚かと言える。

 【運命簡抜】の力とは別に、真実デウス・プロディギアリス随一の大賢者でもある王は、すぐさま未来が変わった原因に思いを馳せた。これまで絶対だった己の力を覆したのだ、要注意人物として認知していなければマズい。


 そうして彼は見つける。この宇宙にとって、異分子である少年を。そして最初期の神代より生き、真実を知る髑髏鴉だからこそ察知できた。


「……? ……彼奴は、もしや……人間か(・・・)?」









     †  †  †  †  †  †  †  †









 ――予感がした。


 虫の報せとは違う、もっと確実で確信めいた直感が働いている。魔族の少女を追わねばならはい、と。

 保身を第一とするなら、危険な魔族を追走するなんて馬鹿げている。

 寧ろマーリエルの指示を無視し、さっさととんずら(・・・・)した方がいいはずだ。

 しかしコールマンは自らの直感に従っていた。なぜと疑問を発する理性よりも、コールマンは無意識に己の勘を優先している。やめろ、よせ、引き返せ。頻りにそう警告する理性の訴えで、ようやっとコールマンは己の行動を自覚し自問した。


(なんで……僕はマーリエルの言う事に従ってるんだ?)


 追え、と。追い掛けてクーラー・クーラーを殺せとマーリエルは言った。

 素直に従うのは確かにおかしい。強くなるための手掛かりと、切り札を獲得したのなら目的は達成されている。無駄に危険を侵す理由はないはずだ。

 さっさとディビットやエイハブと合流した方が良い。彼らは弱いのだ、安否を気にかけて引き返すのが本当だろう。それこそが常識的で良識的な判断である。


(マリアにキスされて、僕は舞い上がってるのか? ……まさか。自分がそんな現金な奴だなんて思いたくはないね)


 マーリエルにされた事を思い返すと、言葉にして表現するのが難しい、複雑で背中が痒くなるような感情が湧いてくる。だが、だからといって命の危険を侵すには足りない。可愛い女の子からのキス一つで、死の危険に立ち向かえるような、ラノベ的主人公みたいな無謀さは発揮できかねた。

 では、なぜ? 冷静に考えろ。直感的にこうした方がいいと思いました、なんて馬鹿げた行動理由はナンセンスだ。理屈を詰めて、自身の行動に理由付けをし、その上で筋が通らないなら勘に背いて逃げようと決める。人間は野生動物ではない、理性と知性に従ってこその知的生命体だ。


(この騒動における僕の方針は、自分の身の安全をできる限り確保して、死なずにやり過ごす事。一番の優先事項は僕の生存で、それ以外は二の次だ。マーリンの甘言に乗せられて、マリアの所に行くなんて馬鹿な真似をしてしまったけど、そもそも僕は強くなるために生き残ろうとしてるんだ。だからそれはいい。けど手っ取り早く強くなれる鬼札を入手したんだから、もう僕は当初の方針通りに逃げ惑うべきだろう。翻って考えるに今の行動はどうなんだ?)


 遠目にクーラー・クーラーの背中が見えているため、それを追走している。魔族は魔力が完全に枯渇しても精神疲弊(マインド・ダウン)を起こさないのだろう、よろめきながらも走る女の背中を見留め、目を眇める。

 真人ではなくなったコールマンの脚でも、見失う事なく追い掛けられる程度の脚力。これなら追いつけさえすれば、本当に斃せてしまえそうだ。

 しかし安全重視でいくなら、自分と同等かそれ以上の敵との交戦は避けるのが一番。予期せぬ底力でクーラー・クーラーがコールマン以上の力を発揮する可能性はある。少なくとも今現在のクーラー・クーラーが最弱で、あれ以下は有り得ないのだ。なら弱っている今よりも上の状態にしかなりえない。真人化とでも言うべき切り札がなければ、危険過ぎて追い掛けるべきではなかった。


 マーリエルが追えと言ったのは、真人化をコールマンが解除していない事を前提としている。今のコールマンに追えとは言わないはずだ。演算補助宝珠が勝手に魔術を分離したと言えば、後から追求されても言い逃れはできる。マーリエルなら解るはずだからだ。コールマン如きでは、マーリエルの魔術に干渉できる訳がないのだから。


(今の僕は感情的になってる……? 英国紳士の卵として友人との約束は護るべきだと思ってるから? 女の子や友達に限らず、人と誠実に向き合うのが紳士というものだけど、命には替えられないし、替えちゃならない。でも……いや、待てよ)


 つらつらと思考のペンを理性という紙面に走らせながら、コールマンは自らの行動理由を考え。しかし、はたと気づく。

 しつこいッ! 消えろ下郎! そう吼えて、後ろ手にクーラー・クーラーが氷弾を放って来るのを、剣槍を軽く振って粉砕しつつ辺りに視線を走らせる。


(やっぱり……)


 辺りはもう、廃墟だらけ。瓦礫の山だ。魔物も、人もいない。


 戦いの舞台が別のところへ移ったのだろう、耳を凝らせば戦闘の気配が外へ向かっている。

 グラスゴーフの戦闘部隊が、無尽蔵に溢れる魔物の津波を押し返し、城壁まで追い詰めていっているのだ。

 あまりの巨体ゆえに、遠目からでも視認できる巨大な白い魔獣も、機械の兵……魔導兵の部隊によって討伐される寸前に見える。コールマンは改めて思案し、自問自答した。


 ――クーラー・クーラーの進行方向は?


(都市の中心部付近)


 ――周りに危険な敵は?


(少なくとも僕が知覚できる範囲内にはいない。クーラー・クーラーだけだ)


 ――ディビットやエイハブを放置する気か?


(顔を知ってるだけの他人だ。知らない奴より順位は上でも、僕の事情より優先する義理はないね)


 ――結論。


(魔族を追ってる理由は二点。マリアへの義理、なんとなく追った方がいい気がするから、ってとこか。僕の方針的に、追わないでとんずらした方がいいっていうのに変わりはない。クーラー・クーラーを逃がせば僕はもう安全だ。後の事は知ったことじゃないな。……でも客観的に判断するなら、弱体化してる危険な敵を放置するのもナンセンスだ。いつどこで牙を剥かれるか分かったものじゃないし、後の禍根を断っていた方が賢いだろう。でもなぁ……戦う理由としては弱いんだよな、これ。だって僕はアイツら(・・・・)を殺せさえすれば、後の事は全部どうでもいいんだし。悩ましいね……どうしようか。クーラー・クーラーはまだ何かをするつもりってマリアは言って……言って……?


 いや………そうか。物は考えようって奴だ。


 マリアが傷つくのは嫌だけど、それ以外の人はどうなろうと知った事じゃない。なら魔族にこの都市を壊して貰った方がいい(・・・・・・・・・・)。付かず離れず追跡して戦闘はしない。クーラー・クーラーとかいう、涼しそうな名前の彼女が何をするのかを見届ける。そうしたら――)




 あわよくば。


 真人化の切り札を持っている状態で。


 ダンクワースや、アルドヘルムの居所を掴む好機を得られるかもしれない。



 

「………」


 その、悪魔の発想に。少年の顔に暗い笑みが浮かぶ。復讐鬼の笑みだ。断じて十四歳の少年がしていい顔ではない。

 だが少年の心の均衡を保つために、亡き父が遺した呪いが、少年に悪鬼の相を染み付かせている。

 直感が告げているものの正体を自覚した。把握した。理屈を詰めて物を考えて、理性と怨念が完全に合一する。


「素晴らしいじゃあないか。実に望ましい。クーラー・クーラー、是非ともとんでもない事を仕出かしてくれ。大した事でないなら困る。もし、もし大した事のない嫌がらせしかしなかったなら……この胸の中に在る、暴力と報復への期待を持て余して、振り上げた拳の下ろし先として君を選んでしまうよ」


 クーラー・クーラーは、自身が泣きたくなるほど情けない攻撃しかできない事を、改めて自覚して顔を歪めていた。

 だが自分を殺すために追って来ているのだろう、鴉を模した兜の騎士が、一向に追いついて来ない事に内心首を傾げた。

 仮染めとはいえ()人であるはず、今の自分になら簡単に追いつけるはずなのに、そうしない。なぜだ? 考えてはみたが理由は思いつかない。だが構わなかった。この私を殺さないその傲慢、油断、慢心。それを絶対に後悔させてやると誓う。自分の意地と誇り、そして命に代えて助けてくれた男の挺身に報いるため。


(クラウ・クラウ伯爵……私は、やるぞ。だから……気に食わない男などと思い、粋がっていた私を赦してくれ)


「開、門……ッ!」


 倒壊している、闘技場の直上に増設された塔。グラスゴーフ運営本部。そこを平行に駆け上がり、上空へと飛び上がった魔族が叫んだ。魔力は要らない、用いるのは異質特性。彼女の魂に結びつく天与の異能。揺蕩えど、沈まず。

 虚数の異次元門、存在しないが存在するもの。クーラー・クーラーのみが認知し、認識し、接続を神に赦された絶対氷土の異世界。その門を開いた。

 零れ落ちるのは無数の魔物。しかし本命はそんなものではない。異次元の門の中で、無尽の兵力を量産し続けていた、もう一体のイスイヴトプス。それが虚数門から落下するように出現する。それへクーラー・クーラーは、もっと敬意を示すべきだった偉大な先達に託された、闘技場の地下奥深くにあるべきダンジョンの核――アルベドの核(・・・・・・)を投げつけた。


「ああ、我らが母なる御方。どうか今一度……! 今一度、我らのためにお立ちください――!」


 イスイヴトプスは歓喜と共に、投じられてきた掌大の白亜の宝玉を受け入れる。

 九つの首と尾、丸い恐竜じみた体。それに接触した宝玉が、肉の中に埋まっていき――そして。


 古の時代。魔族の奉じる魔王にして魔神、テトラ・グラムトンに侍った原初の新人類の一角。五体に分かたれた白公爵の内の一柱。【白公爵の褥】――アルベド・ブランケットが眷属の肉を喰らい、発掘闘技都市にて散った数多の命を吸い、此処に再臨を果たした。









     †  †  †  †  †  †  †  †









 原始の荒ぶる神槍を、過不足なく完璧に打ち消してのけた紅の乙女は、正しく【英雄の中の英雄】と讃えられるべき偉業の樹立者であると言えよう。

 同じ第四位階到達者の誰であっても、魔族クラウ・クラウの命を賭した一撃を単騎で食い止められはすまい。アレクシアという規格外の真人だけが、仮想顕現した神の槍を防ぎ得た。


 だが偉業を成し遂げた対価は重い。元々が無理の上に無理を重ねた、自らの蘇生を前提とした自滅特攻を繰り返していたのである。クラウ・クラウとの交戦で六回、そして神の槍を我が身を盾に掻き消した際に約千回(・・)、間断なく死と復活を繰り返した事で、さしものアレクシアも限界を迎えて気絶してしまった。

 重力に引かれ落下していく皇女。意識を喪失した故か、決戦魔術は解除され生身の肉体に回帰している。装備はおろか衣服の類いは全焼し、残されているのは両腕の篭手のみだ。

 このまま落下し、地面に激突しても真人は死なない。だがまがりなりにも知人という事もあり、アレクシアの落下を見て取った少年は彼女を抱きとめる。

 第三幕壁から駆けてきた所だ。多少息は上がっているが、軽い少女の肢体を受け止めたところで負担は皆無。ぐったりと気絶している少女を抱きかかえたまま、少年は美しさの黄金率を満たした肉体に目を奪われる事なく即座にその場を離脱した。


 現れたのだ。やってくれたのだ。とんでもない――まさに神の如きバケモノが現れたのである。巻き込まれる訳にはいかない。すぐにでも離れなければ命はないだろう。


 ソレ(・・)は、ひたすらに荘厳だった。

 一心に、柔和だった。

 此の世に生まれいでる全ての生命を祝福し、慈しみを持って包み込む母性。

 冒涜的なまでに美しくも悍ましい、バケモノ。


 らぁ―――るぅ  らぁ


 紡がれる至上の歌声。ぐずる赤子をあやす子守唄。福音の如く天上より降り注ぐ慈愛の光を伴って、白亜の巨躯が現世へ帰還する。

 ただ一柱のみで多数の系統樹を生み出す、神に等しき母の無限愛。愛し子の希う声に応え、再臨したアルベドの下半身。それはイスイヴトプスの全長に二倍する。十八の白亜の脚と豊かな腰つき、人の形をした巨峰であった。

 桁違いのスケール感だ。一つの山脈そのものと言っても通じる規模である。麗しき母の脚は象のそれ。太太しく巨大な肉の束を幾重にも折り重ねた異形。九つの股から滴る紅い粘液は滝の如く、まさしく愛の濁流と言えよう。


「まさか、しくじったの……?」


 呆然とするマーリエルと、計画の完遂を確信し莞爾とした笑みを頬に刻むクラウ・クラウ。そんな彼らもアルベドと比べれば蟻のようなもの。

 その肉の器より上の部位は、半透明の霊体だ。失われた両腕と、胸と頭。絶世の美女と言ってもいい、国母としての威厳と優しさを象った人の顔をしている。霊体の頭部までを含めれば、その全長は雲を突き抜けるだろう。

 実体のない両腕が、自身を復活させた若き娘を包み込む。たちどころに疲労が溶け魔力が全快した氷人、クーラー・クーラーは恍惚としてそれを受け入れた。

 アルベド・ブランケット。新人類開拓と量産の母。系統樹の皇后。命を産み出す事に特化した、生命工場とでも言うべき奇形なる星。「公爵閣下、あそこにいる我が同胞にも、貴女の加護を――」氷人の指し示した地点で、最後の輝きを灯すクラウ・クラウを見たアルベドの下半身が微笑む。

 死なせはしない、貴方の事は知っている。懐かしい兄と姉が可愛がっていた小さな子。白亜の母神は、慈母の如く救いの手を差し伸べた。


 その時。


 南東に位置する第三幕壁の城塔。錆色の髪を風に靡かせる、いたいけな男児を伴った紳士は悩ましくとも誇らしげな、そして素直な感嘆の念を舌に乗せて称賛を口にした。


「――常に最悪を想定し、ありえないと思える事態であっても備える。流石はユーヴァンリッヒ伯爵、魔族の潜入を見事読み取り、あまつさえその目的をも看破してのけたか」


 アルドヘルムが揃えた札は、何も帝国の皇女や娘にあたる王国軍の切り札、大公爵殺しの【ヰの槍】だけではない。最悪の最悪……魔族にアルベドの核を奪還された場合を想定し、人類の切り札とも言える決戦存在をも招いていた。

 ダンクワース侯の実子に輪廻転生した、神王の子の三柱が一、鏃の御子。バレットの権能を整えていたのだ。


「都市機能は壊滅状態。犠牲は出たろうが領民の避難は完了済み。魔物の群れも戦闘部隊が抑え、魔族は伯爵の秘蔵っ子や皇女殿下に打ちのめされた。邪魔は入らない、まさにお誂え向きの舞台という訳だね。事ここにいたっては、鏃の御子の権能を振るってもコラテラル・ダメージと割り切る他あるまい……」


 彼が依頼されていたのは、発掘闘技都市が壊滅した段階で、アルベドが復活した時に限るという条件下でのみ、神王の御子の力を開帳する事。

 本音を言えば使いたくはない。グラスゴーフは王国第二の心臓部なのだ。強大極まる、人智未踏の第二位階(・・・・)相当の力を振るえば、間違いなく都市には甚大な傷跡が残される。人類の今後を考えるなら避けたい事態だが、都市機能が停止するほどの危機に陥っているとなれば話は別だ。アルベドの核を奪い返される――これだけは、絶対に避けねばならないのである。

 グラスゴーフの隆盛の源、ダンジョンの核となっていたから。アルベドの核により、無限に採掘可能な魔石を失うのは非常に痛いのである。同時に五体を揃えたアルベドの復活、その第一段階は阻止しなければならない。歴史が繰り返されれば、アルベドの猛威によって人類は未曾有の危機に脅かされる。


 故にダンクワースは毅然と背筋を伸ばす。そして我が子へ確認を取った。


「バレット……いいね?」

「……うん」


 幼い少年は、父の声に応じた。機械のように平坦に、無感情に。

 鏃の御子は大きな感情の揺れ幅を力に転化する。故に発露する、魔力とは似て非なる波動を見れば、バレットの心が機械ではない証明となる。

 幼子は堪えていた。使用する感情エネルギーの源泉は、その大部分をある少年の悲嘆と憎しみに占められている。それが急激に、強烈に想起させられるのだ。自身の欠陥が原因で利用された人へ、彼は幼心には重すぎる罪悪感に侵され必死に堪えているのである。

 御子を基点に渦を巻く極彩色、虹の如く煌めく鮮烈な瞬き。激烈に閃く極光に、ぎくりとしたのは都市内にいる全ての魔に属するモノ。グラスゴーフの全将兵は、膨れ上がる神秘の光に悪夢の終わりを予感した。


 ――ぁぁ……ぁぁぁぁ。


 子守唄が止まる。震え上がったのは白公爵の下半身だ。

 アルベド・ブランケットはかつて己を殺め、貶めた破滅の光を目にし恐怖に慄く。母は戦士ではない、ただあるがままに振る舞う女の化身だ。故に恥も外聞もなく恐れを表す。氷人もまた、はじめて見る敵対者の切り札に瞠目していた。まさかここまで想定していたのか、と。

 膨張する光の砲台。仮想顕現した神槍を大幅に上回る破滅の福音。長大さを誇る城壁から極限の光塊が立ち昇り、幼子の体が釣り上げられるように浮遊する。幼子の背が裂け、極彩色の翼が開かれた。

 光輪が頭上に現れ、翼と光輪より余剰エネルギーを散布し周辺四方の悉くを塗り潰す。幼子に溜め込まれた激甚なる心の澱の相転移、爆発的に跳ね上がる光量。幼子の身体を砲身に見立て、装填されるのは巨神殺しの光の矢。

 物質、非物質。時。空。無。あらゆる防壁、あらゆる概念、この世とあの世の境なく、次元の隔たりも意味を成さない、立ち塞がる万物万象を撃ち貫く事に特化した貫通の鏃。それが必中の狙いを以てアルベドを捉えた。


「やりなさい、バレット」

「……〈βολίδα/流れ星(ヴォリダ)〉」


 ――ぁぁぁぁぁぁ。


 翳した掌より、撃ち出される光の矢。

 一瞬にしてアルベド・ブランケットに肉薄した光砲は、過ぎ去った軌道になんら影響を及ぼす事なく迸る。

 アルベドは両手を前に突き出し、嫌々をするように身を捻った。ようやく生き返れたばかりなのだ、愛する子供達に求められているのだ、なのに子供達の頑張りに報いる事もできないまま、元の木阿弥となるのは受け入れられない。そんな母神の両手に着弾した光の鏃は、健気な防禦を薄紙を千切るように容易く貫いていく。

 絶叫、悲鳴の音色。絶望と哀しみの唄が肉のない声帯から零れ落ちる。だが第二位階の神の域に住まう白公爵だ。無抵抗に殺されるのを待つばかりではない。万象の理として、遍く現象や術理には、純粋な力の総量で対抗できる。霊体の腕が抉られながらも、アルベド・ブランケットは懸命に破滅の矢を堰き止める。そこまで来て漸く反応したクーラー・クーラーが、はち切れんばかりの赫怒に燃え使命完遂のために門を開いた。


「こ、これ以上……これ以上無様を晒せるかァッ!」


 ボタンが弾けるのも構わず軍服の胸元を広げ、そこに虚数の門を開いた。


「閣下、私の中(・・・)へお逃げくださいッ!」


 母は如何なる危険に迫られようと、我が子らの声を聞き逃す事はない。咄嗟に己を吸い込まんとする引力に逆らわず、むしろ自分から飛び込んだ。

 信じ難いほどの巨体が、一人の少女の中に消えていく光景は現実離れしている。だが、それだけで鏃の砲弾が必殺を諦める事はない。標的が消えようとしているのを察知でもしたのか、螺旋回転を加えた極彩の光がアルベドの霊体全て、肉を持つ下半身の九割を絡め取り、抉り取る。

 その上で尚も光は減衰せず、減速せず、第三幕壁を刳り貫き、第二、第一幕壁もまた貫通し、その先に横たわる山々を穿って、地平線の彼方にまで突き進み、地球圏内から宇宙の果てまで、どこまでもどこまでも奔っていった。


 それを見届ける事もなく。己の中に保護した母神の痛みの一片に同調し、地を転がって悶絶していたクーラー・クーラーは、気力を振り絞ってなんとか立ち上がる。幸いにも母の加護(あい)で全快した身だ。彼女は作戦プランに従い、即座に駆け出す。もはやこんな欺瞞の都市に用など無い。可及的速やかなる撤退が、彼女に課せられた最後の使命だった。――母神を、国に連れ帰るのだ。


 一部始終を目撃していた戦艦が飛翔する。逃がすものかと、確実に滅ぼしてやると。アルベド・ブランケットの再臨に伴い、魔物は使命を終えて靄の如く消え失せている。アルベドの中に還ったのだ。

 だからこそ全将兵の手は空いており、司令部は彼らに指令を発しクーラー・クーラーの追撃に移らんとしているのである。

 だが、魔境の英雄はそれを認めない。自らの死を受け入れた勇士は、マーリエルの魔弾の全てを無防備に受けながらひた走る。既に死んでいなければおかしい猛攻だ、さしものマーリエルも面食らった。もはや死に花を咲かせる戦いになど関心はない、使命に殉じるのだ。


 魔女の追撃は間断なく。ささやかな動揺の最中にも手が止まる事はない。やはり、我が身を護る事もなくクラウ・クラウは跳ぶ。そして全身を灼熱の炎で包み、消えかけの蝋燭が一際強く燃えるかの如く、航空戦艦ネイルソンの前に立ち塞がった。

 クーラー・クーラーが、最期の輝きを発する先達を振り返る。行け、振り返るなッ! 怒号を叩きつけられ少女は神妙に頷く。すぐに駆け出し、もう二度とクーラー・クーラーは振り返らなかった。


「アレを追いたくば……まずは、この俺の屍を超えて行けェッ!」









   †  †  †  †  †  †  †  †









「――そこにいたのか」


 何から何まで都合が良い。今に限っては、全てが自分への追い風となっている。


 故に復讐鬼は、満面に醜悪な皺を作り嗤っていた。








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