擦れ違い、終わっていた関係
「現在一六三○、警備部特科車両隊より入電。予測演算の算出経路、及び通常巡回経路上に異状なし」
「警備部機動隊より入電。保護放棄区画【ウェーバー村】の汚染度軽微。人類圏への回帰度80%にまで上昇中。再度の植民後、五年以内に人類圏への正式な復帰が可能と見られる。異状なし」
「刑事部特殊犯捜査係より入電。グラスゴーフの都市部に異状は見られない。不審物、不審人物無し。人工精霊端末、監視カメラ、検問、警備のセンサーのいずれも感なし」
「――グラスゴーフ運営本部より各位に架電。【精査作戦】の第一フェーズ終了を確認。第二フェーズへの移行を布令する。各々の職務遂行へ邁進せよ」
「こちら警備部特科車両隊、復唱します。【精査作戦】第一フェーズ終了、第二フェーズへの移行、了解」
「こちら警備部機動隊、了解」
「刑事部特殊犯捜査係、了解」
次々と上げられる報告を聞き、応答した貴人は革張りの椅子の背もたれに凭れかかった。疲労が蓄積しているのを感じ、目頭をじっくりと揉む。
銀髪の、秀麗な容貌の男だ。青白い肌は不健康さを感じさせるものの、黒衣の上に白い外套を羽織る貴人の美貌を損なわせるものではない。その佇まいとも相俟って、儚げでありながら冷徹な、危険な色香を匂い立たせていた。
エディンバーフ伯爵領を統べる男、アルドヘルム・ハルドストーンは無数の魔導電子モニターが表示される執務室にて、憂慮を滲ませた吐息を吐き出す。
モニターには作戦に従事する三部隊の現在地を示すもの、各隊の隊員達のバイタルを表示するもの、彼らの周囲環境の詳細なデータをグラフにして表しているものがある。
ジッとそれを見詰めるアルドヘルムの傍に仕えている男が、気遣うように主人の顔色を覗き込んだ。すぐ近くで身じろぎする気配に、しかしアルドヘルムは反応を示さない。
「お疲れ様です。今のところ何事もないようですが……ほんとうにここまでする必要があるのでしょうか?」
「疑うのか、バークリー」
反駁され、しかし従者は動じることなくかぶりを振る。
長く仕える主人だ。忠勤に励んできた自負が、疑問をぶつけられた程度で機嫌を害する主人ではないと確信を懐かせている。
寧ろ自身の中の疑問を放置し、怜悧な頭脳を持つアルドヘルムの真意を汲み取れず、自らの仕事に支障をきたす可能性をこそ排除すべきだ。理性的で合理的な指摘なら、アルドヘルムは決して曖昧に濁したりはせず答えてくれる男なのである。
闘技場の審判も務めるアダルバート・バークリーに横目を向けて、英邁なる伯爵は物憂げな様子を変えることなく言った。
「……私の杞憂であればいい。だが王国第二の心臓とも言える我が領の権益を守るためだ。僅かでもそれを脅かす可能性があるなら見過ごしてはならない」
「はい、それは分かります。しかし……」
「バークリー。今までになかったからと、これからも有り得ないと断じるのはナンセンスだ。魔力波長、魔力形質を隠蔽する技術は確立不能などと、そんな希望的観測はするべきではない」
言い澱むバークリーが何を言いたいのか察したのだろう。『有り得ないのでは』と言いたげだった彼に先回りして答える。
椅子を回し、アルドヘルムはバークリーへ体の正面で対すると、座したまま従者の懐疑に丁寧に、そして教示するように言うのだ。
「一年前我々の連合軍は、デウス・プロディギアリス……魔族どもへ大打撃を与えた。【爵位持ち】の上位個体を三体討ち果たし、多くの領土を奪還せしめる快挙を遂げている。現在は新たに取り戻した地に植民し、人類圏へ取り込んでいる最中だ。だが……妙ではないか?」
「……? どこがでございましょうか」
アルドヘルムはカップに手を伸ばし、紅茶を舐めて唇を潤わせると、ゆっくりと持論を展開した。
「我々人類と魔族の戦争は何百年と続いている。その間、一進一退の攻防を繰り返し、互いに決定打を与えることはできずにいた。それは何故か? 互いの種としての性質、切り取った領土を自身の領域とするのに時が掛かりすぎ、その地に駐在している間に軍が撃破され、領土を奪い返されるからだ。
人類にとって魔族に占領された領域は、異なる法則に支配された異世界だ。呼吸一つをするのにも深刻なダメージを負いかねない。互いの種が発する魔力波長によって、大地がそこに住むモノに最適化される故に、魔族に切り取られていた地を取り戻しても、そこに蔓延する大気の全てが人類への猛毒となるのだ。これを除染するには多くの時と、多くの人命が必要とされてしまう……そしてそれは魔族にとっても同じこと。奴らは魔物や魔獣……モンスターを放し飼いにすることで自身らが毒に害されぬようにしているが、人魔が互いを死に至る疫病としている状態を克服する手段は確立できていない。
――にも関わらず奴らは先の戦で失陥した地を取り戻そうとしていないではないか。長い時を置けば、せっかく自らのものとした領地が【人類圏】という奴らにとっての汚染地区と化すというのに。奴らは我々と同じく敵対種族の絶滅を期している……ここで動かねば数百年の膠着状態を劣勢に傾けてしまうだろう。なのに動かないとなれば、何かを狙っている……計画していると見るべきだ。例えば……私なら【スパイ】を送ることを計画、立案する」
「は? スパイ……密偵ですか?」
予想だにしていなかった――いいや、そもそも前提として有り得ない、実現不可能な発想にバークリーは目を瞬かせる。
くどいようだが、互いの勢力圏内にある大気は、如何なる技術を盛り込んだ防毒面であっても防げない猛毒になる。なのにそんな所に長期間潜入するような真似をすれば、極めて高い確率で死に至るのだ。
わざわざ命を捨ててまで、敵地に潜入するのだろうか。そんな懐疑的な彼の反応に、アルドヘルムは至極真面目に返す。
「コールマンの存在に着想を得た。『私が網を張っていた区域』に『常識を知らない少年』が偶然居て、その少年が偶然『異質特性保有者だった』……偶然の一言で片付けるには出来すぎているとは思わないか? 疑って然るべきだろう、魔族が人に扮した存在ではないかと。仮に敵地に潜入したことで毒に冒され死するとしても、同胞の勝利のためなら命を擲つモノはいるはずだ。我ら人類がそうであるように」
「………」
しかしそうは言ったが、コールマンは人間だとアルドヘルムは思っている。
確かに疑わしい点はあるものの、もしもコールマンが魔族であったとしたらとんだ間抜けだ。今も彼が入手できる情報を制限しているのは、あくまで念には念を入れているに過ぎない。
「し、しかし魔族には……いえ、人類にも魔力波長と形質を隠蔽・偽装する術は開発不能とされて……」
「言っただろう。今までになかったからと、今後も有り得ないと考えるのはナンセンスだと。もしもそれを可能としたのなら、我らが戦勝に気を緩ませている今が絶好の好機。そして私ならそのスパイを発掘闘技都市へ送る。人類という敵対者の情報を得ると共に、アルベドの核を奪還することを狙うだろう」
絶句するバークリーに、アルドヘルムは形のいい眉を顰めて囁いた。
「魔族がグラスゴーフを狙うことで得られる利点は三つもある。一つ、人類圏の情報の入手。二つ、王国の主要都市を潰せれば王国に多大な痛手を与えられる。三つ、アルベドの核を奪還できる。……そうなれば、一時の優勢など容易く覆るだろう。我々の情報を得ると共にアルベドという大公爵を復活させられたならば、人類圏は大きな後退を余儀なくされ……ひいては人類存亡の危機に繋がる。……いや、スパイが送り込めるようになっているとすれば、とっくの昔に各地に潜伏しているか? ならばもし私の懸念が現実のものになっているとすれば、奴らはアルベドの奪還を確実なものと目している事になる。大々的に動いて来たならば奴らの所業は露見し対策が打てるが、未知の技術へ対応しなければならない時、初見なら後手に回らざるを得ない。その初見時の利点をグラスゴーフに当ててきたとすれば……」
考え過ぎだとバークリーは笑わなかった。主人の思考は、自分如きでは推し量れない次元にあると理解している。半ば未来予知に等しい演算能力を誇る稀代の知恵者だ、アダルバート・バークリーとは比べることすら烏滸がましい差がある。
戦争とは本来、入念な下準備と敵対者の情報収集を必須とする。戦術、戦略を立てるのに不可欠だからだ。だが人類も魔族も、互いの情報を集める手段が【捕虜としたモノから抜き取る】しかない。この前提条件を覆せるなら、なるほど確かに脅威的であると言えた。
彼が有り得る可能性として考慮している以上、バークリーはそれを信じるしかなかった。実際現在の状況下で何が最悪なのかと想像すると、アルドヘルムの提起した事態こそが最悪なのである。その危険性に備えるのは当然のことだと思えた。
「バークリー。もしもの時を考えよう」
「は……もしもでございますか」
「ああ。私の考えが当たっていた場合を前提として、もしも私が死んだ場合、指揮権は私の嫡男に移譲される。想定される状況に応じてどう動けばいいか、作戦案を幾つか用意しておこう。その時はバークリー、きみが頼りだ。私の息子に仕えてよく支えてやってほしい」
「……畏まりました。ですが閣下がお亡くなりになられるような事態になれば、お傍にお仕えするわたくしも死を免れぬでしょう。閣下をお守りし、わたくしこそが先立つことになります。ですので後事を託すのでしたら他を当たっていただきたい」
「……ふぅ。きみが口答えするとは珍しい……が、そう言うのであれば……いいとも。その時は私の盾となって死んでくれ」
無論です。そう言って笑みを浮かべるバークリーに、アルドヘルムは微かな苦笑を滲ませる。
一瞬、空気が弛緩した。あくまでアルドヘルムにのみ仕える忠臣は、時折り主人が見せる笑みが好きだった。二百年生きてきた賢人族の男は、白髪混じりのくすんだ緑髪に隠れた長耳に触れる。照れ隠し、面映さを隠そうとする彼の癖だ。
バークリーは思い立ったように、アルドヘルムの執務机の上にある紅茶が冷めているのに気づき代わりを淹れようと動いた。
その時だ。
「――刑事部特殊犯捜査係より入電」
不意に、魔導電子モニターより機械音声が発される。定時の連絡ではない。瞬間、ビリッと静電気が走ったような緊張が過った。
アルドヘルムの瞳から感情の色彩が消えている。冷たい鉄を鋭利に砥いでいくような雰囲気があった。数瞬前の緩んだ貌には彫刻を想わせる硬さがある。届いた電信を読み上げる人工精霊の声を、ユーヴァンリッヒ伯爵は静かに聞いた。
「民間人への聞き込みの結果、帝国のアールナネスタ大公爵家の令嬢、アレクシア・アナスタシア・アールナネスタらしき人物を見掛けたとのこと。少年の姿をしていたから血縁者かもしれない。あるいは魔術による変身である可能性も高い」
「ああ彼女か。把握している。帝国に協力を要請したのは私だ。それとなく、自主的にグラスゴーフへ訪れるように取り計らってもらっただけだ。何も問題は――」
呟き。しかし、それは途切れる。
「彼ないし彼女は駅より降りた後、都市部を散策していたように見えたが、何を思ったのか路地裏などの人気のない道に入っていくのを目撃したとの証言が上げられている。不可解な行動ゆえにグラスゴーフ運営本部に報告します」
「――グラスゴーフ運営本部より架電。各位、第二フェーズより次の段階へ移行せよ。第三フェーズが済み次第、以後の作戦行動を中断しただちにグラスゴーフへ帰還。任務の更新があるまで待機するように」
了解した旨が順繰りに唱えられる。ツ、と冷たい何かが背筋を伝ったかのような心地を、バークリーは味わった。
恐る恐る主人を見る。するとアルドヘルムは切れ長の双眸を細め、思案するようにして顎に指を這わせ。そして、バークリーに言った。
「バークリー、君は騎士アールナネスタ大尉についてどこまで知っている?」
「は……僅か十五歳にして二つの概念位階で第四に到った才女。次世代を牽引する存在として期待される天才。おおよその軍歴と評判については漏れなく把握しております」
「そうか。私は幾らか君よりも詳しい。彼女は……ああ、陳腐な物言いだが、肉体的にも精神的にも、総ての魔導騎士の中でも最高峰に位置する。そしてその頭脳も大規模コンピュータの演算力に匹敵し、およそ欠点らしきものは一つしか見当たらない人類の剣だ。そんなアールナネスタ大尉は、同盟関係にあるとはいえ他国で妙な行動を取らない分別も持ち合わせている。その彼女が不可解な行動を取る……何かを見つけたのかもしれない」
言うや否や、アルドヘルムは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。
「バークリー。至急アールナネスタ大尉に話を訊きに行ってほしい。彼女は今ダンジョンにいるはずだ」
「畏まりました。閣下はどちらに?」
「――冒険者組合に。そろそろルベド殺しの彼も所用は済ませている頃合いだろう。それからダンクワース侯爵にも話を通さねばならないこともある」
アルドヘルムは従者の返事も待たずに執務室より退出していく。頭を下げて見送り、バークリーもまた指示通りに動き出した。
エディンバーフ領を統べる伯爵の御殿、その大理石の床に硬質な靴の踵を鳴らして貴人が歩む。その間にもアルドヘルムの頭脳には、今後どのように動くべきかを策定する演算の数式のみが乱舞していた。
彼は、支配者である。一切の私欲を排した公人である。故に私人としての自分を忘れることがある。人類全体のために奉仕するのを最優先にするからこそ――彼は鉢合わせる形で出くわした少女を見つけて、思わず足を止めてしまった。
貴族であるならあってしかべき飾り気。それがない、虚無的ですらある白い一本道。しかしその実、巧妙な魔術式によって避難用の脇道が隠された通路。その向こう側から、一人の少女がやって来ていた。
「……お父さん?」
「マリア……」
マーリエル・オストーラヴァ。アルドヘルム・ハルドストーンの娘。長女。
予想だにしていなかった。いや、単純に忘れていた。顔を顰める。今日の夕方、会って話そうと通信で話したのは誰だったか。
マーリエルだ。一度、会って話がしたいと。それを了承して、ほんとうなら時間を空けておく約束だったのだ。
マーリエルはアルドヘルムの様子を見て、表情を曇らせる。忸怩なる想いに顔を歪ませ、しかしアルドヘルムは止めていた足を動かして。そのまま、娘の脇を通り抜ける。
「仕事だ。すまない、時間がなくなってしまった」
「………そう、なの。うん、分かった。じゃあ……またね、お父さん」
「………」
背中に掛けられた声に寂しさを感じ、アルドヘルムは足を止めたい衝動に駆られる。
だが私事などで時間を取ってどうする。……いまさら父親面をしてなんになる? そんな資格はない。子供に愛情を注げる権利がない。
アルドヘルムは迷いを振り払い、ただ為すべき事を成すために歩き去って行った。自分の背中に、最後まで視線を感じながら。
「――お父さん。わたし……大事な話が……友達が、出来たの。生まれて初めて、同い年の友達が……」
ぽつりと、少女の呟きだけが虚しく響く。
「ばかみたい」
自嘲するように苦笑して、マーリエルは立ち尽くした。結局、自分でも何を話そうとしていたのか分かっていなかったから。
だからこうなったことに、安堵している自分を発見して笑う。
自分の父親に復讐しようとしている少年を、友達と呼ぶ己の可笑しさこそ、滑稽だった。




