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死に候え不思議の国〜モータル・ワンダーランド〜  作者: 飴玉鉛
第二部「抹消される“コールマン”」
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嚆矢濫觴、能事畢れり 1






 ツ、と一筋の涙が流れた。


 激しい感情の揺れ幅が点ずる、飛瀑(ひばく)の雫ではない。いずことも知れぬ異郷の地へと連れ去られた幼子が、ふと場末で故郷の歌を耳にした時に流すかのような。懐かしさとも喜びとも、淋しさとも哀しさとも取れる、ひどく胸を打つ透徹とした涙だった。

 祝福の羽根は舞い落ちた。聖母の役として聖なる人を産み落とし、生誕の産声を上げる真人と同期していた少女は戸惑いを覚える。

 自らの頬を濡らすこの滴はなんなのだろう。この胸を掻き毟る、逆流してきた哀しみと一摘みの喜びはなんなのだろう。正体の掴めない心の混沌を、どうして彼は懐いている。これまで体感したことのない心の動きに同調して、幼い少女兵の心が揺れ動いた。


 激する事なく、さざなみ一つ立てていない湖のように静かな所作で、少年はそっと兜を外す。頭部を包んでいた蒼布も外して、素顔を晒した少年は虚空へと手を伸ばした。

 届くことのない何かを掴むように。何も掴めないことを確かめるように。声のない希求に呼び寄せられたのは、地に転がっていた一振りの大剣だった。ひとりでに飛び込んできた得物の柄を握り締め、本人にも判然としない澱みを断つようにして振り下ろす。

 ヒュ、と鋭利な風切り音が遅れて聞こえる。理性の刃で断ち切ったのは、源泉の定かでない郷愁に似た何か。溢れ出る狂おしい祈りを堰き止めて、ぴたりと静止した大剣を手に少年は少女へと振り返る。


「―――」


 濡れた瞳と、頬。透明な涙と宝石みたいに碧い瞳を少女は綺麗だと感じた。流れ出た涙を拭う事も忘れ、照れたようにはにかむ少年に胸が高鳴る。

 得体の知れない鼓動。見惚れそうになるが、そんな場合ではない。しかし赤らむ顔を、少女は自覚して。自分がどこにいて、寸刻何をしていたのかを見失う。


「ありがとう、マリア。君のおかげで私は強くなれた。これはきっと……そうだね、悲願に近づけた実感で感極まってしまったんだ」


 自らの落涙の理由を、そのように結論した少年は、返事も返せない少女に再び背を向けて、敵対者と正面から対峙する。

 涙は止まった。眼前には恐るべき自己殺人者。条理に則るなら叶うはずのない、一度は自分を殺した仇敵との対峙。

 怖いはず。恐れるのが普通だ。しかし少年は自身が殺害された瞬間を認識していない。記憶にないものを恐れる所以はどこにもなく、また理屈を抜きにしても恐怖の念は毛筋の先ほども生じない。忌避すべき殺し合いの場に立ったというのに、屹立した樹木のような穏やかな心境で、少年はなんの感慨も示さず兜を捨てた。


「後は、話は簡単だ。……アレを討つ、その後私と君は一旦別れよう。君には君の、私には私のやるべき事、為すべき事があるはずだ。名残惜しいけど、君と語らうのは後の楽しみに取っておきたい」

「……ハ」


 女が罅割れた嗤いを溢す。単音の嗤いを、ハ、ハ、ハ、と。

 

「何を……何をもう、勝った気になっている!? 知っているぞ、貴様ら魔人が(あずか)る穢れた神の恩恵を!」


 それは、自らに言い聞かせているかのような声。

 事実言い聞かせている。取るに足りない塵芥が自身と同等の地平にまで昇ってきたのだ。動揺している、動転している。

 自らの立たされた窮地、戦力差が生じたが故の圧倒的不利を自覚するからこそ、自身を鼓舞し気力を奮い立たせようとしているのだ。


「魔人は力の多寡だけで繰り上がれるものではないのだろう? 貴様らが崇める邪神、その残留思念に寵愛を授けられるか否かがまず第一で、魂の質、魔導師或いは戦士としての技量が第二に重要となってくる。もし仮に貴様が邪神の眼鏡に適ったとしても、断じて貴様自身の技量が上がったわけではない。ましてやそこの小娘の力で、邪神との謁見を成した貴様如き虫けらが……この私に敵う道理など、あるものかッ!」


 怒号だった。逆上寸前の、切羽詰まった顔の強張りを抑えられない。

 残された力の全てを振り絞り、白い女は決着をつけるべく氷剣を構える。だが少年は無感動に告げた。


「君の言うことは、いちいち(もっと)もだ。私の(これ)は借り物だからね、正直言って返す言葉もない。しかし忘れてはいやしないか? 君は一人(・・・・)だが、こちらは二人(・・・・・・)いる。見ての通り二対一なんだ」


 実態は一対一だ。少女と、女。この二人の対決の構図に、実を言えば変化はない。

 少年はあくまで、魔女の操作(・・)を受けて駆動する戦闘人形のようなもの。そうでなければ突然桁外れに跳ね上がった力を操れるわけがなかった。

 その事情をバカ正直に教えてやる気は全くない。二対一、そう言った方が相手にプレッシャーが掛かるから言っただけだ。

 言葉で抉る。ここは戦場だ。ばかみたいに喋って(ペラ回して)いるのは、敵の精神的均衡を崩すためでしかない。時と場合を選べば、言葉も武器になるものだから。


「ぁっ……ぅ」

「私一人ならなるほど……確かに技術の差で到底君に及ぶべくもないかもしれない。だが数の差を活かせるなら、そんなものは幾らでも埋め合わせが利く。実戦の場で……まさか卑怯だなんて、言ったりなどしないな?」


 ジリ、と足元が鳴る。はたと気づいた時、クーラー・クーラーは自身が怖気づいているのを強烈に自覚した。

 無意識に一歩、後ずさってしまっていたのだ。

 怯えている? この私が? クーラー・クーラーは自問する。だが本当は、悟っていた。強大な魔女がこちらを見ている。自身と同等の性能を有した前衛の後ろで。本職の後衛として、敵である自分を見据えている。

 あの魔女の巧みさは、クーラー・クーラーよりもずっと上だった。極限まで消耗しているとはいえ、少年の未熟さを補う程度は容易く熟すだろう。


 敗ける。クーラー・クーラーは自らの敗北を確信した。


 彼我の戦力差は明確だ。劣勢どころか、敗北が決定づけられていると断じられる。

 敗けたらどうなる? 決まっている、死ぬのだ。死ぬのである。


(私が……敗ける? 死ぬ? 殺される……こ、こんな所で。こんな奴らに。しかも、片割れはたった今まで、吹けば飛ぶ虫けらだったんだぞ……?)


 心が軋む音を聞いた。戦意を喪失しそうになる。完全に怯えきって、命乞いをしたくなる。だがそんなものは無駄だ、個人としてではなく種族として互いに不倶戴天の敵同士。

 殺す理由はごまんとあるが、見逃す理由は億に一つもありはしない。だって互いの生命が、互いにとっての猛毒でしかないのだ。生かしておいて百害あって一利なし、子供でも知っているこの世の摂理である。


(い、嫌だ……)


 脳裏に去来するのは、クーラー・クーラーが歩んできた人生。

 敬愛する、今は亡き父と母。誰よりも愛している大切な兄。これまで出会ってきた気のおけない友人達。自分を導いてくれた恩師。尊敬する主君。彼らと共に過ごした日々。

 走馬灯。これがそうなのか。死を克明に感じ取ったからこそ、自分は死ぬ前にこの世を去る準備を整えようとしているのか。


(私が……私が死んだら任務は……いや、いや! そんなことはどうだっていい! 死んだらもう、兄様に会えない! それは……それだけは……)


「嫌だァッ!」


 震える脚を殴りつけ、クーラー・クーラーは今度こそ腹の底から奮起する。

 そうだ、こんな所で死ぬわけにはいかない。混じりけのない本心で思う、生きて帰りたいと。任務を成功させるためではなく、ただただ己の根源にある愛のために。

 クーラー・クーラーは宣言した。他の何者でもない、己自身へ。


「私は死ねない! 私は生きて、国に帰る! 大切な人の許へ……!」

「………」

「貴様らなんぞに、私の邪魔はさせんッ! 私は帰る、帰るんだ!」

「そうか。うん……言い遺す言葉は、それが最後でいいね」


 少年は酷薄に言い捨て、冷徹な語調で女の願いを切り捨てる。

 同情できる。その願いを、祈りを理解できる。親近感すら抱くほどだ。狂おしいまでに共感してしまう。


 ――だからなんだ。


 敵は、殺すものだろう。


 如何なる事情があっても考慮する気はない。それは甘さだ。甘さを持てるほど強くないのだから、どこまでも冷酷な人でなしに徹さなければならない。

 少年としては特に蟠りはないにしろ、この局面に於いて少女と女、どちらに味方をするかなど考えるまでもない。友人である少女の敵なら、赤の他人を殺すだけの事である。

 戦場に紳士協定は無いのだ。紳士ではなく戦士が必要なのである。そして戦士とは、敵対者を容赦なく屠るもの。魔女もまた必殺の意志を持って短剣を握る。演算補助宝珠を頼りに、僅かな魔力を全て燃焼させ魔術を編んだ。


 もはや口舌(こうぜつ)での抉り合いは無用。

 ここから先は、敵対者の絶命を以て終幕とする殺し合いの演目。

 魔女が声を掛け、少年が応じ、女が吼える。


「お喋りは終わり? ならアーサー。行くわよ」

「ああ。マリア、全て君に任せる。私を上手く使ってくれ」

「この星を穢す病原菌どもがッ! 私の前から――消えて無くなれェッ!」









     †  †  †  †  †  †  †  †









(作戦プランを提示するわ。……これでいける?)

(君に任せると言った。だからそれでいこう)


 激憤した情動に衝き動かされるままクーラー・クーラーが馳せる。戦意を蝕む怯えを、燃え盛る激情で駆逐したが故の突撃だ。彼女の初動は完全に予想通りだった。

 故に一切の無駄なく肉体は駆動する。聖なる魔女が転送してきた作戦案と、術式の設計図を魔力炉心(頭脳)で受け取り、魔術の鋳型に自らの魔力を落とし込む。

 発動するのは身体強化。第五位階魔術【新生(nova)】である。赤い紫電が迸り、重ねた第六位階魔術【加重(weighting)】が大剣の重量を激増させた。


 規格外の膂力を有するまでになった真人ですら、常人が鉄剣を握った時に体感する重量感を得る。これまで爪楊枝か何かを振るって来たかのような頼りなさが、魔術を使用する事でやっと等身大の重さを宿し頼もしさを獲得した。


 一直線に突っ込んでくるのは白の女。突き出してくる細剣。雷電の如き点の軌跡。それが己の間合いに入るや踏み込み、迅雷の如く大剣を振り下ろす。

 前傾姿勢に倒れ込み、腰を乗せ、力と魔を重ねた剣撃は馬鹿げて重い。マーリエルの加護により、士道第五位階相当の戦士と化したコールマンの一撃を受ければ、下手に受けただけで即死は免れないだろう。

 だがコールマンは、一撃必殺を狙わない。マーリエルに仕込まれたオペレーティグ・システムが齎す戦闘術は、手堅い手法を少年へ指示している。――まずは武器を奪え。

 剣撃が落ちた先は氷の細剣。激突した瞬間に細剣は容易く砕け散った。そして大剣から左手を離し、踏み込んだ勢いを保ちつつ更に一歩、前へ。握り固めた拳が女の顔面をしたたかに撃ち抜く。


「ゥガッ、」


 剣の衝撃をまともに受けた右手が痺れ、顔を殴打されたクーラー・クーラーが、ダンプカーに跳ね飛ばされた猪の如く跳ね跳んだ。

 一度の斬撃、その衝撃で城壁が縦に割れる。元の世界では比較対象すら有り得ない、巨大極まる第三幕壁が亀裂に侵されたのだ。その膂力が生んだ打撃を食らった白の女は視界を白熱させる。しかし魔族の肉体はルーンで加工された城壁よりも硬い。粉砕される事はなく、即座に反撃の布石を打ってくる。己の一部である氷の破片へ鋭く命じた。


「――【溶けろ(humol)】!」


 細剣の欠片が溶け、液体になったかと思うと瞬時に気化し蒸気となる。それがコールマンの辺りに充満し、四肢で地面に這った姿勢のまま片手を掲げる。

 翳した掌が閉ざされる。魔術は続いた。


「【凍れ(gelo)】!」


 キン、と蒸気が固まる。絶対零度の冷気が辺りの大気を凍りつかせ、コールマンの周囲一帯を氷の牢獄と化す。囚われたコールマンもまた凍りついた。

 だが停止は一瞬。魔道と士道の位階を擬似的に第五まで発揮する少年は、全身の筋肉を緊張させるなり力を爆発させる。筋肉の力み、それだけで氷獄を破砕したのだ。

 しかし足止めにしかならないのは先刻承知、クーラー・クーラーは二度にわたって破壊された氷片、そこに残留する己の魔力に働きかけ、二体の魔人を分断するための結界を造り上げんとし――


「ごめんなさい。それ、消すわ」


 白銃【情熱(パッション)】が火を吹き、着弾点に転移し(はしっ)た弾丸が、まだ実像を結んでいない結界を轢断する。効力を発揮する前の術式の結合が霧散した。


「クソッ!」


 気怠げな魔導騎士マーリエルは、もはや半壊した防護術式甲冑(バリア・アーマー)を纏い直してもいない。手傷を負うリスクはほぼゼロに等しいと確信している。

 愕然としそうになりながらも、悪態を吐いたクーラー・クーラーはとにかく動いた。噴出している白い鼻血を拭う余裕はない。

 見たところコールマンはマーリエルとは異なり、魔導師ではなく戦士としての側面が強く引き出されている。戦士と魔導師の組み合わせを相手取り一箇所へ留まるのは悪手だ。

 自慢の美貌を殴りつけられた屈辱と憤怒に、理性がトビ(・・)掛けるも、その怒りは敵に全てぶつける事で晴らしてやると気炎を発する。


「アーサー」

「ああ」


 呼び掛けの意図を正確に汲んだ少年は、自身から真紅の波長を放つ。魔力波長――その波を自身の白銀の波長で堰き止めたクーラー・クーラーの左腕に、絡みついた形で半透明の鎖が出現する。彼女固有の異質特性に由来する【時縛りの鎖】だ。


「猪口才ッ!」


 底が見え始めている魔力量で、使用するのは躊躇われたが、なりふり構う余力もない。使えるものは何でも使わねばどうせ死ぬ。出し惜しみなど愚の骨頂でしかない。

 意志に呼応して伸縮する鎖を振り回し、鞭の如く振るう。触れたモノの時間を強制的に拘束し、停止せしめる最強の得物だ。これまで使ってきた魔術とは雲泥の差がある。たとえ時間系魔術への対策をしているマーリエルでも、触れさえすれば五秒は止まるはずだ。それだけあればどんなふうにも料理できる。

 縦横無尽に自身の周りを薙ぎ払い、紅い波長を掻き回す。そこへ己の白い波長を流し込み、安全圏を確保しながら手近のコールマンを狙った。まずは邪魔な前衛から剥がす、その心積もりで鎖を操る。


「スゥ……」


 同調(リンク)している保護者から警告が来る。クーラー・クーラーの能力に関しての知識も共に。

 故にコールマンは魔力波長を無作為に垂れ流しながら、深く息を吸い込む。そして雪崩のように視界を席巻する鎖鞭の乱打へ、自ら立ち向かった。

 たとえ触れたモノの時間を止められるのだとしても、無機物の時間を止めたところで何にもならない。全て、撃ち落とす気概を持つ。

 銃声。一丁だけ取り出した白銃の音色。それが自身の大剣に直撃している。付与(エンチャント)魔術(・マジック)だ、と貸し与えられた知識が教えてくれる。武装の強度を一時的に増してくれるものである。


「……ハッ!」


 自身の意志と行動の全てを理解してもらえて、的確な援護をくれるマーリエルの存在が醸す安心感は大きい。肺腑に溜めた空気を吐き出す事なく、コールマンは気魄を吐いて大剣を乱れ振るった。

 鎖鞭の濁流を掻き捌く。豪快に、しかし精密に。悉くを弾き、逸らし、流して払う。クーラー・クーラーは瞠目した。自身の鞭術は紛れもなく達人の域にある。それをこうも、なんだって急造の魔人如きが初見で……? まさか魔人でもないのに、その技量はこちらに伍するとでも?


「さて。慣れない戦士の真似事は疲れるし、やる事やらないとね」

「―――」


 火花を散らしながら鬩ぎ合うコールマンとクーラー・クーラーを見ながら、ポツリと始動の意志が呟かれる。

 自らを貴種と自認する女は、その自負に見合う性能を有している。鋭敏な聴覚もその一つだ。戦いの最中だからはっきり聞き取れたわけではないにしろ、それは確かに聞こえた。

 なんだ、と思い。目を凝らす。よく視える(・・・)目で。青から銀に切り替わった瞳は、果たしてコールマンの技量のカラクリを見抜く。


「……貴様ッ、何が二対一だ! たわけた口車で私を騙し通せるとでも思ったか!?」


 ――コールマンの体には、一つの魔術式が埋め込まれている。それはマーリエルへと繋がり、操り人形として使われているように視えた。


 つまり傀儡。コールマンはただ体を貸しているだけ。

 あれは敵ではない、武器(・・)だ。【ベツレヘムの魔砲使い】の新装備が此処へ届いただけである。

 技量の伴わないはずの急造の魔人などが、どうして自分の鞭術と対等に渡り合っているのかが分かった。一対一なのだ、自分は変わらずあの魔女とだけ戦っているのだ!

 なら気の持ちようも変わってくる。厄介なのに変化はないにしろ、クーラー・クーラーの中にあった怯えが消えた。


「【痛覚緩和(rhapsodia)】 【潜在力覚醒(chorus)】 【瞬発力最大化(monodia)】」


 白銃【情熱(パッション)】が次々と硬質なグラスを鳴らしたかのような音色を吐く。撃ち出された弾丸は全弾コールマンへと着弾し、仕込まれていた魔術が少年の肉体に作用する事で、その戦闘力を底上げしていった。

 自身の得物を、鈍くらから名剣へ研ぎ直す為にチューニングしているのだとクーラー・クーラーは確信し、その全てを視認する。敵は目の前の傀儡ではない、全てに於いてマーリエルを凌駕してやろうと全霊を傾ける。魔導師が相手ならやれるはずだ、たとえ格上でも勝機は必ずあるのだから。


「【脳力増大(symphonia)視野拡張(nocturna)

 ――【思考回路(symphonia)増設(nocturna)》】」


 マーリエルによる、コールマンの強化が完成する。そうと見て取るや銀に光る双眸を見開いて、クーラー・クーラーは自身の二つ目の切り札を開陳する。

 黄銅の魔導騎士を相手にこれまで何度か使用している。だがそれがなんだ。幾らでも強化すると良い、幾らでも攻撃してくると良い、その悉くを複写して持ち帰り、同胞への手土産としてやる。


「【情報収奪・(コピー・アンド)複写眼(・ペースト)】ォッ!」


 それがクーラー・クーラーの二つ目の異質特性。次世代のデウス・プロディギアリスで筆頭になると目される才媛の本領。

 氷結、時間系魔術に高い適性を持ち、物資や人員の大量運搬を可能にする異次元の門と魔眼を有する。更にはそのいずれにも発展の余地を大いに残している才能の塊だ。

 敵の立場から見ても、何度でも再認できる。本来なら敵地へ少数で潜入する危険な任務に従事するべき人材ではない。だがクーラー・クーラーでなければならなかったのだろう、そして【今】でなければならなかった。その訳を知るのは彼女とクラウ・クラウのみである。


 女はマーリエルの術式を余さず、完璧に複写し自身に転用した。途端に痛覚が鈍り、秘められていた才能が覚醒し、体のキレが格段に向上する。視野が拓け取得した情報の処理能力が段違いに跳ね上がり、その全てを完全に把握する思考が複数に増えた。

 自身でも信じられないほどの強化である。会心の笑みを浮かべ、クーラー・クーラーは嗤う。今の自分なら、クラウ・クラウにだって敗けやしないと。この魔術群を万全の時に扱えれば誰にも敗けないと高揚した。


 馬鹿め! とマーリエルを罵倒する。こちらの能力を知っていながら、こんなに素敵な贈り物を寄越すだなんて、とんだ間抜けだ。

 火花と轟音を撒き散らす、コールマンとの鬩ぎ合いの最中である。だが引き出しのない未熟な真人もどきと違い、クーラー・クーラーに手札は無数にあった。右腕に【時縛りの鎖】を現して手数を増やし、自身の背後に百を超える氷弾を精製。更には白銀の曼荼羅大結界を周囲に構築する。勢いに乗り怒涛の如く押してくるクーラー・クーラーの鎖鞭を、コールマンは大剣を操り凌ぎ続けるも、撃ち出されてきた氷弾の着弾を赦し全身に手傷を負っていった。


「ッ……」


 マーリエルの魔術によって強度の増している鎧が凹み、破損し、剥がされていく。血の滲んだ戦闘服を露わにしていきながら、コールマンはマーリエルに【意】を送った。

 精神が接続されている二人だ、言葉も手振りもアイコンタクトすらも不要。マーリエルは頷きもせず――肉体の制御権を少年へ返還する。


 教導は充分。もう覚えた(・・・・・)。異常なまでの学習能力を持つコールマンは、マーリエルの戦闘技術を学び終え、そしてクーラー・クーラーの技の修学を終えたのだ。補助輪はもう要らない。パターンが割れた敵への対処は独力で叶う。

 だがクーラー・クーラーは、コールマンが独立した戦闘単位へと昇格したのに気づいていなかった。自分と変わらず打ち合えている、つまりはマーリエルの制御下にある証明だと注意を割きもしていない。自分の敵はマーリエルだけなのだと思い込んでいたから。


 展開した曼荼羅大結界を広げる。それにクーラー・クーラーは自らの波長を同調させ、領域の展開力を増した。瞬く間にコールマンの紅い波長を押し返し加速度的に侵食していく。

 曼荼羅大結界は独力で編み上げるものに非ず。多人数の術者が集まり、一人に術式を登録する事で発動を可能にするものだ。故に使用者を中心に、曼荼羅大結界の作製に携わった者達が、楼閣を模式的に示した図像の一部となって霊体が現れる。

 強度はただの結界と比べる事すら烏滸がましい。あらゆる魔術や物理衝撃に高い耐性を有し、たとえ破壊されても魔力が続く限り何度でも再構築が成される。加えて、発動した術者の波長と融合し、魔力波長による敵地侵食を容易とする力があった。

 難点は発動するのに多量の魔力を要する事。だが一度展開してしまえば、曼荼羅大結界作製に協力した者達の魔力によって維持されるため、魔力コストは効力に反比例して異様に低い。デウス・プロディギアリスが誇る結界魔術の真髄だ。


 コールマンは懸命に魔力波長を発し、出来る限り敵の侵攻を食い止める。だが僅かに踏ん張れるだけ、手数が倍に増えたクーラー・クーラーの猛攻を防ぐ事しかできない。

 時間稼ぎには見えない、儚く切ない抵抗。の、ように見える。


「……ふぅ」


 大剣で地面を叩き、その威力で城壁を破損させ、打撃の衝撃を利して飛び退いたコールマンが息を吐く。そして魔力節約の為に【時縛りの鎖】を消したクーラー・クーラーへ、思いっきり振り被った大剣を投げつけた。


「無駄だ、戯けめ」


 せせら笑う女。大剣は幾何学的な文様を描く白い大結界に阻まれ、虚空をくるくると舞い持ち主の手元に戻る。そこへ鉄棍を差し込み接続したコールマンは、剣槍とした得物を肩に担いだ。

 そして戦闘態勢を解除する。スッと姿勢を伸ばし、クーラー・クーラーを直視する。


「……? どうした、もう私には勝てんと諦めたか。この私にむざむざ魔術を見せるからこうなる、己の軽挙妄動を悔やむんだな」


 怪訝に思い、クーラー・クーラーは少年を無視して魔砲使いを見遣る。何せ彼女はコールマンを敵だと見做していないから。

 対してマーリエルはその場に突っ立っているだけだ。何をしている……? クーラー・クーラーの思考に違和感が弾ける。


 束の間、不気味な静寂が横たわった。


 挑発の態をした問い掛けには答えがない。何もかもを見切ったような平静な視線が返ってくるのみ。

 少年が肩を竦め、少女へ言った。「もう終わったのか?」「ええ、もちろんよ――」

 短いそのやり取りに嫌な予感が芽生え、クーラー・クーラーは様子見を止めた。なにが終わったのか全く分からないが、何かをされる前に決着をつける!


「ぁ……?」


 だがその直前に異変が起こった。


 まず、クーラー・クーラーを強化していた魔術が解けた。マーリエルから複写したものが全て。なんだと疑問を抱く猶予もないまま、クーラー・クーラーは血反吐を吐く。

 血の塊が地面を白に染めた。脳裏から、綺麗さっぱり魔術式の記憶・記録が抹消されている。体内を駆け巡る原因不明の激痛と、手に入れたはずの知識の忘却に混乱した。

 急激な弱体化だ。これではとてもではないが、コールマンとマーリエルの二人には敵わない。それが理解できるからこそ混乱は深刻だった。


「――だってあんまりにも無防備だったから。抗魔力を抜くのは簡単だったわ」


 マーリエルが言葉の接ぎ穂を繋げ、飄々と嘯いた。


「無、防備……だと……?」


 よろめいて、解れた曼荼羅大結界が砕け散るのを見ながら、クーラー・クーラーは反駁する。意味がわからない、何をされたのだ、自分は。

 マーリエルとコールマンが歩み寄ってくる。それに合わせて後ずさってしまいながら、クーラー・クーラーは怒鳴った。


「私に、何をしたァ……!」

「さあ何をしたのかしらね。考えてみて? まあ尤も、おつむの緩い貴女には理解できそうもないけど」

「貴様……この私を、愚弄するか!?」

「ええ、愚弄してるの。よく分かったわね? 偉いじゃない」


 無表情の嘲弄。戦意を抉る言葉の刃。確かに切り裂かれるのを感じながら、クーラー・クーラーは耳を傾けるしかない。精神的優勢を、完全に奪われてしまっている。


「愚弄ついでに教えてあげる。貴女のそれ(・・)と、似たような異質特性持ちが過去にいたわ。技能剥奪、技巧複写、技術白紙化……どれを取っても厄介よね。なら……私達人間が、それに対する対策を立てないはずがない。旧世代のガラクタ振り回して得意になってたところ悪いんだけど……古いわよ、そのコピー能力」

「………」

「貴女がコピーしたのは、アーサーに最適化した術式よ。それをアーサーじゃない貴女が使っても大した効果を発揮するわけ無いし、ついでに最後のバフにはね、貴方がコピーしたらウィルスが入るように仕込んでいたの。私から盗んだ魔術式の記録(ログ)は、きっちり抹消させてもらったから、自分で使おうにも憶えていないでしょうね」


 ついに剣槍の間合いに捉えられた。転瞬、コールマンの腕がブレるや、胴を逆袈裟に斬り裂かれ女は倒れ込む。

 自らの血が作った池に埋もれ、女はなんとか顔を上げて敵手を見上げた。

 もう駄目だ。己の敗着を理解する。何から何まで上回られてしまい、心が折れてしまった。冷酷にそんな女を見下ろして、少女と少年は言った。


「最後に一つ、教示し(おしえ)てあげる」

「――敵の言葉の一々を、素直に聞き過ぎだ」


 コールマンが剣槍の切っ先で、クーラー・クーラーの頭脳を照準した。頭部を破壊せずして必殺の確信は持てないが故の狙い。

 冷たい死の予告に女は呼吸を止めてしまい、目を見開いて死を待つしかなかった。


「……息が合うのは結構ね。でもそれ、私の台詞なんだけど」


 グラスゴーフを壊滅にまで追い込んだ魔族の片割れ。クーラー・クーラーとの戦いの決着の瞬間だった。







嚆矢濫觴こうしらんしょう

・四字熟語。

物事の始まりの意。


能事畢れり

・慣用句。

自分のなすべき事が終わった事の意。




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