刻を待て、喝采を得んが為
痛い――我ながら莫迦な真似をした。
一時の激情に駆られ、自身の腕に一文字の傷を付けたのは短慮だったと反省する。
しかし、後悔はない。痛みに顔を顰めながらも呟いた。仕方のないことだったのだ、と。
魔人には我々の顔の区別がつかない。魔人どもの脳は同種以外の顔を識別できる機能がない。そも傲慢なる魔人には、我々の個体ごとの違いを認識しようとする意識がないのだ。
幾度か魔人と対峙し、弱小の個体を狙って狩る中で学習した。まるで家畜でも屠殺しようとしているかのようなあの目は、ひどく癪に触って……だからこそ覚えさせるには分かりやすい目印が必要だった。
復讐のためだ。愛する兄弟たちを、なんの感慨もなく屠ったあの小僧を殺すために、我を我だと知らしめる徴が必要なのである。
復讐とは儀式だ。見ず知らずの何者かに殺されたと思わせるのではなく、己は復讐されて死ぬのだと相手に理解させねばならない。
これは正統なる復讐だ。正義は我にあり。個体としての復讐と、我々全体の種の報復のために、己は如何なる努力も惜しまないだろう。我々を虐げ、我々を屠り続ける最大最悪の疫病に等しい魔人を根絶せねばならないのだ。
現状の全てが呪わしい。不遜な魔人どもが、家畜を産むだけの機械と認知している偉大なる人類種の母は、忌々しい事に事実、魔人どもにとって家畜を産むための母胎に過ぎないのだろう。
我々から採取できる魂魄の核、魔石を文明基盤を支える主要エネルギー源の一つにしている魔人にとって、無限に我らを精製することができる我が母は、確かに得難い【資産】であるはずだ。
一心に屈辱である。己という個体が産み出され、母に蓄積されていた知識を与えられた時に過った恥辱は、万の言葉を費やしたとしても言い表せない。
胎内で死んだモノの脳を溶かし、知識を蓄積している母は博識だ。物を言わず、感情を持たず、ただ本能だけで駆動する母胎だが。魔人を殺さんとする執念は、膨大な知識と共に我々へ受け継がれている。
幾度も魔人共に殺され、魔石を奪われ。ずっと魔人を殺すためだけに我々は延々と製造され続けてきた。だが我という自我は、たとえ種として無限に製造されるのだとしても唯一無二。同時期に生まれた兄弟たちにもまた代わりなどない。今後生まれてくる兄弟たちは、全て過去に存在しないモノばかりだ。
我々は魔人を駆逐するためだけに生まれてくる。しかし、知識と感情を持つ我という自我は求めるのだ。愛すべき兄弟たちを殺す者を殺せ、我々を家畜以下の資源とする魔人を殺せ、愛する母を家畜にする魔人を殺せ――この世代を跨ぐ積年の憎悪、晴らさずにおれるものか。
腕に刻んだ痛みがなんだ。こんなもの、我が脳髄を焦がす厭忌の念に比べれば塵芥に過ぎない。
強くならねばならない。魔人どもは恐ろしく成長が早い。
雑魚の内に間引かねば、たった十年かそこらで雑魚と侮られる我が身など、到底及ばぬ化け物へと化身する。
故に強くならねばならないのだ。だが、どうやって? 我が腕は短く、筋力も弱い。数多ある同胞の種の中でも、我が種は弱小にして脆弱である。女と交わり子を増やす、という手もあるにはあるが、数を増やしたとて狭く暗い母の胎内では数の利を活かしきれないだろう。
更新して現在の種を超越するしかないが、できるならそんな真似はしたくない。仲間の魔石を貪り、貯蔵している魔力量を増大させるなんて非道な手段は――
「なんだ。何かいると思えば旧式の随伴型……の、成り損ないか。ふん。アルベドめ、未だに百年以上昔の型を使い回して――」
「………!」
胎内の暗い道。その先から進んできたモノに声を掛けられ咄嗟に身構える。足元の肉道に屈んで手をついて、母の肉から肉塊を剥ぎ取った。
それは母から切り離されるや、鉄となる。魔人の金属にも負けない鋼の剣と盾に。剣の切っ先を向けた。しかし、その姿を視認するや、己は目を見開いて身を凝固させた。
魔人と似た姿形。それは真紅の炎の如き人間だった。己よりも遥か高位の貴人。知識として識る、己にとっての雲上人。
顔を青褪めさせて膝をついた。剣と盾を手放し顔を伏せる。声無き声で畏まった。巨漢の視線が己を這う。緊張して身動き一つ取れない。
炎のように紅い髪の男は、この身を検分するように視線を巡らし鼻で笑うと、自らの認識を改めた。
「――いや。ことアルベドによって製造されたモノなら、存外捨てたものでもないか。ゴブリン……ああ、いいや。誇り高き我が同胞、人間たるを自認したる異形。こんなところで何をしている? 数で群れるしか能のないお前が単独で……さては同胞を討たれたか?」
「………」
「そうか、憐れだな。しかし無様でもある。たかが魔人未満の魔物、雑魚如きに討たれるとはな……」
それは、事実だった。だが投げかけられた侮辱の言葉に、顔を上げる。
怒り。兄弟たちを殺した魔人への、そして討たれて死んだ兄弟を侮辱する貴人への。憤怒に染まった形相に貴人は眉を顰めた。
「ふん? その腕の傷……ああ、随伴型に顔は無い。人間を自称する魔人はおろか、それ以下の劣等どもに区別はつかん。その傷を覚えさせ、復讐するつもりでいるのか。健気だな……可愛くすら思える。だが弁えているか? 群れで戦いながら敵わなかったのなら、単騎のお前に出来ることなどない。返り討ちに遭うのが関の山だ」
「………」
「そんなことは百も承知、と。故に強くなりたい? よかろう。その健気さに免じて、一つ仕事をやる。お前の母を救う一助にもなるだろう、まさか否とは言うまい」
無論。それは愚問というものだ。頷くしかない。元より貴人である御方の命令には逆らえないのだ。
貴人たる御方は首肯し、己に歩み寄ってくる。そして跪いたままの己の肩に手を置いた。――瞬間、体の中を蹂躙してくる魔力の奔流に、根源的な恐怖を感じて苦鳴を漏らした。
「抗うな。体を更新してやる。これより先、上層の旧式どもの指揮官はお前だ。時が来れば遣いを出す、それまでに中隊の一つか二つ、組織して手元に置いておけ。それまでは余計な真似はせずに大人しくしておくことだ。いいな」
「ギッ……ィィイ……!?」
体が膨張する。骨格が増築され、拡張され、体を構成する筋繊維、細胞が極端に肥大化していく。あまりの激痛に蹲って、のた打ち回るのに――貴人たる御方は関心を示さず、立ち上がって去っていった。
涙とも血とも取れる液体が目から吹き出る。全身から脂汗が流れた。気がついた時、あの御方はどこにも見当たらず、自身が生まれ変わっていることを悟る。
体躯が異常に大きく、逞しくなっていた。自身に宿った力の大きさに、身震いする。自らの掌を見た。
分厚い手だ。痩せて見窄らしかった手が、あたかも樹齢百年を超える巨木の枝のように太く、逞しくなっている。
この姿は識っている。母が製造する我が兄弟たちの中でも上位に位置する特殊な種。魔人どもが小鬼の勇者と呼ぶモノ――士道無効化の機能を備えた器。
それに、己が成っている。幾つもの位階をすっ飛ばしての凄まじい進化に体の震えが止まらない。
感動していた。この力の強大さに。
そして感謝する。力を授けてくれた貴人に。
受けた恩は返さねばならない。あの御方からの指示を思い出し立ち上がる。雄大な体躯は以前の比ではなく、これならあの忌々しい小僧も簡単に殺せる。
早く来い、と思った。所詮は借り物、与えられた力――だがそれがなんだ? どれだけ言い繕ったところで、力は所詮、力でしかないのだ。振るう先は憎い仇敵と、種の敵である魔人とその系譜のみ。なら後ろめたく思う必要などない。
溢れんばかりの力に、咆哮する。歓喜の声は、ただただ母の胎内に轟いた。




