一寸先は闇、知らずに漕ぎ出す
「失敗は成功の母」とエジソンは言った。この世界にエジソンがいたのかは知らないけど、それは一つの真理だと思うことにしている。
だってそうでもないと、僕の努力は総て無駄ということになるから。
無駄だと分かっていることを、延々と続けられるほど僕は強くない。いつかは成功すると――何もかもが報われると信じて、僕は失敗を繰り返す。
† † † † † † † †
目の前に迫る、巌のような拳。あ、と思った。思っただけ。反応できない。脚に力が入っていないから。殴られ過ぎたのだ。
衝撃。覚悟する余裕もなく、まともに叩きつけられた。上から下に沈み込ませるような、叩き落とす一撃。ぐしゃ、と鼻が潰れる音を聞く。鼻血を噴き出し、一瞬意識が落ちて。朦朧とした意識が浮上すると、地面へ仰向けに倒れている自分を発見した。
『ああっとぉ!? コールマンまたしても、またしてもダウン! 手も足も出ない! 野次が飛ぶ、天才というのはデマカセかぁ!?』
そんな声。アダルバート・バークリーではなく、別の審判の男。
背中に誰かが乗ってくる。誰だ、と思う。なんで僕はこんな所にいて、何をしている……? 混濁している記憶。ぼんやりとした理性が警告を発した。ダメージが大きい、記憶が混乱している。
太い腕が首に回ってくる。大蛇に巻き付かれたようだ。それが容赦なく締め付けてきて、呼吸が出来ない。苦しい。痛い。気道を圧迫され顔が真っ赤になる。血管が浮かび上がった。陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクと開閉させて、本能的に自身の首を絞める腕を何度も叩いた。
引き剥がそうと足掻く。だが背中に乗ってきて、コールマンの首を絞めながら海老反りに体を反らせて来る相手の膂力に太刀打ちできない。やがて暴れる力すらなくなり、瞬く間に意識が溶けていく。
だらんと腕が落ち、全身から力が抜けた。赤黒く変色した顔。白目を剥き、だらしなく口を開き舌を出した状態で、無様にも完全に気絶する。
『ああ!? コールマン、ノックアウトォオ! この瞬間特別ルールマッチはブライアンの勝利ぃ! コールマンこれで五連敗、初戦の反則負けからここまで一度も勝てていない! 前評判を裏切っている現状、一刻も早く立て直すことが期待されます!』
コールマンの背中から降りて、両腕を天に突き上げ勝利を誇示する巨漢をよそに。既にコールマンは気絶していたから、審判の男の言葉を聞くことはなかった。
――ああ。まったく嫌になる。
一人で訓練を重ねる段階は過ぎた。そう思ってひたすら実戦を重ねるべく、闘技場で仕合をすることにしたのが事の発端だった。
その際にコールマンはまず、魔法を抜きにした純粋な白兵戦の力を身に着けるべく、闘技場側に要請したのだ。自分の仕合では特別なルールを設けてほしい、と。魔法と魔術、武器の使用を禁止し、素の身体能力でのみ格闘戦を行う形式にしてほしいと。
その結果がこれだ。一度も勝てない。対戦相手に割り振られる相手全員が、コールマンよりも強かった。まったくと言っていいほど手も足も出ない。
格闘技術が低いからだ。戦闘能力の前提となる、基礎の技術が出来上がっていない。そんな体たらくでは誰にも勝てない。
――衝撃。
コンパクトに纏められた、縦拳の連打。水月、肝臓、喉、頬、そして顎。滅多打ちにされ、意識を刈り取られる。
『これで六連敗! コールマンにいいとこなしだ! しかし流石にそろそろ可哀想になってきた、対戦相手は格上ばかり! 闘技場は弱いものイジメの舞台じゃ――え? 格上を割り振るように願ったのはコールマン? じゃあ仕方ない! 自業自得だから早く勝てるようになってくれ! 我々はキミが強くなるのを待っている!』
そうだー! 金返せー! そんな野次。もちろん聞いてはいない。そんな声なんて聞く気もない。
肉体に致命的な損傷が無いからか、わざわざ治癒の魔術を掛けてくれる人は居ない。コールマンは痛む体に眉を顰める。
自室である。マーリエルが居てくれたら、たちどころに全快させてくれるだろうに。そう少し恨めしく思う自分が嫌だった。体を洗いもせずベッドに腰掛け、|魔力派共鳴式魔導管制杖を起動する。
首に下げている宝石。それが微かに明滅して淡い光を放つ。あらかじめ指示していた通り、回復の魔法術式が励起する。それにより徐々に痛みが引いていくが、それは微々たるもので、完治には一日を要するだろう。
声がした。呆れているやら、笑っているやら。そんな曖昧な声音で、演算補助宝珠の固有人格マーリンが主人を揶揄してきた。
『やあ、まーたボロ負けしたね。作戦も立てずに実戦実戦また実戦、そんなことしても格上相手に勝てるわけないだろう?』
「五月蠅い。そんなことは言われなくても分かっている」
吐き捨てられた声は変声期前のソプラノボイスではなく、低く重いバリトンボイスへ変わっていた。身長も170にまで伸び、まだまだ成長痛を感じることから成長期は終わっていないのが解る。
硬く冷たい声音は感情を感じさせない。あの憎悪の日から二ヶ月、つまりこのグラスゴーフに来て四ヶ月の月日が流れていた。――もう、元の世界のことは思い出さない。思い出そうという意識が消えている。それは現実逃避に他ならないから。
「マーリン、記録は撮っているだろう。出してくれ」
『うん。勤勉でマメだねぇ、マイ・マスターは』
下らない茶々を聞き流す。腰掛けたままのコールマンの前にモニターが表示された。そこにはこの四連敗に終わった格闘戦の仕合、その全てが順番に表示されるようになっていた。初戦のマイケル、非公式に終わった実父ユーサー。彼らの時の記録はない。映像が撮れることをその時は知らなかったから。
主題は格闘戦だ。対戦相手の格闘技術、受けに回った自分の動き、それらを分析するために、あらかじめマーリンに記録を取れと指示していたのだ。
『マスターにはプライドがないのかい? 敗けるの前提で仕合なんかしてさ』
「プライド? 莫迦なことを言うんじゃあない。それは相応の実力を得たら自然と身に着くものだろう。私は弱い、強くなるには自身の欠点を洗い出し、改善点を把握するためのデータを集めるべきだ」
お喋り好きな演算補助宝珠の軽口に鬱陶しげに答え、コールマンは沈んだ眼差しで再生される映像を見る。
俯瞰した視点で相手と自分の動作を、細部に至るまで分析する。ジッと見詰め、映像の中で打ちのめされる自分を見た。
鎧は装備していない。黒いタイツのような魔導十一式バトル・スーツとオープンフィンガーグローブ、そしてブーツのみの格好。コールマンよりも10cm以上長身の対戦相手も似たような格好だ。
コールマンは攻め方を知らない。故に受動的で受け身な姿勢で、それを見た相手は大柄な体を利して攻めかかってくる。コールマンはそのまま攻め切られ、良いように滅多打ちにされていた。
二度目は下手な防禦で守り続ければ敗北が確実と諦め、攻めかかるもカウンターを喰らい、そのまま一方的に打ち倒される。
三度目は防禦を主体にカウンターを狙ったが、防禦の上から強振の蹴撃を叩き込まれて体勢を崩され、力任せに殴り飛ばされ最後は首を絞められた。
四度目。これも首絞め。
五度目。丁寧に防禦を崩され、人体の急所を拳で抉られて気絶させられる。
「――大体分かった」
『ほんとうに?』
「嘘を吐いてなんになる? 私にはセンスがない。何も考えないで戦うなんて無理というものさ」
何度か繰り返し映像を見返し、その上で結論する。マーリンの反駁に吐き捨てた。
「私の場合、何もかもが中途半端だ。防御に徹しても脇が甘い。攻撃を意識しても手数の中の繋ぎが緩い、挙げ句狙いが読まれる。カウンターなんて器用な真似ができる技量もないのに試みる無謀さ、力任せに攻められた時の捌く手の拙さ、技量で遥かに上回られる相手にはそもそも歯が立たない」
『そうだね、けど具体的じゃない。どうすればいいのかは分かったのかな?』
「ああ。このデータの中の私は、防禦・攻撃のいずれも半端だ。思い返せば、マリアは私にヒントをくれていた。パターンAの連打、パターンBの強振、パターンCの足技。そうやって自分の中で幾つかのパターンを作って、慣れたらそれらを組み合わせればいい。そこから更に発展させていって、後は場数を熟せば……」
『理屈倒れだよ。机上の空論だ。けど、理屈臭いマスターにはそれがお似合いかな? まあそのマニュアルを構築して、段階的に強くなるには最適かもしれない。でもそれに拘泥してはいけないよ。いずれはそれを破って新しい戦術を作らないといけない。守破離だ。まずは教えを守り、その後に破り、離れる。それで一人前だよ』
「……口煩いな。初めて起動した時、私は君の性格は好ましさを感じたものだが、今は煩わしさばかり鼻につくよ」
酷いな、とマーリンは愉快そうだ。しかしコールマンは不愉快である。いちいちケチを付けてくるのは鬱陶しい。指摘が間違っていないように思えるのも癪に触った。
というより、少し性格が変わっているように感じるのは気のせいだろうか?
違和感を感じつつもコールマンはマーリンを休眠させる。所詮は演算補助宝珠、道具だ。こうして無理矢理黙らせてしまえば何も出来ない。
立ち上がる。魔力波長を発し、人工精霊端末を呼び覚ました。
「アビー、剣を」
『了解。どの剣になさいますか?』
「……そうだね」
言われ、思案する。取り回しの良さを重視するなら短剣、扱いやすさとリーチを求めるなら長剣だ。しかし盾もほしい。ほしいが……せっかくだ。物は試しともいう。何事にもチャレンジするべきだろう。トライアンドエラーだ。
「大剣を。盾としても扱いたいから、頑丈で幅広な物がいい」
『条件に合わせて検索いたします。少々お待ちください。……該当件数は二。ご要望に最も沿うのは弐型屠龍刀となります。形状はグレートソードです。……如何がなさいますか?』
「それでいい」
ニガタトリュウトウ。聞き慣れない単語に眉を顰めつつ、コールマンはグレートソードと聞いて口元を緩めた。眉根を寄せながら相好を崩しているのだから器用な表情である。
そうして転送されてきた大剣を目にして、コールマンは目を丸くした。
デカい。もう随分と昔のことのように感じてしまう、元の世界の日本のマンガで見たドラゴン殺しの大剣のようだ。
刀身は今のコールマンの身長ほどもある。やや短い柄は頭の上にあった。これだけの金属の塊、持ち上げるのにすら苦労するだろう。試しに手を伸ばして掴んでみて、その質量に驚嘆する。
「誕生。アビー、軽く振ってみたい。セーフティの解除を頼む」
『了解。しかし室外へ持ち出した場合や、なんらかの危険行為に及ぼうとした際には即時セーフティが掛かるものとします。ご留意ください』
「ああ」
慣れたもので、身体強化の魔法を気負いなく使用し赤い魔力波長を発する。全身を隈なく強化したコールマンは、筋骨隆々の大男でも自在に扱えないだろう大剣を片手で持ち上げた。
虚空に大剣を翳し、軽く振り回す。凄まじい質量の速度に風圧を感じた。小枝を振り回すようにしながら前面に盾のように構え、突き出しを行い、手首を返して斬り上げる。そうしながらコールマンは驚いた。意外なほど手に馴染む。少なくとも普通の規格の剣や槍よりも、こちらの方が汎用性が高い気がした。
それはそうだ、重さを感じないほど身体能力が向上しているのである。重さを考慮しないで形状のみで選べるなら、後は感性に合う武器を選んだ方が良い。
「いいじゃあないか。薙ぎ払ってよし、突きを放つもよし、盾にもなるし体の動作を隠す障害物にもなる。うん、気に入った。アビー、これにする。ニガタトリュウトウだったかな。素晴らしいものをありがとう」
『……恐れ入ります。武装のカスタマイズや、鎧兜のデザインなども、ご希望であれば叶えられることになっておりますので、暇があったなら是非お試しください』
「? それになんの意味が……浪漫は認めるけれどね……」
『視覚的な特徴を作るのは、必ずしも悪いことばかりではありません。ある種のシンボルとも成り得ます。そうなればメリットも生じるでしょう』
「ふぅん……? まあ、そういうのはそれなりに強くなってからだ。今は恥ずかしいからやめておくよ」
苦笑してアビーの提案を聞かなかったことにする。それよりも今は武器の方だ。試しに実戦で使ってみたい。
精神が環境に適応しているのか、それともコールマンの意志を固めた復讐心ゆえか、少年は極めて自然にその発想を受け入れている。――ダンジョンに行って、低位のモンスターを相手に使い心地を試したいなどと。発掘闘技都市に来る前のコールマンなら考えもしなかったはずだ。
「アビー、ダンジョンへ稼ぎに行きたい。そろそろ経済に貢献しておかないと、お上の覚えが悪くなりそうだからね」
皮肉めいて言うのに、額面通りに受け取ったアビーが応じた。
『いいえ。コールマンは非常に優等で模範的、理想的な登録者であると評価されています』
「………ああ、そうかい」
予想外の答えに虚を突かれ、不快そうに鼻を鳴らして。
コールマンはあっさりと、自らダンジョンに向かうことを決めたのだった。




